8 立ち待ち
―――気味が悪い子だ。
そう言われる度、影で幾度泣いただろう。
杜の入り口にある、苔むした石段。そこに蹲って、幼い小鳥はいつも独り泣いていた。心配する小精霊たちが、しきりに彼女の周りを飛び交う。
幾人かが、小さな白い花を、小鳥の上に振り掛けた。手に取って見れば、それは傍の泉の縁に立つ、この杜に一本しかない木の花。
毎年、椿に贈る花で、青風に会えると知らせてくれる花で…… 小鳥が大好きな花だ。
周りに浮かぶ、小精霊たちを見上げる。この花は、言葉を持たない彼らの心からの慰め。
花を見ていると、ちょっと意地悪な青風の顔が浮かんだ。
青風の前では一度しか泣いたことがないから、彼はきっと、小鳥がこんなに泣き虫なのだと知らない。涙を見せたら、きっとあの子は大慌てで慰め始めるだろう。とっても下手くそに。
それを考えると、胸の中がほっこりとしてきた。
小さな手毬のように花をつけた花を一つ、二つ。
琥珀の髪に挿し、泣き顔のまま少し笑って見せると、小さな精霊たちは幼い童の頬や肩に擦り寄って来た。
そろそろ、宮に帰ろう。ばば様が待ってる。
たった一人きりの身内であるばば様は、小鳥の帰りが少し遅くなっただけで酷く心配する人だった。
親族たちが眠る御墓の前で、優しい思い出を楽しそうに語りながら、いつも涙を零すばば様。
小鳥は瞳だけでなく、泣き虫なところもばば様から譲り受けてしまったのだ、きっと。
目元をぐっと袖で拭い、立ち上がる。
大きく深呼吸したあと、笑顔を作る練習をして、背後の石段を登り始める。
大好きなばば様。
ばば様に心配をかけちゃ駄目。
ばば様に淋しい思いをさせるのは、嫌。
だから、わたしは絶対に、あなたを独りにはしないから。
+ + + + +
暗い部屋の中、冷たい畳に身を横たえていた小鳥は、薄らと瞼を上げた。
夕べから、しとしとと降り続けている雨の音。その中に先ほどまで感じていた、彼の気配が遠ざかり、消えた。
しばらくして、部屋の襖が開かれる。
「また、鳥居の前に同じ精霊が来てたみたいね。もう三日じゃないか。お前に用があるんじゃないのかい? 」
「………」
ばば様の言葉に何も返さず、小鳥はただ瞼を伏せる。
ここ数日、小鳥と同様に元気が無かったばば様も、自分より様子がおかしい孫娘が気にかかるのだろう。
彼女は部屋に入り、締め切ったままでいた窓を開けた。
雨の匂いとともに、夕暮れの気配が部屋に薫る。
「何があったのか知らないが、あの白い花を毎年運んでくれるって言ってた精霊だろう。会わなくていいの? 本当にこの宮を継ぐ気なのなら、もう、当分顔を見れなくなってしまうんだよ?」
――― 会えなくなる。
わかっていること。自分で選んだこと。
小鳥は、ばば様の顔を見上げた。
誰より小鳥を愛しみ、護ってきてくれたひと。今は亡き夫と過ごしたこの土地で生きることを望み、彼女は長く巫女の任を果たしてきた。
人間は、自分と異なるものに嫌悪を抱き排斥しようとする。自らを害する力を持つ者に対して、それはより顕著になる。
異能を持つ者が、一処で生き続けようとするならば方法は限られる。
小鳥の祖先が選んだ方法。それは、宮の巫覡として村里を守護する路。宮の存在は、本来の意味とはまた別に、小鳥たちを護る結界そのものだった。
聖眼を有するばば様は、その異能ゆえ、宮の外に生き場がない。そして、それは同等の力を引き継いだ小鳥とて同じこと。
ばば様とこの地で生きるためには、小鳥が巫女の座を受け継ぐこと以外、選択肢はなかった。
大好きな祖母を、独り置いては渡れない。
椿のように、渡ることは許されない。
……時どき、考える。
自分がこんなにも椿に憧れ続けているのは、彼女の選び取ったものが羨ましくて仕方ないからかもしなれいと。
「そういえば、明日の朝かもしれないね」
窓枠に身を預け、外を眺めながら祖母が呟く。何が、と視線で問う孫娘に、彼女は少し呆れた顔で微笑った。
「あの木だよ。おそらくは明日あたりに咲くだろうね」
「明日?」
小鳥にとって、最後の花。
青風に会う、最後の機会。
大きく音を立て始める小鳥の心臓とは裏腹に、天を見上げる祖母の顔は、だんだん曇っていく。
「……でも、どうだろう。今年の花は駄目かもしれない」
「どうして!?」
祖母の言葉に、小鳥は思わず半身を起こした。
「この雨だからね。少し長雨になりそうだし。この分じゃ、せっかく蕾を付けた花が、みんな落ちてしまうよ」
「………」
花が、無くなってしまう。
彼に預けるための、花が。
そう思ったとき、不意に胸に浮かぶ。
――― わたしは嘆いている。
――― でも、何に?
ただ単純に、花が駄目になることを?
それとも、青風に会う口実が、無くなってしまうことを?
(―――イヤだ)
握り込まれた指先が、がりと音を立てて畳を傷付ける。
もう、会えない。そのことは理解しているつもりでいた。だけど、本当に実感はしていなかった。
今まさに、その別れに直面し、小鳥は初めて会えなくなること――― それがどんなものなのかを知った。
(こんなのは、嫌だ)
突き上げる、呼吸が上手く出来ないほどの焦りに似た感情に眩暈がした。
…… 無意識に、立ち上がる。
「小鳥!? 」
急に部屋を飛び出した孫娘に驚くばば様の声を背に、小鳥は部屋を飛び出した。
渡り廊下から直接、履物も履かずに夕闇の庭へ降り、鳥居の石段に向けて脇目も振らず駆け抜ける。
「…… ちょっと、お待ち!」
孫娘の姿を見失った女は、次いで境内から出て行こうとしていた双子の神子たちを呼び止めた。
「貴方たち、あの子に何があったか知っているのでしょう?」
数日間、ずっと別の部屋で小鳥の様子を窺っていた紫芳と綺姫は、森色の双眸に射竦められ、びくりと小さくなる。
それを見下ろしながら、常に解いたままでいる長く艶やかな琥珀の髪を肩から払い、小鳥の高祖母――― 謡唯は、腰に両手を当て問い詰めた。
「さあ、教えなさい。――― あの子に何があったの。なぜ、あんなにも落ち込んでいるの? 」




