37 カタリナの意見
「貴族用は造らない方がいいわ」
大きな浴槽のある施設を造るにあたり、貴族用と平民用を分けて建てた方がいいかと伯母のカタリナにニコラスが尋ねた答えがこれである。
「どうしてですか?」
「貴族用を建てれば新しいもの好きが何回かは来るでしょう。でも、皆が利用するようになったら新鮮味が薄れるから来なくなる。自分の家に浴室があるんだもの」
「でも、大きな湯船はまた別格じゃないかな」
カタリナが首を振る。
「少数の人はそうでしょうね。そもそも貴族の女性は自分の身体を人に見せたがらない。コルセットで締め上げていない弛んだ身体を、他の貴族に見られて陰口でも言われたらかなわないもの」
「あー。なるほどね」
「それと、貴族は自慢話が大好きなの。高価なドレスも宝石も外して弛んだ身体を見せていたら、何も自慢することができないじゃない。客層は平民に絞るべきよ。それなら施設を無駄に豪華にする必要もないわ。純粋にお湯を楽しむ人が来るようになればいいの」
ニコラスがカタリナを尊敬の目で見る。
「いちいち納得します。さすがですカタリナ伯母様」
「そこで、お湯から上がったらほぐれた体をマッサージしてもらうのもいいわね。世間では貴族しか受けないマッサージを、平民も受けられたら喜ばれると思うわ」
「なるほど」
「あとは、こんなところに行ったのよと近所の人に配れるようなささやかなお土産が有るといいわ。そうねえ、日持ちのするお菓子が良いかしらねぇ。もちろん袋には施設の名前を印刷するべきね」
「了解しました」
カタリナのアイデアはまだまだ出てくる。
「お風呂の中には髪や身体を洗う石鹸を置くでしょう? それはけちけちしないで上等な物を置くこと。脱衣所には上等な化粧水やヘアオイル」
「石鹸、ヘアオイル、と」
ニコラスが全てメモを取る。
「きっと長湯をする人がたくさん出るだろうから、休憩所には冷たい飲み物。タオルもいい物を用意して、帰りに返してもらうようにするといいわ」
「はい」
「ま、貴族が利用するマッサージ店はそういうことをしているわね。マリアンヌは利用したことないと思うけど。ニコラス、あなたのお母様は自分を大切にするって発想が欠けてる人なの。今後はあなたがちゃんと見守ってあげて。アレックスは公爵家の仕事で忙しいだろうし」
「それはハロルド兄さんにも頼まれてます」
カタリナが満足そうにうなずいた。
「そう。ハロルドはその辺が大人よね。それよりニコラス。ひとつ心配なことがあるんだけど」
「なんでしょう」
「お湯を沸かす仕組み、特許を申請したかしら?」
「あー。まだですね。お母様が基本を考えましたが、でも、あの程度は誰にでも……」
「考えつかないわよ! 全くもう、マリアンヌもニコラスも自分が考えることはみんなも考えると思ってるようだけど、違いますから。誰も思い付かないわよ。あんなに効率よく水を温める仕組み、あれを考え出すなんてすごいことなのよ?」
興奮して語るカタリナ、戸惑うニコラス。
「うーん、そうでしたか。では早速特許を申請します」
「それを貴族の家に売るといいわよ。間違いなくそれなりの貴族の家から注文が入るから」
「カタリナ伯母様」
「なにかしら?」
「天才ですね」
「あなたたち親子がね!」
湯沸かしの仕組みはボイルする道具なのでボイラーと名付けられて、特許を取った。
ボイラーは貴族の屋敷に続々と取り付けられ、美容院や病院、洗濯屋、裕福な商人の家にもよく売れた。
そこからの利益で運動療法用のお湯を沸かすガス代などはすぐさま賄えた。マリアンヌはホクホクである。
後日、カタリナがマリアンヌに思いがけない話を持ってきた。
「ホランドに輸出したボイラーのことなんだけどね」
「ええ」
「売れに売れてるのよ」
「よかったわ」
「王宮はいくつ設置したと思う?二十よ。二十! 贅沢よねぇ。それでね、このボイラーの由来を説明したら、公開庭園と療養所の見学をしたいと言われてしまって」
「どなたに?」
「エドワード様とフィリップ様」
「え。第一王子と第二王子? あり得ないわよ。王子様が二人一緒に国外に出るなんて。何かあったらどうするつもりかしら」
カタリナが苦笑する。
「そうなのよ。それで結局、第二王子のフィリップ殿下がいらっしゃることになったわ」
「もう決まったの?」
「ええ。おそらくすぐにアレクサンドル様からお話があると思う」
「そう。私も子連れでホランドに行ったことだし、歓迎しなくてはね」
「マリアンヌは王族のお招きを断って私の旦那様の実家に泊まったじゃない」
「それも含めて、お世話になったわよ。警備兵を付けてもらったんだもの」
カタリナは既にあれこれ計画済みだ。
「元はと言えば私の仕事から始まった王族のご訪問だから、殿下のご案内は私がさせていただくわ。詳しい説明はジークとカールとニコラスにしてもらうわね。だからマリアンヌは今以上に用事を抱え込まないでね」
「ありがとう。お姉様」
マリアンヌは利用者の運動能力が水中歩行でどれだけ回復するのかデータを取っていて、データが集まったら考察し、論文の形で発表するつもりでいる。忙しくて体力的にギリギリだったから、カタリナの申し出はとてもありがたかった。
ホランド王国のフィリップ第二王子は三週間後にロマーン王国に到着することになった。
それを聞いたニコラスは「よかった、第一王子じゃなくて」とつぶやいた。以前ホランドに旅をして以降、第一王子はニコラスの中で「面倒な人」として分類されているらしい。