3 マリアンヌ様と婦人会
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ニコラス様の言葉を聞いてご主人様が固まっていらっしゃる。
そもそもさっきから会話に出てくる「墜落」とか「落ちる」とか「死んでしまう」などの物騒な言葉の数々は何なのだろうか。奥様は何をなさろうとしているのか。
私はニコラス様の育児専門で雇われているのだから余計な口出しはしてはいけないと思うけれど、なんとも不安を掻き立てる言葉ばかりではないか。
「マリアンヌ、ねえマリー、聞いたかい?ニコラスまであんなことを言ってるよ」
「あら。ニコラスの実験好きは生まれ持っての性格だと思うわよ?まあ、ニコラスでは万が一の時の対処が遅れてしまいそうだからやらせません。だから大丈夫。ここはやはり私が」
「だ・め・だ。やっぱり万が一があるんじゃないか。はい、この話はもうおしまいだよ。いいね」
「えへ」
「『えへ』も『うふふ』も効果なしだよ!」
私がオロオロしていると、ご長男のハロルド様が私を安心させようとしてくださる。
「大丈夫だよ、レイア。お父様とお母様は仲良しさんだからね。明日の朝になれば、すっかり元通りになってるよ。それよりレイア、お肉のおかわりはまだかな」
奥様は今日は朝から地域の婦人たちを集めて公爵領で行われる収穫祭の相談をなさっている。
収穫祭はご夫婦が領地を治めるようになってから始まったもので、材料費などの費用は全て領主様持ちで、領民は作業などで協力する形だ。
なにせ公爵ご夫妻は石炭の独占販売、自動走行機に大型自動走行機の開発販売、郵便配達事業と、多方面にとんでもなく稼いでいるからこんな太っ腹なことができるのだ、と領民たちは我が事のように自慢しあっている。
今年は麦も野菜も豊作で、奥様が「落ち葉や野菜屑、鶏糞を直接漉き込むのではなくて発酵させてから肥料にしたらいいのではないか」と考えだしてから三年目だそうだが、とにかく土が良くなって作物は病気にも強くなり収穫量も上がっているらしい。
王都での発表会でもかなり驚かれるほどの収穫量だそうで、他の領地でも試してみたいと、見学の申し込みが殺到しているらしい。これらは全部執事さんからの受け売りだけど。
「それでね、収穫祭と堆肥の作り方の講習会だけじゃ、ちょっと寂しいと思うのよ。ここでパーっと人目を引くような催しを行って公爵領の観光に繋げたらいいと思うの」
「小麦粉を練って油で揚げたお菓子は決まりでしたよね」
「私はかぼちゃのタルトを出します」
「小さなカップで出す温かいプディングも喜ばれるはずですよ」
「殿方が喜ぶのはやはり肉の串焼きですよ」
「焼き肉をパンに挟んだのもよいのでは?」
マリアンヌ様はうんうんと頷いて話し出す。
「それらは全部屋台を作って売りましょう。きっと人気が出るわ。でもね、最後の最後にパーっと人目をひいて忘れられない景色になるようなものを考えたのよ」
「まあ、奥様、そんな素晴らしいアイデアがごさいますか」
「ええ。これから皆さんに実物をお見せしますね」
そう言ってマリアンヌ様は立ち上がり、婦人会の面々を引き連れて庭に出た。
「トム、あれを」
声をかけられた庭師のトムさんはマリアンヌ様が実家から連れてきたベテランさんだ。手先が器用で、なによりもマリアンヌ様の信奉者と言っていいほどその才能に惚れ込んでいる。
「こちらです」
トムさんが差し出したのは一見ただの薄手の紙袋だ。
「これをね、こうして」
マリアンヌ様が袋を逆さにして広げると、四隅に麻紐が縫い留めてあり、小さな軽い板切れがぶら下がっている。板の真ん中には木製の釘の様な物が下から打ち付けられていた。
「この木釘にロウソクを刺して」
マリアンヌ様はトムさんに広げた紙袋を持たせ、ロウソクを立てて火をつけた。
婦人会の一同は皆「はて?」という顔だ。
しばらくそのまま様子を見ていたマリアンヌ様が、トムさんにうなずくと、トムさんがそっと袋から手を離した。
「あらまあっ!」
紙袋はロウソクの出す熱気を溜め込んで静かに空へと上がって行った。
「あんな小さなロウソクでこんなことが!」
皆驚きの表情で上昇を続ける紙袋を見つめている。ニコラス様が頬を赤くしてパチパチと手を叩き、上を見ながら笑っている。フローラ様も「アウアウ」と声を出して見上げていた。
「これを何百個も一斉に夜空に飛ばしたら、とても素敵だと思わない?」
婦人会の面々がその場面を想像したか、声もなく感動してコクコクとうなずく。
「注意が必要なのは火事だけど、それは場所を選べばいいの。夜になると風は陸から湖へと吹くから、紙袋のランタンは全部湖の方へ流されて陸地には落ちないわ」
「必ず湖の方へ風が吹きますか?」
若い女性がおずおずと質問した。
「ええ、嵐でも来ない限りはね。夜になると石や土の陸地は冷えて、水は冷えにくいから湖の方に向かって空気が移動するの」
そのあとしばらくマリアンヌ様が温度と空気の濃さについて説明したが、ニコラス様以外の人たちは曖昧な顔で聞いていた。私もさっぱりだ。気圧ってなに。
「ともかく、私、楽しみです!どんな素敵な景色になるか考えただけでワクワクします」
私も若い女性と同じ意見だ。この紙袋のランタンが数百も夜空に昇っていく様はどんなに綺麗だろうか。
収穫祭はひと月後だ。私まで楽しみでワクワクする。