4話 『招待のお知らせ』
玲奈は思い悩んだ表情を見せると、突然黙り出した。重苦しい雰囲気が道場を包む。翔は、何か声を掛けようかとも思ったが、玲奈が考えていることが分からず気まずくなりそうな予感がし、声を出せずにいた。
これで両者が、黙るという異様な光景が完成した。
外に出ようと思ったが、今の玲奈をほっとけない。別に心配してという訳でもないが、とりあえず一緒にいてやることにした。
と……思ったが。
ガラガラと道場の扉が開き、朝日の眩い光と共に人影がひとつ。
「二人とも……お父さんが呼んでるわ」
潔子が微笑みながらそう言った。
あまりにも不自然なその笑顔に、翔は何かあったのだと直感的に感じた。隣を見ると、どうやら玲奈もただならぬ様子に気づいたらしい。
それ以上何も言わずに、道場を後にする潔子に二人も会話をせずついて行くのだった。
「お父さんから、大事な話があるからよく聞いてね」
居間に入る直前に潔子は二人に忠告した。翔の頬には自然と冷や汗が流れる。あの黒羽源治がわざわざ呼びつけて話をするということが初めてだったからだ。
玲奈も突然のことで戸惑っているのか、いつもの明るい雰囲気が吹き飛んでしまっていた。
翔は玲奈に小声で話しかける。
「どうしたんだろうな?源治さんが呼び出すなんて」
「そんなの知らないわよ!……でも本当に不思議だわ」
案の定、玲奈も理由は知らない。
そして、とうとう潔子が障子を開ける。いつも、ここに入るのは相当緊張していて慣れているはずの翔も、いつもと違う緊張感で胸が締め付けられる。
そして、相変わらず源治はいつもの場所に鎮座していた。
「座れ」
一言そう言った源治は、自分の向かい側を指差す。大人しく二人並んで座る。怒っている様子は見えないが、何かしでかしてしまったのかと心配になる。
隣にいる玲奈に話しかける。
「おい、俺らなんかしたか?」
「だ〜か〜ら〜、知らないっつてんでしょ!」
何故か暴力的な口調で返してきた玲奈に、翔は苛立ち。そのまま勢いに乗って、怒り口調で返してしまった。
「何怒ってんだよ、聞いてるだけだろ」
「それがうざいっていってんの!」
場の雰囲気を無視し、玲奈と翔の幼稚な言い合いが続く。それはどんどんエスカレートしていき、声量も大きくなる。
潔子が宥めようとあわあわしているが、二人は全く気づくことなく口喧嘩を続ける。
源治はそれをしばらく見ているだけだったが、業を煮やしたのか声を上げる。
「何を二人で乳繰りあっている」
「「そんなことしてないわ!」」
まるで漫才師のような会話だが、互いに状況を確認して場の空気を呑み込んだらしい。顔を見合わせてバツが悪そうにそっぽを向く。
「さて、早速本題に入ろう」
源治の言葉で玲奈も翔も、再び身を引き締めた。ここに来た意味を再確認して、身体中に緊張が駆け抜ける。電気のようなその刺激は精神や体を硬直させるには十分すぎる位だ。
この場にいる全員の意識が源治に集まる。話を内容を聞かされている潔子でさえも、息を飲み、次の言葉を待っている。
そして、遂に源治の唇が動く。
「翔………お前には星乃海学園に入学してもらう」
訪れる静寂。
まるで時が止まったような空間。唖然とした二人の顔が、そのまま固まって動かなくなる。
そして、ほんの数秒が経った。
「え?」
翔の言葉が火種となり、場は一気に盛り上がり始める。
「お父さん!なんで……!なんでこいつも入学させるのよ!?」
「そ、そうですよ!言っちゃなんですけど、自分カスですよ!?黒羽家の恥晒しみたいなもんですよ!?それが天下の星乃海に入学なんて烏滸がましいですよ!」
「……自分で言ってて恥ずかしくならないの?」
逆ギレしている翔だが、その実力は未だ未知数。
だが、それでも確実に言えるのは……決して強くはないという事だ。至極平凡であることを自分自身で自覚している翔は、声を荒らげて抵抗する。
「それに、僕は使用人です!この黒羽家を離れる訳にはいきません!」
もちろんこれは建前。本音はただただ面倒臭い、その言葉に尽きる。黒羽家から出たくないのは本当だが、使用人としてこき使われることも心の底から嫌がっている。玲奈も翔の本音は翻訳をしているように丸聞こえなので、少し苛立ちを覚えながらも利害は一致しているので、渋々翔に協力する。
「お父さん、翔もそう言っているし……」
いつまでも反抗する二人を見て、源治は制止するように机を叩く。大きく、強く鳴らされた音に二人は、無言という行動を取らさざるおえない。だが、机を叩いたはずの源治の顔はとても穏やかだった。
普段無口な源治が静かに語り出した。
「二人とも色々と不満はあると思う。だが、これは既に決まった事だ。玲奈も翔も黒羽家の人間なら、当主である俺の指示には従ってもらう」
黒羽家という単語を出されてしまっては、二人に発言の余地はない。当主……リーダーに従うのは世界共通であり、古くからの習わしだ。
使用人である翔は特にその効果を発揮する。
主人である源治の言うことは絶対だ。
翔は唇を噛み締めて悔しながらに言った。
「かしこまりました……」
「ちょ、ちょっと待っ……」
玲奈が言いかけた時、障子が凄い勢いで開いた。
それに、源治を除く三名は目を見開いて驚く。源治は冷静に、部屋に乗り込んできた意外な人物に話し始める。
「どうした……柚季」
飛び込んできたのは、翔の妹で使用人である柚季だった。今頃使用人の雑務に追われている柚季が血相を変えて飛び込んで来たのだ。
それも、主人である源治を睨みつけて……。
仁王立ちしていた柚季は、怖い顔を崩さずに源治に近づいていく。微かに、殺気が込められている。
「お、おい!柚季!」
堪らず止めに入る翔。
だが、それは源治によって遮られる。
「翔、大丈夫だ。それで、柚季……お前は何をしに来た?」
主人の目の前で、見下ろす形になっている柚季。本来、主人を見下すなんてあってはならない行為だが、何故か源治はそのまま話を続ける。それも、柚季が来るのが分かっていたかのように……。
頭に血が上がり、周りが完全に見えなくなっている柚季は怒りを露わにしている。
「何をしに来た……と?そんなの決まってるじゃないですかッ!兄さんを星乃海学園に入学させない為ですよッ!」
「お前何言って……!」
「兄さんは黙っていてください!」
余りの気迫に、思わず止めに入った翔も押されてしまう。それ程までに、柚季の憤怒は凄まじいものだった。今でも柚季の怒りは噴火する活火山のように燃え上がっていく。
「兄さんに剣を持たせるなんて……どうかしてるんじゃないですか!」
「どうしてそう思う?」
「だって、そうでしょう!私達は剣によって今まであった全てのものを失い、兄さんも剣のせいで命が危ぶまれるぐらいの大怪我を負ったんですよッ!それなのに、また剣の道に兄さんを誘い込むなんてどうかしてますッ!」
激昂している柚季。
柚季の剣嫌いは、今に始まったことじゃない。
あの全て失った夜。
まだ幼かった柚季にあったのは、両親を殺された事実と自分を守ってくれた最愛の兄の重症という重い現実。そして、それを外道を行ったのが人という認識を超えて、剣という存在自体を否定してしまった。
今でも柚季は、剣が無ければこんな事にはならなかったと思っている。
その時のストレスからなのかは分からないが、翔と同じだった黒髪も白髪に変わってしまった。
柚季にとって剣は、最大のトラウマであり、憎むべきものなのだ。
顔を赤く染めて、息を切らしながら怒鳴り散らす。今まで静観していた翔だったが、そろそろ限界が近かった。きっと玲奈は今頃、驚きやら恐怖が入り交じってることだろう。
それも当たり前だ。
玲奈は柚季がここまで怒るなんて、思っていないだろう。実際、翔も温厚な柚季が激昂している所なんて数年ぶりに見た。玲奈が星乃海学園に入ると言った時も、こんな風に激怒していた。その時は、翔が宥めて事なきを得た。
玲奈はその事を知らない。だから、柚季がキレるのを初めて見るだろう。
それにしても……源治は怒鳴られているにも関わらず、聞いているだけで何も言おうとはしない。
そして、怒鳴りきったのか疲れて言葉が詰まる柚季に源治は一言声を掛ける。
「気は済んだか?」
その言葉は完全に柚季を逆撫でする結果になった。
一歩ずつ源治に近づき、今にも殴り掛かりそうな柚季を見ていられなくなった翔は、源治に止められていたが立ち上がり、柚季を羽交い締めにする。
「離してくださいッ!」
「柚季やめろッ!主人を殴ろうとしてどうする!源治様もわざと怒らせるような言動は慎んでください!」
「以後気をつけよう」
未だ興奮が収まらない柚季に、翔は退席を命じる。最後まで子供のように駄々をこねたが、納得はしなかったものの部屋を後にして行った。
嵐のように来てすぐ去っていた柚季が居なくなった部屋に、謎の虚無感が広がる。
「お父さん……」
呆気に取られていた玲奈も、気を取り直す。そして、源治を鋭い目付きで睨む。
「すまなかった。あれは俺が悪かった」
「全くよ……柚季ちゃんが可哀想だわ」
源治が謝罪の言葉を述べる。
「柚季に言え」と思う翔だったが、それは胸の中にぐっと押し込む。翔の苛立ちを感じ取っている源治だったが、そのまま話を本題に戻す。
「さて、翔……気持ちは決まったか?」
本音を言うと、全く乗り気ではないが仕方ない。
「はい……僕は星乃海学園に入学します」
「あっ………」
「どうした玲奈?」
「いや」と声を止めた玲奈。
翔の入学が反対なのは事実だけど、もしかしたらこの事がきっかけで翔が変わるかもしれない。それなら、玲奈も気持ちの整理がつく。
結局玲奈は反対はしなかった。それに一番疑問を持ったのは翔だったが、もう自分の考えは変えられない。
「それでは入学の準備を整えておけ」
そう言って、源治は部屋を出ていった。それに続いて、潔子も出て行き、部屋は玲奈と翔の二人きりになった。
準備と言っても、入学式までには幾分か時間がある。
それより、気になるのは源治が柚季の怒りを煽るような行動を取ったことだ。自分達を拾ってきたのは源治だ。なら、トラウマも全部知っているはず。なのに、柚季の場合、わざとその傷を抉るような言葉を言った。
……殴られるのを覚悟していた?
それ以外考えられない。
「まぁそれは、本人に聞かないと分からないよなぁ〜」
「どうしたの?」
「別に、何もねぇよ。それより、俺は柚季の所行ってくるから」
部屋を出ようとした時、玲奈に呼び止められる。
「ねぇ、翔……」
呼び止められた翔は、振り返る。
「なんだよ?」
「あ、あの……あぁー!もう焦れったい!翔!あんたはこれから私と同じ道をいくんだからしっかりしなさいよ!」
「だから、何が言いたいんだ?」
もじもじと顔を赤くすると玲奈。何故か視線が泳いでいる。
「具合でも悪いのか?」
「違うわよ!だからね……そのー」
玲奈はゆっくりと手を差し出してきた。翔がその行動の意味が分からないでいると。
「これから……よろしく」
照れながらそう言った。
翔はクスッと笑うと、その手を握った。
「なんで笑うのよ!」
「久しぶりに、お前が可愛いと思えたからな」
玲奈は「バカ!」と言いながら、顔をさらに赤く染めて部屋を出ていった。
「さて、問題はここからだな」
対応次第では、柚季を傷つけかねない。ここは慎重に、行動と言動を選ばなければいけない。誰も居なくなった今の障子を閉め、廊下を歩き出した。