〜匂いざくら〜
橙色の花の盛りはもうとうに過ぎて。
僕は通い慣れたこの家にいる。
あなたがいないこの家に、
僕は
いる。
『匂いざくら』
かたかた……。
生活感の無い部屋に、長身細身の男が2人。
それぞれにパソコン画面へ何かを打ち込んでいる。
「……なあなあ、靖。」
眼鏡をかけた1人が声を掛ける。
「はい。」
それに、靖と呼ばれた彼より若いもう1人が返す。
眼鏡の男は長時間丸めていた背中をぐぐっと伸ばす。
「この前書いたやつさぁ。」「ああ、一昨日の。」
相槌を打ちながらも、靖の目はパソコンを見つめたままだ。
「あれさ、書き直したい。」
「…………。」
返事はない。
「おーい。」
「…………。」
「もしもーし……靖〜?」
「‥‥‥‥‥‥。」
「せ〜い〜……。」
「はいはい。」
何度も懲りずに話し掛ける男に嫌気がさしたのか、くるりと椅子を反転させる。
「もう少し待ってくださいよ。馨さん。僕だって仕事してるんですから。」
「いいじゃん、仕事させてる俺が良いって言ってるんだから。」
「……そんなに話したいなら、これ以上僕の仕事増やさないでくださいよ。」
ふう、と溜め息を吐いて《ついて》眉間を強く揉む。
「オツカレデスカ?」
「なんですか、その感情のこもってない心配は。」
「あら、折角心配してあげたのに。」と言う割には愉しそうに笑ってみせる。
「……もう、いいです。」
靖は身体を背もたれに預けて眼を閉じる。
普段は疲れなど微塵も顔に出さない彼がこうなるのは珍しい。
……本当、人使い荒いんだからこの人。
内心、毒づく。
目の前で自分をまじまじと観察する男がうらめしくて仕方なかった。
「……馨さん。」
「ん?何さ。」
「…………もしかして、怒ってます?」
「……別に。」
そういう割には表情が硬い。
やっぱり起こってる。
靖はふっと溜め息をついた。
まったく、どうしてこんな人からあの子が……。
「何してんの、お父さん。」
不意に、部屋のドアの方からかわいらしい声がした。
「おお、歌奈。」
途端に、先刻までの機嫌の悪さはどこへやら。馨の頬が緩んだ。
「なぁに仏頂面してんのよ。靖さんと喧嘩でもした?」
「違いますー。靖が俺のこと苛めるからいけないんですー。」
「……俺がいつ馨さん苛めたんですか。」
呆れて、思わずぼやく。
「ねえ、」
「ん?」
つい、と歌奈が靖のVネックの袖を引く。
「もしかして、まだこの前の事起こってるの?」
相変わらず勘が良いな、と思いつつも、本人の前でその通り、とは言えず、
「さあ?」意味を込めた苦笑いをして、その旨を伝える。
それが分かった様で、軽い溜め息と共に馨を見遣る。
「おとーさん?」
「ん?」
すっかり頬の緩んだ馨に声を掛けた歌奈。微笑んでいるが、その目は笑っていない。
「え、なに?」
流石にそれには気付いた様で、態度を変える。
「あんまり、餓鬼っぽいことしてると、本気で怒るからね?」
「ご、ごめん……。」
こうも威圧されては、普段軽い馨ですら何も言えない。
女の子とはいえ、歌奈のその迫力は、立派な成人男子でも恐いと思う……。
どうして女の子って、こんなに恐いんだろう……。
実を言うと、俺だって彼女を敵にはしたくない。
「……情けねぇなぁ……。」
「悪かったな。」
呟いた途端、馨さんに凄い形相で睨まれた。
「違うちがう。」
慌てて否定する。
俺の話だって。
「靖さんもっと言っちゃって。」
「なんだよー歌奈ぁっ。」
「歌奈ちゃん……あんま囃さないで……。」
馨さんと対峙している歌奈が囃す《はやす》。
この親子は本当、漫才やってるみたいだ。
2人の痴話喧嘩をBGMに何気なく覗いた庭。
靖はその景色にふと、想いを馳せた《はせた》。ねえ、どうしてこんなに、人は脆いの?
あれほど強か《したたか》な貴女を簡単に連れて行くなんて。
人のさだめは残酷だね。
花より長い筈のその命は、次の花の盛りを待たずして深く眠ってしまった。
庭から酔うほどに匂い立つ花は、貴女の声の様に甘い。
「置いて行くなよ。」
誰にも聞こえない程の声で呟く。
只、貴女にだけ届くように。
小牧です。やっと連載の2話目を書くことが出来ました。お気づきでしょうが、連載なのにひとつがとても長く、申し訳ないです。このような話をお読み頂いありがとうございます。




