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花おくり





 ―――― あのひとに届くなら ――――


 ―――― もしも、あのひとに届けることが出来るなら …… ―――――






 目を閉じて。

 呼吸を止める。

 印を組んだ指先に、ゆっくりと力が集まるのを感じる。


『―――― いいかい? 呪力はできるだけ濃く細く練るんだ。網を張るような感覚でね』


(はい、ばば様)


 教えの通り、集まりくる力を繰る。

 粗くならないように、丁寧に。


 そうして待ち続けて、ずいぶん時間が経った頃。

 少し離れた場所に設置した陣の、真上。

あらゆる(、、、、)他者の目には映らないそれの表面が、近付く“何か”に微かな反応を伝えてきた瞬間、背筋にぴりりとした感覚が走った。


(きた)


 待ち望んでいたものが、ついにやって来た。

 全身が歓喜に沸き立つ。


(焦らない、もう少し待って…… 焦らないで)


 もう、数カ月も待ち続けていたこの機会を、逃すわけにはいかない。

 まだ肌寒い季節にも関わらず、こめかみを伝いゆく汗。それをそのままに、少女は乾いた唇を舌で湿らせる。

 もう少し、もう少し。


 ふわり、と波打つように陣の上で砂風が舞う。


 無意識に、目を見開いた。

(――― いまだ!)

 印を組んだ手で空を切り、腕を真っ直ぐ陣へと突き出した。


「縛ッ!」


 腹の底から放った声とともに、溜めに溜めた力が身体から抜け、轟音を伴った疾風とともに目標物へと翔ぶ。


「ッわあああっ!」


 辺りに響き渡った憐れな悲鳴と、何かが盛大に地面に落ちる音。

 そして、先ほどまで何もなかったはずの陣の上に転がる人の姿が、少女の淡い若草色の瞳にはっきりと映る。


 そう、獣の姿ではない。

 まごうことなく、〈人〉の姿が。


「やったぁっ」

 己の術の成功を知った彼女は歓声を上げ、身を隠していた茂みから勢い良く立ち上がった。




 * * * * *



 その時、少年はとても急いでいた。


 主の命を受けこなしてきた使い事。簡単な任だったというのに、相手先でしつこく引き止められたため、少しばかり帰還が遅れてしまったのだ。

「くそっ」

 苛立ち紛れに〈呪〉を爪先に込め、空を蹴る。

 人ならざる身――― 風の精霊たる彼は、その属性たる疾風よりも素速く木々の間を駆け抜けていた。


「時間喰って引き離されると追いつくのがキツくなるからって、あれほど言ったのに!」


 何とか主の側室に自分の娘を、と。

 ニヤけた表情で、無理やり賄賂を押し付けてこようとするジジイども。その魔の手から逃れるのに、無駄な時間と労力を費やした。堪ったものではない。

「大体、そんな風に財を投げ打っても全く意味はなかろうに!」と、何度怒鳴りそうになったことか。


 主はつい最近、積年の想いを漸く叶えて嫁取りをしたばかりなのだ。


 通いに通い詰め、ようよう手に入れた大切な伴侶。

 その溺愛振りは、他種族よりも情が深いと云われる神族や精霊族でも他に例を見ぬほどで、まだ時を共にし始めて短いというのに、すでに相手と周囲をすっかり弱らせているという話だ。


 少年の主は、凍てつくような冷徹さで知られる〈白の君〉。


 彼の御方は、常に旅をしている。

 全ての季節を通じて、一定の期間以上、一処に場所に留まることはない。

 主がその身を飾るのは、最高神から与えられた主にのみ許された禁色である〈真白〉。そして、それに準ずる色に染められた雅衣を身に纏う大勢の供。

 舞い散る淡やかな六花を前触れに進む長い行列の一行は、清冽にて壮麗。その言に尽きる。


 ――― そう。

 主は、〈冬〉を司る神である。


 そんな主の蜜月時期に、側室の話などすればどうなるか…… 怖ろしくて考えたくもない。

 己の欲を掻いてばかりで、目の前の事実を見据えることすら出来ない愚かな連中。

 奴らのために、今自分がこんな苦労を強いられていると考えると。ああ、もう。舌打ちが止まらない。

 早く、一刻も早く。

 一行に追い付かなければ、と気ばかりが焦る。

 …… そんな風に、冷静さを欠いていたせいだろうか。


「縛ッ!」


 ガキ丸出しの幼い声が放った、未熟極まりない呪縛術に囚われてしまったのは。






「やったー! ついに親切な高位精霊が、あたしのために足を止めてくれたのねっ!」


 甲高い奇声――― もとい歓声が耳に飛び込み、飛びかけていた意識がギリギリの淵で留まった。

 地面に落ちた衝撃で両目を開けられないまま膝をついて立ち上がろうとしたが、その瞬間、全身がきつく締めつけられ叶わない。


 何かが、何か呪を帯びたモノが身体を覆わんばかりに巻き付いている。


 得体の知れないものにゾッとした。

 慌てて己を縛めるソレのうちの一つを気配だけで手に捕えながら、精霊の少年は必死で目を開いた。

「な、何だ? これはっ」

 それは、なんとも形容しがたい物体だった。目で見ても得体が知れないとはどういうことだ。

 まず、白くて丸さが目立つ形。その中央には間抜けな落書きのような顔が付いており、

「ウニョラー」と奇怪な鳴き声を上げている。ご丁寧に短い手のようなものまで生えていて、ピコピコと素早く動く様が不気味だ。

 握った身体はもっちりとして弾力がある。この感触はあれだ、前に姉上から貰った“白玉団子”という人間が好んで食す食べ物に似ている。ちょっと触り心地が良いかもしれないと思ってしまい、そんな自分にイラっとした。

 今手に握っている一体だけでなく、彼の周りを取り囲むようにそれらはウニョウニョと浮いている。丸い身体の下半分より先が長く伸びており、帯のように少年の身体を巻いていた。


 そして何より、自分が横たわっている地面には、複雑な紋様を組み込んで描かれている〈陣〉。


「これは……」

 もしかして、と考えたところで、

「それ、あたしの〈式〉だよ。かわいいでしょ?」

 少年の気分とは対極的なまでに陽気な声が、すぐ傍で自慢気にそう告げた。

 声の近さに驚き、はっと視線を上げる。


 そこに在ったのは、腰を落し、こちらを覗き込む小柄な童女の姿だった。


 人間の歳はよく分からないが、神の子である範疇を漸く抜けたあたりだろうか。精霊として成体には至っていない今の自分の見目より、ほんの少し下辺りの(なり)だと思う。

 幼い人間特有のふくふくした丸い顔に、血色のよい頬。結った亜麻色の髪は細くて柔らかそうだが、今は身に付けている着物同様、森の木の葉に塗れてぐしゃぐしゃだった。…… 何だって、頭に木の枝を巻き付けているんだろう?

 少女はにこにこと笑いながら、ぺこりと頭を下げ、礼を述べた。


「精霊さん。この度はあたしのために足を止めてくれてありがとうございます」

「…… 止めて(、、、)?」


 ヒトをいきなり術で縛め地面に叩きつけておいて、何をほざくか。

 というかこの子供、先ほど「わたしの〈式〉」と言っただろうか。こんな子供が、一人前ではないとはいえ、れっきとした高位精霊たる少年を捕えるほどの術を放ったとは俄かに信じ難い。


 でも、そんな疑問は一瞬で吹き飛んだ。

 少年をもっと引き付けるものを、彼女が持っていることに気付いたからだ。


 それは、瞳。


 初春の若草を思わせる色をした大きな目。少年に真っ直ぐ向けられたそれは、はっきりと彼の姿を映し込んでいたのだ。


「あのね、精霊さん。あたし、」

「ちょ、ちょっと待て! もしかしなくても…… お前、私の姿が見えるのか?」

「うんっ。バーッチリ!」

 彼の問いに、少女は満面の笑みとともに肯定を返した。それが、どんな奇跡的なことなのかを自覚していないかのように。


「――― 〈聖眼持ち〉か 」


 常人の目には映らぬはずの存在、例えば少年ら精霊のような者たちの姿を見捉えるという、類稀な魔才の一つ。

 何らかの強力な魔才を持つ人間には、強い力が宿る例が多い。

 この子供がその〈聖眼持ち〉であるならば、自分を縛するほどの術をこの歳で扱えることにも納得できた。

 …… この呑気そうなドングリ眼が聖なるモノだと認めるのは、ひどく腹立たしいが。

 あと、未だウニョウニョと五月蠅いこのふざけた〈式〉にまんまと捕まっている自分が、ひどく憐れになってくる。


「ねえ、あたしの話、聞いてくれてる?」

 考えに気を取られている間、童女は何か彼に話しかけていたようだ。

 全く聞いていなかったことを彼の表情で察したのか、彼女は幼い口元を尖らせ、「もうっ」と大きく溜息を吐いた。

「あたし、あなたにお願いがあるんだけど」

「願い?」

 こんな仕打ちをした相手に願い事とは図々しい娘だ。

「でも、どうかなぁ……」

 首を傾げている少年を見据えつつ、童女は腕を組み、ぽよぽよとした眉を顰めた。

「…… 何だ?」

「見たところ、あなたまだチビッ子の精霊さんだもんね。このお願いを叶えて貰うのは、チビッ子には難しいかなぁ」

「お、お前にチビッ子呼ばわりされたくないわッッ」

 叫ぶように怒鳴った少年の肩に、〈式〉の一匹が宥めるように手を置いてきた。なんか腹が立ったので、むぎゅっと握り絞る。


 ――― この状況はよろしくない。


 少年は、これでも精霊族の中でも高貴なる身。

 他種族に舐められてなるものかと、何とか身体を起こして座り、童女を精一杯睥睨する。


「いいか小娘。ガキの分際で高位精霊たる私に命を下そうとは、甚だ ―――、」

「でも、大人の精霊は忙しいかもだから、子供のあなたでちょうどいいのかなぁ。ちょっとね、時間がかかっちゃうお願いなの。子供だったら暇だろうし、付き合って貰っても大丈夫だよね?」

「話聞けっ」

 怒りの声をいくらあげても、目の前の童女はへらへらと笑っているばかり。

 脱力したところで、先ほどとは別の〈式〉が今度は憐れむように頭を撫でてきたので、腹いせに他の〈式〉と瘤結びにしておいた。


 改めて、少女へと向き直る。

 鼻息の荒さから見るにつけ、願いとやらを聞き届けると約束するまで、どうやら術を解く気はなさそうだ。

 それもそのはず。

 聖眼の持ち主とはいえ、高位の精霊をこうして捕えるまで、きっと大分失敗を重ねたのだろう。術の失敗による〈返し〉を受けて付いた傷が所々残る手や頬をみれば、それは容易に察せられた。

 やっと捕まえた獲物(じぶん)を逃す気はないはずだ。また、常であればその努力に報いてやる気がしないでもない。

 だが、と嘆息したのち、少年は彼女に告げた。

「今は、暇などない」

 時が、今は悪過ぎるのだ。

「もうすぐ、私の主――― 冬の若君が華燭の典を迎えられる」


 嫁取りをした神々は、最高神の宮に赴き、御前で報告と披露目の典を上げるのが古来よりの仕来り。

 主の、一世一代の大行事。神の眷族たちは祝いの場をより完璧なものへとすべく、ここぞとばかりに尽力するのだ。

 少年もいち早く駆けつけ、それに手を貸さなければならない。

「だから、私は急いでいるんだ。さっさとこのニョロニョロした式を外、」

「ねえ!」

 大人しく説明を聞いると思っていた童女に突然手を握られ、少年はぎょっとしつつ身を引きかけた。

「お願い!」

 それを追いかけるように身を乗り出し、彼女は願う。

「お願いだから、もう少しだけここに残っていて欲しいの!」


 あなたにしか、きっと頼めない、と。


 そう言った童女の瞳に映り込む自分の姿。

 その影が頷いたことで、少年は自分が無意識に了承してしまったことを知った。



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