44 新しい枝
その日、エミリアの家には使いが出され、エミリアはロマーン公爵家と夕食を共にした。
マリアンヌとアレクサンドルはハロルドから報告を受けて手を取り合って喜んだ。良き兄、良き王太子として頑張っていた、生真面目な長男を祝福する気持ちで胸がいっぱいだ。
正式には国王のグリードおよび重鎮たちの了解を得なければ婚約は成立しないが、奥手な長男がまずは前進したのだ。マリアンヌたちはその気持ちを祝いたかった。
マリアンヌは公爵夫人とは思えない気さくさで、エミリアにあれこれと話しかけて和ませた。
フローラはエミリアの妹とツリーハウスで一緒に遊びたい、着替えを持って遊びにきてほしいと約束を取り付けた。また、「私はお姉さんが欲しかった」と何度も繰り返してはしゃいでいた。
アレクサンドルはそんな家族を穏やかに微笑んで眺めている。自分の子供時代にはなかった家族団欒の風景は、キラキラと眩しく美しい。
「ニコラスがいたら良かったのに。残念だわ」
そう言うマリアンヌにアレクサンドルも頷く。
□ □ □
後日、アレクサンドルが事の次第を兄である国王と重鎮たちに報告した。陛下と彼らの話し合いの場が何度も設けられた。
そして今、国王グリードがハロルド本人から婚約の申し込みをしたとの報告を受けている。
「そうか。エミリア・ハンフリーのどんな所が気に入ったのか、教えてくれるかい?」
ハロルドは初めて出会った日のエミリアのことを話した。妹のために靴を脱いで与えようとした優しさ、控えめな物腰、自分の生い立ちを隠さず正直に話す誠実さを述べた。
「それと……薄紫の瞳が美しかったので」
「そうか。瞳がね」
束の間、グリードの顔が国王の顔から伯父の顔になって微笑んだ。
「ハンフリー家は代々我が王家に仕えてきた堅実な家柄だ。今の当主は地味だが誠実な仕事ぶりだと報告が上がっている。将来の王妃となればこれから大変だが、必ずやエミリアが乗り越えてくれることを期待している」
「陛下、それなら……」
普段は控えめなハロルドが、パッと顔を明るくした。
「婚約を認めよう。ハンフリー家には王家より使いを出す。ハロルド、将来の善き王、善き王妃となるよう、二人で力を合わせて精進せよ」
「ありがとうございます。共に精進いたします」
エミリアの家では王家からの使いを迎え、かしこまって婚約承認の知らせを受け取った。
家族だけになり、父親と母親が涙を流して喜んでいる。
「エミリア、お前が遠慮して暮らしてきたことはわかっていたよ。我が家に養女に来て以来、お前は一度たりともわがままを言うことがなかった。そんなふうに遠慮させてしまったのは私だ。すまなかったと思っている」
「お父様、私はずっと感謝しておりました。プリシラが生まれてからも、変わらず私を大切にしてくださったではありませんか」
「エミリアさん、私も不甲斐ない母だったこと、申し訳なく思ってきました。あなたともっと親しくなりたいと思いつつ、あなたに気を遣わせてばかりでした」
エミリアは慌てて養母の言葉を止めた。
「お母様、おやめくださいませ。いつだってお母様は私とプリシラを等しく可愛がってくださいましたわ」
「こうして本音が言えるきっかけを下さったのはハロルド様のおかげだ。感謝しなければ」
「お姉さま、ハロルド様と結婚したら王妃様になるんでしょう? すごいわ! 私の大切なお姉さまが王妃様!」
エミリアははしゃぐ妹に笑顔を向ける。
「プリシラ、ハロルド様の家のお庭にはツリーハウスがあるのですって。今度一緒にお邪魔したいわね」
「ツリーハウス! お友達に聞いたことがあるわ。とっても可愛らしいおうちが木の上に建てられているんですって!」
「フローラ様とプリシラは仲良しになれそうな気がするわ」
「ほんと? お姉さま、私、早くフローラ様にお会いしたい!」
やがてエミリアは王太子妃教育に真摯に取り組み、着々と知識とマナーを身につけていった。
最初はやや臆病な様子が見られたが、ハロルドが励まし、慈しみ、支えることで次第に落ち着いて、物腰の柔らかな婚約者ぶりが板に付いてきた。
「ハロルド様は見る目がおありになる」とは最初は反対していた重鎮の文官の言葉だ。
「お前は反対していたではないか」とグリードが面白そうにからかう。
「じじいは目が曇るのが常でございますよ」
「そうか。ではそろそろ役職も息子に譲るか」
「陛下、息子はまだまだでございます」
「勝手なことを言うものだ」
笑いながらグリード国王は反省する。自分もエミリアを書類の文字だけで反対しようとしていた。
「エミリアを選んだハロルドの見る目を評価しなくてはな」
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アレクサンドルはマリアンヌと二人で並んで長椅子に座っている。
「俺たちの子供が婚約するなんてね。我が家という樹の幹に新しい枝が伸びた、ということだな」
「私たちが出会ったのも、つい昨日のように思えるのに」
「そうだな。君はいつでも全力で走ってきた」
「私はあなたと結婚していなかったらどうなっていたことか。発明に邁進して結婚はしなかったように思います」
アレクサンドルが楽しそうに笑って「いや、俺は必ず君を見つけて必ず結婚したさ」と言い切り、マリアンヌの肩を優しく抱いた。
用事があって居間に入ろうとしたフローラがそっとドアを閉めて部屋に戻った。
「あら、フローラ様、奥様にご用事がおありだったのでは?」
「仲良しさんたちのおじゃまをしたら悪いから戻ってきたわ」
「そうでしたか」
フローラと侍女のレイアはお互いの顔を見合わせて微笑んだ。この家の主たちはとても夫婦仲がいい。それは子供たちと使用人たちの自慢だ。
その仲良し夫婦の家風をハロルド様達もきっと受け継いでくれるだろうと、屋敷の全員が信じている。