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13/07/12(1) 本庁人事課:今すぐ本庁に帰るか?

13/07/12 金 15: 00


 本対昇格完了。

「せ二五‐一」、これが俺の記念すべき初本対の対象者番号である。


 今日は関東局への逓送当番、そのついでに本庁へ寄る事にした。

 せっかくだから西条課長には直接会って報告したい。

 夜には例の御褒美ということで重慶飯店フルコース。

 ボーナスも出たし、三人の貢献度を考えればそれでもまだ足りない。

 ──人事課前。ランプで在室を確認し、ノックしてから入室する。

「報告があります。一本、本対昇格しました」

「おめでとう。やったじゃないか」

「いえ、あくまでも観音さんのお力あっての事です」

 簡単に事情を説明する。

 聞き終えた西条課長がぼそりと呟いた。

「立派なマルコウじゃないか。もちろん周囲の助けは大きいが、だからといってその価値が失われるわけじゃない」

「ありがとうございます」

「本来だと、ここまで進めるのに一年はかかるからな。周囲のおかげでそれを二ヶ月に短縮できたと言うべきだろう」

 西条課長がライターを手にし、キーンと音を鳴らす。

「弥生、そこまで進めた所で言うのもなんだが……」

 西条課長が言い淀む。しかし、本当に言いづらそうなことを話す雰囲気でもない。

「何でしょう」

「今すぐ本庁に帰るか?」

 ──えっ!?

「今、何とおっしゃいました」

「本庁に帰るか、と聞いたんだよ」

 もちろん、そう聞こえた。しかし二度目にしてもなお、耳を疑わずにいられない。

「だって段原補佐と三良坂課長がいるでしょう。とりあえず本対にはあげられましたけど、マルコウ自体はまだ始めたばかりです。建前ができたとまでは……」

「あの二人については心配いらない」

 西条課長が分厚い茶封筒を取り出し、中から数枚を渡してきた。

 文書のタイトルが目に入る。その瞬間、仰天した。

【段原補佐の「調査活動費不正流用」及び「マルセの二重スパイだった件」について】

「え……と、あ……」

 西条課長に問おうとするも言葉にならない。

「天満川からあがったばかりだ。段原補佐は現在別室に拘束している」

「拘束って……」

 やっと言葉にはなったが、なんとなく宙を浮いている。

「どちらかとは目星をつけていたんだが、まさか両方とは……呆れて物が言えんよ」

「目星とは? 説明していただけますか」

「簡単な話だよ。妻帯者の私から言わせてもらえば、アイドルお手製のクッキーに三〇万円ものお金を自由にさせる女房はまずいない。子供がいれば尚更な。だったら何かしら彼の自由にできるお金があるくらいは考えるさ」

 西条課長が煙草を吸い込んでから続ける。

「そこに来てだ。どうして神様たる検事が奴隷の頼みを聞く必要がある。わざわざ願いを叶えてるからには、何かしらの理由があるよ」

「見せしめとかの理由で利害が一致したんじゃないですか?」

 そう説明されたし、納得できるんだが。

「それが理由なら二度目はない。組織内部に残してこその見せしめなのに、退職まで追い込んだらまずいだろう」

「どういうことでしょう」

「みんな君を見て『下には下がいる』と思えるじゃないか。植民地政策の基本だよ」

 最悪すぎる。

 待てよ? 要するに俺は、西条課長や観音から騙されていた?

 恐る恐る口を開く。

「まさか、私を助けるためというのも……観音さんを横浜に寄越したのも……」

「ああ、そこは本当だ。私は君さえ助けられればそれでよかった」

 西条課長はさらりと言ってのける。

 よかった……ここまで嘘なら俺はピエロだ。

 続けて西条課長の話に耳を傾ける。

「そもそも二重スパイはともかく、調活の不正流用については調べようがないからな」

「まあ、そうですね」

 客が欲しがれば、アイドルのクッキーだって本当に用意するのが俺達の仕事。使途目的からは不正流用か否かの判断がつかない。

 しかも客に協力費を渡したことにすれば裏金だって作り放題。

 現場を押さえるか密告がない限り、身内ですら取り締まりようがないのだ。

「調活はパンドラの箱。迂闊につつくと、私ですら何が出てくるかわからない」

 西条課長は苦々しげに吐き捨てる。

 文書に目を通す。

 二重スパイの契機は現場に出た時の無理マルコウ。殆ど現場経験も無いのに功を焦り逆マルコウされたとのこと。

 相手はマルコウの過程で接しているはずだからと、打ち切られたマルコウ記録を漁って割り出したらしい。観音があれを見ていたのは予対探しだけじゃなかったのか。

 それ以降の調査については本庁に任せたため、この文書には記されていない。

 俺が読み終えたのを見計らってか、西条課長が口を開く。

「以降の調査については当庁の闇とも言える部分が絡んでくるので話せない。ただ話せる範囲で私から補足しよう」

「はい」

「彼が君の文書を握り潰したのは議員工作の障害になると判断したため。その後の対立の真の目的は現場の情報を本庁でシャットアウトするためで、クッキーはその報酬」

「それなら全てを補佐止めにする必要はなかったのでは」

「その方がいかにも私怨らしいだろう。やり方が大人げないからこそ、傍から見れば仲が悪い上司と部下の喧嘩にしか見えない」

 しかも現在は自明党が政権に復帰して、マルセに逆風が吹き荒れている。まさに予想通りの展開、実際にそこまでする必要があったと言いうる。

「三良坂課長もマルセの二重スパイだったんですか」

「違う。もしそうなら工作費はマルセ側が提供するから、段原補佐は調活を不正流用する必要がない。単純に保身のため調活を使って買収したんだよ」

「と言うことは……三良坂課長も巻き込まれた側?」

「そういうことになるな。検事が美味しい話に騙されやすいのは、元長官ですらマルセに手を貸した一件を見てもわかるだろう」

 二〇〇七年、公安庁元長官がマルセ中央本部の不動産について仮装売買の当事者になるという、身内ですら信じがたい事件が発覚した。

 西条課長は「手を貸した」と言葉を選んでいる。しかし世間には「敵に寝返った」とみられて当然だろうし、申し開きもできない。内部調査の結果は「世間知らず」としか形容しようのないものだったとか。

 その事件があるだけに、買収自体には特に驚くことなく受け容れられる。

「神様ゆえってことですかね……」

「そういうこと。多額の小遣いや芸者を上げての接待でとち狂ったみたいだな」

「芸者?」

「面白い物を聞かせてやる」

 西条課長が茶封筒からUSBメモリを取り出し机に向かう。手招きしてくるのでそれに応じる。USBメモリををノートパソコンに差す。続けてヘッドフォン。

「再生してみろ」

 何だろう。ヘッドフォンを受け取ってから再生ボタンをクリック。ざざっとノイズが入る。聞き苦しいが音声は判別できる──って! この声は!

〔あん。そんなところ触らないで下さい、ここはそういう店じゃありません〕

旭じゃないか。それも安芸の店員モードのときの。

〔さっきから私に擦り寄ってきてるのは君じゃないか、本当はこうされたいんだろ〕

もう一人は年配の男性の声。

〔そんなわけありません、着崩れするからやめてください〕

〔しっかり着物で固めてるからこそ、中身が見たくなるんじゃないか〕

 ……何これ。

 ここで一旦ノイズが切れた。

 どうやら要所だけを編集してるらしく、再び会話が始まる。

〔何でも欲しい物買ってあげるから〕

〔本当ですか、でしたらエレメスのパーキンが欲しいです。もしプレゼントしていただけましたら、その夜には三良坂様のお望みがままに〕

 ぶっ! この声は三良坂課長なのか。

 パーキンって確か一〇〇万円以上したよな。

〔わかった。ではそこの彼にパーキンを届けさせよう〕

〔段原様ですね〕

〔うむ。届けた後はどうすればいい?〕

〔私から御連絡さしあげます。お名刺いただけますか〕

 再生が終わった。

「あの……これ……」

「バカだよな」

 西条課長がぼそっと呟く。

 確かにバカだけど、そうじゃない。

「これは何でしょう」

「調活使い込みの現場だとさ。これがパーキンの領収書」

 西条課長が一枚の紙片をヒラヒラとさせる。

 何が起こったかは飲み込めた。旭が安芸で働いていたのはそういうことだったのか。しかし、事態の飛躍ぶりに呆然としてしまう。

「一から順を追って話していただけますか?」

「段原補佐の協力者が千田首席だったんだよ。本庁では横領しようにも肝心の調活がないから、現場に誰か協力者がいる。そこは最初からアタリをつけていた」

「はあ」

「だから天満川が千田首席にカマを掛けてみたところ、段原補佐が回してきた領収書を提供してきた。あとは私的流用の証拠を掴むために江田島を潜入させたんだ」

「そこはわかりました、でもなぜ旭、いや江田島なんですか」

 西条課長が呆れた様に苦笑いを見せる。

「江田島は段原補佐に『ちんちくりん』と言われたんだってな」

「まさか……それだけ?」

「それだけではないな。段原補佐は君や天満川まで侮辱したそうじゃないか」

「はあ……」

 大して変わりませんけど。

 西条課長はわかっていてボケているのだろう。さらに説明を続けてくる。

「江田島はそれで怒り心頭に達したらしくてな、それを見た天満川は丁度いいと判断して話を振ったらしい」

「女って怖い……」

 そこまでやった旭も。その怒りを利用した観音も。

「私もそう思う。ここまでしなくても現場写真を隠し撮りする程度でよかったのだが……でもこれが三良坂課長を仕留める決定打になったのは間違いない」

「と言いますと?」

「パーキンの領収書まで横浜に回ってきたからさ。接待だけならまだしも、芸者への貢ぎ物ともなれば開き直る事すらできない……まあ明るみになれば自殺ものだな」

「『明るみになれば』とはどういう事ですか」

 てっきりこれを三良坂課長に突きつけたものだと思っていたが。

「三良坂課長には何も言ってない。言わずとも自らの置かれた状況は悟るだろうし。あとは異動まで大人しくするしかないだろう」

「うまくすれば三良坂課長を退職に追い込めるじゃないですか」

「そんなことをしたって次の検事が来るだけじゃないか。これからは私達が意味ありげにニヤニヤしているだけで、何でも願いを聞いてくれるだろうよ」

 一旦弱みを掴んだからにはどこまでもつけこむ。

 それが俺達ではあるのだが……ああ、そうか。わかった。

 これが観音の話していた「写真を使わない場合」か。

「段原補佐の方は?」

「最初は暴れていたけど、今は観念したのか大人しいものだ。何だったら別室に行って様子を眺めてくるか?」

 ふるふると首を横に振る。いくら憎いとは言え、そこまで悪趣味ではない。

 俺の態度を見て取ったか、西条課長が話を続ける。

「まあ依願退職してもらうよ。その後は彼に何が起こったとしても『私の関知するところではない』」

「今、変なところで言葉を強調した様に聞こえたのは気のせいですか?」

「いや? 庁舎を一歩踏み出せば、もう彼は公安庁と何の関係もない人間だろう。ただそれだけさ」

 何か引っ掛かるけど……いいや、他のことを聞いてみよう。

「では、段原補佐が私を横浜に飛ばした理由を聞いてもいいですか」

「一度目は保身。もしそうしなければ、私が彼を飛ばした。事実あの時は、外務省と『世界で一番危険な状況にある国のアタッシェポストをくれ』と交渉していたし」

 横浜どころじゃないじゃないか……。

「二度目は?」

「相手の報復を防ぐためには更なる追い打ちをかけるのがセオリーだから。敵が土下座をすればその頭ごと踏みつぶす、これは社会の常識だ」

「そんな常識知りませんし、知りたくもありません」

「では今覚えろ。後は段原補佐が単純に楽しんでたんだろう。彼はそれだけ君もキャリアも大嫌いだから」

「そうですね」

 とは言え、もう正直どうでもよかったりする。

 もちろん左遷自体については恨み骨髄なまま。でもその一方で、飛ばされなければ得られなかった物も多いから。

 ……それも、今だからこそ言える台詞か。

 西条課長がその冷たい目で温かい眼差しを向けてくる。

「これで話は終わりだ。もう一度聞く、今すぐ本庁に帰るか?」

 そんなの俺の答えはもう決まっている。

 即答した。

「帰りません。現在のマルコウを仕上げてから登録を手土産にして帰ります」

 当たり前だ。

 確かに本庁復帰はずっと夢見ていた。

 でも現在俺が欲しいのは身分なくとも自分を語れる力。

 やっとその足掛かりを得たのに帰れるか。

 それだけじゃない。

 自力で手にした勲章が欲しい。

 その先にある達成感を味わいたい。

 西条課長は笑って頷いた。

「わかった。もし君が登録できれば、私も人事上の得点になるから止める理由はない。その時は千田首席の悲願もきっと叶うだろうよ」

 関東局首席ということか。

 観音の要求した「覚悟」をもって領収証の提供をしたのだろうし、それくらいは報われて欲しい。

 ただ、「もし」はないものだ。人間関係の構築という点では、既に登録のレベルに達しているはずなのだが……。

 まあ確実性のある言い方を決してしないのが官僚というもの。

 ここは俺の気にしすぎというものか。

「ありがとうございます。何としても登録まで持っていってみせます」

「頼もしいな。その調子なら天満川も心おきなくアタッシェ研修に行けるだろう」

「そうですね。観音さんも『横浜に行け』という西条課長の指示を無事に果たせた事ですし、きっと大手を振って二‐二生活を味わうんじゃないですか」

 西条課長が目を丸くしてぽかんとしている。明らかに本気で驚いている。

「何のことだ?」

「何のことって?」 

「まるで私が彼女に横浜行きを命じた様に聞こえるんだが」

「私はそう聞いてますけど」

 直しの一件の時の車の中で「あの人が行けと言うなら」とはっきり聞いたぞ。

「冗談じゃない。横浜行きは天満川自身が希望したことだぞ。私は新庄君──もう一人のマルコウができるキャリアを横浜の首席に押し込むつもりでいたのだから」

「何ですって?」

「天満川からどう聞いたか知らない。でも君を助けるだけならその方が早いだろう」

「おっしゃる通りです……」

 それなら千田首席の出方をわざわざ窺う必要なんてない。首席本人が最初から仲間なら、着任時点で俺を庁内ニートから確実に解放できる。

 そして新庄さんは俺より一〇年以上先輩、ちょうど首席になる頃合いなのだから。

「私は二‐二で待機させる予定だったんだ。それを天満川の方が『課長にはお世話になりましたから』と言い張ってな。天満川に何の得もないのはもちろん、現場で何か問題を起こせば、せっかくの人事をふいにしかねない」

 西条課長が溜息をついてから言葉をつなぐ。

「しつこく止めもしたが耳も貸さない。それで仕方なく折れたんだ」

 どういう事だ。訳がわからないが、フォローだけは入れておこう。

「私の勘違いかもしれません。申し訳ございません」

 俺が頭を下げると、西条課長がポンと肩を叩く。

「どうでもいいさ。結果的にはそのおかげで全て上手くいったのだから気にするな」

「はあ……」

「それに君の言ってる事が本当なら、何となくだが事情は察せられたし」

「どういう事でしょう」

「さあな。では、これからも頑張れ」

「はい、失礼します」


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