66 維持。そして拡大。
マリアンヌが築き上げた療養所は相変わらず人気だ。
利用者は大病を患った人や人生をここで終えたい人だけではない。家族の看病で身も心も疲れ果てた人が、マリアンヌの療養所で少しずつ元気を取り戻して元の生活に戻っていく。
短期間利用して仕事に復帰し、調子を崩したらまた療養所で休息するという利用法の人もいた。
経済的な背景によって戸建の部屋と集合住宅型の療養所は使い分けられた。
人生の終わりを心穏やかに過ごしたい人と心の病を得た人が救いを求めて集まってくる。マリアンヌの発想と行動は、人々に求められていたのだ。
マリアンヌは人々が必要とするものを考え出す。それも、人々が自分の要求に気づく前に考え出すのだ。人々はマリアンヌを天才と呼ぶけれど、ニコラスの考えは少し違う。
(お母様は生まれ持った才能だけでここまできたわけじゃない。誰にも真似できないような情熱で動き続けられるところが天賦の才なんだ)
ニコラスはマリアンヌに「お話があります」と切り出し、公開庭園の小高い場所へと二人で歩いてきた。そこからは療養施設の全てが見渡せる。
「お母様の考えたこの施設は、必要とされていたんです。でも、誰もその必要性に気づかなかった。もしかしたら気づいた人はいるかもしれないけど、途方もない夢だとみんな諦める。だけどお母様は諦めなかった」
「私が発明で手にしたお金とアレックスの財産があったのは、幸運なことだったわよね」
(幸運じゃない。発明品がもたらす利益はお母様の努力の結果だ)
そう思ったけれどニコラスは微笑むだけにした。
「集合住宅型の療養所を増設したいです。この国の人口比率で言えば、圧倒的に平民が多いのですから」
「そのための土地はどうするの?」
「交渉して隣接している土地を、我が家が買い足します」
「ねえニコラス、そんなに規模を大きくして目が行き届くのかしら。お医者さん、看護師さんだけじゃない。事務方や清掃、洗濯、調理……施設を大きくしたら、関わる人も一緒に増えるのよ? 利用する人を集めてから、『やっぱり手が回りませんでした』なんてことは許されないの」
「そのことですが、ハロルド兄さんと話し合って、国立医療学院も作ろうと計画しています、そのためには公爵家の土地を利用したいです。学院の教授は国を超えて集めます」
ハロルドとニコラスの間でそんな大掛かりな話が交わされているのか、とマリアンヌは驚いた。
マリアンヌの沈黙を反対と受け取ったのか、ニコラスの口調に熱がこもった。
「おなかいっぱい食べられて、清潔なベッドで眠れる。将来に希望を持てる。そんな国にしたいんです。僕は足元の領地から。兄さんは国全体を視野に入れて。最初にできることはささやかでも、僕たちは歩みを止めません。一年間の外遊で、僕はその覚悟を決めました。実現できる環境にいる僕たちが動かないで誰が動くんだと、ハロルド兄さんも同意してくれました」
「陛下のご賛同は得られたの?」
「もちろん。兄さんが上手に根回しをしてくれて、陛下の許可はもう頂いています。お父様の許可も仮で頂きました。お母様の許可が出るならいいだろうとおっしゃいました」
(いつの間に?)
息子たちはいちいち自分の許可を得なくても動ける歳ではあるが、まさかそんな大規模な計画を立てているとは思いもしなかった。マリアンヌの印象では、ハロルドは食べることが大好きな温厚な男の子で、ニコラスはぼんやりした表情で考え事をしている少年だった。
(もう、子供たちは自分の足で進む年齢になったってことね)
「そう、それなら私が口を挟むことはないわ。アンダル村の川魚の養殖事業は、軌道に乗るまで責任をもってね」
「もちろんです」
しばしの沈黙のあとでニコラスが決意を固めた様子で語る。
「お母様の活躍の結果を維持するだけで終わらせるつもりはありません。僕とハロルド兄さんは、お母様の築いた成果を維持し、拡大していくつもりです。ひとつひとつ成果を積み重ねていきますから、見守ってください」
「あなたたちが切り拓く未来を楽しみにしているわ」
その夜、マリアンヌはステラを抱いてあやしながら、アレクサンドルにニコラスの言葉を伝えた。
「あのニコラスが拡大なんて言ったのか。あの子は学者になりたいんだと思っていたから、少し意外だな。国立医療学院なんてよく思いついたよ。貧しくて授業料が払えない生徒には奨学金を貸与したいそうだ」
「貸与? 貧しい家の子にも返金させるってこと?」
「いや。うちが奨学金を貸与して、うちの療養所で一定期間働けば返金しなくていい、という制度にするらしい。僕もハロルドもニコラスも、平民から優れた医者が生まれることを期待している」
マリアンヌが腕の中で眠るステラを眺めた。金色の髪に青い瞳のステラは、顔立ちもマリアンヌによく似ている。
「あなたはどんな子に育つのかしら。平和で幸せな国を、お兄様たちが作ってくれるそうよ。私が見られない世界も、あなたの青い瞳が見てくれるのね」
(全ての子供たちが笑顔で生きられる世界になりますように)
そう願いながらステラに微笑むマリアンヌ。そんな妻を眺めながら、アレクサンドルもしみじみする。
初めて会った時からマリアンヌに惹かれていた自分は、四人の子の父親になった。
遠い昔、結婚を申し込んだアレクサンドルに、マリアンヌは「私たちの子孫をこの国にバンバン増やしてやりましょう」と言った。
現在、王家とその血縁者の中で、四人の子に恵まれたのはアレクサンドルだけだ。
「僕が四児の父になり長男が次の国王になるなんて、君と出会った頃は想像もしなかった」
「私は約束を守る人なので」
「そうだな。君の言葉はいつも現実のものになるな」
二人で穏やかに笑っていたら、ステラが「だーだー」と声を出した。
「ステラ、早くお父様と呼んでおくれ」
「楽しみね」
「ああ、僕の人生がこんなに幸せに満ちたものになるとはね。全部君のおかげだよ、マリー」
「昔は『第二王子はスペアだ』なんて嘆いていらっしゃったわね」
「そうだったな」
ドアをノックする音がして、本を抱えたフローラが顔を覗かせた。
「お父様、お母様、このお部屋で本を読んでもいいですか? 怖い本を読んでいたら心細くなっちゃったの」
「いいわよ、いらっしゃい」
フローラはマリアンヌがステラを抱いているのを見ると、アレクサンドルの膝の上に乗った。
「おや、フローラがお膝に乗るのは久しぶりだね?」
「お父様のお膝はちょっと硬いけど、広くて意外に座り心地がいいから」
アレクサンドルとマリアンヌは、顔を見合わせて苦笑した。





