74 実った初恋
庭に出たアンネガルドは少しの気まずさを感じながら黙々と歩いた。
ニコラスにしてみればロマーン王国北部の空気はキンと冷たく、ホランド王国育ちのアンネガルドにしてみればさほど寒くない。
「寒くない?」
「いいえ、全然。ホランドの王都に比べたら寒さが穏やかです」
「そっか。ホランドの王都はここより寒いもんね」
「はい」
アンネガルドは寒いどころか汗をかいていた。マリアンヌに「暖かい外套を忘れずに」と言われて一番分厚い外套を着てきた。だが陽が出ている今はさほど寒くなかったし、初恋相手で思いを寄せ続けてきたニコラスと二人きりという緊張感から、別の汗もかいている。
(お父様が勝手に釣り書きを送ったと聞いて猛烈に怒って親子喧嘩をしたのに、まさかお誘いのお手紙をいただくなんて。でも、お手紙はマリアンヌ様からだった。ニコラス様はどんなお気持ちでいらっしゃったのかしら)
アンネガルドはあの時みたいな恥ずかしい思いをしたくない。初恋の相手から断られるのは一度で十分だ。
はしゃいではダメ。勘違いしてはダメ。そう思うのに、アンネガルドの心臓は勝手に速くなる。
「釣り書きに添えられていた手紙を読んだよ。とてもよかった」
「あれはっ! あれはまさかニコラス様に送られるとは思わずに書いたものなんです。お父様に『今後何をしたいか、自己紹介ふうに文章にまとめてみなさい』と言われて書いたもので……。申し訳ありませんでした!」
「え? なにが?」
「あ、あ、厚かましいことをいたしました。決してニコラス様に売り込もうと思って書いたわけではないんです!」
呆気に取られていたニコラスがクスッと笑った。
「やっぱり君、変わったね。生き生きしていて自然だ。僕は君の手紙を読んで、君ともう一度話をしてみたいと思ったんだ。だから謝らないでよ。自分を飾らない素敵な自己紹介だった」
アンネガルドが突然、酸っぱいものを食べたかのように口と目にギュッと力を入れた。その顔が面白くてニコラスは思わず笑いそうになったが、「くっ」と短い笑いを漏らしただけでどうにか堪えた。
「アンネガルド嬢? 今度はどうしたの?」
「私、父に悪いことをしたと思って……。実は、父が釣り書きにあの手紙を同封したと聞いて大喧嘩をしたんです。なんで釣り書きに入れると言わずに騙すようなことを言ったの? って。マリアンヌ様からご招待のお手紙が届いて家を出発するまで、はいといいえ以外は、口をききませんでした」
「大喧嘩をしても、はいといいえは言ったんだ? ははは。可愛らしい反抗だね」
アンネガルドは恨めしそうな顔でニコラスを見ていたが、笑っているニコラスにつられて「確かにそうですね」と言って笑い出した。二人はそこから長いことおしゃべりをした。
ニコラスは養殖の事業を領民たちと始めたこと、公爵家の当主になる覚悟を決めたこと。
アンネガルドは自分をもっと向上させたいこと、領民の教育は自分の大切な役目だと思ったこと。
二人は雪かきされたホテルの小道を端まで歩いて、引き返すことにした。途中まで歩いたところで、ニコラスが足を止めたので、アンネガルドも足を止めた。
「ニコラス様? どうかなさいましたか?」
「僕が以前、君に言ったことを覚えてる?」
「覚えています。『父と母のように、共に同じ方向を向いて生きていきたい』とおっしゃっていました」
「覚えていてくれたんだね」
忘れるわけがない。アンネガルドはその言葉から「君は違うよね」と言われたことを察して、落ち込んだ。落ち込んで落胆して、自分に腹を立てて、それから立ち上がったのだ。私は変わってみせる。否定されたまま引き下がるものかと。
そして最初はニコラスのために努力したが、そのうち領民の子供たちと関わり、文字の読み書きを教えることの楽しさに夢中になった。
「私、少しは変われたみたいですね。よかったです」
「僕は嫌なヤツだったのに、嫌わないでいてくれたんだね」
「歯が浮くようなセリフを言う方より、よほど信用できました」
「そっか。そう言ってくれてありがとう。あのさ、アンネガルド嬢、僕の婚約者になってくれませんか? あの手紙を読んだときから、君と一緒に前を向いて生きていきたいと思っていたんだ。今さらダメかな」
アンネガルドは驚くでもなく喜ぶでもない真顔で、ニコラスを見た。
(今なんて? 婚約者って言った? 聞き間違い?)
「申し訳ありませんが、もう一度おっしゃっていただけますか?」
ニコラスが突然赤くなった。
「わかった。もう一度言うね。僕の婚約者になってくれませんか? あの手紙を読んだ時から君と一緒……」
「はい! お受けいたします!」
ニコラスの言葉の途中で元気いっぱいに返事をしたアンネガルドが、真っ赤になった。
「あっ、ニコラス様の言葉がまだ途中だったのに」
「ぷっ。あはは。嬉しいよ。受けてくれてありがとう。僕はまっぴらごめんだって断られるかなと思ってたのに。本当にありがとう」
アンネガルドが上品にお辞儀をした。
「こちらこそありがとうございます。ただ……領民の識字率を上げる取り組みは途中で投げ出せません。婚約をしても続けたいのです。よろしいでしょうか」
「もちろんだよ。僕たちが結婚するのはまだまだ先の話になる。その間に、君がいなくなってもその取り組みが続く仕組みを整えたらいいと思う」
結婚という晴れがましい言葉に、再びアンネガルドが真っ赤になった。
「頑張ります」
「さ、帰ろう。だいぶ冷えてきた」
「はい」
二人でホテルに戻り、ニコラスが話し合いの結果を報告した。家族はみんな喜んでくれてアレクサンドルが「今夜はお祝いだね」と言う。「ランバルド侯爵には私がニコラスとの婚約を願う手紙を書こう」とも。
アンネガルドは不思議に思う。豊かなロマーン王国の公爵にして王弟だというのに、家と家の結婚ではなくニコラスに判断を任せるのは、相当変わっている。もしニコラスが平民の女性を婚約者に選んだらどうしたのかと思う。
そしてすぐ(ううん違うわ。公爵家は膨大な資産があるから、結婚に利益を求める必要がないんだわ。その上で公爵様ご夫妻は、ニコラス様の判断を尊重なさっている)と気づいた。
そこに気づいて急に(私で大丈夫なの?)と不安な気持ちが生まれた。するとそれを読んだかのようにマリアンヌとフローラが話しかけてきた。
「アンネガルドさん、今夜は我が家と一緒に夕飯を食べましょうね」
「ニコ兄さまはわけわかんないところもあるけど、腹黒くはないし優しいの。何か嫌な態度を取ったら、私に言ってくださいね。その時は私がニコ兄さまを叱ってあげます」
「なんだよフローラ、わけわかんないことなんかないだろう?」
「たまにあるよ」
「ハロルド兄さんまで!」
するとハロルドが笑いながら説明する。
「ニコラスの口から出てくる言葉は、頭の中にある言葉のほんの一部なんだ。だから唐突に聞こえる意見も、ニコラスの中ではつじつまが合っているんだよ。そのうちわかってくると思うから、気長につきあってあげて」
「はい!」
ニコラスは「そうなの? そう思ってたの?」と納得いかない様子だけれど、全員が笑っていて楽しいお祝い会だった。その夜、部屋に引き揚げたアンネガルドの部屋を、カタリナが訪問した。
なんだろうと少し身構えたアンネガルドに、カタリナが笑顔で語る。
「マリアンヌとニコラスは普通の人には思いつかない発想と行動力があるから、戸惑うことも多いと思うの。でも、二人とも根っからの善人だから心配はいらないわ。もしどうしても悩むことがあったら、私に相談して。マリーとニコラスが生まれた時から見てきた私なら、きっとあなたにいい助言ができると思う。あなたにはもう身内として仲良くしたいし頼ってほしい。一人で抱え込んではダメよ?」
「カタリナ様、ありがとうございます」
そこまで言ってアンネガルドは胸がいっぱいになった。
父と大喧嘩して、恥をかくのも覚悟でここに来た。そしてニコラスに婚約を申し込まれ、家族扱いしてもらえた。一度にいろんなことがありすぎて、もう頭の中がパンパンだ。
「私、初めてお会いした時からニコラス様が好きでした。でもまさか私が婚約者に選ばれるなんて、想像もしていなかったんです。だから、もう、嬉し過ぎて……」
両手で顔を覆って泣き出したアンネガルドの肩を、カタリナが抱いた。
「初恋は実らないのが相場なのに、よかったわね。おめでとう、アンネガルドさん。私とも仲良くしてね」
アンネガルドは手で顔を覆ったまま、何度もうなずいた。





