69 ニコラスとエドワードの話し合い
雪の原の散歩から帰ったフローラは、(嘘をつくのはよくない)と判断して、婚約を申し込まれたことと、了承したことを正直にニコラスに話をした。
「は? は? あれほどその場で返事をするなと言ったよね? みんなに注意されてたのに、了承しちゃったの?」
ニコラスは「信じられない」と言ってソファにドスンと腰を下ろして目を閉じた。
こうなることを覚悟していたフローラは、黙って向かい側に座ってお茶を飲んでいる。イチゴのジャムを入れた熱い紅茶は甘く美味しい。約束を破ってしまった申し訳なさを、優しく慰めてくれた。
「僕がエドワードと話をしてくる」
「それはいいんだけど、私はエドワード様と婚約したいと思っているの」
「だとしても十五歳までは待つべきだったよ!」
「落ち着いて、ニコ兄さま。私の気持ちは変わらないから、今お返事をしても十五歳まで待ってお返事しても、同じことよ?」
興奮していたニコラスは、フローラの落ち着いた表情を見て、再びソファにドスンと座った。
「親子だなあ。お母様が何かを決めたときとそっくりな顔をしている。なるほど、お父様が気球に乗ったときの気持ちはこんなだったんだなあ」
「何のことか意味がわからないけど」
ニコラスは父から聞いた話をした。まだニコラスが小さい時に、母が気球を空高く浮かべようとしたこと。それに母が乗ろうとしたこと。父が危険だからと反対し、うんと言わない母が心配で、父自らが試乗役を買って出たこと。
「そんなことがあったんだ?」
「あった。ここだけの話だけどな、お父様は高いところがお嫌いなんだよ。それでもお母様が危ないことをするくらいなら自分が気球に乗ると言って……。つまり今のお前はあの時のお母様の表情にそっくりなんだよ。僕は覚えてる。お母様のお顔は穏やかで、でも『絶対に気持ちは変わりませんよ』みたいな顔をしていた」
「へえ。お母様に似ているなんて、初めて言われたわ。嬉しい。私はみんなにお父様似って言われてきたもの」
しばらく心を鎮めていたニコラスは、落ち着いた声で話しかけた。
「国王に嫁いだらもう、離婚はできないよ。里帰りだってできない。お母様や僕が会いに来る以外は、家族に会えないんだ」
「知っているわ」
「意地悪な年上の侍女がいるかもしれないぞ?」
「覚悟している。負けない」
「この国は半年近く冬なんだぞ? 南国の果物を取り寄せるのはとんでもない贅沢なことになる」
「取り寄せなきゃいい」
「ねえ、フローラ、いったんエドワードとの話は……」
「なかったことにはしません。これといった取り柄もなければ特別美しいわけでもない私を、エドワード様は選んでくれたんだし、私も小さい時からエドワード様に憧れていたの。これ以上の理由がある?」
(これ以上反対すると、余計に頑なになりそうだ)
「わかった。ちょっとエドワードと話をしてくる」
「いってらっしゃい、ニコ兄さま」
ニコラスは王族が住む最上階へ向かい、衛兵にエドワードとの面会を求めた。エドワードはご機嫌で出迎えてくれた。
「やあ、ニコラス。行動が早いね」
「誰もいないところでフローラに婚約を申し込んだらしいね」
「うん。君がいたら邪魔されそうだったから。僕はさっさとフローラと約束を取り付けたかったんだ」
「お前のそういうところが気に入らないんだよ! フローラはまだ子供だ。親を通り越して婚約を申し込むヤツがいるか!」
それを聞いたエドワードの目つきが一瞬鋭くなった。
「君も君の家族も、フローラのことをおっとりして特に優れたところがない普通の子と思ってない? その上で可愛い可愛いと腕の中から出さずに可愛がっている。それ、フローラの劣等感を強くするだけだからやめてほしいよ」
「そんなことしていない!」
「しているさ。フローラはさっき家族を引き合いに出して、『私は普通だ。麦の穂の一族ではあるが、麦の穂の一族として自分に期待しているなら期待には沿えない』と言っていた」
「え……」
ニコラスはにわかに信じがたかった。あの、のほほんとした妹はそんなことを考えていたのかと、ショックを受けた。
「ロマーン王国でみんなに守られて暮らしていれば、彼女はずっと劣等感を抱えて生きていくだろうさ。実際、君たち家族はみんなとても優秀だからね。でもこの国に嫁いで一人になれば、フローラは自信を持てると思う。きっと明るくたくましい王妃になる。君が想像しているような、家族を恋しがってメソメソ泣くようなことはないと思うよ」
心の中を見透かされて、ニコラスがグッと詰まった。
「僕は人を見る目があると思っている。フローラの明るさと逞しさは、この国の民に歓迎される。しかもあの天才発明家と王弟の間の子だ。誰も反対しないし虐めたりもしないよ。もし何かあれば僕が全力で守る。重鎮の首の一つや二つは……」
「やめろって。ではこれだけは頼みたい。フローラが婚約を了承した話は、うちの両親がいいと言うまで公にしないでくれるか」
「もちろんだ。約束しよう。重鎮の首の話は冗談だ」
ニコラスは部屋に戻り、「エドワードと好きなだけ仲良くするといいよ」と言ってフローラを喜ばせた。
翌日はエドワードとフィリップ、ニコラスとフローラの四人でソリ遊びをした。用意されたソリはロマーン王国では見ない大きさで、大型犬が五頭ずつ革のベルトで繋がれていた。
ニコラスは兄弟ごとに分かれて乗るつもりだったが、犬ぞりを扱ったことがない。だから犬ぞりにはエドワードとフローラ、フィリップとニコラスに分かれて乗った。
フローラはエドワードの後ろに乗ってギュッとエドワードにしがみつき、犬たちの引くソリの速さに驚いたり笑ったりで実に楽しそうだ。
それを見たニコラスは(そんなにそいつがいいかね?)と終始無言だ。
ひと休みしていると、フィリップが慰めてくれた。
「可愛い妹を兄さんに委ねるのは不安だろうけど、兄さんは優しい人だよ。安心してよ」
「フィリップはエドワードに散々意地悪されてきたんじゃないのか?」
「まあ、多少はからかわれたけど、僕が熱を出して寝込んだりすると、ずっと付き添ってくれる。僕の好物を自ら運んで食べさせてくれたりした。兄さんは自分の優しさを人に見せることだけは、不器用なんだ」
「ふうん。フィリップがそう言うなら、まあ、そうなんだろうな」
ニコラスはあらかた諦めた。フローラが好意を寄せていてエドワードもフローラを好んでいるなら、脇役の自分に出番はない。
一週間の滞在を終えて、ニコラスとフローラは帰国の途に就いた。