3話 『訪問』
玲奈は黒羽家の長女として生まれた。兄妹はいない。
一人娘――玲奈はそのプレッシャーを、幼少の頃から感じていた。子供には耐え難い重責だろう。
黒羽家には代々、家督を継ぐのは男子という決まりがあった。だが、玲奈は女、一人っ子の為代わりになる男子はいない。
だから、諦めた。
そういう結果にはしたくなかった。だからこそ、必死に男子に負けない力を手に入れようとした。幸い、『奇蹟の世代』の力は授かっていた。黒羽の分家から後ろ指を指されながら周りの大人を説得させる為、必死に周りに媚を売り、力をつけるために稽古もさぼらずに何十年も続けている。簡単なことかもしれないが、ひとつの事を長く続けるには相当な気持ちが必要だ。
だけど、生まれて十五年間頑張ってきたが玲奈には勝てない人が二人いた。
一人は自分の父『黒羽源治』。
偉大で、絶対的な壁。子供の頃から稽古に付き合ってくれていて、玲奈も感謝しているが、勝てたことは一度もない。 最近は、勝つことを諦めている。
もう一人は、元々黒羽家の人間じゃなかった。
捨て子――そうお父さんは言っていたが、明らかに様子がおかしい。私が初めてあった時、同い年ぐらいのその男の子は、泣きじゃくる幼い妹を抱えながら幼い私でも分かるぐらい、瞳は憎しみに染まり、敵意のような形容しがたい何かを抱えていた。
そして、背中には刀で切られたような切傷。大量の血液が流れ出ている。何故今生きているのか分からない状態だった。
そいつが来て一週間が経った。
流石に子供の身で、あれだけの重症は耐えられなかったらしい。一言も交わさないまま倒れ伏せ、命の危機は脱したものの一週間の間、布団で眠り続けている。
彼が起きたと報告を受けたのは、朝起きた時だった。
玲奈は子供が寝たていた部屋へと行ってみた。
――だけど、そこには投げられた布団があるだけでもぬけの殻だった。
そこで私は道場に脚を向けた。なんで、道場にいると思ったのかは今は分からないけど、その時は何故かそう思った。
やはり私の勘は当たっていた。
そこには私の父に、木刀を向けている少年の姿があった。
その剣筋は型にもはまらずデタラメで、全然なっていない。経験者から言わせてもらうと……全く才能がない。だから、父に簡単にあしらわれていた。だけど、それでも、諦めずに何度も……何度も……。着ていた白い着物の背中からは、傷が開き、赤い血が布を染めている。
ーー私は好きだった。
ただひたすらに剣を振っている彼が。何も考えずに、相手を倒す事だけを目標に剣を握っている彼が。
それが、単なる復讐心だったとしてもーーそれでも恋焦がれた。憧れた。
改めて思うと、それが私の初恋だったのかもしれない。
それなのに、今の奴は何にもやる気を示さなくなった。剣の稽古もさぼるようになり、主人である私の事も馬鹿にしてくる。
私はそんな彼のことがーー嫌いだ。
玲奈と翔が、道場でも話している頃。
黒羽家の元に客人が来ていた。
「……なんの御用で」
「御用も何も、ただの挨拶よ?玲奈ちゃんが学園に入るって聞いて」
「そうか」
灰色のスーツを着た女性は、源治に対してフレンドリーに振る舞う。一方の源治は見知った相手のあまりの変わりように驚いていた。
「昔とは雰囲気が変わったな」
「別に変わってないわよ?君とはこういう仲でしょ」
少し困惑気味に受け答えをする源治を、女性は笑顔で見つめる。何処か遊んでいるようにも見える。
こんな時、大抵人は何かよからぬ事を考えているものだ。源治はお茶を啜り、女性を見つめ直す。
「何を考えている……二段坂」
「別に〜、君には関係ないわ〜」
源治は「はぁ」と溜息をつく。
源治が諦めたと見るや、二段坂は話を切り出す。
「それより玲奈ちゃんと、使用人の子はどこ?」
二段坂は周りを見渡し確認する。そうして、居ないと分かるとニヤニヤと笑いだし、源治を舐めるように見る。それに嫌悪感を感じた源治は無言で、佇むだけだった。
数秒の静寂が流れ、卓袱台に置いてあるせんべいを二段坂は半分に割る。
「そういえば」と二段坂が、ようやく口を開く。
「あの使用人の兄……玲奈ちゃんと同い年だったわよね」
源治はここで二段坂の思惑に気づく。
「翔は、学園に入学させるつもりは無い」
「あら?まだ何も言っていないわよ?」
白々しくとぼける二段坂に、源治は顔を引きつらせる。二段坂の狙いは翔を入園させること……それは明らかだ。だとしたら、それをさせるつもりは源治にはなかった。
「もうお引き取り願おう。こちらも色々と忙しい」
そう言って、席を立つ源治。
ーーだが、その首筋には銀色に輝く刃。
「どういうつもりだ……二段坂」
今現在も刀を突きつけてくる二段坂を、キリッとした目付きを更に睨みつけながら聞いた。だが、二段坂は悪人のような薄ら笑いを浮べて、刀を降ろそうとしない。
「源治くん、ごめんなさいね。私も、今の自分に満足しているの……星乃海学園の理事長としての立場に」
二段坂 梨恵は現星乃海学園の理事長を政府から任されている。国の一大プロジェクトの一端を担う学園の理事長を何故彼女『二段坂』になった理由は、、
ーー二段坂は全国に知らぬ者がいない名家だからだ。
黒羽家と二段坂は二大名家と言われている。
その名家には大きな溝があった。
当時の状況は江戸が終わる直前、明治維新前の頃。
維新側を率いていたのは二段坂、黒羽を含む諸侯。二段坂はその中でも上位の位に属し、黒羽は下位の位に属していた。
交渉や戦争をする表側の仕事は二段坂、辻斬りや暗殺を行う裏の仕事は黒羽が担っていた。
そして、維新はなり今の時代になったが、それでも立場は二段坂が大きな影響を持っている。黒羽家が田舎の街を治めているのに対し、二段坂は国のプロジェクトに関与出来る権限を持っている。
「その立場と、翔がどう関係している……!」
「それは、貴方が一番知ってるんじゃないの」
「……お前まさか!?」
「えぇ」と冷や汗をかきながら、頷く二段坂の刀を握る源治。その手からは血が流れて畳の上に落ちている。それを全く顔で出さず、二段坂を真っ直ぐ見つめている。
「お前、俺を脅しているのか」
「それはどうかしら。貴方が大人しくしていれば、大事にはしないわ。でも、抵抗するのなら情報を政府に流す!」
刀の刀身を掴みながら、ジリジリと壁に詰め寄る。二段坂は後退りながらも、決して刀を離さない。
二段坂の背中が、背後の戸棚に接触する。
「ッ!?」
源治は精神的に優位に立つ。
真っ直ぐと二段坂の瞳を見つめ、二段坂は吸い込まれそうな源治のから目を逸らす。刀を握る源治の手の力が強くなるにつれ、それから流れる血液の量も段々と濃くなっていく。
殺される……と二段坂は思ったその時。
「翔に、意図的に危害を加えたら、その時は俺がお前をどうするかは分かっているな……」
二段坂は一瞬理解出来ずに、「あぁ」と声を漏らす。それを見た源治は「話は終わりだ」と部屋を出ていってしまった。
一気に緊張が解けた二段坂は腰が抜け、その場に座り込む。血染めの刀は、自分がそうなるということを表しているように見えた。
「と、とりあえず入学は認めてもらったわね。あとは、本人を……」
二段坂は腰の抜けた身体を、刀を杖に立ち上がらせて、小鹿のように歩いていく。
「宜しかったのですか?翔を入学させて」
潔子が源治の手に包帯を巻きながら聞いてくる。
「あいつにも心を取り戻して欲しいからな。それに……二段坂の行動も不可解だ」
巻かれた包帯の感触を確かめて、源治は立ち上がり、潔子に命じる。
「あの二人を呼んでこい。話がある」