68 雪遊びのお誘い
フローラに手紙が届いた。執事から渡された手紙を見て、「わ! わ! わ!」とフローラが慌てている。
同じ部屋でお茶を飲みながら本を読んでいたニコラスが、頬を染めて慌てている妹に目を向けた。
「エドワードからの手紙か?」
「そう! ニコ兄さま、なんでわかるの?」
「お前がそんなに慌てる相手なんて、あいつしかいないからね。あいつはなんて書いてきたんだ?」
「えっと、これからホランドには雪がたくさん降るから、遊びに来ませんかって。雪の原で一緒にソリ遊びを楽しみたいですって」
「その手を使ってきたか」
ニコラスが渋い顔だ。
会話を聞いていたアレクサンドルが「ニコラス、いずれは国王になる方だよ? あいつと呼ぶのはやめなさい。それで、フローラはどうしたいんだい? 行きたいのかな?」と尋ねると、フローラが真っ赤になった。
「行きたいです。ロマーン王国ではソリ遊びをするほど雪が積もらないので、雪の原を見てみたいです」
ロマーン王国とホランド王国の間には、長く連なる山脈があり、気候はだいぶ違う。山脈が冬の北風を遮ってくれるおかげで、ロマーン王国は四季を通じて温暖だ。
両国の間にある山脈にはかつて細い山道しかなく、国境をまたいで行き来する人は少なかった。だが今は街道が整備され、その街道を使ってホランドから石炭や鋼材が運ばれ、ロマーンからは豊かな畑の実りが運ばれている。
マリアンヌの自動走行機をホランドでも作るようになってからは、他の業種でも一気にホランドとロマーンの間で商取引が進んだ。
ロマーン・ホランド街道は今や、安全で賑やかな道である。
「なにも雪が積もる時期にホランドへ行くことはないよ。危ないし寒いだろ」
「でも、ソリ遊びをしてみたいの」
「心配ならニコラスがフローラについて行ってあげなさいよ。フローラ一人を送り出すのは心配だけど、ニコラスがついていれば安心だわ」
「えっ! なんで僕が……」
マリアンヌの言葉にニコラスが「勘弁してください」と力なく漏らした。ニコラスが強気に出られないのには理由がある。自分はつい最近まで、一年も自由に諸外国を旅してきたからだ。やり取りを聞いていたアレクサンドルが口を開いた。
「エドワード様のお誘いをむげに断るのも申し訳ない。ニコラス、フローラに同行してやりなさい。護衛は十分つける。魚の養殖事業も、春までお前の出番はないんだろう?」
「そうですけど。僕は読みたい本がたくさんあって……」
「読みたい本を全部持っていけばいいわよ。ニコラス、フローラをよろしく頼むわね」
「お母様、ちょっと待ってください」
抗議するニコラスに、アレクサンドルがやんわりと、だが本気の顔で語りかけた。
「ニコラスは一年間、自分のために時間を使って旅に出ただろう? 今度はニコラスの時間を少しだけ、フローラのために使ってやってくれないか?」
(ああっ、それを言われると弱い。お父様は理路整然と詰めてくる人だから、これ以上グダグダ文句を言うと余計に厄介なことになるか)
「わかりました。フローラに同行します」
「頼むぞ、ニコラス」
「ありがとう、ニコラス。ニコラスが優しいお兄ちゃんでよかったわねえ、フローラ」
「はい! お母様。ニコ兄さま、ありがとう!」
「どういたしまして」
にっこりと微笑んだニコラスはフローラが可愛い。
マリアンヌが気力を失っていた四年間、忙しい父と兄に代わって、ずっとフローラの遊び相手をしていた。幼い妹に寂しい思いをさせないよう頑張っていた時間が、いっそうフローラを可愛く大切に思わせている。
「せっかく冬にホランドに行くのですから、僕も雪を楽しんできますよ。フローラ、ソリが高速で走れるよう、僕が工夫してやろう」
「んんと、それはいらないかな。高速のソリなんて怖いし危ないもの」
「なんだよ。ビュンビュン走るソリ、面白いと思うのに」
みんなが笑って、フローラとニコラスのホランド王国行きが決まった。
◇
フローラとニコラスを乗せる馬車の準備が着々と進められた。隙間風が入らないように扉の周囲にウサギの毛皮がテープ状に貼りつけられ、雪で動けなくなった場合に備えてソリの脚も用意された。ホランドが北の国とはいえ、まだ十一月の平地は大雪になることはないのだが、アレクサンドルが心配したのだ。
準備されている馬車は四台で、「なぜこんなに」と驚くニコラスにアレクサンドルが説明した。
「人里離れた場所で吹雪に見舞われた場合を想定して、いろいろと積んでおいた。フローラやニコだけでなく、護衛や侍女も寒い思い、ひもじい思いはさせられないからね。だがまあ、まだ十一月だ。準備は使うことなく到着するだろう。私の心を安らかにするためさ」
「行きより帰りが心配です。十日か二週間ほど滞在すればいいですよね?」
「私はそう思っているが、引き留められるかもしれないな」
「十日で帰ってきます」
断言するニコラスを眺めながら、フローラは(たった十日なのね)と残念に思う。
幼い頃にホランド王国を訪問したことはあるが、フローラ自身にほとんどその記憶はない。国外に出るのは実質初めてのようなものだ。そしてこの先、国外に遊びで出かけることなどないであろうこともわかっている。
今回も雪遊びをしに行くという名目だが、ホランド側からすればエドワード王子の妃選びを兼ねているであろうことも理解している。(ホランドの重鎮たちに品定めされるだろう)と覚悟もしている。
出発の前夜、長兄のハロルドがフローラの部屋を訪れた。
「いよいよ明日出発だね。フローラがエドワード王子を好ましく思っていることはわかっているよ。でも婚約や結婚に関する話題を出されたり、エドワード王子に求婚されても、今はまだ『はい』と言わないように気をつけて。お前がそう答えてしまったら、そこから先は国と国の話になるから」
そう言われてフローラは苦笑して答えた。
「全く同じことを、昼間にお父様とニコ兄さまから言われました。気をつけます」
「なんだ、そうだったのか。お母様は何かおっしゃった?」
「しもやけを作らないようにねって。それから『何があっても私はあなたを全力で守るから、十一歳の少女として全力で旅行を楽しんでくればいいわ』って」
「そうか。お母様らしいな。お母様はフローラぐらいの頃に、第二王子だったお父様から追いかけられていたらしい。でもお母様は王家と関わるのを怖がって、散々逃げていたそうだ」
初めて聞く話に、フローラが目を丸くした。
「本当に? あんな仲良し夫婦なのに?」
「王太后様から聞いた話だから本当だ。お父様は何度お母様に逃げられても諦めなかったそうだ。もっとも、お母様は王家を怖がっていたけれど、当時からお父様とは仲が良かったらしい」
「あの二人にそんな恋愛小説みたいな過去があったなんて」
うっとりした顔のフローラに、ハロルドが真顔で話の続きを語る。
「エドワードと仲良くしたければしていいんだ。その代わり、『やっぱりこの人とはちょっと』と思ったら、僕が全力でエドワードとの結婚を防いであげる」
「あ、うん。ありがとう。それと全く同じことを、ニコ兄さまも言っていました」
「ふふっ、そうだったか。じゃ、旅行を楽しんでおいで」
ハロルドはそう言ってフローラの部屋を出た。
フローラは一人になると、「はぁ」と小さなため息をついた。
「ただの雪遊びってわけじゃないのは知ってますって。それにしても、みんな優しい……」
お気に入りのクマのぬいぐるみを抱きしめて、フローラは家族全員から愛されていることを実感した。
少ししてぬいぐるみを顔の前に持ち上げ、しばらく眺める。そのぬいぐるみは、五歳の誕生日に母から贈られたもので、いままで毎晩抱きしめて眠り、昼間も可愛がって話しかけてきたぬいぐるみだ。ぬいぐるみは何度も洗われて、少々くたびれている。
「テオ、残念だけど今回はあなたを連れて行くのはやめにするわ。あちらの使用人に『フローラ様はまだまだ赤ちゃんなのね』って思われそうだもの。いい子で待っていてね。楽しいお土産話をたくさん持ち帰るから」
翌朝は晴天で風もなく、悪天候の気配は全くない。
フローラとニコラスを乗せた馬車は、護衛たちに守られながらホランド王国へと出発した。