33 車椅子
公開庭園のオープンから二ヶ月が過ぎた。
「そのうち来園者数は落ち着くだろう」と公爵家の人間も来園者たちも皆そう思っていた。しかし現実は来園者数がジリジリ増えている。
来園者に尋ねると林の中の散歩も楽しいし小舟も楽しい、林のレストランがこれまた楽しい、と。来るたびに屋台の売り物が変わっているのでまた来たくなる、と。
屋台は週ごとに四分の一ずつ売るものが変わるようになっている。食べて散策、小舟を漕いだあとにおやつ。いろんな形で屋台は食事時以外にも人気だ。
カールさんは接客の指導係だ。ゲストハウスと療養所で働く従業員の接客を指導するためにジークが連れてきた人だ。
接客係の人たちにわかりやすく「なぜそうするのか」「なぜそうしないのか」と接客の理念を説明しながら教えてくれている。
庭園の公開前に指導は済んでいたが、実際に宿泊客が入ればトラブルも出るだろうと、しばらくはこちらに滞在して現場の監督をしてもらっている。
そのカールさんがアレクサンドルにお願い事があると言う。公爵邸で夫婦揃って頼み事を聞いているところだ。
「実は私の昔の知り合いが、こちらの療養所の噂を聞いてしばらく滞在したいと言うのですが、予約で塞がっているそうですね。それで、予約の最後の方に付け加えてもらえませんか。従業員の知り合いだとまずいでしょうか」
アレクサンドルが
「知り合いだと言わずに黙って申し込むことも出来たのに、カールさんは律儀な人ですね」
と優しく笑う。
「いえ、こんなに混んでる時に申し訳なくて。従業員の知り合いは後回しにするべきですし、知り合いなのを隠したところで仲良く喋っていればばれますしね」
「お友達はどこかお加減が悪いのですか?」
マリアンヌが尋ねると
「胸に悪い物が出来まして。もって一年、早ければ残り時間は半年だそうです」
「まあ……。そう言うことでしたら療養所にぜひどうぞ。そんなこともあるかもと、空けてある部屋がありますから」
カールさんは何度も何度も頭を下げて「友達が喜びます」と従業員用の寮に戻って行った。
カールさんの友達が来たのはそれから四、五日過ぎたある日の午前中だ。
白い髭を蓄え、杖を突き、階段は従僕に肩を借りてようやく、という姿は痛々しいが、品があり、カールさんの知り合いはどこからどう見ても貴族だった。
「カールにこちらの話を聞いて我慢ができずにやってきました。アイゼンです。お世話になります」
頭を下げるのでマリアンヌが慌てて
「どうぞお楽にお願いします」
と応じた。
アイゼンが身分を口にしないので(身元は詮索しないでおこう)とマリアンヌは笑顔で挨拶をして療養所付きの従業員に案内を任せた。庭園側が契約している医者にも余命宣告をされた病人であることを連絡しておいた。
あとから気づいたが、アイゼンは林を散策する時、誰かの手製と思われる車椅子を使っていた。木製のごく簡易な椅子の脚の下に小さな木の車輪が付けられている。
車輪が小さいので少しでも段差やデコボコがあるとその都度突っかかる。見ていてハラハラすることが何回かある。
(余計なお世話かもしれないけど、もう我慢できないわ)
マリアンヌは公爵邸の作業場に入った。ここに入るのは実に六年ぶりだ。そして驚く作業員たちに話をして車椅子の制作に使う椅子や材料を集めた。
「車輪は大きく、ゴムを貼って、座面にもクッション性を持たせて、少し背面にゆとりをつけたほうがいいかしらね?」
生き生きと作業をするマリアンヌの姿に堪えきれず横を向いて涙を拭う者がいた。
「もう、泣かないでよ。何年もここに来なくてごめんなさい。どうしてもここに入ることができなかった。でも今、どうしても作りたい物ができたの。自分勝手で本当にごめんなさい。みんなのこと、忘れていたわけじゃないの」
話してるうちにマリアンヌの目にも涙が盛り上がっては溢れていく。
「奥様、私たちはただただ嬉しいのです。こうしてまた一緒に作業出来ることが……っ……」
みんなでひとしきり嬉し泣きしたあとは、車椅子の改善に盛り上がる。
「座面は板ではなくゴムのリボンを格子に編んでみたらどうですかね。痩せてる人だと骨が当たってお尻が痛くなるんです」
痩せ型の作業員がお尻をさすりながら言う。実感がこもっていた。
マリアンヌがゴム板をリボン状に切り、格子に編んでそれを座面を外した枠に被せて鋲で止めた。
「鋲でゴムが切れませんかね?」
「体重は分散されるから大丈夫だと思うけど、念のために毎日様子を見て少しでも亀裂が入ったら別の方法でやり直しましょう」
数時間で車椅子が作り上げられた。手のひらサイズの木製車輪はひと抱えサイズのゴム貼りの車輪になった。全体を軽く仕上げるために削れるところは削った。
「もし良かったらお使いください。段差や路面のデコボコにも引っかかりにくいです」との言葉と共に車椅子が届けられた。
「なんと。私のためにこれを?早速座ってもよろしいか?」
と、部屋のベッドから起き上がって新作の車椅子に座るアイゼン。
「おお!なんと!尻が痛くないわい。これは良い。なんと礼を言えば良いか。礼をさせてもらいたい」
大喜びのアイゼンにマリアンヌは
「今こうして喜んでいただいてることがお礼です。もうお礼はいただきました」
と笑顔で頭を下げ、家へと戻った。
「アイゼン様、よろしゅうございましたね」
「いや、マイロ、これはあちこち工夫がされている。足を乗せる台まであるぞ。何よりこの座り心地の良いことといったら」
「こちらに来られて本当にようございました」
「やはりマリアンヌ様にもカールにも礼をしなくてはならんぞ」
「旦那様、それでは早速、散策にこの車椅子で出てみませんか」
「おお、そうだな。行ってみよう」
斜面の一番下に建てられている丸い家から主従二人が笑顔で林の中へと車椅子で出かけて行った。二人とも久しぶりの晴々とした笑顔だ。