7 勇者への道
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砥石を手に入れてからのニコラスはどうやって宝石付きの短剣を研ごうかと夢中だった。
大人に見つかったら「危ない」と短剣と砥石を取り上げられる事はわかっている。
トムの所に行くと言えばレイアは玄関でトムの所に向かうのを確認するだけで付いて来ない。しかし常日頃「嘘はいけない」と父に言われている。ニコラスはまず「トムの所に行く」とレイアに告げて屋敷を出て、トムに会うとすぐに「もう帰るね」と言って屋敷に引き返した。
これなら誰にも嘘はついてない、と小さな策士は思った。
次は水場の確保だ。自然観察が大好きで庭に出ることが多いニコラスは良い水場を知っていた。庭の片隅に置かれている睡蓮鉢だ。
睡蓮鉢の水で短剣を研ぐ。ニコラスは刃物を研ぐ自分が大人になったような気がして、楽しくてたまらない。うっすら笑いながら短剣を研いだ。
夢中になっていたので近くから「坊ちゃん」と声をかけられた時、ビクッと体が動くほど驚いてしまった。
恐る恐る顔を上げると、先ほど別れた庭師のトムさんが笑顔でニコラスの手元を覗いていた。
「あ。トムさん、えーと」
見つかってしまった!と慌てるニコラスだったが、トムさんは笑顔でニコラスの手元を覗き込んでいる。
「えーと、これは」
「こっそり研いでましたか。こっそりだと、研ぎ終わっても誰にも見せられませんね」
「……うん。そうだね」
「どうしてこっそり研いでいるんです?」
「それは、見つかったら『危ない』って取り上げられるから、だよ」
「なるほどなるほど」
てっきり叱られるかと思ったが、トムさんはニコニコしたままだ。そこでニコラスは自分のやってることを説明してみようと思った。
「あのね、僕、この短剣を本物の勇者の剣にしたいの」
「素敵な短剣ですもんねえ。ですが坊ちゃん、その短剣を研いでしまうと、逆に坊ちゃんは勇者になれなくなるかもしれませんよ?」
「えっ。どうして?」
トムは「どっこいしょ」と声を出して地面に座り、ニコラスの顔と自分の顔の高さを揃えてから話し出した。
「坊ちゃんは見つかったら取り上げられるのを知っていて、でも我慢ができずに隠れて研いだんでしょう?勇者は隠れてそんなことをするでしょうか」
「あーー……。そうかぁ」
「勇者は人に見られて困るようなことはしない人だと思いますよ」
ニコラスは反論することが出来ずに研ぎ途中の短剣と濡れた自分の手を見つめた。
「レイアには私のところに来ると言って出て来たんですか?」
ニコラスは小さくうなずいた。
「でも本当は最初からここに来るつもりだったでしょう?レイアがそれを知ったら驚いて悲しむと思いますよ」
「悲しむ、かな?」
「ええ。レイアは坊ちゃんの言葉を信じていますから。それにレイアは坊ちゃんを守るのも仕事ですからね。もし坊ちゃんがここで怪我をしたら、レイアは自分がちゃんと坊ちゃんを見てなかったからだと思って苦しみます」
大好きなレイアが悲しい顔をしているところを想像したら、とても申し訳ない気持ちになった。
「レイアを苦しませるのも勇者がやることではないように思いますよ」
「……うん」
「坊ちゃん、どうします?この短剣、まだ研ぎますか?」
ニコラスは考えた。
(やっぱり嘘をついたり隠れたりするのは勇者じゃない)
ニコラスを包んでいた「何がなんでも勇者の剣を作るのだ」という取り憑かれたような気持ちが急に下火になった。
「ううん。もう研がない。僕、レイアに本当のことを話して謝る。お父様とお母様にもちゃんと話す」
「そうですか。私もそれがいいと思いますよ。さすがニコラス様だ。勇者になる道をちゃんとご存知だ」
「勇者になる道?」
「ええ。『あれ?この道は間違ってたかな?』って気がついても、途中で引き返すのは勇気が要るもんです。『ここまで頑張ったんだし』ってね。でも、坊ちゃんはちゃんと正しい勇者の道に戻れる人だってことですよ」
ニコラスはしばらく研ぎ途中の短剣を眺めていたが、睡蓮鉢の水をかけて短剣と砥石をきれいにすると、青い宝石の付いた短剣をズボンで丁寧に拭いて鞘に収めた。
トムは「さて、仕事に戻りますかな」と誰に言うでもなくつぶやいて、笑顔のままニコラスの前からいなくなった。
(やれやれ、どうも様子が変だと思ったら。胸騒ぎを無視せずに来てよかった。どんなに賢くても身体は普通の三歳だ。いくらなんでも短剣を研ぐのは危険すぎる)
それにしても、と立ち止まる。
(昨日の作業を見ただけであんなに上手く研げるもんかね?いやはや、驚いた)
トムは首を振りながら戻っていった。
(今後はよくよく気をつけないと。やはり子供は思いがけないことをやらかすもんだ)
庭師小屋に置いてある道具の配置も考え直すべきか、と思案するトムだった。