73 私は王弟と結婚しても変わらなかった
マリアンヌがフローラに婚約の進捗について説明した。
「そりゃ国は大喜びよ。前からエドワード様とフローラの話を進めたがっていたんだもの。我が家がお願いしてその話を待ってもらっていたところに当人たちが合意したわけだから。今頃、陛下の使者がホランド王国に向かっていると思うわ」
「それなら使者が話し合いをして帰ってくるのはまだだいぶ先ですよね?」
「そうね。どうしたの? フローラが何かお願いかしら? そんな顔をしているわ」
そこで聞き役に回っていたニコラスが一歩前に出た。そしてロマーン王国北部にある温泉地に行きたいこと、アンネガルド嬢と会って話をしたいことを説明した。
「事情はわかったわ。ステラも遠出できる月齢だし、のんびり温泉に浸かるのもいいわね。お父様はどうかわからないけれど、私がステラを連れて同行しましょう。それなら私とフローラが一緒だから、ニコラスも家族と一緒に来ましたっていう形になって、お互いに気楽でしょう? 私が上手に手紙で伝えておくわよ。婚約のための顔合わせではなく、気楽なお出かけですがよければ一緒にいかが? って」
「それで……いいのでしょうか」
「いいと思うわ。我が家が十五歳まで婚約をさせない方針なのは広まっているけれど、フローラのことはまだ広まっていないし。いい機会よ。そうだ、カタリナお姉さまも誘ってみようかしら。それなら一層、温泉のついでにおしゃべりでもって感じになるじゃない?」
「助かります」
ニコラスが殊勝に頭を下げると、マリアンヌが微笑んだ。
「一生を共に生きる人を決めるんだもの、慎重に行動したいニコラスの気持ちは間違っていないと思うわ。ただ、ニコラスがアンネガルド嬢に期待させないよう、言動に気をつけないとね。期待させて婚約しなかったら、気の毒だわ」
「そこは重々気をつけます」
話は決まって、アレクサンドルも日程を調整して参加することになり、ハロルドも結婚前にエミリアと一緒に出掛けたいと言い出して、一家全員で温泉に行くことが決まった。
マリアンヌはカタリナに『北部の温泉に一緒に行きませんか。我が家は五日間滞在しますが、お姉さまは好きなときに帰る形でどうぞ』と誘いの手紙を書いて使いを出すと、使いに出した使用人が「行きます! あの温泉に一度行ってみたかった」という短い返事を受け取って帰ってきた。それを読んでマリアンヌがアンネガルド嬢に手紙を書いた。
『来月のこの日に家族で温泉地に行くので、もしよかったら一緒にいかが。日程が合えば参加、ということでお返事は不要です。ニコラスも同行するので、釣り書きの話はいったん脇に置いて、おしゃべりだけのつもりで気軽に合流してもらえたら嬉しいです。私の姉も参加します』
アンネガルドが重く受け止めないよう、気軽な感じの文章である。
温泉地まで馬車に乗って数日。約束した日ぴったりにマリアンヌたちの馬車が温泉地に到着した。ロマーン王国側は雪がないのですんなり進めたが、ホランドは山の向こう側で雪が降っている時期だ。
「アンネガルド嬢が来られたら運がいい、くらいに構えましょう」
「俺もそう思うよ。彼女のほうは予定が詰まっているかもしれないし」
「僕はやるべき仕事の書類を一式を持ってきたので、彼女が来なくても問題ありません」
予約していた温泉療養者用のホテルの前で馬車を降り、マリアンヌは深呼吸をした。
「ねえハロルド、空気が澄んでいるわね」
「すがすがしいですね。エミリアは遠出をするのが生まれて初めてらしく、馬車での移動中もずっと喜んでいます」
「結婚したらもう、二人で遠出はできなさそうだものね」
おしゃべりをしながらホテルに入り、最上階の角部屋に案内された。ここはマリアンヌとアレクサンドル、フローラ、ニコラス、ステラが泊まる部屋だ。カタリナ、ハロルド、エミリアはそれぞれ別の部屋を予約してある。
「お姉様、見て! 山並みがまるで絵画みたいに見えるわ!」
「素晴らしい景色ね。私がどれだけワクワクしているか上手く伝えられないくらいよ。誘ってくれてありがとう」
「姉妹でのんびりって、初めてじゃない? お父様たちも来られたらよかったんだけど」
「二人とも移動が億劫だっておっしゃっていたわね。旅行は気力があるうちにしておきなさいってことよ。私、この旅を精一杯楽しむわ」
ドアがノックされて、ホテルの従業員が「お客様からです」と手紙を差し出した。アレクサンドルが受け取った。「おっ。アンネガルド嬢は先に到着していたらしい。挨拶に伺っていいかと書いてあるよ」とニコラスに声をかけた。
父の言葉にニコラスがやや緊張の面持ちでうなずいた。
しばらくしてアンネガルドが部屋を訪れ、「お久しぶりでございます」と上品に挨拶した。マリアンヌが一瞬驚いたのは、彼女が失礼のない程度のドレスを着ていて、以前のように着飾っていないことだった。
赤茶色の髪は結い上げずに下ろしているし、お化粧もほとんどしていない。それが逆にアンネガルドの聡明そうな雰囲気を引き立てている。
アレクサンドルが最初に声をかけた。
「久しぶりだね、アンネガルド嬢。すっかり大きくなって見違えたよ」
「本当にね。知的なお姉さんていう感じね」
「ありがとうございます、公爵様、公爵夫人」
そこで全員がニコラスを見た。ニコラスは(みんなで僕を見つめないでよ)と思いつつ一歩前に出た。
「アンネガルド嬢、この前以来だね。来てくれてありがとう。楽しくすごそう。いろいろ話をしたいんだ」
「あのっ! 私、以前は自分のことばかりでご迷惑を……」
「そのことなら気にしないで。僕らが互いに子供だった時の話だよ。僕も相当失礼なヤツだった」
「そ、そんなことは……」
硬い雰囲気の二人を見て、マリアンヌが「さあ、若い二人は庭を歩いていらっしゃい。空気が美味しいわ。アンネガルド嬢は暖かい外套を忘れずにね」
「ありがとうございます、公爵夫人」
二人を送り出してから、カタリナがマリアンヌに話しかけた。
「アンネガルド嬢はニコラスのお気に入りなの?」
「どうかしら。子供の頃には話が合わなかったみたいだけど。でも彼女、とても雰囲気が変わったから、今は気が合うかもしれないわ」
「ふうん。ホランドの侯爵令嬢が、もしかしたらあなたの娘になるかもしれないのね」
「ええ。もしそうなるなら喜ばしいことじゃない? ずっとニコラスを慕っていてくれたお嬢さんが私の娘になるんだもの」
「あなたならそう言うと思ったわ。ニコラスの妻になる人の身分なんて、何も考えていないんでしょ?」
カタリナにそう言われて、マリアンヌがアレクサンドルをチラリと見た。聞いていたであろうアレクサンドルは少し微笑んだだけで何も言わない。
「王弟のアレックスと結婚して国王陛下の義理の妹になっても、私は何も変わらなかった。だから、身分で人の中身は変わらないと思っているの。アンネガルド嬢がニコラスと結婚しても、彼女が幸せになれるかどうかはニコラスと彼女の問題よ。私はただ、二人の幸せを願うだけ」
カタリナが感心したような顔でマリアンヌを見た。
「発明が大好きなお嬢さんは、いつの間にかずいぶん大人になっていたわ」
「いや、マリーは昔から思慮深い人だったよ?」
アレクサンドルの言葉に、ソファーに座って聞いていたフローラとハロルドが笑いを堪え、エミリアは笑顔で聞いている。ステラが「あーあー」と声を出して、養育係のレイアとマリアンヌが同時にステラに歩み寄った。それを見ていたカタリナが穏やかに微笑む。
「ねえ、マリアンヌ。あなたはとても風変わりな妹だった。それがあなたの個性だと思っていたわ。でも、幸せな家庭はどこも似ているわね。それが不思議」
「平凡な幸せを、私はアレックスのおかげで手に入れることができたの。その感謝を忘れたことはないわ」
「マリー……」
アレクサンドルがマリアンヌに近寄って肩を抱き、カタリナは「はいはい。好きなだけ仲良くしてください。私は温泉に浸かってくるわ」と笑いながら部屋を出ていった。





