12 エカテリーナ様に呼び出されました
今朝もマリアンヌは末娘のフローラを抱いていた。どんなに忙しくても、どんなに疲れていても、時間を作ってはフローラを抱いている。
初めて子を授かったとわかった時、実家の母は
「子供は親の愛を食べて生きるのよ。あなたが愛を与えれば与えるほど愛のある人に育つのを忘れないでね」
と言ってくれた。我が子たちを抱きしめるたびに思い出す言葉だ。
アレクサンドルの母で元王妃のエカテリーナは、フローラ誕生の翌日に公爵邸を訪れ、自分の黒目黒髪を受け継いだ赤子をひと目見るなり「私の愛しい孫娘」と涙ぐみ、マリアンヌに「よくぞこの子を産んでくれました」と手を握り頭を下げてマリアンヌを慌てさせた。
マリアンヌはこの義母が大好きだった。伯爵家の令嬢なのに社交界が苦手なマリアンヌは、王家の一員となっても積極的には社交界に関わらなかった。自分が主催するお茶会など片手で足りる数だ。
結婚する前、社交界に顔を出さないマリアンヌをアレクサンドルが大切にしていたのは広く知られていたが「社交も出来ないようでは王家には相応しくない」とマリアンヌを批判する貴族もいた。
そんな噂を聞くたびにエカテリーナは「能無しの輩など放っておけばよい。あの娘には社交界を捨て置く価値も権利もある」
といつもマリアンヌを庇っていた。
エカテリーナのそれは本音で、マリアンヌが実家の領地の渇水と飢饉を予測して防ぎ、郵便配達の仕組みや自動走行機を開発した時には
「ほらごらん。私は見る目があったであろう?マリアンヌは我が王家、いや国の宝よ」
と愉快そうに笑っていた。
「奥様、本日はエカテリーナ様のお茶会でございますね」
「そうね」
マリアンヌは少々困惑していた。収穫祭でお会いしたばかりのこの時期に、自分をお茶会に呼ぶ理由が思い当たらないのだ。
午後、日当たりの良いティールームにマリアンヌが到着すると、前王妃は他の者を退けてから思いがけない話をし始めた。
「マリアンヌ、あなたが空高く浮かぶ乗り物を作ったとアレクサンドルから聞きました」
お義母様はちょっと視線を逸らして紅茶をひと口飲んだ。
あー。これは叱られるわ。三児の母親が何をやっているのだとお叱りを受けるわ。
「私ね、今でこそ上品な振る舞いを心がけていますが、昔は父が『エカテリーナが男子であったならば』と悔やむほど活発だったのよ」
「まあ。存じませんでした」
それは初耳。アレックスからも聞いたことないわ。今の優美なお姿からは信じられないんですけど?
「私ね、高い所が大好きな子供でした。幼い頃から木登りはもちろんのこと、教会の鐘つきの塔にも登ったし、十三才の時には実家の屋根裏部屋から屋根の上に出て、月を眺めたこともあるの」
「……それはすごいですね」
「父も母もそんな私を心配してね。その頃王太子だったアーサーとの婚約を取りやめると脅されましたよ。お前みたいなじゃじゃ馬を王太子と結婚させては国王様に申し訳が立たないってね」
「流石に堪えますね」
「ええ。泣く泣く高い所に登るのを諦めたわ。それからもう四十年。ずっと我慢して、年もとって。高い所なぞ、すっかり諦めていました。なのに息子の嫁がそんな乗り物を作るなんてねぇ」
「お義母さま、そんなに我慢されていたのに、色々と申し訳なく……」
「私もそれに乗せてもらえないかしらね?」
「……はい?」
「だってそれ、気球?だったかしら。立ってるだけで空高く昇れるそうじゃないの!なんて素晴らしい。老いた私でも空高く……。ああ、なんて素敵な発明かしら。是非私も乗らせてもらいたいの。いいわよね?」
「ちょ、ちょっとお待ちください。お義母様がお乗りになりたいのはわかりましたが、陛下のお許しは出ているのでしょうか?それにお義父様の許可が無ければとても……。気球は安全に配慮して作ってはおりますが、万が一、万万が一ということも無いとは言えないのです」
「あら?だってあなた、アレクサンドルもニコラスもカタリナも乗せたって聞いたわよ?あなた、そんなあやふやな危ない物に大切な身内を乗せるの?」
うわぁ。アレックスと同じこと言ってるぅ。さすが親子。にしてもアレックスはなんでそこまで詳しくお義母様に報告したのかしら。楽しくてはしゃいじゃったのかしら。
「マリアンヌ!聞いていますか?」
「は、はい。聞いております。ですがその、私の一存ではなんともお返事のしようがなくですね」
「アレクサンドルはあなたに聞いてくれと言いましたよ?」
くうぅ。逃げましたねアレックス!
「私はもう今年で五十六才。いつポックリと天に召されてもおかしくない老人です。先の短い老人の頼みを、あなたは聞いてはくれないのでしょうか」
うわ、こんな時だけ老人になるなんて、ずるいっ!お肌艶っつやのくせにぃ!
「アレックスが私に任せると言ったのでしたら私はかまいませんが、前王様と陛下のお許しは必ず取ってくださいませね!そこはお願いいたしますね!」
「あら。アーサーとグリードが私の頼みを断るわけがないじゃありませんか」
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