59 エミリアのお披露目会
エミリア・ハンフリーには、ハロルドに婚約を申し込まれて了承した日からずっと心に決めていたことがある。
「私のせいでハロルド様が批判されないようにしよう」
そんなエミリアの覚悟に、ハロルドは気づいている。
そしてもう一人、それに気づいていたのがマリアンヌだ。
マリアンヌは婚約者披露の前夜、アレクサンドルと二人で城を訪問した。
アレクサンドルが兄のグリード国王と話をしている間に、マリアンヌはエミリアの部屋を訪問した。
「いよいよ明日ね、エミリア」
「はい。失敗しないように頑張ります」
真面目なエミリアの返事に、マリアンヌが微笑んだ。
「失敗しない完璧な人は素晴らしいけれど、私たちは人間だもの。誰だって失敗はするわよ。失敗してもへこたれないで、また努力することのほうが大切だと思う。エミリアの人生はまだまだ先は長いんだし、あまり気負わずにね」
「はい」
「それとね、ハロルドは何があってもエミリアを支えてくれる。そういう子だから、安心してドンと構えていればいいわ」
エミリアは(年上の私がしっかりして、ハロルド様をお支えしなくては)と思っていたのでハッとした。
「私が彼を支えなきゃって、思ってない?」
「……思っています」
「夫婦は、支えたり支えられたりで、いいんじゃないかな。だってエミリアはハロルドの家臣じゃないもの。二人で力を合わせて生きていけばいいのよ」
それでいいのかしらと迷うエミリアに、マリアンヌが言葉を重ねた。
「今の陛下と王妃様だって、普通の人間よ。悩みもあるし意見が合わないことだってあったと思うわ。それでも話し合って歩み寄って、二人でお役目をこなしていらっしゃる。それが一番大切だから」
国王夫妻を雲の上の人と思っているエミリアは「普通の人間」と言い切られて、なんと返事をしたらいいのかわからずに口を閉じた。
「これだけは覚えていてほしいの。言いたいことは言葉に出してハロルドに伝えてあげて。語り合って、心を通わせて、夫婦で幸せに生きて。私は、不幸な国王夫妻が国民を幸せにできるとは思えない。普通の人間としての幸せを知っていればこそ、見えてくるものがあるはずよ。じゃ、また明日ね。おやすみなさい」
優しい表情でそう言って、マリアンヌは部屋を出た。
残ったエミリアはしばらく考え込んでから、ひとつうなずいた。
「悩むことがあったら、必ず言葉にしてハロルド様に伝えます。ありがとうございます、マリアンヌ様」
◇
いよいよ今日はハロルドの婚約者として、エミリアが国民の前に立つ。
午前中はお城のバルコニーに姿を現し、ハロルドと二人で民衆に「この人が次の王妃ですよ」と示すのだ。
夜は王家主催の夜会に主役の二人として参加する。大忙しだ。
エミリアはハロルドの婚約者として国の承認を得て以降、毎日のようにお城に通って王太子妃としての教育を受けてきた。
(だから大丈夫。自分がなにをすればいいか、ずっと学んできた)
身支度のために侍女たちに囲まれている間、何度も自分に言い聞かせた。
城門が開くのを待ちかねる人々が、早朝から列を作って待っている。
前夜から城に泊まって準備をしていたハロルドとエミリアは、窓からその様子を眺めた。
「あんなにたくさんの人の前に立つのですね」
「不安だったら僕がずっと手をつないでいようか?」
「大丈夫です。初のお役目ですもの。妃教育の成果を『ハロルド様の婚約者はしっかりしていますよ』とお見せしたいです。でも、どうしても不安になったら、手を繋がせてください」
「うん。わかった」
近くに控えていた使用人たちまで心が温かくなる会話だった。
予定された時刻が来て、二人はバルコニーに立った。
喜びの声、おめでとうございますという声、エミリア様! と叫ぶ声。
ハロルドは穏やかな笑顔で手を振っていたが、隣のエミリアをチラと見て驚いた。
そこにはいつもの控えめで気の弱そうなエミリアはおらず、明るい笑顔で堂々とした様子のエミリアが手を振っていた。
(頑張ってるなあ。二人だけのときとは別人みたいだ)
それがハロルドの第一印象だ。
エミリアはお妃教育で教わった姿勢と笑顔で「次の王妃であること」と「この国の未来は安泰ですよ。安心してくださいね」というメッセージを民に伝えている。
民たちは続々と訪れる者たちのために出口へと誘導され、入れ替えられる。
かなりの長い時間、ハロルドとエミリアは笑顔で手を振り続けた。
従者に声をかけられてバルコニーから部屋に入る際、ハロルドはエミリアと手をつないだ。
「エミリア、疲れたでしょう。夜会まで少し横になったら?」
「いえ、せっかくの髪が崩れてしまいますから。それより、少し甘いものを頂きたいです」
テーブルの上にお菓子、軽食が並べられている。
「僕も食べる。お茶を頼むよ」
「かしこまりました」
侍女が素早く動いて薫り高いお茶を置き、ハロルドの合図で部屋を出た。
「マリアンヌ様が、昨夜お部屋に来てくださいました」
「ふうん。どんな用事だったの?」
「言いたいことは言葉に出してハロルド様に伝えてほしいと。それと……不幸な国王夫妻が国民を幸せにできるとは思えないから、夫婦で幸せに生きてほしい、と。そういう意味のことを」
「そうか」
ハロルドが微笑んだ。
「幸せな夫婦がどんなものか、僕は生まれたときからずっと見てきた。僕は君と幸せな夫婦になる自信があるよ」
「私は、幸せは運のように訪れるものではなくて、自分たちで作るものなんだなと思いました」
ずっと「控え目に、家族に迷惑をかけないように」と心掛けて生きてきたエミリアだったが、今日は自分の人生を積み上げていこうとする覚悟が表情に表れている。
ハロルドはそんなエミリアへの愛情で胸がいっぱいになった。
夕方になり、今度は貴族たちが着飾ってお城へと集まってきた。
夜会の会場である大ホールは、正式にお披露目されるエミリアの噂で持ち切りだ。
「エミリア様は、ハンフリー伯爵家とは血縁関係にないのですってね」
「ハロルド様よりも四歳も年上だそうよ」
「ご出身は男爵家で、養女になったとたんに親戚筋だった奥様が亡くなられて」
「男爵家の娘が将来の王妃様か。たいへんな出世だね」
やっかみ混じりの会話は少なくなかった。
皆、自分たちより身分が下の家から未来の王妃が誕生することが面白くない。
エミリアがほとんど社交界に顔を出してこなかったことも、そんな噂に拍車をかけていた。
だが、噂をしていた参加者たちは、中央階段を下りてくる二人を見て驚いた。
ハロルドにエスコートされて登場したエミリアは、どこから見ても高位貴族の令嬢のように見える。
知的で、朗らかで、堂々としていた。
「おや、これは……」
「素敵な方じゃないの」
「ハロルド様があんなに嬉しそうなお顔をなさっているの、初めて見たわ」
グリード国王がハルベリー王妃と共に現れ、エミリアを紹介した。
「ハロルドの婚約者、エミリア・ハンフリー伯爵令嬢だ。皆の力で若い二人を支えてやってほしい」
ハロルドとエミリアは優雅で完璧なお辞儀をして、ホールの中央に進んだ。
エミリアは淡い茶色の髪を華やかに結い上げ、淡いすみれ色の瞳と同じ色のドレスを着ている。
楽団の曲に合わせて踊る二人は若く、生命力に満ち溢れていて美しかった。
ダンスを披露した後で参加者たちに囲まれて話しかけられても、エミリアは穏やかに、しかし堂々としていた。
相手の家の状況や領地の状況などを把握していて、打てば響く会話をこなし続けた。
夜会が終わって帰っていく高位貴族たちは、そんなエミリアにとても満足していた。
「ハロルド様は、見る目がおありになる。ハロルド様は人柄も頭脳も大変に優れたお方だ。そのハロルド様のお相手がエミリア様なら、これはもう、次の王家も安泰だな」
夜会を大成功に導いた二人はその頃、ハロルドの私室で帰っていく客たちを眺めていた。
エミリアが、そっとハロルドの肩に頭をもたれかけた。エミリアからそんなことをするのは初めてのことで、ハロルドはすかさずエミリアの肩に手を回した。
「今日が婚約者としての始まりの日ですね」
「そうだね。これからもよろしくね、エミリア」
十七歳の王太子ハロルドと二十一歳の婚約者エミリアの、二人三脚の日々は、こうして始まった。