23 アメンボ
私は今、フローラ様が手を怪我しないか見張るのに必死だ。
ニコラス様ご希望の大通りの部品屋は、ごちゃごちゃと機械の部品が陳列されてる店で、フローラ様が棚の下に潜り込もうとしたり陳列棚をよじ登ろうとなさったりする。怖い。
見かねた奥様が「フローラ、騎士さんに抱っこしてもらいなさい」と仰ったけど、動けないのが気に入らないらしく無言で暴れて屈強な騎士さんが手を焼いていた。
ニコラス様はもう夢中だ。次々と商品について質問してどんどんお買い上げしようとしたけど、金額を制限されて今度は取捨選択に悩んでらっしゃった。
奥様はたぶん山ほど財産をお持ちだけれど、贅沢をなさらない。使用人の待遇は手厚いのにお子様たちには絶対に無駄な贅沢をさせない。他の家とは逆だと思う。もしかしたらその辺の裕福な商人の子よりも慎ましく育ててらっしゃるのではなかろうか。
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我が家にマリアンヌ様御一行をお迎えして驚いたことは沢山ある。マリアンヌ様の飾らないお人柄もそうだ。お立場から考えたらあり得ないほど気さくな方だ。可愛らしく聡明でお人柄も素晴らしいとは。天は二物も三物もお与えになるものだ。
そしてニコラス様。見た目だけでなく頭脳まで母親譲りとお見受けした。工房であれこれ質問されたが、三歳とは思えない鋭い質問ばかりだった。
今朝、そのニコラス様にホランドとロマーンの翻訳辞書を貸してくれと言われ、何を翻訳するのかと紙をこっそり覗いたら「弟に優しくするところから王の修行が始まる」と書いてあって吹き出すのを堪えるのがつらかった。あれはエドワード様宛てだな。
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隣国の公爵家の御子息は、王位継承権順位三位だそうだが、王族というより天才少年と言った方がしっくり来ると思ったな。
先ほどは「副工房長さん、自分用の遊び道具を作りたいから材料を少し分けてもらえますか」と丁寧にお願いされた。
俺はもちろん了承して危ない作業はお手伝いするつもりだ。
ニコラス様が考えたのは、小さな木の板に前一つ後ろ二つの小さな車輪を付け、板の前方には掴まるための棒を立て、上に横棒を打ちつけたハンドルもどきが付いた物だ。
車輪とハンドルになる棒の取り付けは安全性の面から強度が必要だ。そこは自分が作業したが、ニコラス様は部品屋で買ったというホーンを取り付け、持ち手にゴムのカバーを付け、踏み板にゴムの波板の滑り止めを貼り付け、と楽しそうに作業してらした。
片足を乗せてもう片方の足で地面を蹴って進むのだが、単純な構造ながら、これが面白い!思わず自分用も作ってしまった。直進しかできないが、ちょっとした場所の移動ならこれで十分だ。方向転換は本体が軽いから持ち上げて向きを変えればいい。
ニコラス様がホーンのゴム球を握ってパフーパフーと鳴らしながら工房前の通路で走らせた。俺も一緒に自作のを走らせた。
そしたら工房の連中が俺も俺もと交代で乗り、そのあとは作りが簡単なだけにみんな自分用に作り出した。いや、仕事しろ。
工房長はこれをひと目見て「特許を取るべき」と真剣な顔で言う。
マリアンヌ様と相談してニコラス様の名前でこの国で特許を申請することになった。すごいな、まだ三歳で特許持ちか。
え?王子様たちの分も作れ?マリアンヌ様が贈り物にする?了解です、工房長。
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「お母様、これの名前はアメンボに決めました。ツイーツイーって進む動きがアメンボにそっくりだから」
「なるほど、いい名前だわ。お母様のポニー、ペガサス、お父様の会社はスワロー。そしてニコラスのアメンボ。いいわね!」
「あとね、これが売れたらゴルデスの子供たちがいつかこれで遊べるような整備された道を作る時の足しにしてほしいです」
「これを贈るのではなく?」
「凸凹の道だとこれ、顔から転びますから」
どうやら転んだらしい。顔にすり傷ができている。鼻や歯を折らなくて良かった。王子に贈るのは見送ろうかしら。注意書きを添えればいいかしら。
「ニコラスはそれでいいの?特許をとって売れば沢山のお金が入るわよ?」
「カタリナ伯母様がいつも言ってるの。お金は天国には持っていけないから、ゆとりがある人は困ってるところに分け与えるべきって。うち、お金はたくさんあるんでしょ?」
「あ、うん、あるわね。ニコ、ゴルデスの道路整備に使うよう、手続きするわ。お父様もお祖父様たちもきっとお喜びになるわ」
この親子の会話は聞き耳を立てていた工房の者たちの口から広まり、(うちはお金はたくさんある、のくだりは流石に省かれたが)『アメンボ』の販売の時に必ず口添えされて、買う人の心を少し温かくする効果があった。
遅れてロマーンでも売り出され、救国の天才の息子が作った、とかゴルデスの子供たちのためになる、という話題性でこちらでもよく売れてゴルデスの道路整備に貢献した。