62 感謝会
ハロルドとエミリアの婚約披露が終わり、エミリアは王太子の婚約者として公に護衛がつくようになった。今までも護衛はいたが、見える形での護衛になり人数も増えた。
ニコラスは夕食を食べに来ているエミリアに声をかけた。
「護衛がガッチリつくようになったんだよね? 大丈夫? 疲れてない?」
「最初は戸惑いましたが、今はだいぶ慣れました」
「彼らはそれが仕事だから、面倒でも優しくしてやってね」
「はい、ニコラス様」
それまでモグモグと夕食を食べていたフローラが顔を上げた。
「お母様もお父様の婚約者になったとき、護衛がついたの?」
マリアンヌが「あれ?」という顔をしてアレクサンドルを見た。アレクサンドルは苦笑している。
「どうだったかしら」
「ついていたよ。君が嫌がるだろうと、護衛たちは隠れて君を守っていたんだ」
「あらぁ。隠れる場所がないときは困ったでしょうね」
「そうだね。困っていたと思うよ」
マリアンヌが頬を赤くした。
「赤くなって、どうした?」
「私のために苦労していた人がいたのを、今知る恥ずかしさを感じているところ。護衛だけじゃなく、私のために目立たない形で働いてくれていた人がたくさんいそうだわ」
「みんな喜んで働いていたよ。君は使用人たちにとても人気があったからね」
「ええ? 本当に? 今度あなたに時間があるときでいいから、隠れて護衛をしていた人たちに会わせてもらえるかしら。二十年以上お礼を言うのが遅くなったけど、その節はお世話になりましたって言いたいわ」
それを聞いたアレクサンドルが鷹揚に微笑んだ。
「いいよ。あの頃君を護衛していた人間はもう引退しているだろうけど、うちに来てもらうかい?」
「ええ! ぜひ! 少人数じゃ気を遣わせるから、当時お世話になった人たち全員に招待状を送りましょうよ。普段着で来てもらって、ご馳走を食べてもらうのはどう? 帰りにフローラの洗濯の実入りの小袋を持って帰ってもらいましょうよ」
「いいね。お酒も出していいかい? 酒を酌み交わしながら、昔話をしたいな」
「いいわよ。女性もたくさん来てもらいたいから、甘いお菓子もね。十一月だから世間は収穫祭があちこちで開かれているでしょう? だったら私が感謝をしたいから『感謝会』ってことで」
「君が使用人に感謝するんだね? いい思い付きだよ」
マリアンヌ夫婦の会話を聞いていたエミリアが微笑みながらスープを飲んだ。
なぜか涙ぐんでいて、ハロルドが大慌てでエミリアの席に歩み寄った。そして小声で「どうしたの?」と尋ねると、エミリアは泣き笑いをして、自分の肩に置かれたハロルドの手に手を重ねた。
「お二人の会話があまりに優しくて美しくて。胸がいっぱいになってしまいました」
「なんだそうか。びっくりしたよ。大丈夫、僕たちはああいう夫婦になれるよ」
マリアンヌは(今の陽気なやり取りに、涙する箇所があったかしら)と思うが、ニコラスとフローラは(わかるわかる)と納得している。ニコラスはエミリアに「驚くでしょう?」と笑いかけた。
「息子の僕が言うのもおかしな話だけど、お母様は何歳になっても心が清らかな人なんです」
「ちょっと待ってニコラス、それ、誉め言葉よね?」
「そうですよ。なんでみんな僕に『それ悪口じゃないですよね?』とか『誉め言葉よね?』って言うのかなあ。僕の話、わかりにくい?」
「うん、ニコ兄さまの話はわかりにくい」
フローラが断言して、みんながフフッと笑ってしまう。ニコラスだけが「そうなの?」と納得いかない顔だ。
マリアンヌの提案はアレクサンドルがすぐに手配をし、過去の記録をさかのぼって招待客のリストが作られた。
招待できる人数に限りがあるため、今回はマリアンヌが十六歳で婚約者になった日からハロルドが生まれるまでの期間と区切りをつけ、招待状が送られた。
「感謝会のお知らせ」と書かれた招待状には、『普段着で。贈り物などはなしで』とルールが書かれ、アレクサンドルの名前で発送された。
受け取った人たちが驚き大喜びしたのはもちろんで、普段着の中でも一番上等な服を選んでその日を待った。
中にはもう神の庭へと旅立った者もいて、その家からは欠席の返事が来る。
マリアンヌが「もしよければだけど、ご家族に代理で来てもらいましょうよ。亡き父親や母親の職場での話を、仲間たちから聞けるかもしれないじゃない? 私が招待状をもう一度書くわね」と言い出した。
話をフローラから聞いたカタリナが「私に任せなさい。そっちの手続きは私が済ませるから、あなたはステラの面倒を見ていればいいわ」と請け負った。
こうして「感謝会」に向けて公爵家の料理人ははりきり、侍女たちも大ホールの準備に余念がない。
十二月の一日。いよいよ『感謝会』の日がやって来て、ロマーン公爵家には続々と元使用人たちが集まった。
現役のまま働いている者もいて、あちこちで「久しぶり!」「元気そうね」「お前、老けたなあ」「お互い様だ!」などという会話が繰り広げられている。
階段の上から会場を覗き見していたマリアンヌが「わっ! ダンスの先生がいらっしゃるわ。私、ものすごく叱られたのよねえ。お顔を見たら緊張してきたわ」と言ってアレクサンドルを笑わせた。
「ああ、もう、君はどれだけ可愛いんだか。さあ。そろそろ始めようか。行くよ、マリー」
アレクサンドルが手を差し出すと、マリアンヌは背筋を伸ばして隣に立った。