13/05/01(1) 赤レンガパーク:ほらもっとくっついて。恋人同士に見えないよ?
13/05/01 水 08:30
ゴールデンウィークの真っ只中、みなとみらいの赤レンガパーク。
俺とシノは二人ともラフな格好で腕を組みながら歩いている……と言ってもデートではない。伊達眼鏡で軽く変装中、つまりはお仕事中だ。
目の前の本来広々しているであろうスペースは、今にも群衆で埋まろうとしている。みんなポロシャツにチノパンといったカジュアルな格好。しかし彼らもまた、決して行楽目的で集まっているわけじゃない。
「そろそろ人が集まりだしたね」
「本当に熱心なことで。中には絶対ぼやいてる人いるぞ。『連休なのにどうしてデモ集会に参加しないといけない』とかな」
「それは監視する側の私達も同じでしょ」
本日はメーデー。全国各地で左翼団体によるデモ集会が行われる。国内を担当している調査第一部では「お祭り」と呼ばれる日。一部だけでは人手が足りないので二部の俺達も助っ人に狩り出されている。観音と旭もまた然りで、他の場所に赴いている。
「あの人はマルケイだね。あそこは自衛隊」
「こういうの来てると、一般人の振りしてても何故かわかっちゃうよな」
不思議なものだ。全身から発する匂いというか、雰囲気というか。
これがベテランの土橋統括とかだと、もはや互いに顔見知りだったりする。
「そういう弥生だって、いつもより顔険しいよ」
「そう? 別に緊張してるつもりはないんだけどな」
だって本日は防衛に気を使う必要がない。担当が違うから、調査対象団体に正体がばれたところでかまわない。メーデーは一般人の参加も多いから、監視がばれて締め上げられることもない。
……と言っても、一応は仕事。自覚こそしてないものの、完全に警戒を解いているわけではないのだろう。
組んでいる腕を、シノに引き寄せられる。
「ほらもっとくっついて。恋人同士に見えないよ?」
胸が当たって気持ち悪いからやめてくれ、とはさすがに言えない。
「離せ。別に今日の集会で恋人同士に見える必要はないだろうが」
「基本だよ、基本。うちの職員に見えないに越したことはないじゃんか」
デブと魔乳はぶよぶよしあって最悪の相性じゃないか。シノはデブ専だからいいだろうけど、こちらは生理的に受けつけない。
女と腕を組んだ感触は、柔らかみの中にどことなく骨格を感じるくらいで丁度いい。まったく脂肪がないのも困るが、世の中には適正という言葉があるのだ。そしてそのためには男の側も痩せてないといけない。
うん、そうだな。やっぱり痩せよう。
しかし、頭痛くなる。旭と組んでる時の方がよっぽどマシだった。今回だって、本来は旭と組むはずだったのに。
先週末──首席と飲んだ翌日の観音との会話を思い出すと、色々複雑な思いがこみ上げてくる。
※※※
いつもの喫煙室。観音が煙草に火を点けて溜息混じりに煙を吐き出す。
「メーデーさ。弥生はシノと組んでくれ。そして集会調査について教えてやってくれ」
「はい?」
耳を疑う台詞。なぜ俺が教える?
「君はシノと違って、基本だけはちゃんと上から仕込まれてるだろ?」
新人キャリアを現場に出すときは、割としっかりした上司を選んでつける。そして報告書の書き方や集会調査、基調など基本的な事は仕込まれる。
ただしそれ以上は教えてくれないし、やらせない。
キャリアを育てたところで再び現場に戻ることはないからムダなのが一つ。万一にでも事故を起こされたら自分の役人人生が終わってしまうのが一つ。
だから仕事は書類等の事務処理や雑用を与えられるだけ。たまに適当な予対を作っては、基調を口実とした外回りに出かけて息抜きをする。そんな感じでキャリアは現場の二年間を終える。
「そうですけど、観音さんがシノと組めばいいじゃないですか」
「実際そのつもりだったんだ。だけど話を切り出しかけたら(何で私と観音さんが組むんですか)と無言の圧力を感じてな。それなら弥生と組もうと言いかけたら(何で弥生と観音さんが組むんですか)と明らかな敵意を感じてな──」
こいつらバカか……。
公私混同するシノもバカだが、それに屈する観音もバカだ。
「──そういうわけだから君とシノで行ってくれ。メーデーは集会調査の基本が詰まってるし、二部の私達にはどうでもいい仕事だし、おまけにデートスポットときたものだ。色々と丁度いいだろ」
デートスポットな分だけ尚更悪いわ。
「もっと毅然として下さい! あなたはシノの上司でしょうが!」
「うるさい、うるさい、うるさい! メーデー調査ごとき誰が行っても変わらん! そんな仕事で無益な争いするのはごめんだ!」
逆ギレしやがった。しかも駄々こねながら。
全然かわいくねーよ、この自称児ポ法違反女が。
「二人が争い避けられる代わりに、私は大迷惑するんです!」
「私こそ大迷惑なんだがな」
「はあ?」
急に素に戻りやがった。
「あのカミングアウト以降、シノの目が怖いんだよ。君は隣だから見えないだろうけど、ふと見上げたら、私をじっと睨んでたりするし。言葉にしない分、余計怖い」
「はあ……」
面倒くさいなあ。こういうのが嫌だから職場に色恋沙汰は持ち込みたくないんだ。
観音だと尚更だろう。勤務時間中は仕事のことしか頭にないから。
それどころか……口じゃなんのかんのと言いながら、家でも仕事関連の文献に目を通したり、語学の勉強したりの生活なんじゃなかろうか。実際に観音は英語もハングル語も堪能。特に後者は入庁後に覚えたらしいし、そうでもないと説明がつかない。
観音のぼやきが続く。
「大体だな、どうして私が君の事でシノから恨まれなければならない。私が君を口説いたとでもいうならともかく、筋違いもいいところだ」
いや、そこは違うだろ。筋違いなのはその通りだけど、ある意味では観音の自業自得。シノを暴発させたのは間違いなくあなたが煽ったからだ。しかもそのシノは俺の味方をしてくれてのこと。ここもやっぱり言葉を濁すしかない。
「はあ……」
「まあ、ここまでは私のグチだ。その上で君には頼み事がある」
「昨晩私を見捨てたその口で、一体何を頼むというんですか」
我ながら嫌味以外の何物でもない台詞。でもあえてぶつけて反応を試してみる。昨晩も帰宅後に考えてはみたが、あまりに唐突すぎて正直解せない。
一方で、今はこうして普通に話している。何か怒らせたとか、気に障ったとか、そういうわけではなさそうなのだが。
……と言うよりも、恐らく別れ際の浮かれた態度は、俺達が必要以上に気まずくならないための気遣いだったのだろう。つまり観音が突き放したのは、あくまでも仕事面に限ってということだ。
「君は意地悪だな。そんな言い方されると、私も『若い』んだからすねるぞ?」
若いってより子供じゃないか。
「すねるとか言わないで下さい」
「で、頼みというのはだな」
この女、強引に話を戻しやがった。
結局のところ観音の考えてることはわからない。唐突な、と思う。ふざけるな、とも思う。でも、ここは動ける様にしてもらえただけマシと思うしかない。続きは連休明けに考えることにして、とりあえずは現在の話を終わらせよう。
「何でしょう」
「私とシノの間に君がクッションとして入ってくれ」
「それこそ上司が何言ってるんですか……」
「シノのためだよ。今回だけでいい」
一旦は呆れかけるも、観音は真顔。ふざけて言っているわけではなさそうだ。
「うかがいましょう」
「シノはプライドが高い。君の事は置いといても、シノが私に対して燃やさなくていい対抗心を抱いているのは勘づいてるだろ?」
意外な台詞……でもないか。むしろ俺でわかるものを、当の観音が気づかないはずがない。
「でもシノは『仕事を学ぶ貴重なチャンス』って言ってましたよ。『負けを認める価値がある』とも」
「そんなの言葉通り受け取るなよ。お嬢様の自己欺瞞じゃないか」
ひ、ひどい!
的は得ているけど、あえて言葉通り受け取ってやるのが優しさだろう。
「部下に向かって、よくそんなこと言えますね。シノが嫌いなんですか?」
「いや? 抱きついて罵倒されても我慢できるくらいには大好きだぞ」
「そういうのは大好きと言いません」
むしろそんな台詞が出る辺り、はっきり根に持っているじゃないか。ネタにするくらいには嫌いでないとも言いうるが。
「今のは洒落だけど、現実は現実として見ないとだめって話さ」
「随分とドライですね」
言葉を選ばなければ、まるで人間味を感じない。
「そうじゃないとスパイ仕事なぞやってられない。本題に戻すぞ」
「はい」
「もし私が一から十まで教えようとすれば、シノも意固地になりかねない」
「そうかもしれませんね」
シノが観音に悔しい気持を抱いてるのは事実だからな。マルコウの話に限るならシノもまだ素直に耳を傾けられるだろう。しかし基本的な事から注意されれば直しの一件みたいになりかねないのは確かだ。
「そこにシノが君を好きという事実が判明した。シノは君の言う事なら喜んで聞くだろうし、熱心に取り組みもするだろう。だったら君に教えさせた方が早い」
この女、悪魔だ。
「シノの私に対する好意を仕事に利用するって、あなたは人でなしですか」
「今回だけさ。それで結果的にはシノのためになるんだし。君にすれば、教える『相手』が旭からシノに変わっただけ。教えるという『行為』は同じだろ?」
「おっしゃる通りですが」
「付け加えよう。恐らくシノは褒められて伸びる子。できれば叱りたくない。君を間に挟んでおけば、シノが何かやらかしたとしても君を叱ることで体裁を保てる」
シノの性格については同意する。
先日の飲み会を思い出しても、お嬢様然としたシノは確かに打たれ弱そう。一方でシノが張りきって仕事をこなしていたのは生真面目という理由だけじゃない。土橋統括が口出しをせず、褒めて持ち上げてたのも大きいはずだ。
……だけど俺は叱ってもいいのかよ。
「これまた随分と部下に優しい上司ですね」
もちろん皮肉混じりだが。
「何を今更。私は君にも優しかったはずだぞ?」
観音が笑いながら茶化して返す。
たわいもないやりとり。
しかしその台詞は既に過去形となっている事に気づく。
「そうですね」
それだけ言って、笑い返した。




