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短編もの

不救思想乃死記―序章―

作者: 忍原富臣

 人間は人間と共に生活をする。


 誰かと関わりを持って生きている。


 それは至極当然のことであり、生を受けた者の運命とも言える。誰かと語らい、好きな相手と交わり、子孫を残して次の世代へと己が生きた証を紡いでいく。



 それが生物であり、それが人間の今までの道程である。


 けれど、人は孤独を楽しむ。孤独であることの余韻に浸る。自己の世界に陶酔した結果、自己愛と自己嫌悪に苛まれる。


 私の中の二面性というものは、心と魂の別離である。


 生きて形を残そうとする懸命な魂に対して、心は闇に潜行していく。決して交わることのなくなった方向性の違いは、生への欲求を悉く欠いていく。つまり、何が言いたいのかと言えば、己は生きることへの渇望を座礁させた現世の船乗りの独り。または、未熟故の、誤った路を歩いた愚者である。


 己の欲を殺し、他者を不信し生きてきた。挙げ句の果てには、世界が悪いと仄めかし、己の価値観を自己肯定し続けた。だからこそ、己はこうして形に残す。生きた証、存在の証明を、死記として……。


 きっと、これは死んでからじゃないと評価されない地層に埋められた原石。決して宝石ではない、間違いなくただの原石だ。それは自己肯定の末、己自身と対面し結論に至った解答である。



 誰の心にも存在する承認欲求は、己が生きている間では理解され難いだろう。人間とはそういう生き物である。誰かを憎み、誰かを恨み、競争社会の中で自分自身を鍛え上げていく。


 己はそれが出来ないでいる。他者に畏怖の念を抱き、臆病な精神が靴底のように磨り減っていく。摩耗した心身は憔悴し、夢は遠くの彼方で座礁した。


 岩肌に乗り上げたその船体は、傷付き脆く崩れ去る。



 凝縮した言葉の中に、これは人の負の感情を孤独の中で思考した者の死記である。手記ではない。間違いなく死記である。


 死記とは、死ぬことを前提とした遺書とはまた別のものであり、生前では評価されることのない臆病者の書いた拙文。死してからならば、生前よりも評価が得られるだろうと希望と絶望を込めて放つ一撃となる拙作。


 何故ならば、人は失ってから様々な事に気付かされる生き物だから。その、遅延の気付きが人間を人間たらしめるものとなっている。


 己は人であり、人間を辞めた生き物だ。


 人の間で生きることを捨てた。この世界には一塵の未練もない。いや、失ったと言うのが正しいのだろう。


 死ねと言われれば死のう。その程度の余力はまだ残っている。だが、死ぬにあたっての身の回りの費用は負担してもらわねばならない。それが等価、己を殺す権利を与える代わりの対価、強いては最後の願いとなる。


 さて、ここで幾人かが「死にたくないだけではないか」と声を荒げ始めた。「他人に自己の責任を押し付けて死ぬならば、それは死を持って、他者を傷付けるだけに他ならない」と。


 ならば問いかけよう。先に他者に「死」を押し付けたのはどちらかと。己は提案したに過ぎない未熟者であり、他者に何かを押し付ける気力は持ち合わせてはいない。だから、己は「願い」と付け加えたのである。文字通り、付け加えた。


 この答えは人にも人間にも見つけられない。等価だと思う己の価値観と相手が感じる代償は、天秤にかけることは出来ないのだから。


 価値観という、目に見えない個人的思想、思考、感情……。生きた道筋から生じ、派生した数だけ、その答えは存在する。解は無い。


 段々と、浮世離れした感覚を、身体ではなく心魂に感じてきただろうか。これが己の世界。これが孤独に潜行した者の世界である。深堀りした先には何があるのか知りたいか、知りたくないか。これから先は臆病な愚者に内包された世界。


 これは物語ではない。

 これは日記ではない。

 これは自己でもない。


 抽象的な具現化することの叶わない人間の心の奥の世界。歩む者は進み、立ち止まる者は去る。仄暗い井戸の底を上から見続けるだけでは面白くないだろう。


 入ってしまえば吸い込まれる心象世界。この先へ進むか閉じるかは貴方次第だ。


 此処は明るい世界に生きる者達には無縁の世界。だが、世界の多くの人々はこの世界を知っている。何故なら、世界は残酷であり、一握りの成功者を妬みながらも敬うからだ。


 アイドル、スターと言われ、承認欲求よろしくと頭を下げる成功者達は、いつも誰かに監視され、世間離れした行動を起こせば囃し立てられる。


 成功者と非難は半々の天秤に乗せられ、世間の目はギラギラと崇拝と怨恨に燃えゆく。平等と言えば平等。だが、理不尽と言えば理不尽。此処はそんな世界だ。


 何故、そんな二極化の評価を受けるのか。


 それは、陽の目を浴びることの無い者達の中で、憧憬と嫉妬心が混在するのだから当然のことである。


 人間の心は脆く弱い。それは自己を保守する為に他者を傷付けてしまうほどに……。自身の憧憬を、見ず知らずの内に嫉妬の炎にくべてしまうほどに……。


 心身は金銭に縛られ、自身の琴線を封じられるこの世界。


 成り上がることを、世界に、社会に、周囲に、誰かに、見てほしいという欲求を、これでもかと脳裏に刻み込まれる。


 こんな醜悪な世界に、美しい者など存在しないのだ。


 八方美人が、心の何処かで悪態を吐くように。善人が金に汚れた手で子どもの頭を撫でるように。笑顔振りまく人気者が裏で悪事を働くように、この世界からは表面上の美しか存在しない。


 何時の時代も先行者と潜行者は敵視され、戯言を伝播すると蔑まれる。物事の真意に辿り着いた事を、人間は「虚実」だと罵倒する。それはもう仕方のないことだと己は想う。


 この世界の天秤の片方は「価値観」が鎮座しているのだから、誰にもその確定された対象を弾くことは叶わない。


 先程の「己を殺す為の天秤」も「価値観」によって結論は闇の中に飲まれていた。「憧憬と嫉妬」も、人間の「価値観」による判断基準によって形成されたもの。答えが出るはずもない。


 だから、己は「価値観」を相手に押し付けなくなった。


 自己理解を繰り返し、咀嚼し、相手の言葉を聞き入る事に専念した。


 人間は欲求を他者にしか求められない。自己肯定は非常に難しいものであり、行き過ぎれば「自己愛」と蔑まれる。


 本当に、見事なまでに醜く育った世界に来てしまった。


 己の郷は、他者が他者を想い、互いの価値観を尊重しあえる世界だった。穢れなき世界で空は澄み渡り、辛苦に泣く者に対して空も泣く。そんな世界を歩んだ己に、この世界はとても残酷なように想う。


 こんな汚れきった世界に連れて来られ、当然のように、生を受け入れる事を強制させられる。死を求め歩めば、己ではなく、己の周りの人間が悪意の目に苛まれる。


 この世界は、死ぬことを是としない。生きることを強制し、弱者が強者に喰われる世界。経済格差は貧富の差を生み出し、私利私欲の波に乗った貴族は、自身の欲に従順に生きることを許される。


 貧民は生きることに必死になり、夢を描いては現実の壁に打ち砕かれていく。そして、脆弱だと嘲笑される。


 嘲笑う貴族に踏み蹴られ、地べたに叩き付けられる。反旗を翻さんと立ち上がるも、強者の武力に敵わず、血を吐いては土を顔に塗られる。


 かつてジャンヌダルクが火炙りにされたように、ピカソが当時誰にも相手にされなかったように、この世界は他者の欲に支配され、善悪は金銭と欲に溺れて溺死する。


 誰かが「自由に生きろ。やりたい事を見つけ、自分というものを確立しろ」と言った。その言葉は、上流階級の欲に溢れた貧民に向けての夢を抱かせる行為そのもの。しいては、自分達のように成れると、憧憬の眼差しに生への渇望を抱かせ、労働を促す悪魔の囁きとなる。


 生殺与奪は貧民には与えられない強者の権利。思う存分、余裕ぶった態度で掲げられた空虚な夢想に、貧民は陶酔した。



 さてと……。


 ここまでの始まりを見て、貴方はどう感じるのだろうか。


 無駄に世界を巻き込んだ世界評論家気取りの戯言に幾人が共感し頷くか。


 ああ、成功者に用はない。己は同士を探しているだけだ。


 批評、価値観の押し付けは互いにやめておこう。何故なら、心の中まで他人の意思、価値観に汚されてしまえば、それは己ではなくなり、貴方では失くなってしまうのだから。


 だが、共有や価値観の提示なら自由にして貰って構わない。他者を尊重しよう。ここに「戦・闘・争」は生まれない。愚者であり、弱者である己が地面に倒れるのみである。


 世界を変えたいとも、変えようとも言わない。人間が居る限り、その宣言は無意味になるのだから。


 理想を追い求めた先には闘争が待ち受ける。価値観のぶつかり合いが生じ、人間同士が争う世界が生まれる。


 どうだろう。これでも世界は美しいと言えるだろうか。


 個人の思想は踏みつけられ、他者と違えば迫害を受ける。


 この世界に救いはない。己はそう結論に至った。


 これを見読した者の中に、同じ思想を抱く者が居るならば、己の文にこれ程の価値が付与されることはないだろう。


「不救思想乃死記」


 これを持って開幕とする。

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― 新着の感想 ―
[一言] ダークな話でしたね。 理不尽な世の中、私も色々考えることもありますし、嫌になることもあります。本当。でもまぁ、こう言う世の中です。 言葉は、心に響きますからね。こう言う作品を書くと、暗黒面…
[良い点] 相変わらず闇が深いですね。闇闇で読み応えバツグンでした。 [気になる点] とりあえず、自分も価値観の押し付け止めたかもしれないし、どこかで無意識にやってるかもしれない。 [一言] いつも楽…
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