50 養殖池にいたもの
公爵家の領地は王都に続いている場所なので、この村は公爵家の飛び地の領地としました。
それに従い、48話、49話を少しだけ修正しました。
翌日、ニコラスはすぐに「土地を見てきます」と言って出かけていった。
マリアンヌは再びアンダル村の村長のところへ出かけた。
村長の家は何代も続けて村長をやっている。今の村長はネイト。四十代後半の温厚な男だ。そのネイトが困惑している。
「ザリガニと川エビ、ですか、公爵夫人」
「そう。捕まえて持ってきたら、全部買い取りたいの。それと、ザリガニと川エビを養殖したいから管理しやすい浅い池も作ってほしい。場所は川のそばで。何度も流されている畑で手つかずの土地があったら、養殖池として使いたいのよ」
ネイトはまったく事情がのみ込めずに混乱している。ザリガニ? 川エビ? と何度も心の中で繰り返している。
アンダル村の川や用水路を覗き込めば、ザリガニも川エビもいるが。それを養殖? と思う。
「この村の土地は公爵様のものですから、お好きな場所に池を作っていただいて問題ございませんし、人手も出しましょう。しかし、公爵夫人」
「マリアンヌでいいわ」
「マリアンヌ様、ザリガニをどうなさるんで?」
「増やして売るの。食べ方を広めながらね。私が子供の頃に広めたソバの話は知っているかしら」
「はい。この村は水が豊富なのでソバは育ててはいませんが、水不足に悩む土地では大変に役立っていると聞きました」
「この土地ではザリガニと川エビを育てたらどうかしらと思ってね。池作りの工事にはちゃんと賃金を出すので、人を集めてほしいの」
マリアンヌが示した日当は順当なものより少しいい額だったから、村長は満足して五十人集めることを約束した。この村において、現金収入はいつだってありがたい。今までも、公爵家はなにかとこの村のために資金を出してくれているのだ。反対する理由などない。
だがしかし、その日の夜にマリアンヌの提案に反対する村人が現れた。男の名はサミー。村長の友人で川漁師だ。
フローラは玄関わきの階段に腰を下ろして、使用人がサミーから文句を言われているのを全部聞いていた。
「だから、あんたじゃなくて公爵夫人に話があるんだよ」
「その話の内容によっては取り次げないんですよ、サミー」
「二度同じ話をしろってか!」
「二度同じ話をしてください。この村を良くしてくださろうという奥様に反対意見があるのなら、まずは私を納得させてもらいます。奥様は忙しいんですよ」
そこでサミーは「公爵夫人の計画は無駄に終わるからやめたほうがいい」という理由を切々と述べた。階段に座っていたフローラは子供ながらに「ふうん。なるほどね」と感心している。
サミーは執事を説得し、マリアンヌに取り次いでもらうことができた。今は二人で向かい合って椅子に座っている。
「反対意見があると聞いたわ。率直な意見を聞かせてくれる?」
サミーは遠くからマリアンヌを見たことは何度もあるものの、こうして間近で顔を合わせるのは初めてだ。
公爵夫人は今年で三十七歳。四人目のお子様を産んだと聞いているが、どうみても三十になったかならないかくらいの若々しさだ。
しかも、反対意見を言いに来たことを知っているはずなのににこにこと「お茶をどうぞ。焼き菓子も美味しいわよ」などと言いつつ自分でも焼き菓子を食べて「今日も美味しいわあ」と微笑んでいる。
サミーは気負いこんで来たのに毒気を抜かれてしまった。勧められるままお茶を飲み、焼き菓子を食べた。
贅沢にバターを使い、いい小麦粉を使っている。(これをうちの子供らにも食べさせたいな)と思う。
「それで? 私の計画のどの辺りが問題かしら」
「あっ、そうでした。ザリガニと川エビを集めろとのことでしたが、それを池に放っても、まず無駄です」
「どうして?」
「まずザリガニも川エビも、身を隠すところがなければ、たちまち鳥に食べられます。それと、川エビは淀んだ水では生きられません。川エビは新鮮で澄んだ水のところに住む生き物です」
「ほうほう」
裕福な公爵夫人が思いつきで養殖事業を始め、お金をこの村に落としてくれるのはいい。
だが、無駄になるのをわかっていて働かされるのは、さすがに面白くないのだ。サミーはズケズケと本音を言った以上、もっと不愉快な顔をされるものだと思っていた。
なのにマリアンヌは身を乗り出して話を聞いている。
「そういうものだったのね。言われてみれば子供時代に捕まえたザリガニは、たしかに隠れ家を持っていたわね。川エビもきれいな小川に住んでいたし。でも、養殖池の工事は進めるつもりなの。ザリガニと川エビは集めるように頼んでしまったから、実際にどうダメなのか、まずは試してみたいのだけれど。いいかしら」
「それは俺が口を出すことじゃないんで」
「ありがとう」
「へっ?」
そこでマリアンヌは真面目な顔で話を始めた。
「何を始めるにも十分な知識があるに越したことはないけれど、全ての知識を得ることなんて短い人生では無理だわ。だからあなたのように知識を持った人が正直な意見を言ってくれるのは、とてもありがたいの。ねえサミー、川漁師の仕事で忙しいだろうけれど、これからも私に、あなたの知識と知恵を貸してくれないかしら。仕事として」
「俺がですか?」
「そうよ。週に一日か二日、私に力を貸してくれると助かります。私の助手をしながら川での漁師ももちろん続けてね」
マリアンヌに頭を下げられて、サミーは慌てた。
公爵夫人は、サミーからすれば別世界の雲の上のような人だ。その人が「力を貸してくれ、頼む」と頭を下げる姿に、言葉では言い表せない感動を受けた。
(この人、いい人だ)
「俺でよければ、こちらこそよろしくお願いします」
「ありがとう、サミー。本当にありがとう。これからどうぞよろしくお願いします」
「いや、それは俺の方こそ……。でも、どうしてこの村で新しい事業を始めるんですか?」
「正直に言うと、この村は貧しい。お金で幸せは買えないけれど、お金で防げる不幸はあると思っています。幸せを与えるなんて大それたことは私にはできないけれど、領民が貧しさのせいで不幸になることは防ぎたい。それだけよ」
マリアンヌはそう言って微笑む。
帰っていくサミーには「これ、家族に持って帰って」と言って手早く焼き菓子の残りを布に包んで持たせた。
恐縮しながら帰っていくサミーをマリアンヌが見送っていると、「お母様」とフローラが寄ってきた。
「あの人、ここに来た時は怒っていたのに、ほんわかして帰りましたね」
「そうなの? サミーは怒っていた?」
「はい。怒っているように見えました。怒った人も味方にして帰すなんて、さすがはお母様です」
「味方だなんて、大げさな」
マリアンヌが笑ってしまう。
数日後、浅い養殖池は完成して川の水を引き入れた。そこへ村人たちが大量にザリガニと川エビを放ったのだが。
翌日の夜明け直後に、マリアンヌは使用人に起こされた。
「奥様、先日来たサミーが来ております。こんな朝早くの訪問は失礼だと言ったのですが、ぜひ奥様に見てほしいものがあると言って譲らないのです」
「すぐ行くわ」
素早く着替えて玄関に向かうと、サミーが「朝早くから申し訳ございません。ですが、養殖池を見ていただきたいのです」と頭を下げる。
「行くわ」
早足で養殖池に向かっていると、タッタッタと走る足音が追いかけてくる。振り返るとフローラだった。
「おはよう、フローラ」
「私も行きます!」
そこから先はマリアンヌとフローラが手をつないでサミーについて進む。フローラは寝起きの乱れた髪のまま。それを愛おしく見るマリアンヌの顔は母の顔だ。
前方に養殖池が見えてきた。が……池の中に何かがたくさんいた。その数、五十、六十。もっと多いかもしれない。養殖池の手前のブナの木の脇でサミーが足を止めた。
「これ以上近づくと逃げますので。お静かに」
「サミー、あれって……」
「全部サギです」
「サギ……」
養殖池に集まっているのはシロサギ、アオサギ、コサギなど、色や大きさは違うが全部サギだった。そのサギたちが夢中になって池の中のザリガニと川エビを食べている。
「せっかくお母様が頼んで村の人たちが集めてくれたのに!」
「そうね。大失敗ね」
「お母様、追い払っていい?」
「ええ、いいわ」
フローラが木の陰から飛び出した。
「こらー! 食べちゃダメ―!」
大声を出しながら両手をブンブン振り回している。サギたちが一斉に飛び立った。
マリアンヌとサミーもフローラの脇に立った。池の中には生き物の気配がない。サギたちは目ざとく餌をみつけて食べ尽くしていったらしい。
「なるほどね。サミーの言うとおりだわ。大失敗でした」
サミーは何と慰めたらいいのかと困っていたが、がっかりするかと思ったマリアンヌが苦笑している。
「何かを始める時、最初から成功したことなんてないのよ。何かしら失敗はある。今回はサミーが事前に教えてくれたけれど、手探りで進めることの方が多いの。なぜダメなのかを知るのも、前に進むための足がかりよ。失敗はしたけれど、サミーのようにこの土地を知る人に意見を貰えた。それが大きな進歩につながるはずよ」
「マリアンヌ様はすごいお方ですねえ」
「すごい人なら、最初からあなたに意見を貰って、こんな大失敗はしないわよ。さ、家に帰って朝ごはんを食べましょう。サミーも一緒に食べる?」
「とんでもない! 私は帰ります」
マリアンヌは「あら残念」と言って帰途に就いた。





