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月ぞ残れる  作者: 真央
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 教室にカバンを取りに戻ったら、そのタイミングでポケットのスマホが震えた。 先に帰った理恵子ちゃんからのLINEだった。

 土曜日のお泊り組で、駅前のドーナツショップで作戦会議中らしい。至急参加せよとのお達しだった。


 すぐ行くねって返事をしようとして、指が一瞬惑う。

 ほんの一瞬だけ。


 夜に出歩くより、おばあちゃんだってうるさく言わないに違いない。夏休み一回だけの登校日だ。

 お昼前には帰るって言って来たけど今日くらい、一時間、二時間遅れたくらいおおめに見てもらってもばちは当たらないはずだ。


 正体のわからない後ろめたさに迷いながらも、返事をした。もちろん参加で。

 ぎゅっとカバンをつかむと、そのまま勢いをつけて教室を後にした。


 

 理香ちゃんとおばあちゃんへのおみやげにするドーナツも買って、お店を出たのは結局二時間を大きくすぎた頃だ。

 心臓の下のあたりが妙にひんやりして感じる。

 それでも駅でみんなと別れる時は元気良く手を振った。楽しかった。


 毎晩有本くんと喋ってはいるけれど、やっぱり女の子の友達と話すのは全然違う。どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、違うのだ。

 ひさびさにお腹から笑って、くだらないことをたくさんたくさん吐き出した。もう中身、なんにも残ってないかもっていうくらい。


 それなのに。電車の中で一人になったら、なんだか不安な気持ちになる。

 なんでだろう。

 おばあちゃんに怒られると思ってるからだろうか。

 でも、わたしは別に悪いことをしたつもりはない。夏休みになって、友達と遊んだと言えるのは今日がはじめてだ。

 だから、今日一日くらい、ほんの三時間に満たない時間くらい許されていいはずなのだ。


 何度も何度も繰り返すのに、どうしてか落ち着かなくて電車を降りてからの足が不思議とどんどん早くなる。

 ほとんど駆け足みたいにして家に近づいたら、外まで梨香ちゃんがかんしゃく起こして泣いてる声が響いてた。


 慌てて玄関をあけた。

「ただいまっ」


「遅かったね、優香」

 くたびれきった顔でおばあちゃんが台所からのぞいた。

「テストと掃除だけじゃなかったの」

「うん……まあね。ただいま、梨香ちゃん」

 梨香ちゃんは居間の畳の上に手足を投げ出すようにして転がったまま、真っ赤な顔で泣いていた。


「たーだーいーま」

 もう一回機嫌を取るように声をかけたら、ちょっとだけ泣き声が小さくなった。拗ねたようにごろんと転がって、わたしに背を向ける。

 ドーナツを買ってきて良かったと思った。梨香ちゃんの好きなカスタードたっぷりのチョコレートがけ。


 背中を指でつついてやると、嫌そうに身をよじる。

「ね」

「優香、お昼ご飯はどうするの」

 ドーナツを買って来たよと言いだす前に、おばあちゃんの声がさえぎる形になった。

 

「えっと……食べて来たからいらない」

 声を落として答えると、おばあちゃんがみるみるうちに不機嫌のメーターを上げた。


「だからあんた遅かったの。妹が待ってるのわかってるのに」

「……ごめん」

「こんなに泣かせて」

 おばあちゃんは大きくため息をついた。梨香ちゃんは振り返らないままじっとしている。


「でもさドーナツ買って来たよ、おみやげ。梨香ちゃんの好きなのもちゃんと買ったからね。お茶入れて食べよう?」

「ほんと?」

 気を引き立てるように明るい声を出せば、梨香ちゃんはがばっと起き上がった。ずっと泣いてたのがよくわかる、真っ赤な顔をしていた。


「ほんとだよー。だから先に手と顔を洗っておいで。梨香ちゃんはカルピスね。おばあちゃんは紅茶でいい?」

 梨香ちゃんはパタパタと洗面所に走っていく。ホッとしながらやかんに水を入れてコンロの火にかけた。

 夏のこの時間に火を使うと、それだけで首と胸にじっとりと汗をかく。


 やかんをかけておいて先に着替えてこようと思ったら、おばあちゃんが台所の入口に難しい顔をして立っていた。


 やだな、と思った。

 絶対めんどくさい話をされる。 

 けれど逃げようにも、他に出口は台所の小窓くらいで猫じゃないかぎりそこから出ていくことはできない。


「あんた本当に最近ふらふらしてばっかりで。今がどういう時かわかってないわけじゃないんだろ」

 おばあちゃんは重々しい声で言った。


 お父さんが死にかけてる時。それって、学校の帰りに友達と遊びに行くこともできない時なんだろうか。

 だって。

 今すぐ死ぬわけじゃないのに。

 わたしが何をしてたって死ぬ時は死ぬのに。


 言い返したいけれど、さすがに口にはできなくて黙ってた。

 ため息をつくおばあちゃんの横を黙って通り過ぎる。早く制服を脱いでしまいたかった。


「土曜日お母さんが帰ってきたら、よく話をしてもらわないといけないね」

 背中におばあちゃんが言って、わたしはびっくりして立ち止まった。


「なんで?」

「なんでってあんた。最近は好き勝手してばっかりで。わたしが言っても聞きゃしないんだろ」

「べつに……」

 何を言い返そうと思ったのかはよくわからない。目的もゴールもない声は、そのまんま消えた。


 しゅんしゅんとやかんが蒸気を吹き出して音を立て始めた。水もぬるいからすぐにお湯になる。

 わたしが戻るより先に、おばあちゃんが手を伸ばして火を消した。


「土曜日は……花火見に行くし」

 何かを考えるより先に、勝手に言葉が零れ落ちた。最悪のタイミングだ。


 おばあちゃんは最初びっくりしたように目を見開き、そして呆れたように片手で顔をおさえた。

「あんたねえ……」

「いいでしょ、べつに。夏休みだもん、一日くらい」

 早口に言い返したけれど、真っ直ぐおばあちゃんの方が見れなかった。でもどうせ苦々しい顔してるんだから、見たくもないけど。


「お母さんが帰ってくるのはどうするの。毎日病院で疲れてるだろうに、手伝ってあげないの」

「……わたしがいなくたって……」

「お母さんがなんとかしてくれるって? 甘えたことを言うもんだね」

 おばあちゃんの声がどんどん尖る。それは、わたしがそうさせてるのはわかるけど。けれどそれに比例してわたしのお腹の中のイライラもどんどんどんどん大きくなる。


「お父さんは来年の夏はいないかもしれないけど、わたしの高校二年生の夏だって今年しかないもん」

 言わなくていいことだ。これはただの八つ当たりだ。なのにどうして一度口を開いたら次々あふれてくるんだろう。

「わたしだってみんなみたいに楽しむ権利はあるでしょ。他の子は海に行ったり、旅行に家族で出かけたりしてるのに。わたしは」

「わたしは?」

 おばあちゃんの冷たい声は、もしかしたらわたしの喉を刺したのかもしれない。ぐっと何かが喉の奥に詰まったようになって続きが出なくなった。

 

 代わりに涙がぼろぼろ落ちてくる。詰まった言葉が上に上がって目からあふれて来てるんだろうか。

 梨香ちゃんがおばあちゃんの腰にまとわりつくようにして、こちらを心配そうに見てる。

 

 小さい妹に泣いてるところを見られるのはものすごく不本意だ。けどあっちに行ってと言うわけにもいかず、わたしは黙って目をごしごし拭いた。


「情けないね、それだけ形は大きくなってもまだまだ中身は赤ちゃんだ。自分の思い通りにならないことなんて山ほどあるだろ」

 おばあちゃんはやれやれというように肩をすくめる。


「さ、梨香ちゃんあっちに行くよ。こっちは蒸し暑いからね」

 おばあちゃんは泣いたままのわたしを置いて、居間に戻ろうとする。

「でも……」

 梨香ちゃんは困ったように、わたしとおばあちゃんを見比べていた。おばあちゃんはにっこりと笑って、梨香ちゃんの手を引いた。

 

「いいんだよ。お姉ちゃんは一人で頭を冷やしてよーく考える時間が必要なんだからね」



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