14 エカテリーナ様、青空に笑う
前国王と、現国王陛下の許可はするりと出たようで、本日はエカテリーナ前王妃が気球に搭乗する日である。
気球を王宮に持ち込んだ方が警備の面で安心だと言うことで、マリアンヌと技術者たちは、道具一式を王宮に運び込んでいる。
「本当に乗られるんですかね?」
「本当よ。私としては嬉しいような怖いような複雑な気持ちよ」
アレクサンドル公爵が最初に乗り込んだ時も責任重大で緊張した技術者達だが、今日はそれ以上だ。何しろお顔を拝見するのも一生に一度あるかないかの前王妃様が乗るというのだから。
そして今回はハロルドも一緒だ。前回のお披露目の時に起きられなかったハロルドは、目が覚めた時には全てが終わったと知って、彼にしては珍しくベッドに突っ伏してさめざめと泣いたのだ。
なので今回、自分を可愛がってくれる祖母が乗ると聞いて「絶対に僕も乗る!」と息巻いていた。
早朝。王宮の広い馬場に気球が準備されている。男たちが忙しく動き回り、マリアンヌも安全面を繰り返し確認している。
王宮の騎士や文官、軍部の主だった者たちも話を聞いて集まっていて、馬場はちょっとしたお祭り騒ぎだ。
ガスに火が点けられて、送風機が回る。次第に膨らむ球皮を目を輝かせて見つめる者もいれば、胡散臭い物を見るような目で見ている者もいた。
しかし球体が完全に膨らみ空中に浮かぶと、全員の目が新しいおもちゃを見るように輝く。マリアンヌたちも誇らしさに顔が綻んだ。
エカテリーナはアレクサンドルに抱え上げられて籠に乗り込むと、「さあ、いつでもいいわよ!」と若々しい声でマリアンヌに告げた。
籠を固定していたロープが解かれ、ふわりと気球が浮かび上がり、王宮で一番高い見張り用の塔と同じ高さまで静かに上昇した。
エカテリーナが満足するのに結構な時間がかかり、アレクサンドルが排気弁を開いて静かに着地した時にはマリアンヌの周りで何人もの技術者たちが深く息を吐いた。皆、安全とわかってはいても心配していたらしい。
「次は僕!」
ハロルドが籠に駆け寄り、エカテリーナと交代して再び気球は上昇した。
「素晴らしい経験だったわ!」
前王妃が頬を桜色に染めてマリアンヌに話しかけてきた。
「どこまで見えましたか?」
「ずいぶん遠くまで見えたわ。王都にある私の実家の屋敷がおもちゃの家のように見えたの。塔と同じ高さでも、気球からだと見え方が違う気がするのが不思議ね」
義母の高所好きは本当だったらしい。目が少女のように煌めいていた。
やがてハロルドもアレックスと一緒に降りてきた。興奮してあれこれ報告しているハロルドの話をじっくり聞いてやりたかったが、目を輝かせて集まってきた王宮の男たちを見れば、この先何十回かは気球を動かさねばならないのは間違いない。
「この皆さんに搭乗してもらってからだけど、あとでゆっくりお母様と気球についておしゃべりしましょう」
(息子と感動を語り合いたいのに無念だわ!)
男たちの搭乗騒ぎの後、アレクサンドルは気球について質問攻めにあい、「軍に売ることはないと思います」「陛下にお尋ねください」と何度も繰り返すことになった。
王宮の大きな窓のある部屋ではエカテリーナ前王妃とハロルドが遅れてきたマリアンヌとお茶を楽しんだ。窓の外では気球が何度も上がり下がりを繰り返している。
「お母様、気球についてなくて大丈夫なの?」
と心配するハロルドにマリアンヌは
「もう私がいなくても大丈夫と追い出されちゃったわ」
と笑って答えた。
「マリアンヌ、あれは思っていたより百倍は素敵な乗り物だわ。ねえ、どうしてロープで木に繋ぐの?自由に飛ばしてはいけないの?」
「あれは動力が付いていないので、操縦ができないんですお義母様。風まかせになるので、湖や建物の上に落ちたら大変です」
「そう。残念だわ。あれで空を自由に飛べたらもっと素晴らしいと思ったのに。じゃあ、次はせめてもう少し高くなるようにロープを長くしましょうよ」
(次もあるの?ひええ)
「えーと。それはお義父様の許可が……」
「わかったわ。じゃあ、次は見張り塔の倍の高さまで上がりましょう!」
(いやそれどうなの。お義父様のお加減が悪くなるんじゃないのぉ?)
「えへ」
「笑って誤魔化そうとしてもダメよ、マリアンヌ。約束してくれなくちゃ」
前王妃様は、お立場をハルベリー様に譲って重圧から解放されたせいか、すっかりやんちゃ姫の本性が復活してしまったようだ。流石のマリアンヌも押され気味だ。
しかしこの後、この義母の要求は実現されるのである。そしてそれは思いがけない方向へと話が動くのだ。