32 庭園の公開
最後に造られているのは食を楽しむエリアだ。
広葉樹の林の中に沢山のテーブルと椅子が置かれている。雨の日は少しの雨なら木に渡されたロープに雨除けの厚手の布が張られる予定だ。雨除け布には液体ゴムを塗れば水漏れもない。
林の中、テーブル群を囲むように小さな売店が建てられている。どの売店も茅葺きの屋根で、落ち着いた色に塗られた木材が使われている。
飲み物も食べ物も種類が豊富だ。「なるべく領地産の食材を使うように」というマリアンヌの希望で、領地の農家から届けられた新鮮な肉、野菜、乳製品、卵が使われる。
従業員は領民から募集され、利用者が行列で待たされたりしないように現在練習中だ。
商売人の家でも農家でも、後継ぎ以外の子供たちはよほど大きな家でもない限り、大人になれば家を出て王都に働きに出るか、実家で使用人同様に働く。
今回、公爵家が公開庭園を作ることで多数の領民が王都に行かずに地元で生計を立てることができる。
王都は後継ぎ以外の人間の受け皿ではあったが、仕事にあぶれたり誘惑に負けたりして貧民街の一員になる者も多く、犯罪者に落ちてしまう者も一定数いた。領地の中で働く場があればそれも防げるとマリアンヌは考えていた。
「マリアンヌ様、宿泊所で働く者たちの教育はどうなさいますか。数が多いので私一人では目が行き届きません。指導の専門家が必要です」
声をかけたのは宿泊施設の責任者として雇われたジークだ。
「それなんだけど、王都の宿の元従業員で引退した人から採用できないかしら。まだ働けるのに年齢で引退した人、いないかしらね」
「引退した者から、ですか?」
ジークは四十才の銀髪銀目の背の高い男で、募集して集まった沢山の応募者の中からマリアンヌが選んだ男だ。過去の経歴よりも面接での対応が素晴らしくて選ばれた。
「ええ。今現在活躍している人を引き抜く必要は無いわ。知識と経験が豊富で、指導できればいいんだもの。できれば気難しい貴族への対応も慣れている人がいいわ。だからといって平民を下に見て粗末にするようでも困るの。貴族にも平民にも等しく温かいおもてなしができる施設にしたいのよ」
「承知しました」
ジークはかつてこの場所が王家の領地だった時代にこの土地で生まれた農家の四男だ。王都に働き場所を求めて家を出たものの、日雇いの仕事をしているうちに体を壊して貧民街に落ちた過去がある。
食うや食わずの時代に小さな宿屋の下働きに雇われて、食べることだけは不自由しない職場に長年身を置いた。元々の才能と誠実な接客で認められて、そこそこの大きさの宿屋で接客の責任者になっていた。
今回、出身地で大規模な従業員の募集があると聞いて、接客の責任者枠に応募した。
見事採用されて日々マリアンヌと行動を共にしていてみると、毎日が驚くことばかりだ。貴族の頂点にいる王弟の妻ともなれば、どれほど気難しくプライドの高い女性かと覚悟をしていたのに、柔らかい微笑みと人柄のマリアンヌは「貴族にも平民にも等しく寛いでもらいたい」と言う。
工事中の庭園や施設に顔を出す三人のお子様たちも気さくで威張ったところはまるで無く、庭園管理のトムさん曰く「公爵様やマリアンヌ様を見て育ったお子様たちが、そんな愚かな人間になるわけがない」そうだ。
公開庭園は二年近い工事期間を経て、いよいよ公開が始まった。
マリアンヌは三十三才、夫のアレクサンドルは三十八才の働き盛り。
三人の子供たちも幼さは薄れた。ハロルド十三才、ニコラス十才、フローラ七才の春であった。
既に療養所は十棟のうち八棟が予約で埋まり、ゲストハウスは貴族用も平民用もだいぶ先まで予約で埋まっている。
ため池は水が満たされて小舟が十艘、筏が三艘、利用者を待っている。ツリーハウスも、伐採木で作られた遊具も、遊んでくれる子供たちを待っていた。
たくさんの屋台も、食べに来る人のために美味しそうな香りを漂わせている。
庭園に入った者たちは一様にその広さと自然な草花の美しさに驚き、「ほんとうにここが無料なのか?」と思ったが、ほんとうに入園は無料だった。
それは公爵家の豊かな財源を使って運営されるからで、マリアンヌもアレクサンドルも
「元はと言えば自動走行機や郵便、石炭にお金を使ってくれた人々がいるからこそできた財産。それを人々に還元したい」
と言う気持ちなので利益は求めていないのだ。
もっとも、宿泊施設、療養所、屋台が利益を生むので世間の人が思うような大赤字になることもない。
「やっと公開できたね。おめでとうマリー」
「ありがとう、あなた。あなたとみんなのおかげだわ」
皆に要望されたにもかかわらず、かしこまったセレモニーは行われないままに庭園の門が開かれて、この日この公開庭園は役目を開始した。