喇叭手の軍歌と共に
「……と言う話だそうだ」
ドイツ人は言い終えると黙ってしまった。実に長い事解された肩は随分柔らかくなり、暇潰しに丁度良い、一人語りに酔いしれ、うっとりとしている。フランス人は、なるほどそう言う趣向かと感心したように頷き、少し考えた末はだけた服を直した。
「確かに面白い話だが、俺は少し違った話を知っているぞ」
「ほう、面白そうだね。折角だからもう少し身を解そうと思っていたところだよ」
ドイツ人はマッサージチェアの電源を再び入れる。
「私も聞かせてもらおうかな」
フランス人が肩を回し、語る為に口を湿らせると、巨体のアメリカ人がその隣に座り込んできた。あと一人、日本人の男が、胸元を無防備に晒しながら、髪を乾かしている。気の抜けた熱気と程よい石鹸のにおいで、火照りを冷ます一団は、フランス人の言葉を興味深そうに待った。
元より自分に注目が集まる事が心地いいらしく、フランス人の男はとても晴れやかに、情感を込めた声を出した。
「これは1284年より少し前、戦いと自由に揺れ動く、ハーメルンの若者たちの物語だ」
都市の空気は人を自由にする、という諺がある。確かに私達は旅先で心豊かに胸弾ませる事が多いし、この摩天楼の大都会で、どこか古風な風呂屋に身を寄せ合うのもまた、自由な気風の現れだと思う。
しかし、フランスには、こんな言葉もある。自由に犠牲はつきものだっていうね。つまりはフランス人は自由・平等・博愛の為に、オーストリア出の赤字夫人の首を薔薇色に染めたわけだし、それ以前に王は必死に武器を持つ女子供を撃ち殺したりねじ伏せたりしたわけだ。
さて、自由を勝ち取る前に先立つ者があるとすれば、それは支配と権力だろうね。私達の多くはそんなものを唾棄したわけだが、1260年にハーメルンで生きたシャルルと言う男も、そうした権力の事を思うと憂欝な気分に至った事だろう。
長らく水車小屋と小麦畑が続くヴェーゼル河沿いの集落は、今は悲壮な雰囲気に包まれていた。長く当地を領有していたフルダ修道院が、痺れを切らして銀500マルクでハーメルンをミンデン司教に売却した。驚いたのは当地を治めていたエーフェルシュタイン家で、唐突に売却の報せを受けて封主として司教を受け入れる準備が出来ていないと返信した。
シャルルには宮廷の事は良く分からないが、唯一つ言える事は、この事態があまり良くない結果を招くだろうという事だった。元よりハーメルンの旧市街は彼ら修道会の支配下にあったが、エーフェルシュタイン家が守護職を担うようになると、彼らは税の取り立てでも委縮しなければならなかったらしい。ハーメルン市を建設する間に幾度となく自分の要求を抑え込まなければならなかったフルダ修道院には同情の余地がないではないが、この地が今の自由を謳歌するには、司教区から迫られる金の要請は看過し難いものだった。シャルルは村の様子をぼんやりと眺めながら、武器を持った仲間達が身を強張らせて立っているのを見つけた。シャルルはこの友人の胸を軽く小突く。彼は小さく呻いたが、改めて深く息を吐くと、シャルルに対して短く礼を言った。
「嫌な空気だ……これだから市壁の外は嫌なんだ」
友人は兜を脱ぎ、頭をかく。長年のふけが膝の上に落ち、切り株と甲冑の上に白い斑点が出来上がった。シャルルは出来るだけ陽気に笑顔を作って見せた。
「なぁに、気にすることはないさ。俺達が今田舎にいても、随分長い事都市の空気を吸っていたじゃないか」
友人は手を合わせて祈るようにしながら、「くっく」と小さく笑う。彼の表情には余裕が無いが、何とか気持ちを落ち着かせようと都市の方に向いた。
「なぁ、シャルル。これはどういう事なんだ?俺達は何と戦っているんだ?結局権力に巻き込まれただけなのか?」
シャルルも市壁を眺める。都市に住むシャルルは小麦のにおいを嗅ぐことも少なかったため、パン屋の前のような臭いを予想をしていたが、案外土臭いものだと、酷く冷静な思いを抱いていた。
少し市壁から視線をずらすと、しらみを捨てる兵士が、仲間に髪を掻き回されて笑っている。弓の弦を弾くのは足を裸出させた貧しい兵士だ。全身に鎧を纏う一部の男は、まだ若い麦を出来るだけ多く摘む事を、農民に勧めている。農具を手にした農民は、市壁を指さして何か叫んでいるらしい。堅牢な鎧の男は首を横に振り、市壁に悲し気な目を向けた。
このところ、ハーメルンの市壁の中でさえ、誰もが酷く疲弊している。ストレスで気が狂った若者が街路で踊り狂ったり、立派な石造りの家を構える商人の子が頭を抱えて硝子妄想に狂ったりしている。シャルルの友人も、この嫌な空気を受けて今まさに頭を抱えているのだ。
「何も考えるな。お前は考え過ぎているだけなんだよ。喇叭手の後を付いて回れば、取りあえず仲間に殺されることは無い。そうすればどさくさに紛れて逃げてもいいし、また、ハーメルンに戻れるだろうよ」
何が、都市の空気は人を自由にする、だ。古くからいた農奴は市壁に囲まれても農奴のままフルダ修道院に糧を吸い上げられるし、手工業者の組合員たちは酷くやつれて大通りの立派な家々を羨むのだ。自由民も農奴も変わらない、シャルルにとってはどれもこれも友人を疲弊させる悪い空気に違いなかった。
喇叭手と軍馬に跨る騎士が話し合っている。さらりと風が鳴き、畑が波打つようにしなる。次の瞬間に喇叭が空へ向けて吹き鳴らされる。屯していた兵士達が一斉に騎士の前に集結した。
「これより司教軍を迎え撃つ。都市に危害を加えられぬように、出来るだけ離れるぞ」
友人の顔が真っ青になる。そうやっていつも、彼らは良いように捨てられるのだ。
司教軍を迎え撃つため、ハーメルン育ちの若き戦士たちは、喇叭手の鳴らす音に足並みをそろえ、ゼデミューンデに至った。弓を携える戦士たちは、槍を構える屈強な男達に従う。屈強な男達は旗持ちと騎士、そして、喇叭手の後に従う。
司教軍はいよいよ都市へと迫り、戦士たちの前に立ちはだかる。彼らもまた同じ面構えで、風に旗をなびかせている。
身を震わせる友人を宥めながら、シャルルは弓を構える。弧がミシミシと音を立てて歪曲する。両者が相対する姿勢が整うと、二人の騎士が名乗りを上げた。張りのある毅然とした声が荒野に響く。喇叭手は背後に控え、槍が前方に向けられる。中心点を目指すように両軍の穂先は乱れなく互いの横腹に照準を合わせる。友人は震える手で射手たちに合わせる。荘厳な前口上の後、馬の嘶きと同時に戦士たちが怒号を上げて突撃する。シャルルも友人も、その他の大勢と同じように弓を放つ。喇叭手は戦線を駆け巡りながら笛を鳴らし、目にも止まらぬ速さの矢の間を抜けながら、力強い音を響かせる。
やがて、戦士たちが互いの槍を交差させ合う、穂先の交わる時の金属音、柄を払い合う激しい打撃音とが響き渡る。一方で後方の市民軍は、不慣れな者は弦を顔に当てて頬を真っ赤に腫れ上がらせ、矢を手に取る度に撃ち殺したのが敵か味方かと慌てふためく。それは司教軍の後方でも同じように起こっている現象で、皆が皆混乱しながら自らに課された仕事の為に身も心も痛め続けていた。
「誰に当たった?今誰に当たったんだ!?」
「落ち着け、お手柄だよ!」
シャルルは、パニックになりながら矢立てから矢を抜く友人を宥める。この混戦の中にあっては、彼らがどれ程大きな声を上げても、周囲に届くことは無かった。友人が射抜いた司教軍の兵士はこれで三人目であったが、彼が手ごたえを感じたのはこれが初めてであったらしい。矢の雨が敵味方から降り注ぐのだから、それも致し方のない事である。
一方のシャルルは、こうした混乱の中にあっても、腕はともかく冷静でいられる人間だった。常日頃より鍛えていたわけではないが、元より現世のハーメルンになど希望を持っていない。これを憂さ晴らしと考える事も出来るし、それを正当化できる戦場の騒音も彼にとっては日常の賑わいと変わらなかった。
自由であろうとなかろうと、生きている限り自分達がそこに所属する事は変わりないのだから。
やがて槍の穂先が徐々に市民軍の後方へと近づいてくると、シャルルも友人も、いよいよ自らの死期を覚悟するに至った。真っ先に射抜かれた喇叭手の音は最早聞こえず、前方で彼らを支えていた戦士たちは、大地にその槍を落として事切れている。互いの旗が踏み荒らされ、誰一人血だまりに靴を汚す事を一顧だにしないまま、迫りくる巨大な人の圧力に身を震わせている。
それでも弦を弾く事をやめる事は許されない。多くの人々がそう信じて、固い意志で必死に嫌な臭いよりも明瞭になった敵味方の分別に従い突進する槍を持つ胸を射抜く。司教軍も次々に地面に突っ伏し、やがて動かなくなった。
「もうたくさんだ!俺は逃げるぞ!」
友人は叫んだ。地面の色は死体から流れた血を存分に染み込ませた
「あぁ、逃げろ!こうなってはお前を責めるものなどいないさ!」
シャルルの大きな声を受け、友人は謝罪の言葉を彼に掛ける。シャルルは首だけで彼を催促した。友人は弓を下ろし、一目散に寄せ集めの弓兵の波の中に消えていく。彼の背中を掴む手は無かったが、激しい罵声だけはあちこちから聞こえた。
それでも、その中にシャルルの声は無かった。彼の周囲からも、一人、また一人と血濡れの大地に顔を埋める者が現れ始める。嘆きの声を上げながら、死体から矢を抜き、敵を射抜く。しかし、その一射一射が彼らを慰める事は遂に無かった。
終にかの男、シャルルの首を矢が射抜いた。至近距離から撃たれたらしい彼の体は反動で吹き飛び、槍に貫かれる事も無いまま、自らの体が何処にあるかも知れぬままに血の沼に転がり落ちる。どろりとした血の中から、彼の瞳は何者かを探す。ただ同志の声が耳に届かない事だけを心の安息として、彼は瞳を見開いたまま力尽きた。
痛ましい戦いの成果は推して知るべきだろう。フランス人は名誉を手に入れたが、ハーメルンの人々に神は微笑まなかったというわけか。まぁ、人生と言うのは色々とあるものだ。千年もあれば時間の流れもずれてくるだろうし、結局ヴェルフェン家かエーフェルシュタイン家か、ミンデン司教領か、そう言うものに歴史として語られるだけだ。
但し用心しなければいけないのは、1284年、あるいは1260年に喇叭吹きに従ってかつてコッペンと呼ばれたバスベルクを通り抜けた一団は、大体が悲劇的な最期を遂げたという事だ。
今となっては真相は闇の中だが、最後に行きつく結論は、やはり大地は血まみれなんだって事だよ。




