2 草餅
朝採ってきたばかりのヨモギを冷たい井戸水で良く洗い、湯で茹で上げたのち水にさらした。
瑞々しい若葉に散った水滴が、朝日を受けてキラキラしている。とても綺麗。
よく水気を絞ってから、細かく丁寧に刻む。刻んだ後にもよく水切りをするのが美味しくするコツだ。
いそいそと食料棚を開け、ここ数カ月毎日使っていた粉を袋ごと取り出す。
「もう〈式〉を作る必要ないもんね」
召喚の際、主原料に使っていた粉。今日は本来の使い方で使い切ってしまおう。
粉と水、熱湯を少し加えながらよく混ぜ捏ね餅にする。最期に砂糖を入れ終えた頃に、丁度蒸し器が温まったので小さく千切って並べた。
小鳥は、お菓子を作るのが好きだ。
作り方はばば様が教えてくれた。ばば様もお菓子が大好きだから。
「あのコも、好きだといいなぁ」
色むらなく綺麗に草色に染まった餅の形を整えながら思う。
食べてくれるかな? 食べてくれたら、嬉しいな。
格子窓の向こうを見上げれば、あの精霊の子の髪色に似た青空が広がっていた。
木々の新緑が、暖かな日差しを受けて歓びの歌を歌っている。
「うんっ」
―――― この調子ならば、きっと。
「今日も、いい天気が続きますように」
* * * * * * *
〈聖眼持ち〉は、神世と現世の調停者として生を受けると云われる。
人の世ではそんな知識は等に忘れられているようだが、精霊たちの間では、聖眼持ちに出会うことがあれば尊ぶべしとされている。
少年自身も、姉からそう教わった。
―――― が、!
「この緊急事態に3日も足止めするとは、一体どういう了見だ!」
「だってー、まだ〈時期〉が来ないんだもーん」
目の前で暢気に、食べる?、と菓子を差し出す小娘。思わず口の端がヒクつく。
「お前なんか尊べるかっ」
「えー? 草餅いらないの?」
「――― もらうっ」
包みから引っ手繰るように餅を取り、苛立ち紛れに噛みついた。
この季節にしか作られないというこの食べ物は、爽やかな香がしてなかなか美味い。人間もやるではないかと感心した。だが、先日の式の触り心地と同じだということだけが、少し微妙だ。
いま彼らがいる草原は、広く見晴らしが良い場所だった。
ここ数日、常にここで顔を合わせている。
近くに河が流れており、対岸から渡って来た風が勢いよく吹き抜けるため、空気が清々しい。
下位の小精霊たちが風に乗って勢いよく駆けて行くのを感じながら、少年は大きく呼吸した。
今日は昨日よりも少し風が強い。
春が近いせいだ。
「青風、最期の一ついる?」
「貰ってやらなくもない」
小鳥――― そう名乗った幼子は、にこにこと笑みながら菓子へと手を伸ばす彼を見ている。
こんな風の中にずっといるせいだろう。落ち合った時には丁寧に結われていたはずの彼女の髪も、今は風で遊ばれてぐしゃぐしゃになっていた。
もっともこいつの場合、会う度にこうだともいえるのだが。
ガキでも一応、女だろうに。ちゃんと綺麗なままでいる時はあるのかと思う。
自分と会う時は常にゴキゲン状態な童女。思えば、あの悪夢の初対面からこっち、笑顔以外の表情をあまり見たことがないような気もする。
一体、なにがそんなに嬉しいのか。
人間とこんなにも関わったことがない精霊の少年には、皆目分からなかった。
「このお餅ね、あたしの十八番なの。ばば様直伝なんだよー。美味しいでしょ?」
「悪くない」
「4つも食べたのに何言ってるのー。素直じゃないなぁ、青風は」
…… ちょっと待て。
さっきからすごく気になっていたのだが。
「なぜ、さっきから私のことを〈青風〉と呼ぶんだ?」
嫌な予想。
それを裏切ることなく小鳥は、ぱぁっと笑顔を輝かせた。
「あなた、風の眷族って言ってたから。そんでもって、髪が青いから〈青い風〉でセイフウ! どぉ?」
どうもこうもない。
ドングリ眼なだけじゃなくて、頭の中もドングリが詰まっているのか、コイツは。
「や、やっぱりそうだったんだな?! ふざけるなよっ、もっと捻って付け直せ――――ッ!」
苦情を申し立てると、相手はムっと頬を膨らませた。
「なによー。だったら本当の名前、教えてくれればいいじゃなーい」
「絶対イヤだね。お前、間違いなく悪用するだろ」
間髪入れず、きっぱりと言い切ってやった。
この3日間で、この小娘がどういう奴なのかは大体把握できているのだ。
「もー、照れ屋さんだなぁ青風は」
「どこをどう取ればそう解釈できるのか説明してみろっ」
「素敵な音の名前だし、我ながらいい渾名だと思うんだけどなぁ。あなたの青い髪、すごく綺麗だし」
「は、何言って」
「晴れ渡った青空みたいな、深くて透き通った見たこともないくらい綺麗な青色なんだもん。こんなに綺麗なんだから、名前にしないなんて絶対もったいないよ」
恥じらいもなくはっきりと言われ、青風は思わず押し黙った。
幼い子供が口にしたことだと分かっていても、こうも面と向かって「綺麗」だと伝えられるとどうにも気恥ずかしい。
そんな青風の繊細な心の機微など何処吹く風で、当の小鳥は何を思ったのか懐から朱色の櫛を取り出し、徐に彼の長い髪を梳き始めた。
「わぁ、すごくサラサラ!」
「おま、何して」
「いいなあ、あたしの髪もこんなだったら良かったのに。あたしも、大人になったら青風みたいな髪になるかな。ちょっとでも」
「…… 少しはこっちの話を聞けよ、まったく」
我が道をとことんいく娘だ。彼女の話に頻繁に出て来る”ばば様”とやらは、一体どんな教育をしているのだか。一度問い詰めたくなる。
それでも、羨ましいを連発しながら髪を梳く彼女を止めなかったのは、ちょっと櫛削られるのが気持ち良かったからというのは、高位精霊の恥となるため秘密だ。
「ねえ、青風。三つ編みにしてもいい? 先を飾紐で留めたら、きっと可愛いと思うの」
「いいと言うと思ったか」
「けちー」
「…… 大体、私はまだ青風と呼んでいいと了承していなからな。容姿のことばかり気にしているような名を名乗ってどうする」
「そのひとの素敵なところがわかりやすくていいじゃなーい」
肩越し睨むと、小鳥はわかってないなあとばかりに、ぽよりとした眉毛をハの字にして口を尖らせていた。だが、すぐに視線を軽く俯けると、小さく微笑う。
「それにね、」
それまでの幼い遣り取りが嘘かのような、静かな笑み。らしくもないそれを目にした青風が鼓動を一つ跳ねさせている間に、童女は続ける。
「名前を教えたとき、いつも誰かが”素敵だね”って言ってくれたら、きっとね、すごく嬉しいと思うよ」
ふんわりとした笑みを象った、新緑色の大きな瞳。
覗きこめば、いま目の前にいる自分が映り込んではいる。けれど、実際に小鳥が瞳の奥に見ているのは、今ここにはない他のものなのだろう。
…… そう、例えば過去にこの小娘に「素敵だ」と言った相手だとか。
そう思うと、靄とした気分になった。
「ふんっ、なんだかんだと生意気な。どんぐり小娘のくせに」
胡坐を組み直し、前へと頭を向ける。急に顔の向きを変えたので、髪が引っ張られて少し痛かったたが、これは高位精霊としてだけでなく男子としても恥となるため絶対に秘密だ。
「なによー、青風だって子供じゃない」
「五月蠅いわっ。…… ったく、ほんとにお前は。名前の通り、小鳥みたいにお喋りなヤツだな」
大きく吐息を吐きながらそう言い返してやった途端、それまでせっせと彼の髪を梳いていた手がぴたりと仕事を止めた。
少し待っても動く様子がないため不審に思い、再びそろりと振り返る。
その途端、これ以上になく真っ赤に顔を染めた彼女が目に入り、ぎょっとした。
「ど、どした急に黙って。おま、顔赤いぞ?!」
大きな眼をさらに大きくして、ぽかんと唇を開いた小鳥は丸い頬を熟れた林檎のように染め、青風を凝視している。
「ど、どうした!? の子が罹るというあれか? 風邪とかいうやつか?」
わたわたと自分を心配し始めた青風を見て我に返ったのか、小鳥はポカンとした表情を急にふにゃりと笑み崩し、紅葉のような手を染まったままの頬に押し当てた。
「なんでもないよ―――ただ、ね」
どうにも締まりのない顔と声で、えへへーと笑う。
その熱くなった頬に、ぽろっと、雫が零れた。
「ただ、ちょっと…… すっごく、うれしかっただけ」
* * * * * * *
――― 小鳥みたいにお喋り
青風は、褒め言葉のつもりで言ったんじゃないって、ちゃんと分かってるよ。
喜んでるあたしをみて、「変なヤツ」って呆れてたし。
でも、うれしかったんだもん。
すごく、すごくうれしかった。
その言葉を何気なしに言って貰えることが、あたしにとってどんなに嬉しいことだったかなんて、きっと、青風には分からないだろうな。
きっと、分からないんだろうな。