30 アンネガルドのお茶会
アンネガルドにとっては惨憺たる顔合わせになったが、彼女は諦めていなかった。
十才の子供ではあったが、生まれた時から厳しく育てられた侯爵家の長女として(ここで諦めたらお父様お母様をがっかりさせてしまう)と思った。
マリアンヌの姉のカタリナが昔そうであったように、無意識のうちに親からの評価が自分の価値だと思い込んでいる。
このまま帰国すれば両親は自分にがっかりするだろう。自分はハロルドではなくニコラスを見て「この人が運命の相手だ」と思った。「王妃の座は逃すことになるけれど、公爵家の跡取りで未来の王弟の妻なら両親も喜ぶし自分も幸せになれる」
それが彼女の結論だった。そこにニコラスの気持ちと都合については微塵も含まれていないことに気づいていない。
彼女は従者に命じて公爵家と連絡をつけ、ハロルド、ニコラス、フローラの兄弟と王都でお茶会をしてから帰国したい旨を公爵家に届けさせた。ハロルドとの顔合わせでこの国に来ている以上、さすがにニコラスだけを誘うことは出来ない。
「いやです。僕はあの子に全く興味がありません。お茶会も行きたくない」
「ニコラス、本人に自分の言葉で告げなさい。でないと次は彼女の親とホランド国王が出てくるかもしれないよ。正式な話として持ち込まれたら断るのがもっと難しくなるんだ。礼儀正しく誠実に向かい合って話をするべきだよ」
もっともな話にニコラスは呻いた。
アンネガルドが宿泊しているホテルは王都で一番の高級な所で、公爵邸と王都の屋敷しか知らないフローラはワクワクしている。至る所に飾られている豪華な花は見たこともない品種がたくさんある。
一方のニコラスは硬い表情で、彼は今、猛烈に頭を回転させている。今打つべき手を何通りも確認中だ。
ハロルドはニコラスがこの場にふさわしい言葉を選んでくれることを願っていた。正直すぎることを言わないで欲しい。年下の少女がぐうの音も出ないほど打ちのめされる姿は見たくない。
やがてホテルの一番広い部屋に通される。
アンネガルドは数日で心を立て直したらしく明るい笑顔で出迎え、お茶と菓子のもてなしがなされた。公爵家側から同じ部屋で付き添っているのはレイアだけである。
当たり障りのない公爵家での思い出話のあと、アンネガルドがニコラスに質問した。
「ニコラス様は将来の公爵様としてどのようなお勉強をなさっているのでしょう」
(来た!)とハロルドもフローラも笑顔のまま身構えた。ニコラスは表情を変えずいつものクールな顔つきのままアンネガルドの目を真っ直ぐに見て話し出した。
「我が家は兄さんが次期国王となることで世間では僕が公爵家を継ぐと思われているようですけど、それは決まってはいないんです。僕は研究と発明が好きですし今回の庭園造りでそちらの方にも興味を持つようになりました」
アンネガルドが微笑みながら「それで?」と言うように首を傾げた。
「我が家は幸いフローラがいるので僕が研究職に就いて公爵にならない場合もあります」
「私も女公爵としてやりたいことが色々あるんです」
打ち合わせ無しでも滑らかな連携ができるフローラである。
「でも、そんなことは公爵様もマリアンヌ様もお許しにならないと思いますわ」
「まあ、名前だけ公爵となって実務は妹に丸投げするけしからん公爵になる可能性はありますね」
「名前だけ?ニコラス様はどうなさるのですか?」
「世界中を旅して回り、開発の遅れた土地で苦労している人たちがいれば、そこで人々のために働くのも良いですし、他国に自分がまだ知らない技術や知識があれば腰を据えて学ぶのもいいかと思うんです」
「開発の遅れた土地……」
「ええ。何十年かかるかわかりませんが、リュックひとつで歩き回る生活を必ず実行するつもりです」
「そんな、そんなことは公爵様も夫人もお許しにならないわ」
繰り返すアンネガルドの目が泳ぐ。
「いいえ。父も母も自分の価値観を僕たちに押し付けることはありませんよ。他人を不快にするようなことは禁じられていますが、父と母を見て学べと言うくらいで。ああしろこうしろと言われたことは今までほとんどありません」
そこでフローラが口を挟んだ。
「私、ソファーの下に潜って過ごすのが好きなんですけど、メイドに叱られることはあってもお母様に叱られることはありません。お母様はご自分もソファーの下に潜り込んで『ここは冷えるわね』と、それだけでした。そういう親です」
レイアがちょっとオロオロしているのを見てフローラが(ごめんなさい)と目で謝る。
「なので僕はもし結婚するなら奥さんと一緒にリュックひとつで未開の地を共に見て回りたいです。僕が公爵にならなくても結婚したいと言う人と、父と母のように、共に同じ方向を向いて生きていきたいのです」
「そう、ですか」
そのあとはハロルドが会話を回して四人の子供たちのお茶会は無事に終わった。
帰りの大型自動走行機の中で、ハロルドが感心している。
「なるほど、あれなら向こうから断ってくるだろうな。ニコラスがあんなことを言うとは思わなかったよ」
「いつかリュックひとつで旅をしたいのはほんとうだから嘘はついてないよ。それが何十年になるか一年で終わるかはその時にならないとわからないけどね。助かったでしょ?兄さんこそ本気で婚約を嫌がってたじゃないか。僕が標的になった時はホッとしてたくせに」
「え。そうなの?ハロルド兄様、嫌がってたの?あんなに彼女に優しくしてたじゃない」
ニコラスが「わかってないなぁ」と言うように首を振って説明した。
「ハロルド兄さんは心底嫌なことがあると、いつもよりずっと優しげな顔と丁寧な口調になるんだよ」
「ニコ、フローラに余計なことを言うなよ。アンネガルド嬢のことは嫌いじゃないさ。ただ……」
「ただなあに?」
「ただ僕は、あんな素敵なツリーハウスを見たら、登らなくてもいいからせめて目を輝かせる人がいいんだ。そして子供がソファーの下に潜り込んだら一緒に潜るような人がいい。価値観の違う人と死ぬまで一緒に暮らすなんてごめんだよ。王宮のおじさんたちと同じ道を進んでしまいそうじゃないか。嫌だよ、そんな人生」
「あー、なるほどねぇ」
ニコラスとフローラが何度も首をコクコクと縦に振りながら同意した。
話を聞いていたレイアは(いやいや、娘と一緒にソファーの下に潜る親なんて、奥様以外にいませんから!)と思ったが、この三人を相手に言い合いをしても勝てる気がしない。なのでただ穏やかに微笑んで聞くだけにした。