49 アンダル村へ
公爵領は王都と地続きなので、アンダル村は公爵家の飛び地の領地としました。
アレクサンドルは定期的に飛び地の領地に通っているが、子供たちは年に一度くらい。今回は久しぶりだ。
馬車は二台。夫婦に赤ちゃんのステラと養育係のレイア、ニコラスとフローラ、護衛二人に分かれて出発した。合計八人の荷物もあり、荷馬車も続く。ハロルドは王城での政務があり、エミリアもお妃教育に追われているので今回は同行しない。
途中の宿に泊まりながら、アンダル村のある領地に着いた。
「領地が近いと便利ね、アレックス」
「ニコラスに当主を譲ったら、こちらでのんびり過ごしたいよ」
「いいわね。それまでに公開庭園と療養所と宿泊施設は、私がいなくても動かせるようにしておかなくちゃ」
サラッとつぶやくマリアンヌにレイアは何も言わなかったものの(これだけ忙しく働いている公爵夫人は、史上初なんじゃないかしら)と思う。
「レイアはザリガニを食べたことあるの?」
「どうでしょう。記憶にはありませんが」
「食べる部分は少ないけれど、エビの味なの。美味しいわよ」
「でしたら川エビの養殖ではいけないのでしょうか。川エビの方が、高く売れますし」
マリアンヌの返事がないので、アレクサンドルとレイアが「ん?」という顔でマリアンヌを見た。
マリアンヌは焦点の定まらない目つきで考え込んでいる。
「し、失礼いたしました。私ったら何も知らないのに出過ぎたことを申しました」
「ううん。違うの。確かにそうよ。ニコラスは領民たちの生活向上のために養殖を始めるんだもの。高く売れるものの方がいいに決まってるわ。ただ……川エビの養殖は難しそう」
「ザリガニは簡単だけどね」
「そうよね、アレックス。まずは養殖池をどうするかね。領民にお願いして工事をして、育てる係も雇って……」
ぶつぶつ言いながら考え込んでいるマリアンヌを見て、アレクサンドルは(ニコラスが考え込んでいる時にそっくりだな)と思う。天才の頭の中は想像がつかないが、マリアンヌの頭脳のおかげで世の中がどれだけ動いたかを思うと恐ろしいほどだ。
マリアンヌには自分が付き添って見守ってきた。ハロルドとエミリアを見ていると互いに支え合う関係で、見ていて安心する。ニコラスにもそんな女性が現れるといいと思う。
「マリー、ニコラスの婚約者をそろそろ決めたほうがいいだろうか?」
「まだいいんじゃないかしら。それに、本人に決めさせればいいわよ。うちは政略結婚させる必要がないでしょう?」
レイアが(はて?)という顔をした。
(王族で公爵家。次期公爵ともなれば、早々と婚約者を決めるのが普通では?)と考えていると、マリアンヌが説明してくれた。
「王族の結婚は国同士、家同士の縁組で力を強くするのが目的だったりするでしょう?」
「はい」
「フローラに、ホランド王国から打診が来ているのよ。第一王子か第二王子のどちらかの婚約者にいかがですかって」
「フローラ様にですかっ!?」
「そう。フローラが嫌じゃなかったら私もいいお話だと思うのよ。ホランド王国のエドワード殿下もフィリップ殿下も、私がお会いした時はとてもいい子だったわ」
それを聞いたレイアが固まっている。
(あのフローラ様が? もしかしたらホランド王国の王妃になるってこと?)
フローラは怖いもの知らずだ。活発という言葉では表しきれないレベルの令嬢である。
高い場所から飛び降りたり、木に登ったり、長椅子の下に潜り込んだり、クローゼットに隠れているうちに眠ってしまって行方不明かと大騒ぎになったり。
(大丈夫なんですか?)と聞きたいのはグッと堪えて口を結んだ。
そして(もしフローラ様が隣国に嫁がれるのなら、不慣れな国で寂しい思いや不自由な思いをしないように私が同行したい)と思う。
一方、フローラとニコラスは、養殖についてニコラスが説明していた。
「生き物が相手だからね。気を長く挑戦するつもりだよ。やる気のある人を雇えるか、だね」
「ニコ兄さまは何を養殖するんですか?」
「まずはマスかな」
「私、マスのバター焼きが好きです!」
「僕もだよ。干物もいいし、他国で見た瓶詰もいいかも」
「マスの瓶詰、ですか?」
「そう。身をほぐしてね」
他国を遊学しているときに見た瓶詰は塩漬けの魚介類、肉類もあった。その話をすると、フローラが顔を輝かせた。
「瓶詰って言うとジャムやシロップ漬け、ピクルスが思い浮かびますけど、肉や魚の瓶詰もあるんですね」
「うん。色々あるよ。でもまずは養殖を成功させないと」
各国を回っている時、しみじみ感じたのは自分がいかに恵まれた環境で生きてきたかということ。世の中には今夜食べる食事さえない子供が少なくなかった。ニコラスはその子供たちを見て(慈善事業でたまに食べ物を与えるのではだめだ)と思った。貧困を根っこの部分から解決したいと思っている。
やがて飛び地の領地の屋敷に到着した。
屋敷に常駐している使用人たちが出迎えた。
「お帰りなさいませ、公爵様、奥様」
「しばらくここに滞在することになった。よろしく頼むよ」
「お任せください」
フローラとニコラスは座り続けで疲れた体をほぐすために、庭を見に出た。
アレクサンドルは領地の管理人と話し合い。マリアンヌは年配の使用人たちにザリガニや川エビのことを聞き出している。末っ子のステラはぐっすり眠っていて、用意された小さなベッドに寝かされた。
レイアは窓から庭を眺めている。
高台にある領主の屋敷は古いが立派な造りだ。庭が広い。王都では考えられない広さで、あまり裕福ではない家で育ったレイアは、ついつい「あの辺りを菜園にしたら新鮮な野菜がたくさん収穫できそう」などと思ってしまう。
ここは領地替えで公爵領に組み込まれた土地で、以前はとある伯爵家の土地だった。度重なる水害で税を納められない年が三年続き、伯爵が王家に領地を返納した事情がある。城の重鎮たちは「そんな痩せた土地をわざわざ公爵領に組み込まなくても」と反対したが、土地の高低差があることと面積だけは広いことにアレクサンドルが注目し、「あの広さを生かし、マリーと二人でここをなんとか立て直したい」と言ってグリード国王に認めさせた。
その後、段々畑での小麦の栽培、堤防の工事などに尽力した。だがまだ豊かとは言い難い状況だ。マリアンヌの自動走行機とアレクサンドルの石炭事業の利益を領地運営につぎ込んでいる。
庭を歩きながら、ニコラスがそのことに触れていた。
「お父様やお母様の稼いだお金をつぎ込まなくてもいいように、領民たちが自分の手で飢えない暮らしを手に入れられるようにしたいんだ」
「お父様とお母様がお金をたくさん稼いでいるのに?」
「養殖で利益が出たら、浮いたお金で領民の教育を底上げしたいんだよ。どんな身分でも優秀なら職業を選べるように。そんな将来を考えている」
「お兄様、すてきです!」
「ありがとう、フローラ」
ニコラスの領地改革の第一歩は、公爵領の飛び地から始まった。





