57 マリアンヌの実家で
事前に訪問を知らせていたため、ランドフーリア家は全員が揃ってマリアンヌ一家を迎えてくれた。
訪問してきた一行を出迎えたのはマリアンヌの両親だった。カタリナは夫のピーターと共に後ろに控えている。
「おお、ステラ、大きくなったな。どれ、じいじに抱っこさせてごらん。ああ、そうか。じいじが好きか」
デロデロに甘い声を出している父を見て、カタリナが盛大に苦笑している。
自分が子供の頃は笑顔ひとつ見せなかった父を、カタリナは忘れていない。
その堅物の父を変えたのは、二度目の妻であるマリアンヌの母フローレンスだ。
ランドフーリア伯爵家はカタリナが引き継ぎ、父デイビッド・ランドフーリアは外では前伯爵と呼ばれるようになり、家の中では大旦那様と呼ばれるようになった。
デイビッドが四人の孫たちに挨拶を終えた後もステラを抱いてあやしている。
マリアンヌとフローラ、カタリナ、母フローレンスはお茶とお菓子でおしゃべりに花が咲いていた。
デイビッド前伯爵の話し相手はアレクサンドルとハロルド、ニコラスだ。
「おばあさま、私、洗濯の実を持ってきたんです。よかったら使ってください」
「まあ懐かしいこと。私の実家ではこれを使っていたわ。今はオリーブオイルの石鹸か獣脂の石鹸で済ませているけど、これも汚れが良く落ちるのよね」
カタリナがチラリとフローラを見た。これは商売上、大切なヒントだ。
フローラは一瞬キョトンとしていたが、祖母に質問した。
「おばあさまは、なぜ洗濯の実を使わなくなったんですか?」
「なんで? そうねえ、売られていないからかしら。昔は結構あちこちに生えていて、実を分けてもらったのよ。でも、気がついたら貰うことがなくなったような。そして石鹸が安い値段で売られるようになったからでしょうね」
「売っていたら、買いたいと思いますか?」
「ええ。私、あの実が好きだったわ。一番いいところはね、布が柔らかく仕上がることと、石鹸よりも手が荒れないところね」
「おばあさまは、ご自分で洗濯をなさっているんですか?」
フローラの問いに、フローレンスは少しきまり悪そうな顔になった。
「私は貧しい男爵家の娘なの。嫁ぐ前は自分で洗濯するのが当たり前だったのよ。嫁いでからは使用人が洗ってくれたけれど、洗濯は頭を空っぽにするのに、ちょうどいいのよ。だから今も時々ね」
「ふうん。布が柔らかくなって、手が荒れにくいんですね。ありがとうございました」
カタリナは(よしよし、それでいい)とニヤニヤしながら聞いていたが、ふとマリアンヌと目が合った。
マリアンヌも娘フローラと母フローレンスの会話を面白そうに聞いていた。
祖母と孫の二人がクッキーの生地を作り始めたのをきっかけに、カタリナがマリアンヌを手招きした。
二人は台所のドアから裏庭に出た。
カタリナが裏庭のベンチに腰を下ろして、ポンポンと隣を叩くと、マリアンヌがニコニコして座る。
「フローラは商売のセンスがあると思う」
「お姉さまがそうおっしゃるなら、間違いないわね」
「でも、私は迷っているの。あの子にみっちり商売の知恵を授けて、将来の邪魔にならない? あの子、ゆくゆくはホランド王国の王妃になるかもしれないんでしょう? なまじ商売の楽しさを教えるのは残酷な事かなと思うのよ」
するとマリアンヌは「んー」と考えている。
「私は残酷ではないと思います。国民のほとんどは平民です。平民の喜びや苦しみを何も知らずに、よき王妃になれますかね?」
「それは、そうだけど」
「あの子が周囲に言われるまま生きることを苦にしない性格なら、世の中を知らなくても王妃を務められるでしょう。でもフローラはそんな性格じゃないし、すでに領民とたっぷり触れ合っています。いまさら知らなかったことにはできないわ。だから……」
マリアンヌは「ふふっ」と笑って話を続けた。
「婚約するかどうかは決まっていませんけど、二人が結婚する運命なら、エドワード王子と二人で話し合って、二人で頑張ってもらえばいいのよ」
「ええ? あなたずいぶん大雑把ね」
「あはは。そうですねえ。でも、元気の塊みたいだった私が四年も動けなくなったでしょう? きっちり計画を立てたところで、人生はどうなるかわからないもの」
「そうだったわね」
「若い二人の行く先を、老いていく私たちが思い悩んだところで、ですよ、お姉さま」
カタリナがマリアンヌの肩を抱いた。
「それもそうね。淑女の鑑になるはずだった私が、今では商売三昧ですものね」
「そうさせてしまったのは私のような気がしますけど」
「もう、『気がしますけど』じゃないわよ。私の商売はマリアンヌに始まってマリアンヌに終わっているわよ」
「あははは、そうでしたね。面倒なところはお姉さまに丸投げでしたね」
「全くその通り!」
ふざけて怒ったふりをしていたカタリナが、ふっと表情をやわらげた。
「マリアンヌのおかげで、私の人生はとんでもなく楽しくなった。ありがとう、私の妹に生まれてきてくれて」
「私の……」ほうこそです、と言おうとして言葉が詰まり、マリアンヌが目を潤ませた。
「いやあね。ここは笑うところでしょ」
「そうでしたね」
マリアンヌが泣き笑いして、カタリナが優しくその肩に腕を回した。マリアンヌは「最近、涙もろくなっちゃって」と言いながらカタリナにもたれた。
二人に声をかけようとして庭に出たアレクサンドルは、そっと戻ってドアを閉めた。
「お父様、お母様を呼ぶんじゃなかったのですか?」
「ニコラスか。マリアンヌとカタリナが仲良くしているところだった。邪魔しないように戻ったんだ」
「仲いいですよね。子供のころからあんなふうに仲良しだったんですか?」
アレクサンドルがフッと笑った。
「最初に出会った頃は、そうでもなかったんだけどな。気がついたら、いつのまにかすごく仲良くなっていたな」
「へえ」
「ニコラスとハロルドは生まれたときからずっと仲良しだな」
「ええ、まあ。ハロルド兄さんは、小さいころから器が大きかったから」
「お前のそういうところは、美点だよ。人のいいところをちゃんと評価できる」
ニコラスは(当然のことでは?)と思って首を傾げた。
「相手の素晴らしいところを見て、妬んで悪口を言う人もいるんだよ。たとえ兄弟でも」
「誰かを妬んでも、自分の価値が上がるわけじゃないのに」
「まあな。それに気づかないまま大人になる人も多いんだ。お前が領主になったときは、全ての人がお前と同じではないことを忘れるな。思わぬことで足元をすくわれることもあるから」
「はい」
父と息子はそれからしばらく、領地経営について話をした。
その話の中で、ニコラスが「ポーラ」という名前を何度も出したのに気づいて、アレクサンドルはその名前を記憶にとどめた。父親の勘である。