一
僕は勇者になりたかった。だって勇者はいつだって誰かの憧れで、それはつまり「超えた」者ってわけだ。でも僕はいつだって超えずに避けてきた。人が打ち破り、壊し抜けてきたはずのそれを僕は壁伝いに歩いてきた。きっとその先にあるところが地獄なんだって、少し後に僕は知ることになる。
2016年、少年は高校生だった。年齢は十七、帰宅部で友達は数人。でも友達は部活で忙しく、何にもない少年はただ一人寂しく帰路を歩く日々を送っていた。
部活はどうする?「あんまり面白いのないからやめとくよ」塾に通った方がいいんじゃない?「そんなに危うい成績じゃないよ」そうやって壁を見るたびに手で覆って隠してきた。まだか?まだ壁は続いているか?手の感触を頼りに、明らかに友達が向かう先とは違う方向を歩んできた。壁を壊したことのない人の末路ってなんだろう?ぶつからない道もあるんじゃない?そうして生まれたのは壁の大きさを知らない男だった。
「何にだってなれる!」
むなしい限りだ。
ある日、少年は親戚一同の集まりに参加させられていた。おじさんばかりで、加齢臭やら酒くささやらがいりまじって子供にしてみれば何のうれしさもない飲み会が行われていた。
「おう!アキラ、お前今高二だったか?何してんだ?専門系だったか?」おじさんがアキラに声をかけた。
「・・」
「それは山下さん家の次男坊のことだよみっちゃん」おじさんの隣にいた別のおじさんがグイと肩をひきよせてアキラから放そうとしてくれた。
「ありぃ?そうだったか?じゃあアキラは何してんだっけ?」
「・・特に何も・・」
それを少し離れていたところから見ていた少女がアキラをにらんだ。
「ちょっとはずすね」少女は母にそう言って席を立ち、ベランダへと向かった。アキラはその姿を少し目で追った。
「セラちゃん今年で二十だったかしら?受験大変そうよね・・・うちの子も心配で心配で・・」どうにも親戚同士というのは鈍感というか無頓着というか、そういった鈍い人になりがちである。
「あの子が決めたことだし、私には分からない世界だから気安くアドバイスも出来くて・・」
そんな話に耳を傾けながらアキラは隣のおじさんの話を聞き流していた。
(僕とは違うぶつかり方だ)
手に取った水をやけ酒のようにゴクリと流し込むと、わけの分からない感覚に陥った。顔が熱くなり、それに付随するように頭がぼーっとする。朦朧とする意識の中でもすぐに分かった、これはとなりのおじさんの酒であると。アキラはゆっくり立ち上がり、セラがいることも忘れてベランダの方へと向かった。
「あり?俺の酒は?」
ベランダに出る。そこには柵にもたれかかり、タバコを吸っているセラの姿があった。すぐに去ると思ったのかセラはちらりとこちらを見た後、また外の景色に目を向けた。アキラもまた、戸を開けたまま廊下へと戻った。しかしアキラはすぐに帰ってくると折りたたみ椅子をベランダに置いた。そしておじさんのようなため息とつきながら座った。
セラはこちらに向き直り、そしてまた柵にもたれかかった。怪訝そうな面持ちでアキラを見る。
「まぁまぁいいじゃないですか」
セラは一言でこの少年が酔っているのだと分かった。おじさんに飲まされたのか間違えて飲んでしまったのかは分からないが、とにかく酔ってしまったので覚ましにベランダへ来たのだと。セラは謎が解けたのでまた景色の方へと向いた。
「ここからの景色良いですよねぇ」
(なんだこいつ)
「そうね」
「僕はずっとこの景色が見られるだけでいいんですよ、本当にそれだけ」
「アキラくんは地元の大学に進学したいと思ってるの?」この時期になるとすぐにこういう話に持って言ってしまう。自分が一番されたくない話題のクセに。
「そうなんですかねぇ」セラは眉をひそめた。「でもやっぱり勇者ですかねぇ」
「ゲーム製作の話?それともアニメ?もしかして、企業家にでもなりたいの・・?」
「違いますよー。こう、異世界に行って敵をばっさばっさと・・・」
振り返るとアキラはすやすやと寝ていた。セラは少し頭をかいた。
(アホらし・・)
吸殻を携帯灰皿の中に入れた。セラはアキラをおぶって廊下に出たが、アキラの部屋が分からないことに気がついた。しかたなく一つ一つを周った。
部屋には男の子らしい趣味が雑に広げられており、一目でわかった。セラはアキラをベッドに下ろした。まるで久しぶりに何にも邪魔されることなく眠れたかのような幸せそうな表情をしている。
セラはアキラの頭を撫でた。「お前はちゃんと壁越えな」