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13/05/27    スポーツクラブ:弥生さんってかなり偏った趣味してますね。

13/05/27 月 19: 00


 CARPに到着。更衣室に向かう途中にマルタイとすれ違う。

「金本さん、こんばんは」

 いつも通りに声を掛けて会釈する。

 マルタイがこちらに視線を向ける。

「弥生さん、こんばんは」

 ……ふう、ちゃんと今日も挨拶してくれた。

 毎回の事ではあるけど、挨拶が返ってくるまではドキドキする。

 端から見ればきっと普通の挨拶風景。

 間が空いたとしても秒数コンマ二桁以下だろうに、無限とすら感じてしまう。

 でも挨拶も「名前を呼んだら名前が返ってくる」という二段階目まで進んだ。俺の名前がマルタイの口を衝いて出る、そういう関係になれた事が重要なのだ。

 正確には第三段階かな。俺は下の名前で呼んでもらっているから。サウナで皆からそう呼ばれていると話した時は「くりくりお目々だし無理ないよね」と返された。マルタイの台詞は脂肪に埋もれていた顔が戻ってきた証。俺も自然と笑みがこぼれた。

 ──更衣室に到着。

 事務所で待機している観音の携帯に電話を入れ、一コールで切る。いわゆるワン切りで「マルタイ現認」という合図。受けた観音は、県本前で待機しているシノと旭に「あがれ」と連絡する手はず。

 そう、いよいよ本日から尾行作業も始まったのだ。

 尾行作業を開始するにあたっては少々の準備を要した。

 旭には、観音が連日つきっきりで尾行の特訓を施した。

 マルタイの代わりを演じさせられたのは土橋統括。

 最初は「ぶぅーぶぅー、あのクソババアぁ」と文句ばかり。しかし特訓の終わる頃には、娘さんから「パパ痩せて格好良くなった」と言われたらしく御機嫌だった。

 シノは「目立つ」という課題をどう克服するか思案に暮れた。

 派手顔で超のつく美人な上に魔乳。街を歩けばどうしても人目を引く。そのせいで監視や尾行は元々苦手で嫌いだとか。

 微乳に見せるブラは最初からサイズが合わなかったと嘆いていた。思い余ったシノが脂肪吸引の予約を取りかけた時は慌てて止めた。

 結局、観音と旭の三人で相談し、ゆるゆるのTシャツで誤魔化すことに落ち着いた。ただ……Tシャツ姿は俺も見たけど……それですらバシッとはち切れそうだとは口が裂けても言えなかった。

 さて、着替え終わった。今日も頑張って歩こう。


 ウォーキング終了。

 バイクは終わると膝が抜けそうになるが、ウォーキングは全身隈無く疲れる。

 ふらふらで更衣室に戻り、体にべっとりと貼りつくTシャツを引きはがす様に脱ぐ。続けてトレパンとトランクス。全部ロッカーに放り込んでサウナへ向かう。

 ──サウナ室にいたのはマルタイだけ。両手を膝に当て、どかりと座っている。

 マルタイの対面に腰を下ろす。

「弥生さん、お疲れ様。もう終わったの」

 やった、遂に先方から声を掛けてきた。一段階アップ。

「金本さん、お疲れ様。もうくたくたです」

「でもサウナが気持ちいいでしょう。私は一日の中でもこの時間が一番好きでしてね」

「あーわかります。何というんでしょう、天に昇れそうな気怠さというのか」

「弥生さんもそこまで痩せるほど頑張ってれば、私と同じ気持ちにもなりますよね」

 こういう共感を繰り返して関係を深めていくのがマルコウなんだろう。

 本来は相手好みの人間を演じるのだろうが、今回の俺は素で進められる。その点は楽だ……って。

「『そこまで』ってどういうことでしょう」

「だってここ一ヶ月半、ずっと頑張っていたじゃないですか。目にも入りますよ」

 マルタイがにかっと笑う。

 なるほど、実際はCARPに通い始めた日からマルコウが始まっていたわけか。予め印象付けが済んでるから現在スムーズに流れてるんだな。

 間違いなく、観音はそこまで計算済。心の底から敬服してしまう。

「でも金本さんこそ頑張っていらっしゃるじゃないですか、いい体してますよね」

 マルタイはがっちりした筋肉質。

 脂肪はうっすらと浮いているが六〇歳近い男の体とは思えない。

 ただ、豪快な印象は受けない。どことなくうちの幹部に似た生真面目さを感じる。勤務先の県本が事実上のマルセ領事館というお役所的な存在であるせいだろう。

「いい体という表現は気持ち悪いからやめて下さいよ。私も男なんですから」

「失礼しました」

 まるでねぎの様な事を言う。男なら誰でもそう思うだろうけど。

「弥生さんだって女性の方がいいでしょう。吉島さんと仲いいみたいですし」

 ん? このどこか引っ掛かる感じはなんだろう。

 前段はわかる。でも、吉島さん? 自然なようでそうじゃないような。

 マルタイはニヤニヤと下卑た笑いを浮かべている。醸し出す雰囲気と全く見合っていないが……彼も男ということなのかな。

 求めている答えと違っていたら怖い、けど、ここは冒険するしかあるまい。

「年が近いからそう見えるだけで、やっぱり先生と生徒ですよ。あの筋肉質で引き締まったスタイルは魅力的だと思いますけど」

「ですよね。男ならきっと誰でもそう思うでしょう。私もそうです」

 マルタイがうんうんと頷く。どうやら性癖を探ってきたということで正解だったらしい。だったら下品になりすぎない程度に、この路線で少し掘り下げてみるか。

 同じ貧乳フェチなら、それこそもっと盛り上がる。

「やはり金本さんも、あの鍛え上げられて脂肪の無い胸が好きなんですか」

 マルタイが口を開け、ぽかんと呆れた顔で俺を見る。

「弥生さんってかなり偏った趣味してますね。まあ……人それぞれですけど」

 しまったか?

 しかしマルタイはまるで遠くを見やる様にしながら更に続けた。

「私が好きなのは筋肉そのものです。あの無駄の無い体型を造り上げるのにどれだけトレーニングを重ねてきたか。それを思うと、見ているだけで清々しくなります」

 偏ってるのはあんたの方だ! そう叫びたいのをぐっと抑える。

「筋肉、ですか」

「実はですね、私の女房がダルマみたいな女でして──」

 ぶはっ。笑いを堪えるべく、奥歯を力一杯噛みしめる。

「──もうそれを見るのが辛くて、正直なところ家に帰りたくないんですよ。私はこうしてジムで汗を流しているのに、女房と来たら食べては寝ての繰り返し。注意すると『離婚してやる』の一点張り。それでいつの間にか女房と正反対の筋肉に惹かれる様になったんですよね」

 フェチを説明する体裁こそとっているが、実際には妻の愚痴。これはどうやら観音の決めつけ──「ぼっち」が当たったか。

 もし防衛意識が高ければ、どんな相手にも自分のプライベートは話さない。

 マルタイも部長まで出世している以上、かつてはそうだったはず。恐らくは閑職に回されて活動家人生が終わったも同然の身だからだろう。そして離婚を恐れている辺りは、やっぱり昔ながらの活動家だ。ダルマ妻は元大物商工人の娘だから。

「ごめんなさい。僕には『お気持ちはわかります』としか言えません」

「いえいえ、筋肉は節制と努力の証。弥生さんはそのことを言葉だけでなく、心底から理解してくれているものと思ってます──」

 そんなに熱く語られても。そしてそんなの決めつけられても。

「──弥生さんは、糖尿病対策はもちろんとして、自らのぶくぶく太った醜い体が嫌だからこそ改善すべく頑張ってるはずです。そういう前向きな方は好きですよ」

 なんか勝手に筋肉フェチの仲間入りをさせられてしまった。

 でも「好き」と言ってくれるならそれで構わない。少なくともムダがないという点において同好の士には違いないし。

「ありがとうございます」

 俺の礼に、マルタイがにかっと笑う。何だかすっかり毒気を抜かれてしまった。

 でも案外楽しい人だ。これなら今後も上手くやっていけるかな。


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