56 ハロルドは見る目がある
マリアンヌとの話を終えて、カタリナがフローラを探した。
使用人に「フローラ様でしたら、洗濯場に行かれました」と教えてもらって、屋敷の東側へと向かう。
洗濯場は石敷きの広場になっていて、屋根付きの洗い場と井戸がある。フローラはそこで五人の下働きと一緒に洗濯をしている。
(あの子は普段、どんな感じなのかしら)と、カタリナはしばらく様子を見ることにした。
「フローラ様、本当に私たちが洗いますから」
「いいの。私も洗いたいの」
「私たちが叱られますので」
「誰も叱らないわ。お母様もお父様も、私がアンダル村のために洗濯の実を売り出そうとしているのをご存じだもの」
下働きの女性たちはそれでやっと安心したらしく、黙々と洗濯に取り組んでいる。
少しして「これ、思ったよりも汚れが落ちますね」と一人がつぶやくと、他の女性たちも賛同する。
「ほんとほんと。オリーブ油で作った石鹸が一番だと思っていたけれど、これもちゃんと泡が立つし、汚れが落ちます」
「私のおばあちゃんはこの実で髪や体も洗っていたと聞いたことがあります」
「そうなの? じゃあ私もこれで髪を洗ってみるわ」
「フローラ様は私たちが試した後にしてください。荒れたりかぶれたりしたら大変です」
「わかったわ。必ず使い心地を教えてね」
裕福な家で育ったにしては、フローラは傲慢なところが全くない。
マリアンヌの子供たちは、全員が驚くほど謙虚で優しい。
(マリアンヌとアレックスの背中を見て育ったからでしょうね)と、カタリナは微笑んだ。
「さっそく頑張っているのね、フローラ」
「伯母様。もちろんです。私も領民のため役立ちたいですから」
「洗濯の実を入れる小袋、どんなデザインにするか話し合いたいのだけど、少しいいかしら?」
「はい!」
ハンカチで手を拭きながらフローラがついてくる。カタリナはフローラを見ながら迷っていた。
(さて、フローラにはあまり商売にのめり込まないようにした方がいいのかしら。それとも商売の知識をみっちり叩き込んでおくほうがいいのかしら)
フローラは北の隣国ホランド王国の第一王子、エドワード・ルーデンス・ホランドの婚約者になる可能性がある。
殿下はもう十七歳だから、いつ正式に婚約を申し込まれるかわからない。マリアンヌは、「王子もフローラも相手を嫌ってはいないみたいね」と言っていた。
これが他の貴族なら、目の色を変えて「ぜひ我が娘をホランド王国の王妃に!」となるところだが、マリアンヌもアレクサンドルも「本人が嫌じゃなければ、いいんじゃないかな」とおっとりしている。
「ねえ、フローラ。あなたは今のうちにたくさんの人々と会って、いろんな話をしておいたほうがいいかもしれないわ」
「どうしてですか?」
「公爵家の娘に生まれて、こんなに自由にのんびり暮らせるのは奇跡みたいなことなの。いずれ……」
「いずれ? なんでしょうか」
(いずれ隣国の王太子妃、その先は王妃。そうなったら、この子に自由なんてあるのかしら)
「なんでもないわ。今を楽しみなさい。今日と同じ明日はないんだもの。さ、見て。これは私が商売で使っている紋章風のマーク。ランドフーリア伯爵家の家紋を単純な形にしたものなの。フローラもロマーン公爵家の家紋風なマークにしてみる?」
「はい。私、カタリナ伯母様が使っているこのマーク、大好きです」
並べられた書類には、カタリナが使っている商標が描かれていた。
ランドフーリア家の家紋はワシと交差する剣だ。カタリナが商売で使っているのはワシを囲むヒイラギの葉。
「ロマーン公爵家の家紋から考えると、やはりグリフォンかしらね」
ロマーン公爵家の家紋は、王家の家紋を踏襲しながら独自性を加えたものだ。
王家は金地に黒の立ち上がるグリフォンとそれを囲む緑の月桂樹で、公爵家は青地に歩き姿の銀のグリフォン、緑の月桂樹である。
グリフォンはワシの翼と上半身、ライオンの下半身をもつ伝説上の動物だ。
「伯母様、我が家の家紋そのままでもいいですか?」
「いいと思うわよ。でも、それを小袋に印刷するのはやめてね。洗濯物に色移りするわ」
「では、洗濯の実を入れる小袋は無地にして、小袋入りの洗濯の実を十袋買うとグリフォンを印刷したおしゃれな袋に入れて売る、というのはどうでしょうか」
カタリナが目を見張った。付加価値をつけてまとめて買ってもらうのはこの手の商売の基本だ。
フローラがそこに思い至ったことに驚いた。
「いいと思うわ。できればその袋は他の用途にも使えるように、縫製をしっかりしたものにすべきね」
「別の用途、ですか?」
「公爵家の家紋付きのおしゃれな袋なら、ちょっとした手土産を入れて人に渡しても恥ずかしくないでしょ? 貴族も買うでしょうけど、貴族以外の皆さんが話の種に買ってくれると思う。まずは買ってもらう。そして商品の良さを実感してもらう。これが大切なのよ」
「なるほど。さすがです、カタリナ伯母様」
カタリナは「私が何年マリアンヌの発明品を売ってきたと思っているの」と笑った。
夜、食事をしながらフローラが公爵家の家紋が入った袋の話をしていると、ニコラスが「売れるといいね」と優しく相槌を打った。
ハロルドは「僕もそんな商売をしてみたかったよ」と羨ましがった。
「ハロルド兄さまは来週の婚約式で忙しいのでしょう?」
「おや、フローラは覚えていてくれたんだね」
「当たり前じゃないですか。エミリア姉さまのドレスをまだ見ていないから、楽しみにしているんです」
今夜も公爵家での夕食に参加しているエミリアがチラリとハロルドを見て、嬉しそうな恥ずかしそうな顔で微笑んだ。
「フローラ、それは見てのお楽しみだよ。エミリアの清楚な感じが引き立つ、素敵なドレスなんだ」
「へえ。ハロルド兄さま、嬉しそう」
「そりゃ嬉しいよ。やっとエミリアを婚約者としてみんなにお披露目できるんだから」
「エミリア姉さまも嬉しいですか?」
「はい、とても」
控え目な性格のエミリアは自分のことが話題になって、頬を赤くしている。その様子を眺めていたニコラスがハロルドを見た。
「なんだい、ニコラス」
「お城にどんな人がいるのか知らないけど、エミリアさんを守ってあげてよね」
「もちろんだよ」
「いえ、あの、ニコラス様……」
頬を赤らめていたエミリアが「ここだけは」という感じに口を挟んだ。
「私はハロルド様に守られなくても大丈夫でございます。私もマリアンヌ様やフローラ様のように、自らの足でシャンと立っていられる王太子妃になる覚悟ですので」
一見気弱そうなエミリアが、そう言って微笑んだ。
「エミリアはか弱そうに見えるけど、芯がしっかりしているんだ。だから僕は安心しているよ。それに、貴族たちだって意地の悪い人ばかりではない。最初から構えず偏見を持たず、じっくり相手の人柄を見てほしいと思っている」
「はい。そういたします」
夕食の場は和やかに過ぎて、マリアンヌはアレクサンドルと二人になってから、エミリアのことを話題にした。
「ねえアレックス、驚かなかった?」
「エミリアのことだろう? ちょっと驚いた。とても可憐な感じのお嬢さんだが、可憐なだけではなかったね」
「本当に。いずれはこの国の王妃になるという覚悟を感じたわ。ハロルドは見る目があるわねえ」
「あるね。俺の次くらいに」
一瞬ぽかんとしたマリアンヌが「くっ」と笑った。
「何で笑うんだい? ここは『そうね』と同意してくれるところだよ」
「アレックスったら。我が子と張り合わないでよ。でも、そうね。私はアレックスがいてくれたから走り続けることができたわ。あなたはいつも私を優しく見守ってくれたわよね。一度だって私を止め………いえ、一度止めたわね。気球を作ったときに」
「あの時は最初こそ反対したけれど、君の意思を尊重して僕が実験台になったじゃないか」
マリアンヌは「ふふふ。そうでした。あなたは高いところが得意ではないのに、頑張ってくれました」と笑う。
「婚約式の前に、子供たちを連れて私の実家に行きませんか。しばらく顔を見せていないから、父と母が喜びます」
「いいね。行こう」
こうしてマリアンヌ一家は、マリアンヌの実家、ランドフーリア伯爵家を訪れることになった。
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