55 カタリナの訪問
カタリナがマリアンヌの屋敷にやって来た。
「カタリナお姉さま、お久しぶりです」
「無事に帰ってきてよかったわ。また働きすぎていないか、心配していたわよ」
「のんびりやっています。今回、大失敗しちゃって」
「あら、マリアンヌが失敗するなんて珍しいこと」
マリアンヌが村人に頼んで集めたザリガニと川エビが、全部野の鳥に食べられた。その話をしたところ、カタリナが大笑いしている。
「あっはっはっは。鳥たちにとっては食べ放題のレストラン状態だったのね。でも、頼りになる相談役が見つかったのなら、勉強代と思えばいいわよ。村人たちは小遣い稼ぎができたんだし、全くの無駄というわけではないわよ」
「ええ、とてもガッカリしたけど、私も勉強代だと思いました」
「私ね、マリー牧場を運営してみて思ったんだけど、慈善事業はやり方を間違えると最悪の結果になると思う。働かずにお金や食べ物を定期的に得られたら、労働意欲が落ちる。それは誰も悪くない。人として自然なことなのよ」
「ええ、それは私も薄々……」
「働いて報酬を得る。それが『また頑張ろう』という気持ちにつながる。養殖やアイガモの繁殖という事業を立ち上げたのは素晴らしいと思う」
お互いにすっかり大人になった今も、カタリナはマリアンヌを心配している。
天才的な発想で次々と発明していく妹は、実業家には全く向いていない。利益を追求する気持ちよりも、頭の中で考えたことを実現させる方に能力が割り振られている。
だからマリアンヌを支える人間が必要なのだ。
彼女を儲けの道具扱いせず、権力のコマにせず、のびのびと自由に発明や領地改革に専念させる人材が。
「あなたはアレックスと結婚したことが人生最大の成功だわね」
「なんですかいきなり」
「王弟であり公爵のアレックスと結婚したから、政治利用されないで済んでいる。私が発明品の販売を担当しているから、商売の人間関係や計算に煩わされずに発明に専念できている。有能な夫と優しい姉に感謝しなさい」
「感謝しています。本当に」
「いやねえ、アレックスのこと以外は冗談よ」
アレクサンドルはニコニコして聞いていたが、カタリナが鋭いところを突いていて、内心舌を巻いている。
実際、軍部からは戦争時に役立ちそうな道具や武器を作ってほしいと要求されている。それをアレクサンドルが防波堤となってマリアンヌの耳に入らないようにしているのだ。
マリアンヌが以前のようにやせ細って笑顔が消えてしまうくらいなら、軍部に詰め寄られても批判されてもかまわないと、アレクサンドルは覚悟を決めている。
そこまで口を閉じて聞いていたニコラスが(もうしゃべってもいいかな?)と様子を窺っていた。
カタリナに聞いてみたいことがたくさんある。ニコラスにとってカタリナは、ただの伯爵夫人ではなく切れ者の商売人だ。
「カタリナ伯母様、ご相談があります」
「浴場の混雑のこと? 私の耳にも入っているわ。混雑していてゆっくりできないって不満が出てきたみたいね」
「ご存じでしたか」
「夜も営業したらいいんじゃないかしら。今は夕食時までしか営業していないでしょう? もっと遅くまで営業したら、利用客が分散するのでは? 燃料代と収益の様子を見て、赤字になるくらいなら夜間営業ではなくて完全予約制にすればいいと思う」
夕食時以降にお湯を浴びに来る人なんているのかな? とニコラスは思う。
夜はロウソクやランプの油を節約するために、庶民は早々と眠るのが普通だ。
「人の心を読むのは難しいから、まずは試してみたらいいのよ。ダメなら元に戻せばいいの」
「ははっ。伯母様らしいです」
カタリナは細かいところによく気がつき、漏れがない仕事っぷりの人だ。
だがときどき「やってみてだめならやめればいい」という、いい意味での大雑把さも兼ね備えている。
「ピーター伯父様が羨ましいです」
「なにが?」
「カタリナ伯母様みたいな人と結婚したら、毎日が楽しいだろうなと思って」
「あら!」
思いがけないニコラスの言葉に、カタリナが頬を赤くした。
「ニコラス、あなたすごいわ。このカタリナお姉さまを赤面させられる人なんて、今までいなかったのに」
「ちょっと! 私を鉄の女みたいに言わないでよ」
頬を赤くしたまま憤慨するカタリナを見て、全員が笑った。
カタリナの助言を聞いて、ニコラスは自分の部屋に入ってさっそく計算を始めた。
営業時間を延長した場合の燃料費と、それを回収できる利用者数。損と得の分岐点を見極めたい。
そしてふと、計算の手を止めて窓の外を見た。
「早く春にならないかな」
暗い空を見上げながら、ニコラスはアンダル村の養殖事業が上手くいくことを強く願う。
そしてまた浴場の帳簿を見ながら計算を始めた。
ニコラスが部屋に戻り、フローラにやっと順番がきた。
洗濯の実についてカタリナに必死に説明をしているところだ。
商売に初めて関わるフローラの説明は、あっちへ行ったりこっちへ行ったりでまとまりがなく、なかなか終わらない。
それでもカタリナは微笑みながら最後まで話を聞いた。
「……と思っているんですけど。私の説明でわかってもらえましたか?」
「ええ。よくわかったわ。アンダル村のために、石鹸の実を王都で売りたいのね? できればおしゃれな感じに」
「そうです! はぁ、よかった! 伯母様なら絶対にわかってもらえると思っていました!」
フローラは必死に説明していたから顔が赤くなっているし鼻息も荒い。
「うんうん。じゃあ、おしゃれな小袋を一緒に考えましょうか。王都の皆さんが手に取って使いたくなるような可愛い小袋がいいわね。そこに『あら、公爵家でも使っているのね』と思ってもらえるように、公爵家の家紋を入れましょうか」
「はい!」
「で? フローラはその洗濯の実で洗濯してみたの?」
「いいえ」
洗濯は洗濯係の仕事なので、フローラは生まれてこのかた、ハンカチ一枚洗ったことがない。
「私はね、自分が売るケーキは数えきれないほど試食したわ。種飛ばしの遊具もへとへとになるまで自分で使ってみた。ボイラーだって自分の屋敷に取り付けて実験を繰り返したの」
「はぁ……」
「その上で、自信をもって『買ってください』って言っているわ。だから……」
「私も洗濯の実を使って洗濯してみます!」
「そうね。それがいいわ。使った人にしかわからない言葉でお客さんに訴えるの」
「伯母様、ありがとうございます!」
「どういたしまして」
おそらく洗濯室に向かっただろうフローラの背中を見送って、マリアンヌが微笑んだ。
「お姉さま、子供たちに助言してくださってありがとうございます」
「いいのよ。私はマリアンヌにやる気と商売の種をもらっているんだから持ちつ持たれつだわ」
カタリナはそう言ってマリアンヌの頭を抱え込んで優しく撫でた。
「懐かしい。子供の頃、何度もそうやって撫でてもらいましたね」
「ええ。私、四十を過ぎてしみじみ思うの。マリアンヌのおかげで充実した人生になったなって」
「お姉さま?」
「とても楽しい人生になったのは、マリアンヌのおかげよ」
マリアンヌがガバッと立ち上がった。
「病気なの? だからそんなお別れみたいなことを言うの?」
カタリナがプッと笑った。
「違うわよ。私はすこぶる元気です。あなたから療養所を利用している人の話を聞くたびに、『言いたいことはその場で伝えよう』って思うようになったの」
「本当に病気じゃないんですね?」
「病気じゃありません。安心しなさい」
「はああ。よかった」
再びマリアンヌがソファに座り、カタリナがその頭を抱えて撫で始めた。
「今ね、ロマーン王国の本を翻訳して販売する仕事を手掛けているの。その中に、永遠の命を欲しがる女王の話があったわ」
「永遠の命……」
「そう。人生は一度きり。しかも数十年だけ。だから人々は永遠の命に憧れるんでしょうね」
「私、永遠の命なんて怖いわ」
「私もよ」
そこからしばらく二人は沈黙した。アレクサンドルも黙って考え込んでいる。
「人生は限りがあるから尊いのよ。限られた時間をどう使うか。何に向かい合うか。それが面白いのだと思っているわ」
「お姉さまはそんなことを考えていたんですね」
「私には子供がいないから、余計そう思うのかもしれないわね」
カタリナがマリアンヌとアレクサンドル両方に微笑んだ。
「子供たちは大人が見られない未来を見る。その未来が少しでもいいものであってほしい。私は最近、そう思って仕事をしているわ」
「利益を出すことに厳しかったお姉さまがそんなことを……」
「もう! せっかく私がいい話をしているのに台無しじゃないの。でもまあ、利益は大切よね」
「ふふっ」
カタリナ、マリアンヌ、アレクサンドルの三人がみんな笑い出して、公爵家の居間に柔らかい空気が流れた。





