3 蜜飴
小鳥が初めてばば様に作り方を教えて貰ったのは、蜜飴。
とろけるような黄金色をした、甘い甘いお菓子。
「まるでお日さまの光をたべてるみたいだね」
初めて口にした時のその感想に、ばば様は笑った。
透き通った向こう側、太陽の光をきらきらと通すビイドロのようなお菓子は、本物を見たことのない幼子の目には、まるで宝石の様に映った。
* * * * * * *
『―――― お前は、人と話してはいけないよ』
今よりもっと小さかった時分、ばば様はいつも小鳥にそう言い聞かせた。
「なぜ? ばば様」
「人より〈目〉がいいお前の言ノ葉は、少々強過ぎるからね。人間にはちょっとばかり毒なのさ」
「どく?」
夕暮れの縁側。
毒、の意味がよく分からなかった小鳥は、自分を抱いて座るばば様の顔を仰いだ。
両親を生まれてすぐに失った小鳥は、唯一の肉親であるばば様と〈神守の森〉で二人暮らし。呪術師として里人に頼られているばば様の元、修行を積む日々。
小鳥は毎日ばば様と話しているし、ばば様も愉し気にそれを聞いてくれる。
なのに、どうして他のひととは話をしてはいけないのか。
首を傾げる小さな彼女を、ばば様も見つめ返していた。
優しい手の平が、亜麻色の小さな猫っ毛の頭を愛おしげに撫でる。
「お前には、私の色が濃く出過ぎてしまったみたいだからね……」
ごめんよ、と。
そう詫びたばば様の双眸は小鳥のそれとお揃いで、いつもは暖かい色をしているのに、茜空の色を溶け込ませた今は、なんだか哀しそうな色をしていた。
それでも、ばば様は重ねて言うのだ。
―――― 決して、人と話してはいけないよ……… と。
雪の季節が終わり、風が吹き、春の季節が里に訪れる。
一斉に芽吹く緑。
人ならざるモノを映す小鳥の目には、もっとも賑やかしく感じられる季節だ。
その日、まるで天蓋のように花々を咲かせた一本の木を見つけた小鳥は、そのあまりの美しさに思わず足を止めた。
小さな池に迫り出すように伸びた、しなやかな枝。純白色をした花をその身一杯に咲かせたその木は、まるで鏡を覗き込む貴婦人のようだった。
「きれい……」
音もなく水面に舞い散る花弁。流れる微風ですらも、この木のためにあるのではと思わせる情景だ。
小鳥は池の淵に座り、しばらく花弁が舞い散る様を眺めていた。そのうち、ふと欲が湧く。
「近くで見たいな」
枝は高くて手が届かず、遠過ぎて花の形が良く見えない。だから、無意識に吐いて出た言葉。
花の影で、いくつかの小さな気配が動いた。
一瞬、強い風が吹く。
次の瞬間、ほたり、と花の束が手の中に落ちてきたことに目を見開き、頭上を仰いだ。
良く見れば、声を持たない小精霊たちが花の間でいくつも瞬いている。小鳥がじっと花を眺めていたから、彼らも興味を持って寄って来たのかもしれない。時々あることだった。
五枚の花弁からなる花を無数に咲かせた毬状の小枝。近くで見てもうっとりしてしまう。
彼らのうちいくつか小鳥の元まで下りてきて、小鳥とその手に乗った花の束を交互に見始めた。まるで催促されているみたいだと笑ってしまった。
「ありがとう」
礼をいい、折角だからと花を髪に飾る。
常人の耳には届かない高い歓声と、頬や髪に纏わりつく小さく仄かな熱がくすぐったい。
喜ぶ小精霊たちに照れながら再度礼を伝えていた時、少し離れた場所で幾人かの里の人間が、こちらを見ていることに気付いた。
距離があるため、里人たちがどんな表情をしていたのかはよく分からないが、その視線の色が暖かなものでないことは十分に感じ取れた。
踵を返し、遠くへ行こうと駆けだした小鳥の背中に、風に乗った彼らの声が届く。
『――― 気味が悪い子供だ』
小鳥とばば様以外の人間の目に、人ならざるモノたちの姿は映らない。
「どうしたの?」
あの後すぐ、その女性と出会ったのは、偶然だった。
「どうしたの? どこか痛いの?」
人気ない道の石段で蹲り、独り泣いていた小鳥にかけられた柔らかい声。
びくりとしながら振り返った先で、少し上の石段に立つ若い娘と目が合った。
綺麗なひとだった。
人間も精霊も合わせて、小鳥が見たことのある女の人の中で一等綺麗だなと思った。
日焼けを知らないような白磁の肌と、それに映える山葡萄みたいな色の髪。緑の木漏れ日を受ける瞳は、朝露を含んだ山吹の花の色をしている。
頬や肩に掛かった真っ直ぐの長い髪が、彼女の動きに合わせてさらさらと流れる様に見惚れた。
たぶん、良いお家の方だ。着物は薄い茶色だけど見たことがない珍しい生地だし、帯は高価そうな黒の別珍、襟元は真っ白で繊細な見たことのない編み物――― 後で知ったが、舶来のレースで飾っているのだから。
まるで、さっきまで眺めていたあの花の木みたいなひと。絵巻に出て来るお姫様みたい。
ぽろりと零れた涙をそのままに、ぼうっと彼女を見つめる。
小鳥の隣までやって来たその娘は、屈んで小鳥の身体をあちこち見回した。一通り確かめたあと、安堵の吐息をついて笑む。
「怪我したわけじゃないみたいね」
優しく細められた瞳。
「あ……」
『―――― 決して、人と話してはいけないよ』
ありがとう、と思わず口にしかけ、慌てて口元を塞ぐ。
(ばば様、……ばば様)
不思議そうに首を傾げる女の人の視線から逃げるように俯いた。
(せっかく優しくしてもらったのに………)
あたしはお礼も言っちゃ駄目なのかな。
娘は黙ったまま、そんな小鳥のことをじっと見ている。
『―――― 気味の悪い子供だ』
何も喋らない小鳥のことを、このひとも気味が悪いと思うだろうか。
そう考えると、堪らなく悲しい。
止まっていた涙が、またじわりと浮かぶ。
ぽろぽろと零れる涙をそのままに、どれくらい経っただろう。
ふわり、と空気が動いた。
甘い香りと一緒に、頬に柔らかい感触が届く。
「ほら、もう泣かないのよ。綺麗な目が兎さんみたいになっちゃってるわ」
木綿のハンカチで小鳥の頬や目元を拭ってくれながら、娘は苦笑した。
その表情は、小鳥を気味悪がっているものではなくて、むしろ、ばば様が向けて来るようなものに近くて。
「あら?」
ふと、娘の手が止まり、小鳥の左耳の上――― 小精霊から貰ったあの花に翳された。
白い雪色の花弁は、手折られて少し時間が経っているにもかかわらず、瑞々しく咲いている。
くしゃくしゃになり易い小鳥の髪を指で整え、花の位置を直してくれた娘は、
「とても可愛いお花ね」
そう言って微笑った。
笑んだ瞳は太陽の光を含んだ甘やかな色をしていて。
(…… 幸せな色)
幼すぎて、まだ物を知らない小鳥が思い付いた、そのひとの色を例えるのに一番近かったものは、初めて作ったお菓子―――― 甘い甘い、蜜飴だった。