12/05/05(3) マッシュ:私と友達になってください
村に入るとキノコのパラシュートが降ってきた。中身は初心者向けのチュートリアルクエスト。進行に合わせ、操作方法や各種スキルの説明をしてくれる。終わらせると、またパラシュート。片っ端からこなしていく。さて次はと。
【招き猫を狩ってみよう】
招き猫がモンスターとは……まあいい、いよいよ狩り。MMOらしくなってきた。
地図で指定された草原に行ってみると、まるで俺のように太った招き猫がわんさか。群れの中では既に先客が戦っていた。よし、俺も参戦しよう。
──三〇秒後。俺ことみつきは草原に倒れていた。
招き猫強すぎるんですが。何もできないままフルボッコにされたんですが。最初に出てくる敵って、普通は剣の一振りで倒せるのが相場じゃないのか!
……ああそうか、わかった。これがPS重視だ。
最初の敵ですらこんなに強いなら、他の敵はもっと強いだろう。そうなるとキャラが少々強くても意味がない。きっと、キャラも育てにくいはず。弱いキャラで強い敵と戦い続ける羽目になるからPSの比重が大きくなるのだ。
それはいいとして復活の方法がわからない。どうしよう。
画面の前で手をこまねいていると、先客がちょこちょこ歩いてきた。みつきに透明な液体を振りかける。おお、みつきがぴょこんと起き上がった!
復活させてくれた先客を見る。
エリンギには数少ないはずの、何もいじっていないデフォルトキャラ。
頭上には【ねぎまぐろ】と名前が表示されている。
とにかく礼を言わないと。急いでキーを叩く。
〈みつき:ありがとです〉
……反応がない。ねぎまぐろは無言のまま、招き猫の群れに再び突っ込んでいった。
まあいい。まずは戦況の打開を図らねば。マッシュの公式サイトに何かないかな。サイトのタブを片っ端から開いてみる──【初心者質問板】、これだ。
戦闘方法に関する質問を探す……見つかった、回答を読んでみよう。
【戦闘は死にながら体で覚えろ】
えーと、獅子の優しさってやつですか?
ただ、その下には基本コンボも書かれていた。【村長の所で復活する】のコマンドも。
よし、これで完璧。再び招き猫の群れに特攻する。
幾ばくの時間が経ったろうか。幾度もの死を経て、ようやく対峙する招き猫のライフゲージがゼロ寸前まで近づいた。あと一撃、右ストレートを入れる──。
やったぁ! ついに招き猫を一匹退治!。
いったいどれだけマゾいんだ。そう思う一方で、やり遂げたという達成感もすごい。背筋がぞくぞくしている。
なるほど、このゲームは面白い。
しかし慣れない動きを繰り返したせいで、指がぷるぷる震えている。続けたいけど仕方ない、休憩を入れよう。草原の脇にみつきを座らせる。
すると再び、ねぎまぐろがやってきた。今度は俺の隣に腰を下ろす。
〈ねぎまぐろ:こんばんは。初めまして。私はねぎまぐろと言います〉
なんだなんだ、この片言の挨拶は。お前は外国人か。
〈みつき:先程はありがとうございました〉
かなりの間が空いた後、ようやくねぎまぐろからチャットが入った。
〈ねぎまぐろ:ねぎでいいです。敬語もいいです。私は敬語じゃないと話せないので気にしないで下さい。さっきはごめんなさい。私ってネトゲに慣れてなくっておまけに人見知りで何を返したらいいかわからなくてそのまま逃げちゃって後で考えたらすごく失礼な事しちゃったってずっと考えてしまってどうしようどうしようって〉
そういう事情だったのか。でも納得。この読点の無い文章が全てを物語っている。
〈みつき:気にしないで。そして落ち着いて。ねぎもマッシュは始めたばかり?〉
〈ねぎまぐろ:はい。姉に誘われて金曜の晩に登録したんですけど、やってみると止まらなくなっちゃって。どうも三二時間ぶっ通しで招き猫と戦ってたみたいです〉
「みたい」って自分のことだろう。俺も時間を忘れて戦っていたつもりだったが、上には上がいようとは。
呆れつつ画面を眺めていると、ねぎからチャットが打ち込まれ始めた。
〈ねぎまぐろ:それで〉
〈ねぎまぐろ:あの〉
〈ねぎまぐろ:えっと〉
途切れ途切れでイライラする。お前は何が言いたいんだ。
しかしここまでのチャットですら、パソコンの向こう側でキョドキョドしているねぎの中の人が容易に思い浮かぶ。「何?」と聞き返そうものなら余計に黙り込んでしまいかねない。このままじっと待とう。
ようやくねぎの発言が表示された。それは読むだけで赤面してしまうものだった。
〈ねぎまぐろ:私と友達になってください〉
え、え、えーっと。いいんだけど、改まってこんな事言われると返答に窮する。どう返せばいいのか。頭が混乱する中で思いついた返事をタイピングする。
〈みつき:うん〉
気の利いた返事は思い浮かばない。でも早く返事しないとねぎを不安にさせそう。その結果がこの二文字。情けない……でも、ねぎには十分だったらしい。
〈ねぎまぐろ:やったぁ!〉
安心して大きく息を吐き出すとねぎの発言が続く。
〈ねぎまぐろ:ありがとうございます。私にも初めて友達ができました〉
人見知りにも程がある。
いや、そんな事を思ってはいけない。ねぎにしてみれば、清水の舞台から飛び降りるくらいの勇気だったのかもしれない。【私と友達に】と表示されるまでの時間からすれば、指の重みを振り切る様にキーを打ち下ろしながら一文字一文字をタイピングしていったのかもしれない。そう考えれば微笑ましくも思える。
実は俺も嬉しい。ここ最近で友達が増えた経験なぞないから。
なんせ役所では「自分に笑いかけてくる他人は全て敵と思え」と教育される。身内以外の人間は疑うための存在でしかない。新しく友達を作るどころではないのはもちろん、旧友ですら下手な事を話せないから足が遠ざかる。
〈みつき:でも、どうして俺なの?〉
〈ねぎまぐろ:ん……。せっかくMMO始めたんだから友達欲しかったんですけど、なかなか話しかける勇気が出なくて……。他の初心者らしき人って全員が先輩プレイヤーらしき人と一緒だったんですよね。多分キャンペーンのせいなんでしょうけど〉
〈みつき:それで輪に入りづらかった?〉
〈ねぎまぐろ:はい。みつきさんだけが一人でずっと頑張ってたから思い切って……〉
納得。ねぎの説明は更に続く。
〈ねぎまぐろ:何より休まずに八時間招き猫を狩り続けられるくらいの人なら、これからもきっと自分と競い合いながら上手くやっていけると思って〉
〈みつき:三二時間狩り続けた奴に言われたくはない。しかも俺がやってる間だってずっと狩り続けていたじゃないか〉
〈ねぎまぐろ:だから私は止められなかったんですよ。先に止めると負けた気がして〉
負けず嫌いだなあ。俺も言えないけどさ。ねぎが隣で休まず狩ってると思ったら、こちらも休めなかった。どうやら二人は似た者同士っぽい──って八時間!?
〈みつき:ちょっと待ってて〉
完全に皆実の事を忘れていた。急いで和室に向かう。
皆実は布団に潜ってマッシュをプレイしていた。近づいて画面を覗き込むと、俺達から少しだけ離れた場所にいる様子。俺達のチャットログも表示されていた。
皆実が画面を見つめたまま、話しかけてくる。
「放置されるのはわかってたけどね。兄ぃは夢中になると回りが見えなくなるから」
「ごめんなさい」
「友達になったのならFLに登録するといいよ」
言い終わるや、皆実は布団を頭から被った。もう明らかに不機嫌。仕方ない、明日は好物のイチゴ大福を買ってきて埋め合わせをしよう。
〈みつき:ただいま。妹がFL登録しろって言うからやってみよう〉
公式サイトのマニュアルを読みながら登録の手続を進める。
〈ねぎまぐろ:わあ、【みつきさんがあなたと友達になりました】って出ました〉
〈みつき:下に並んでるアイコンからFLを選んで表示してみて〉
〈ねぎまぐろ:みつきさんの名前があります〉
〈みつき:それをクリックするとチャットボックスが開いて、いつでも俺と話せる〉
〈ねぎまぐろ:わかりました、これからよろしくです〉
一区切りついたせいか急激に眠気が襲う。そろそろチャットを〆に入ろう。
〈みつき:こちらこそよろしく。眠くなってきたので今日は落ちる。おやすみ〉
「落ちる」とはログアウトする、抜ける等を指すネトゲ用語。
〈ねぎまぐろ:おやすみなさい〉
和室に戻ると皆実は布団を剥いでいた。おヘソまで丸出し。
仕方ないなあ。皆実の布団を掛け直し、そのまま隣の布団に倒れ込んだ。