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あなただけを見つめています

作者: 文房 群
掲載日:2016/05/08

 あなたがいたからここまで歩いてこれました。

 あなたが笑ってくれるから、どんな事にも立ち向かってこれました。


 だけど、いつも光輝いているあなたが傷付き、哀しむようなことが有るならば――――






         ×





 身分違いの恋だとは知っていた。

 抱いてはいけない想いだとは、理解していた。

 それでも彼女は、焦がれるような想いから目を背ける事は出来なかった。



 召使いと、若き領主。

 両親を事故で亡くし、片腕を無くしたルソレイユを、得意先の商人だったからという理由で屋敷に迎え入れた彼は、領主になったばかりだった。

 陰謀と策略。泥のような悪意が渦巻く政界で、自分の身を守る事で精一杯であるにも関わらず、欠陥品と成り果てた自分が生きるために困らないように尽くしてくれた。

 思えばその時から、彼女は彼の事が好きだったのだろう。


 罠に嵌められ、領主の地位を剥奪されそうになった時も。

 信じていた者に裏切られ生死を彷徨う事になった時も。

 彼はいつも笑って、立ち向かう事をやめなかった。

 領民のために尽くし、国の為に知恵を絞り、人に慈愛を振りまき。

 その功績が認められ、“日輪の公爵”の名を王から授かった時も。

 彼は――――光り輝いていた。



 その輝きがくすむ時もあった。

 このまま進んでいいのか。間違っていないのか。

 立ち止まり足元をじっと見つめ、悩み、苦悩する時もあった。

 しかし、気づけば彼は答えを見つけて歩き出していた。

 前を見据え、確かな足取りで、一歩ずつ。

 そうして彼が歩んできた道は、栄光に続いているかのように、輝いていて――――



「…………私は」



 そんな、時に俯きながらも、最後には笑って未来へ進む。

 召使いの彼女は、太陽のような彼を、いつからか。



 愛していたのだ。





         ×





 ――――戦火が眼前にて燃え盛る。

 若き領主が愛していた平穏を喰らう侵略という化け物は、無慈悲に彼の愛する街を蹂躙する。


 領主が遠方へ交易しに行く時期を狙い、攻めていたのだろう。

 古き文明の遺跡を開拓し出来た街。

 神秘に満ちたその土地を守護せよ王から仰せつかった、二十歳に満たぬ領主の召使い――――ルソレイユはこちらを鎮圧しようと剣を振るう兵士を斬り捨てながら、現状を分析する。


 国の都市部に存在する学園にて共に勉学に励み、競い合いながら剣の腕を磨いてきた友人達。

 入学してからというもの数々の苦難を乗り越えてきた彼らを接待したいという、幼い頃から仕えてきた領主の希望により、歴史の息づく街。

 ルソレイユの故郷に、招待された友人達と共に帰ってきたのだ。

 連休を利用した今回は、ルソレイユにとっては帰郷、友人達にとってはバカンスだ。

 歴史的建造物の多いルソレイユの故郷で、学校生活での疲れを癒しながら、これまで数々の逆境を跳ね除けてきた異世界からの迷子――――アキラが元の世界に帰る手掛かりがないか。

 その調査を予定し、十年以上前世話になっている屋敷に帰ってきたルソレイユと友人達を迎えたのは。



 永久に結ばれた協定を破り攻め込んだきた隣国、ブルンネル戦国からの侵略という戦火だった。



 百年前に抱えていた食糧難という問題を貿易で解決する代わりに、国に攻めいらないことを誓った隣地のブルンネル戦国は、もう一つの名を『終わらぬ剣戟の国』という。

 長きに渡り武力のみで大国にまでのし上がってきたブルンネル戦国は、脅威的なまでの兵力を揃えた武装国家で、領土拡大のために侵略された小国は数多く存在する。

 貿易のみで生計を立てていたこの国、ファーター東国がもしブルンネル戦国に攻めいられたなら、一年も持たずに陥落するだろう。

 しかし当時、侵略ため繰り返し戦争をし疲弊していたブルンネル戦国は、国政が安定せず火の車となっていた。

 そんなブルンネル戦国に食糧を提供することで戦争を免れようと考えた当時の王により、現在に至るまで衝突する事なく、友好な関係を結んできた。

 そのはず、であった。



「なら、何で今ブルンネル戦国がこの街に攻めてきてるんだよ!?」



 護身の為と長年握ってきた愛剣を振るうルソレイユの左方。

 防衛の為即座に組まれた陣形の中央で、先陣を切る面々の中心人物である異世界からの迷子アキラは、槍を手に突撃してきた小隊を捌きながら声を張る。

 一線を描いて突き出された槍。

 その切っ先を長剣の側面で滑らせるように逸らしながら懐に潜り込み、右肩から斬り伏せる彼を横目に、防衛陣の右翼を担うルソレイユは仲間の放つ矢の雨に身を隠す。



「協定を破った理由は分かりません。けど、この街を狙う理由は目星がついています」

「……遺跡か!」

「はい。そして、領主様の所持する心装兵器(ミラーケ・クォーツ)かと思われます」



 二百に満つか満たぬかの兵しかいないこの街の守りに対し、軍勢で攻め込んでくるブルンネル戦国兵。

 彼らが求めるのは山脈に囲まれたこの国に数多く存在すると言われている、四千年前に滅んだ文明の遺品――――心装兵器(ミラーケ・クォーツ)だろう。


 心装兵器(ミラーケ・クォーツ)

 その形状は剣、槍、斧、弓、杖といった武器から、水晶、首飾り、指輪、枷といった装飾品にまで多種多様だ。

 これら亡き文明の遺品には濁った水晶がどこかに埋められているのが特徴であり、半透明な石は持ち主の本質を映す。

 持ち主の心が水晶に映りきったその時、心装兵器はその持ち主以外に触れられる事を嫌い、一騎当千の能力を解放すると伝えられている。

 原理や製造法、その全てが不明である――――神秘の兵器。


 元々黒い噂の絶えなかった隣国が心装兵器を集めているという噂は、数年前からあった。

 しかしブルンネル戦国のそういった噂は協定を結ぶ前から無数に存在し、そういう噂の絶えない国であることは最早常識であった。

 それに協定を破ればこの国、ファーター東国の数ある同盟国がブルンネル戦国の暴挙を許さないだろう。同盟国の中にはブルンネル戦国が贔屓にしていた貿易国もあったはずだ。

 協定を破棄したところで、ブルンネル戦国が得る利益は無いはず。自らの首を締めているだけだ。

 そういった前提があったからこそ、人々は安心していた。

 協定がある限り、隣国が攻めてくるわけがない――――と。



「まさか協定を破ってまで、この街に攻め込んで来るとは…………!」

「この様子だと、西側の街も敵さん達にやられちゃったみたいですぅ」



 右翼にて遠距離を担当する射手、フロクナートはルソレイユの取り零した兵の頸を寸分の狂いもなく一矢で仕留めながら「アリみたいに無限に湧いてきますねぇ」と呆れと焦燥の混じった溜め息を吐く。

 多勢に無勢。

 学生とはいえこれまで数々のトラブルや事件に巻き込まれて来たフロクナート達の経験は、今や国の都市部を守る兵士に引けを取らない。

 しかし、戦闘の経験が豊富である彼らといえども、今回の劣勢は絶望的状況であることは薄々気が付いていた。


 山を一つ越えなければならない場所にあるこの街に、侵略の知らせを受けた国軍の援軍が都市部から出発したとして、到着まで約二時間を要する。

 それまで街の住民が避難している領主の屋敷を守りながら、ブルンネル戦国の侵略に耐えられるか。

 その望みは――――薄い。


 何故なら。



「たかだか屋敷を一つ落とすのに、どれだけ時間をかけている」



 堅く、粛然と通る声が戦線に落とされた。

 その声は緊張感が張り詰められていた戦場に更なる緊張と、緊迫感を与える。


 前線から身を引いたブルンネル兵士達と入れ替わるように、統率の取れた人の波から防衛陣の前に現れたのは、これまでアキラ達が倒してきた兵士達とは異なる装備の者達。

 骨を咥えた細身の若い男と、顔に傷のある壮年の男。そして厚底のブーツを履いた妙齢の女だ。


 アキラ達は若い男と妙齢の女を率いる様に三歩先を歩く男の腰に提げられた剣を見て、戦慄する。

 片手で振るわれる事を前提に作られた短い柄と、真っ直ぐに伸びた両刃の境界にある葡萄色の水晶。

 深く芯のある輝きを放つそれは、アキラが構える両手剣と同じ。



「心装、兵器……!」

「ほう。心装兵器を持つ者がいたならば手間取るのも仕方が無い。こちらで対処しよう」



 一瞬見開かれた男の目はすぐに殺意を纏ったものになり、分厚い手甲に覆われた右手は佩いていた片手剣を引き抜く。

 イェユヌム。イレウム――――と。

 傍らに控える男女の名を唱えた傷の男――――バウヒンは、淡々と侵略軍に指示を下す。



「我々は心装兵器の回収に当たる。他の兵は引き続き屋敷の侵略に当たれ」

「うぃーっす。ならオレは真ん中の茶髪のガキを殺るぜ」

「何で心装兵器って心装兵器でしか壊せないのかしら…………あたしはあっちの女の子」

「壊すなイレウム。目的は回収だ。私は皇女の相手をしよう」

「! 来るぞ――――!」



 アキラの声に全員が武器を構えた。

 同時に背中に背負っていた長剣を抜き、飛び出したイェユヌムと呼ばれた青年が真っ先にアキラに斬りかかり、少し遅れて部隊の将軍バウヒンがアキラの仲間の一人――――王族の一人娘、ルーラへと足を運ぶ。


 小波のようにバウヒンの背後から押し寄せる兵士達。

 彼らを食い止めるのは、心装兵器を持たないアキラの仲間と地元の衛兵達。

 対してバウヒンという心装兵器を使う将軍と対峙するのは、杖の心装兵器を持つルーラと、彼女の付き人。



「姫様に手出しはさせん…………!」

「ほう。これは稀有な…………双剣の心装兵器か」



 野獣の牙を模した、二つで一つとされる桜色の双剣。

 ルーラの前に出た付き人オルタの心装兵器を見、感慨深く息を吐いたバウヒンは、己が心装兵器の片手剣を中段に構えると――――刹那。

 一つ、息を吐くと同時に踏み込み、薙ぐように両刃の剣を振るう。

 鞭のようにしなる剣が狙うのは、ただ一つ。

 目の前に立ち塞がる障害を一瞬で屠る、無防備な頸――――



「――――っ!」



 しかし、先手必勝と繰り出された斬撃を見切っていたオルタは、重ねるように交差させた双剣で片手剣の一刀を防ぐ。

 軌道は見切っていた。だが流石将軍といったところか。

 師範から受ける手加減込みの稽古より遥かに速く、手が痺れるほど思い衝撃を伴う一撃にバウヒンの力量を即座に感じ取ったオルタは絶望的な未来を想像し、直ぐに振り払うように意識を目の前の敵へ注ぐ。

 力の差は分かっている。

 それでも、引けない戦いというものがオルタにはあった。



「そぉらそらそらそらそらァ! おせぇぞガキィ!」

「ぐ、っ…………!」



 全長二メートルはあるだろうと思われる長剣。

 リーチの長い武器はその長さが長いほど振り回す際の隙が大きくなるのだが、イェユヌムの剣捌きにはその隙すらない。

 薙ぐ、と見せかけた回転斬りからの連続突き。

 斬り上げるかと思いきや繰り出される袈裟斬りの鋭さは、アキラがこれまで遭遇してきたどんな敵よりも鋭利で、寒気がする程的確に急所を斬り伏せようとしてくる。



「ぅ、おおおおおおッ!」




 動体視力の限界を試されているような連続斬りに翻弄されながら、どうにか気合いで持ち堪えるアキラは一声と共にイェユヌムに斬りかかった。

 だが、



「甘ぇ――――」



 演舞のようにくるりと体を翻し、あっさりと渾身の一撃を受け止めたイェユヌムは、身体を反転させながらアキラの身体諸共長剣を振り抜く。



「踏み込みが甘ぇんだよガキィィイイ!」

「ぐぁ――――ッ」



 吹き飛ばされるアキラは地面に転がりながら、すぐ様立ち上がり剣を握り直す。

 残念な事に、目の前の長剣使いに勝てる算段などついていなかった。勝てる予感すらしなかった。

 だがそれでもアキラは立ち上がる。


 ――――困難に対して諦めないこと。


 それこそアキラが持つたった一つの、揺るがない信念なのだから。



「ッ、矢の補充どこですぅ!?」



 手持ちの矢を使い果たし、とうとう敵の佩いていた剣を矢の代わりに撃ちだし始めたフロクナートの焦りの声が、戦場に虚しく響く。

 返事をする者はいない。

 皆が、この街の最後の砦である屋敷を落とされぬようブルンネル兵の大群と刃を交えるので精一杯だった。

 唯一の戦力であった心装兵器使う四人――――アキラはイェユヌムと、ルーラとオルタはバウヒンと死闘を繰り広げているため、数少ない衛兵とフロクナート達による消耗戦が文字通り、最後の砦となっていた。

 しかしそれも、長くは持たないだろう。



「隻腕…………道理でただの剣士にしては動きがおかしいと思ったわ」



 誰よりもこの街の事情について知るルソレイユは、焦燥感に駆られる心と荒らげた息を静めるように深く呼吸をしながら、手汗の滲む愛剣を握り直す。

 隻腕であることを隠すためのマントは斬り捨てられ、致命傷にはならなかったものの避けきれなかった細かな斬撃は着々とルソレイユから体力と気力を奪っていく。

 自分の命がすり減っていく感覚を覚えながら、ルソレイユは最も危惧していた事態が訪れた事を肌で感じ取っていた。


 ――――長期戦。

 それは最低限の兵力しか備わっていないこの街が最も苦手とする戦法。

 避けて通るべきだった、現状だ。

 仮にも中央から配属された衛兵達、彼ら個々の実力は高いが、何せ少数だ。圧倒的に数が足りない。

 その上相手は戦争をする事で規模を拡大させてきた国だ。商談でのし上がってきた国の兵とでは受けている訓練の質が違う。


 ――――そもそもが、初めからこの防衛戦というのは負け戦だったのだ。


 そのことを知っていながら、しかし怯む事なく最前線で剣を振るい続けていたルソーレの背中押し続けていたのは、恩義があり、抱いてはいけない感情を抱いてしまったこの街の領主の存在があったからだ。

 オルタにとっての使命。アキラにとっての信念となる――――彼の愛するものを守らなければ、という。

 独り善がりな、願い。


 ただそれだけを叶えるために奔走し続けてきた彼女は、しかし、とうとうその脚を止めた。

 頬を、腕を、脇腹を劈く斬り傷が集中力を途切れさせる。

 コメカミから汗が伝うが、つうっと耳の横を伝いあごから滴ったそれを拭う気にもなれない。

 満身創痍で剣を握るルソーレに、対して薙刀の心装兵器を使う妙齢の女、イレウムは汗一つ掻かず、涼しい顔で一人立ち向かう隻腕の剣士を見据えた。



「ブローチの心装兵器…………もしあなたにもう一本腕があったなら、少しは戦況が変わっていたかもね」

「ッ…………!」

「まあ、たとえ私を倒したところで残りの二人には敵わないでしょうけど」



 イレウムの見遣る先にある、ルソーレの胸で輝く淡い黄色のブローチ。

 それは持ち主が手を翳すことによって前方に盾を展開するという心装兵器であったが――――隻腕のルソーレにとってその盾は、剣を振るうのを止めなければ発動出来ないものだった。

 剣を振るわなければならない戦況に置かれたルソーレにとって、その心装兵器を使う隙は無い。


 全く使えないとせせら笑うイレウムは腰を低く薙刀を構えた。

 その構えから次に繰り出される攻撃は突きであることは容易に予測出来たが、何度か刃を交えその速さと威力知っているルソーレは最早限界まで体力を消耗した自分ではその一撃を防げないことを悟った。

 盾を展開するにしろ、多少のタイムラグが発生する。

 手を翳したその隙に薙刀の切っ先が心臓を貫く結末は、目に見えていた。



「じゃあね――――さよなら」



 別れを告げるイレウムの姿が大きくブレる。

 そこから先は、一瞬だ。

 最期の時はそこまで――――迫った。



(――――嗚呼)



 私は死ぬのだ、と。

 一秒にも満たない刹那の中で、永遠にも似た長い時を感じるルソーレは、輝かしい日々の走馬灯を見る。

 十七年という人生の中で辛かったこと、悲しかったこと。嬉しかったこと、楽しかったこと。

 泡沫の夢のように浮かんでは消える記憶の一つ一つに張り裂けそうな胸の痛みを抱きながら、最後に目の前に浮かび上がった光景にルソーレは剣を落とし、胸のブローチを握り締めた。


 その記憶は、彼女にとっての始まりの記憶。

 両親を亡くし、泣きじゃくりながら部屋に閉じこもっていたルソーレに、部屋のドアをぶち破り現れた幼い頃の領主が言った一言。

 今思えばあまりに突飛なその言葉は、哀しみに明け暮れていた彼女を救った、拙い口約束だった。



 ――――家族になろう。



 家族を亡くしたばかりの幼い自分は呆然としながら、気持ちの整理もついていないのに無理だと答えたのを覚えている。

 だが、じゃあ将来大きくなったらと捨てられそうな仔犬のような顔で食い下がってきた彼に「どうしてそんなに必死なんだろう」と思いながらも了承し、誓いの指輪の代わりにブローチを貰ったのだった。


 ――――思えば。

 その時から私は彼のことが好きだったのかもしれない、と。

 迫る薙刀の研がれた刃と目が合いながら思うルソーレは、訪れる衝撃と激痛に身構え、



「私、は」



 ――――身分違いの恋だった。

 召使いと、若き領主。

 それでも抱いてしまった溢れんばかりの想いを、今際の際ぐらいはと歯止めをかけていた心に素直になって。



「貴方を、愛しておりました」



 熱く濡れる瞼を、閉じた。



「――――ヒマワ様」



 終わる。













「…………それ、本人に直接言おうか。

 ――――ね? ソーレ」



 軽く、幼子を諌めるような声。

 やんわりとした印象の声音に、暗闇を見ていたルソーレは目を見開きはっと顔を上げた。


 見上げた先にあったのは、灰色の空よりも映える、毛先の黒い水色の短髪。

 少しあどけなさの残る顔貌を穏やかに緩ませ、人の良さそうな笑みを湛えているのは、走馬灯の少年より歳相応に成長した、青年。


 “日輪の公爵”ヒマワ。

 その人だった。



「ヒマ、ワ……様…………?」

「ごめんねソーレ。遅くなっちゃって」



 ルソーレを抱きとめ、申し訳なさそうに眉を下げる領主――――ヒマワは、ルソーレの頬に走る傷をなぞるようにそっと指を這わせると、「こんなに傷ついて」とため息を吐く。

 悲しい事があると囁くように息を吐くこと。

 ルソーレを名前を捩った愛称を使うところ。

 正しく自分が使える領主その人であると確信したルソーレは、はっと我に返ると、「傷が残らないと良いなぁ」と呟くヒマワに詰め寄る。



「ヒマワ様! どうしてこんな所にいるんですか! リーベルキューン公国での会談は!?」

「すっぽかして来ちゃった」

「すっぽ…………っ!? 確かこの会談で今後の国の貿易制度が変わるとか言ってませんでしたか!?」

「あー…………言ってた、かも?」

「『かも』じゃないです『かも』じゃあ!!」



 何してるんですかぁ!!! と、ルソーレの叫びが戦場に木霊した。

 予想外に自分の声が響き渡ったことに気付き、何か妙だと感じた彼女はヒマワの腕の中から抜け出して周りを見る。

 侵攻していたブルンネルの兵士。それを防ごうとしていた衛兵。死闘を繰り広げていたはずの心装兵器使い。

 その場にいた全員がルソーレのいる場所を凝視し、手を止めていた。


 ――――いや。正確には、戦場に合わぬ笑顔を浮かべのほほんとしているヒマワである。


 ルソーレはヒマワを見遣った。

 十年以上身の回りの世話をしてきた故に、なんとなくこのどこまでもマイペースな領主が何かしたのだろうと勘づいたのだ。

 じとりとしたルソーレの視線にとぼけた風に「? どうしたのソーレ」と首を傾げるヒマワ。

 黙っていたところでどこか抜けている領主は場の沈黙の意味を察しないだろうと判断したルソーレは、粛々と口を開く。



「ヒマワ様、何をしましたか?」

「? 何って?」

「とぼけないでください。会談放棄以外に何かしたんでしょう。正直に言って下さい」

「……僕、何かしたかなぁ…………?」

「…………分かりました。今し方私にもなんとなく状況が読めましたので、再度お訊きします」



 本気で耳が痛くなるような沈黙の意味を理解していないらしい領主を問い質すため、再度周りを見渡し状況を把握したルソーレはまさかと思いながら。



「ヒマワ様、薙刀の心装兵器使いに何をしましたか?」



 ルソーレは見たことがない。

 ヒマワが、剣を取るところを。


 公爵という冠位を授かる以前から剣よりペンを取り、身体を鍛えるより商談を組み、他の街と貿易をしていたような人物である。

 多少血の気が多いような気は見られるが、基本的に争いを好まない性格であるため、彼が誰かと取っ組み合い殴り合うような場面に生まれてこの方ルソーレは遭遇したことがなかった。

 しかし何故か腹筋が割れており、世話人達の間で「こっそり体を鍛えてるのでは」という噂が囁かれているが。


 貴族としての教育上、一応軽い護身術程度は習っているはずではあるが、まさか戦闘のプロに一撃食らわしたわけではあるまいと。

 殺す気満々だったイレウムの姿がどこにもないことが気にかかりながら、ルソーレはヒマワに問う。


 ヒマワは即答した。



「え? 弾き飛ばしたけど?」



 斜め上方向からの返答であった。



「…………………………はい?」

「いや、だってソーレを殺しそうだったから思わずこう、ペイッて。焦ってたから力加減出来なくて思ったより飛んでいっちゃったけど」



 たっぷり間を置いて問い直したルソーレの前で、「こんな感じで」とまるでアキラがツッコミというものをする時のような腕の動かし方をするヒマワは、平然とした顔で続ける。



「うん、多分隣の山まで吹っ飛んだんじゃないかな」



 ――――隣の山とは、ブルンネル兵がこの街を攻めるために越えてきた山のことだ。

 一時的な拠点として現在使用されている山の中腹に、つい数秒間頭から地面に突き刺さるような形でイレウムが墜落してきた報告がバウヒンにされるまで、後二時間である。



「ああ、そうそう。そんな事よりソーレに言いたい事があったんだ」



 ほわりと花が咲いたように笑うヒマワに、「私の知る領主はもっと貧弱だったはずだ」と記憶と現実との齟齬に動揺を隠せないルソーレは、自分より十数センチ高い位置にある黒曜の目を見上げた。

 普段柔らかく細められている双眼は、真剣味を帯びてルソーレに注がれている。

 いつか目付きが悪いことを気にしていた話を思い出すルソレイユは、見るものを射貫くような眼光の双眸に威圧されながら、見た事も無い表情をする領主に若干の戸惑いと怯えを抱く。

 無意識に、ブローチを握っていた手が取られた。

 糸を解くようにするりと指を手に取り、己が指に絡ませるヒマワ。その手が震えている事に気付いたルソーレは、見慣れていない彼の表情に緊張と照れ臭さと、喜色を感じ取った。

 不意に見詰めた双眼に、熱がこもる。

 熱い眼差しに、心臓が跳ねた。



「ソーレ」



 吐息混じりに名前を呼ばれ、かっと顔が熱くなる。

 心臓が五月蝿い。ああ静まれと思う一方でどんどん体温が上がっていく。身体が強張る。

 鼻先が触れそうなほどに端正なヒマワの顔が近付いて、ルソーレは息を詰まらせた。


 緊張が最高峰に達したその時、ヒマワは愛おしそうに微笑んで。



「僕と、結婚して下さい」



 涙が、溢れた。

 夢のような言葉だった。



「ずっと、キミだけを見てきた。本当はそのブローチを渡す時に言おうと思ったけど、結婚するには僕達は若過ぎると思ったから、もっと大きくなってから言おうと決めていた」



 ぼろぼろと溢れる涙は熱い。

 止めようにも次から次へと溢れて止まらない想いを掬いとるように、そっと唇を這わせ目尻に口付けをするヒマワは、ルソーレの腰を抱き寄せた。



「返事は…………言わなくても、分かるよ」



 キミが僕を好きいてくれていることは、なんとなく分かってたから。


 そう言って無邪気に笑うヒマワの顔は、あの時泣きじゃくっていたルソレイユに向けてくれた時と同じ顔で。

 まるで夢物語のようだ、と多幸感に頭と胸の中がぐしゃぐしゃになるルソーレは、報われた想いに幸せだと涙しながら。


 精一杯、ツッコんだ。



「場所、考えましょぉ…………?」



 侵略を今まさに受けている戦場の最前線。

 場には先程まで死闘していた仲間と兵士達。

 空に昇るのは戦火の煙。地には敵味方の血。


 史上最高に空気の読めないプロポーズが、ここに成された。


 ――――しかし。

 しかしながら。

 史上最高の空気の読めないプロポーズをした領主、ヒマワは何食わぬ顔で言った。



「じゃあ、式はいつ挙げる? やっぱり地元でやりたいよねー」

「ぅええええ…………」



 おい地元侵略されてるんだが。

 街焼けてるんだが、という衛兵全員の思いはどこまでもマイペースな領主には伝わらず。



「あっ。でもその前にソーレの友達をもてなさなきゃね。折角の連休だし」

「ふぇええええ…………」



 いや連休どころが死ぬ気で戦ってるんですけど。

 休み以前の問題なんですけど、という半分目が死んでいるアキラ達の視線は届かず。



「あ! 見てよソーレ! 屋敷の人が僕達の結婚祝ってるよ!」

「ぅわああぁぁ…………」



 閉ざされていた屋敷の窓が開放され『祝☆ヒマワ様ルソーレ様ご結婚!』と書かれた横断幕が吊るされ、ヒューヒューと囃し立てる祝福の声が屋敷から上がっているのを見たブルンネル兵はツッコ事を放棄した。



「おいお前ら攻められてたよな? 絶対絶命だったよな? 何で一気にお祭りムードになってんだよ。さっきまでのこの世の終わりみたいな悲壮な涙どこいった。

 おいコラそこのクソガキ共花吹雪散らしてんじゃねーぞコラァ! 『お幸せに』って泣いてるそこの女ぁ!! オレ知ってるからな!? さっきまで絶望で泣いてたの知ってるからな!? 涙が違う意味になってるだろぉがテメェラァァァァァァァァァァ!!!!!」



 代わりに斬り込み隊長、イェユヌムが全部ツッコんでいった。

 流石斬り込み隊長。剣戟ならず、ツッコミの斬れ味もキレッキレであった。


 息を荒げるイェユヌムの肩を、対峙していたアキラが労る様に叩く。

 顔を向けたイェユヌムに、アキラは無言で「よくやった」と親指を立てた。

 ばちりと視線が交わり、互いに「ああコイツは俺と同種だ」と悟る。


 今ここに、ツッコミ役同士の新たな友情が芽生えた。



「というわけで、これからソーレの友達をもてなしたり、式の準備をしたりするんで帰ってくれませんか?」

「巫山戯ているのか貴様」



 しかし。まあ、当然ではあるが。

 このまま円満に終わるはずが無かった。


 にこりと向けられたヒマワの笑顔をバッサリと斬り捨てたバウヒンは、冷たい視線で場の空気を壊した領主を睨む。

 その人睨みで、戦場に殺伐とした空気が戻った。

 張り詰める緊迫感に、涙目のルソーレが領主を守るため剣を拾おうとするが、ヒマワはルソーレの腰を固定しそれを許さない。

 腕の中にルソーレを閉じ込めたまま、にこやかにヒマワは言う。



「巫山戯てませんよ、真面目です。だから、真面目に撤退してください」

「断る。我々はここの土地を奪う為に来た。目的は何があろうと達成するのが、ブルンネル戦国の誇り。祝儀だろうが裏切りがあろうが、この土地を奪うという目的は果たさせて貰う」

「…………誇り、ねぇ」



 戯けるように唱えるヒマワに、侮辱されたととったのか。

 眉間の谷間を深くしたバウヒンは罵るように開口する。



「武人でもない貴様には誇りが何たるかも解らぬだろう。それにより貴様の領土は蹂躙される」

「いや、誇り自体は僕も解っている。僕にも誇りはある」

「ほう。では“日輪の公爵”、貴様の誇りとは何だ」



 ヒマワは微笑んだ。



「『弱い』ことさ」

「――――何?」



 追い詰められた戦況で物怖じせず敵軍の大将と対話する領主から返された意外な答えに、怪訝な顔をするバウヒン。

 理解が出来ない――――そう表情で語る彼に、ヒマワは目尻を下げて、



「可哀想に」



 と。

 心から憐れみながら、領主は確固とした声音で。

 憂う様に、告げた。



「僕の誇りの意味が分からない貴方は、一生僕を殺せない」




「――――イェユヌム」



 その憐れみが、引き金になった。

 これ以上の会話の必要が無いと判断したバウヒンは掃討の指示を下す。

 イレウムは領主が唐突に現れると同時に吹っ飛んでいった。見たところ心装兵器を身に付けている様子ではないが、屋敷に立てこもる者達の士気を下げるためにも早々に片付けた方が良いだろう。

 ここは現兵士の中でも手練のイェユヌムに預けるべきだ。そう決断したバウヒンは長剣の心装兵器使いの名を唱え――――



「スンマセン、オレこっちに寝返らせて貰うわ。元々オレ傭兵だし。ブルンネルに未練なんてサラサラねーし」

「――――――イェユヌム」



「よぅしお前らオレのシックスセンスを信じて寝返るぞォォォ」



 堂々とした裏切りに、遭った。

 バウヒンが呆然としている合間にいそいそと先陣を切りつい数分前まで殺し合っていたアキラの陣営につくイェユヌム。

 「よろしくツッコミ仲間」とバウヒン同様呆然とするアキラと肩を組む斬り込み隊長は涼しい顔である。

 裏切りへの罪悪感は欠片も見当たらない。

 斬り込み隊長が言うなら仕方がない、とついていくイェユヌムが指揮する兵士達もぞろぞろと彼についていった。

 ようやく事態を呑み込んだバウヒンが気付けば、イェユヌムと関わりの深い兵がまるまる一部隊、領主側についているという異例の事態となっていた。

 一部を除き誰もが思う。


 どうしてこうなった。



「やったねソーレ! 味方が増えたよ!」

「え? ぇぇええ…………?」



 一人現状に適応しているヒマワと、彼の腕に抱かれているルソーレの温度差が激しい。

 そもそもあっさり順応出来ている領主がおかしいと、誰もツッコまないまま現状を理解出来ていないルソーレを軽々と横抱きにしたヒマワは、たった今寝返ったばかりイェユヌムに近付くと「はい」と婚約した彼女を預けて。



「給料弾むし衣食住も保証されている我が街にようこそ! とりあえず初仕事として僕の婚約者守っといて? 手出したらまあアレだけど」

「出さねぇ出さねぇ。領主様敵に回したら死ぬってオレのシックスセンスが言ってんだよ」

「その勘、間違ってないよ――――じゃ! 僕の太陽(ル・ソレイユ)、僕ちょっと殲滅してくるね!」

「……………………え? せんめ、えっ?」



 あーはいラブラブなことで、という冷ややかなイェユヌムの視線をものともせず、ルソーレの頬にキスを落としたヒマワは衛兵やアキラ達に下がるように指示すると。

 武器も持たずに、一人、ブルンネル兵の前に立つ。



「…………何の真似だ」



 兵を下がらせ、武器も持たずに。

 交渉する様子でもなく、立ち塞がるように進行方向に現れたヒマワにバウヒンは片手剣の切っ先を向ける。

 百人寝返ったことで千を超える軍勢を率いてきたブルンネル戦国が優位であることは変わらない。

 冷静に思考し、全ての元凶であるヒマワをやはり早く始末するべきだと考えたバウヒンは、都合良く単騎で佇む領主を仕留める術を想像(シミュレーション)する。



「いやぁ、たまには領主様らしいことをしようと思ってさ」



 巫山戯た事を抜かす若き領主の意図は、未だ掴めない。

 そもそもこちらの意表を突いた事しかしていない彼に、奇妙な危機感を抱きながらバウヒンは一瞬でブルンネル戦国の優位を揺るぎないものにする一撃の軌道を計算する。


 領主との距離は数メートル。

 踏み出し剣を振るえば、届く距離だ。

 目標は、先程から戯言を並べる声を絶つため、頸と決めた。



「それに僕の婚約者の顔に傷をつけたんだ。僕は気にしないけど、ソーレにとってはショックかもしれないからね。だから殲滅しようと思ったんだ」



 隙を窺い、慎重に狙いを定める。

 柄を握る手に自然と力がこもる。一撃で敵を伏す事は幾度なく繰り返して来た行為だ。

 だが、何故こんなにも手が震えるのか。

 何故、こんなにも無防備な領主を――――



「…………うん。というか将軍さん」



 ――――畏れて、いるのか。



「さっきから、殺気が見え見えなんだけ――――」



 一閃。


 それは光の速さを超える、必殺の一撃。

 限界まで研ぎ澄まされた精神と正確無比な計算によって繰り出されるその剣撃は、相手に攻撃したことを認識させる間もなく屠る、絶対的死を与える技。

 その技を実現させているのは心装兵器という持ち主の心を投影する武器だ。

 心装兵器の加護による肉体強化と、どんな金属や熱、あるいは力をかけても同類の心装兵器でしか傷付けることの敵わない桁外れの耐久力が、人の認識を超える必殺の技を実現させた。


 鍛え抜かれたその一撃は、たとえ防御しようとその盾すら斬り捨てる。

 敵を屠るという目的のためだけに生み出された一太刀は、単純明快故に凄まじい威力を秘めていた。

 避けることも防ぐことも不可能な一閃。

 閃光の如きその刃は空を裂き音を追い越し、何も見えていない領主の頸を両断し――――



 直後、鈍器が重金属とぶつかる様なけたたましい音が戦場に響き渡った。



「――――な」



 必殺を放った右腕に重い痺れが伝播し、息を呑むバウヒン。

 その手に伝わる感覚から、必殺の一閃が相手を仕留められなかった事を感じ取り、必殺が対象を屠れなかった事に動揺しながら、同時に。


 彼は片手剣から伝った奇妙な触覚と、視界に飛び込んできた光景に、困惑する。


 確かに必殺の一撃は頸を捉えた。直撃だった。それは良い。

 問題は、そこから先だ。



「き、さま…………」

「――――僕は弱い。誰かに背中を支えてもらわないと笑えもしないくらい、心は弱いし、腕っ節も強くない」



 どっと、嫌な汗が背中を伝う。

 一撃を加えてもなお、変わらぬ笑顔で独白する領主に、息も詰まるような寒気が押し寄せた。

 ゆるゆると動く彼の唇から、目が離せない。



「そもそも争い事も好きじゃないし、出来れば何も無いまま、好きな人とずっとダラダラしていたいって思うような怠け者だし、嫌いなことはやりたくない」



 異様に渇いていく喉の奥、絞り出せない声は悲鳴か、断末魔の叫びか。

 剣を握る手が震える。これが武者震いではないことを、既にバウヒンは知る。

 そして――――彼は理解させられた。


 自分の、過ちを。




「出来ないことが多くて、何につけても敗北がつきまとう。弱いヤツだよ、僕は。


 ――――けれど、弱いからこそ僕は強くなりたいと思える」




 そう語る領主の、万物を斬り裂く一撃が直撃した頸は―――――鱗に、覆われていた。


 宝石のような光沢を放つ、細かなそれ。

 びっしりと、一切の隙間も無く領主の皮膚から生えているそれは、爬虫類のそれを髣髴させる。

 その皮膚に当てがった刃から伝わってくるのは金属と同じ硬質なもの。だが、見れば硬い皮膚の下で呼吸の度に上下しているのが分かる。

 見た目こそ儚げではあるが、硝子のような透明感を持つそれらは見目を裏切る強靭さで必殺の一撃を無に還した、ものだ。


 よもやそれが領主の心装兵器か、と思考する理性とは裏腹に止まぬ警鐘を鳴らしているバウヒンの本能は『違う』と訴える。


 ――――あれは違う。あれは別種のものだ。

 ――――あんな神聖さを帯びたものが、心装兵器などというちゃちなものであるはずがない。



「弱いからこそ、守りたいもののために力が欲しいと思える。

 弱いからこそ、その弱さを強さに変えようと努力することが出来る。

 弱いからこそ、自分とは違うものを持つものを愛おしいと想い、その幸せを願うことが出来る」



 頸を鱗で覆われたヒマワの目元に、罅が入った。

 罅はみるみるうちに細かく裂け、鱗状になり、健康的だった肌色は空を思わず色へと変化していく。

 肌の変化と共にヒマワの目にも変化が訪れた。

 白目が炭のように黒く染まり、黒目だった箇所が白目と反転したように白色に染まったのだ。

 変化はあっという間に腕へと伝い、手の甲にまで鱗が行き渡ったところで爪が黒く変色し、鋭さを増す。



「――――僕は、弱くて良かった。この弱さを、護るためだけに全て使えるから」



 人が別のものへ変化していく。

 その光景をありありと見せつけられたバウヒンはとうとう剣を引き、震える脚で後退った。

 眼前の領主から急速に膨れ上がる冷気と、人ならざるものの気配。

 ブルンネル戦国の将軍は人の形をしていながら人とは思えなくなったファーター東国の公爵に、人生で初めて撤退という言葉を思い浮かべながら、全てを悟った。



 我々は、敵に回してはいけないものを敵に回したのだ――――と。



 凍えるような冷気の中心。

 今にも爆発しそうな見えぬ力を纏う彼は、平時と変わらぬにこやかな笑顔で宣告した。



「じゃあ、殲滅しようか」



 ――――そして眩い光があたりを包み、極寒の豪風が戦場を駆け抜けた。


 立ち昇る戦火は消され、暗色の雲は遠くへ流される。

 凍てつくような豪風に煽られる侵略者はその胸に、形容し難い恐ろしさを抱き――――数秒後。

 ようやく世界を塗り潰す光が消えた、その時。



 唐突に君臨したそれは、全ての人々の目を奪った。



 それは未知なる生き物だった。


 水晶のように美しい鱗。

 

 神秘と幻想で作られたそれを言葉として表現するには、あまりにも偉大で、神々しく、尊大なものだった。


 目を疑うような幻想を目にし、たった一人。

 その生き物がなんというものか知っていたアキラは、立ち尽くす人々の中でぽつりと、憧憬と畏怖を込めて名を呼ぶ。



「ドラゴン、だ………… 」



 世界を震わせる咆哮が、空気を震わせる。

 そして、空想の王による侵略者の蹂躙が始まった。





「…………よく分かんねーけど、オレのシックスセンスに狂いがなかった事だけは確かだな」

「…………はい」



 蜘蛛の子を散らすように逃げ惑うブルンネル兵を、巨体な尾で薙ぎ払い、口から氷のブレスを吐く、ドラゴン領主。

 天を覆い隠さんとばかりに広げられた翼から生み出される突風に煽られ、吹き飛んでいく人の群れを茫然自失と眺めるルソーレは、酷い頭痛を覚えた。

 なにがどうなっているのか。何もかもが理解の範疇を超えていた。

 眩暈すらする現状に――――だが。



「てか、お前の旦那怒らすとおっかねぇな」



 うわオレ裏切って良かったわー、と。肩を竦め心底から呟くイェユヌムの軽口に対し、頬を染めながら同意する程度の幸せは。

 まあ、許されるだろう――――と。

 口元を緩ませ、太陽と呼ばれた少女は、青空に輝く領主の背中を見ていた。




「…………ていうかぁ、これいつ誰が止めるんですぅ?」

「…………………………」

「…………………………」

「…………………………おい婚約者」

「…………止め方、知りません」

「おいこれ、このまま放っておいたら街の方に被害でるぞ。良いのかおい」



 ――――数分後。

 ヒト型に戻ったものの、何故か尾だけはそのままであったヒマワ領主によって横抱きにされて運ばれる、異様に疲れた表情のルソーレの姿を、アキラ達は目撃する事となった。


 ちなみに尻尾は、千切れんばかりの勢いで揺れていた。






         ×





 ――――あなたの涙を生むもの、傷付けるもの、その全てから。

 あなたを護ることを、ここに誓いましょう。


 たとえ全てを犠牲にしようとも。

 あなたの笑顔が見られるならば。



 嗚呼それはなんて――――幸福なことだろうか。



 この名にある花、向日葵は陽を見て大輪の花を咲かせる。

 僕も同じように、キミがいなければ僕はわらえもしない、臆病な存在です。


 だから、どうか――――笑っていてください。


 キミのその笑顔だけが、僕を救う。





『向日葵』の花言葉


光輝 熱愛

あなただけを見つめます






〈了〉

×あとがき×



突発衝動企画第十八弾!

今回のお題は『向日葵』!


ということで、向日葵の名を持つ青年と太陽の名を持つ少女の話を書かせていただきました。

書いている途中で「これ、短編にしては量が多過ぎないか?」と思いながら楽しく書きました。

なので作者の好きな要素多めで構成されています。

ついでにカウントしてみると、過去に書いた短編の中で最多の文字数を記録していました。

最早短編とはいったい何だったのか、と思うような作品です。

もうこれ中篇って言っていいんじゃないかな?


そんな今回の話ですが、何を書こうかお題の時点で大体大まかな流れが出来ていたので、わりと困ることなくスラスラ書けたという印象が強いです。

ですが世界観の構成に悩みました。

キャラクターで誰を出すか、というのは決まっていたので、登場人物に合った世界というものを作るのに難航しました。

いつもファンタジーか学園モノなので、たまには別のものにしようと考えたのも世界観構成に悩んだ原因の一つです。

容易にSFにしようとか思わなければ良かったと後悔しました。


結果、過去の遺産を使って敵と戦うなんともファンタジックな世界が出来上がりました。

心装兵器が実は人工知能によってナノマシンで構成された物とか、実は現代から少し先の文明が滅んだ後の世界が舞台になってるとか、そんな設定出す暇もありませんでした。

ファンタジーの王道が出てきただけです。


バトルに危機にドラゴン領主。

どこからどう見てもファンタジー以外のなにものでもなかった。



短編というには長すぎる今回の短編。

書きたいところを書けて大満足です。


では、ここら辺であとがきを終わりにしたいと思います。

最後に、共同企画発案者の雪野さん、Twitterでよく宣伝をRTしてくれるフォロワーの方々、今回のお題を提案した我が母、GWという素晴らしいものを考えてくださった過去の方々、そしてこの短編を読んで下さった方々へ!感謝を!

それでは!



ご閲覧ありがとうございました!

















































さて、ここから先は他のシリーズのネタバレも含む裏話のコーナーです。

ふと書きたくなったので書きます。反省も後悔もしない。


今回のお題『向日葵』について。

花がテーマになったところで「とうとう来たか」と思いました。

というのも、全シリーズを通して花の名前を持つ登場人物。

彼らは必ずしもその物語のキーパーソン、もとい影の主役となる人物であるからです。

なので今回の物語も主役にアキラという異世界からの迷子がいますし、彼のヒロインとして王族の女の子がいます。

その中でヒマワの立ち位置というのは主人公アキラの仲間の、雇い主というものであまり目立つような役でありません。

それこそ番外編で顔を出すような、チョイ役といった立ち位置です。


しかし、何かしらの謎は握っています。

何故心装兵器も無く、その姿を変えることが出来たのか。

何故その世界には存在すらしていないはずの竜の形を、取れたのか。


その答えは別のシリーズで花の名前を持つ者が出てきた時、明らかになるかも知れません。

ネタバレ、というか予告のようなものですね。


以上、秘蔵っ子の話でした。

ここまでご閲覧ありがとうございました!




〈終〉

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― 新着の感想 ―
[良い点] これが短編なんて勿体無い。このまま煮詰めれば良作長編になりそうな匂いがプンプンします。特に始まりの「~~愛していたのだ」までの文章展開は秀逸だと思いました。短い文で的確に背景や関係性を描写…
[良い点] 戦闘描写がうまいなーと思いました。 [一言] 設定が膨らむのはいいことですが、生かしきるのは難しいですよね。 今回もお疲れ様でした。
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