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13/04/16    横浜オフィス:人権侵害です!

13/04/16 火 14: 00


 出先直行だった観音が出勤してきた。

 観音は机の上に置かれたノートに目を通すや絶叫した。

「弥生、これは何だ!」

「見て分かりませんか? 見ての通りのダイエットノートですけど」

「そんなもの見れば分かる! ここに書いてあるのは何だと聞いている!」

「見て分かりませんか? 見ての通りの昨日の運動量と体重と食べた物ですけど」

「だから、この昨日の夕食は何だと言っている。巨大ビーフカツカレー、特大ロコモコ弁当、重量級幕の内弁当と概算で五〇〇〇kcalオーバー。これだけで成人男性が一日に必要とするカロリーの二倍だぞ」

「だって半額だったんですもの」

 夕べCARPの帰りにスーパーへ寄ったら、丁度半額タイムだった。俺は運動後の空腹感に誘われるまま弁当コーナーに特攻。我が巨体をもって学生やおばさん達を押しのけ、持てるだけ持ってレジに向かった。俺も人間、本能には逆らえないから仕方ない。もちろんその後は心ゆくまで腹を満たした。

「どこの子供の言い訳だ。その頭の中は夕べ食べたカレールーでも詰まってるのか」

「観音さんだって半額タイムを愛する一人じゃないですか」

 ここでシノが援護に入ってくれた。

「私達ってお給料安いものね」

「シノは黙ってろ。旭ちょっと来い。私の上に乗っていいぞ」

 旭が喜んで飛び乗り、お姫様座り。

 あっちは旭を抱き込みやがった。

「私こそ家計を切り詰めるためだ。君と一緒にしないでくれ」

「弥生さん、三つも買う時点で節約になってませんから~」

「俺にとっては三つで一つだ」

「定価で三つ買う時の半額なんだから、ちゃんと節約になってるじゃない」

 観音がいかにもあてつけがましい嘆息をつく。

「はあ……私の水着姿を覗きに来る性欲と体力がある癖に、まだ食い足りないのかよ」

「なぜそれを。まさか見てました?」

 こちらに気づいた気配は全く見受けられなかったが。

 観音がニヤニヤする。

「君って最悪だな。本当にそうだったのか」

 この女カマかけやがった!

「観音さん、卑怯です!」

「ふふ、でも男の子だから仕方ないよね。ついでに夕べ布団の中で何をしていたかも、今ここでみんなの前で詳細に具体的に隠すことなく大声で語ってごらん?」

 いつもと違う妙に女らしい口調がこの上なくイラつかせる。きっとこれもカマをかけているだけだ。迂闊に口を滑らせてはまずいので黙り込む。

「弥生さん、職場の上司相手に何してるんですか~、セクハラにも程があります~」

「弥生最低。でも観音さんも、それってパワハラですから」

 逆効果だった。観音が伏し目がちに蔑んだ視線を向けてくる。

「まったくもう。そんな調子じゃ、どんな女性からも相手にされないぞ」

「私には吉島さんがいますから大丈夫」

「弥生、誰それ」

 あれ、シノが何だか不機嫌そうな細目で睨んでくる。

「スポーツクラブのインストラクター。すごく可愛いし優しかった」

「君はついに現実も見えなくなったか。いいか、これを見ろ」

 観音は机の引き出しを開けると、中からアニメ美少女のフィギュアを取り出した。それも二体三体……ずらずらと並べ始める。ああ、まさに美少女動物園という形容が相応しい。本来の用法は違うけど。

「観音さんにそんな趣味があったんですか」

「弟のだ。見ててキモイから取り上げてきた」

 それって観音が趣味という以上に信じられない。観音なら仕事の可能性があるけど、あの男の娘がオタってことだろ? 他の二人は知らないから「へえ」程度の反応に終わってるけど。

 観音が一体のフィギュアを手に取り、眼前にぐいっと突きつけてきた。

「吉島さんはこのアニメヒロインと同じだ。甘えたデブにとって耳触りのいい台詞を吐く。でもそれは仕事だからだ。何の理由もなくデブにそんな態度を取る女性がいると思うか」

「いないです~。現実の女性が優しくする時は常に下心があります~」

 旭が身も蓋もない現実的な台詞を吐きやがった。

「男の幻想ぶっ壊すんじゃねえよ!」

「キモ」

 シノ、お前まで……。

 もはや四面楚歌とまで言える状況の中、観音が俺に突きつけているフィギュアを指でなぞっていく。

「目が大きくて頭が小さくて足も細くて長くてボンキュッボンのありえないスタイル。現実にこんな女性がいると思うか」

 話が脱線してるじゃないか。吉島さんとは何の関係もないだろう。よくも俺の筋肉貧乳をバカにしやがって。

 むかついた。美少女動物園に手を伸ばしてフィギュアを掴む。すぐさま観音の眼前に突きつけ、あわせて隣席の女性を指さす。

「現実にここにいるじゃないですか。目が大きくて頭も小さくて足も細くて長くて。しかもありえない魔乳と細い腰と形のいい小尻。おまけに優しいときたものだ」

「あの、えっと、その……」

 シノが真っ赤になっている。

「弥生さんは何を口走ってるんですか~。それとシノさんは現実における例外です~」

 旭にしてはごもっとも。放った台詞の重大さに気づき、顔が熱くなってきた。

 観音が呆れ口調で口を開く。

「はいはい、そこの『若い』お二人さん。いちゃつくのは帰ってからやってくれ」

 ……しばしの沈黙を続けた後、観音が再び口を開いた。

「ここは、観音さんも『若い』ですよ、って返すとこじゃないのか?」

 俺、シノ、旭の三人が顔を見合わす。俺達の気持は、もう絶対に同じだ。

(この女、面倒くさい!)

 あまりにも寒い空気、何とかしようと口を開く。

「大体私の理想の外見の女性がいたって、中身はとんでもないのしかいませんしね」

「どこの誰を指して言ってるのか知らないけどさ。飴玉を咥えた様なほっぺた。たぷたぷしたくなる顎。でっぷりと肉のついた腹。そんな男って、外見完璧で中身最高な私は御免だぞ」

 シノが低く重苦しく唸る様な声で呟いた。

「そんなことはないと思います」

 横を見ると、シノは俯いて肩を振るわせている。

 観音はシノに向けて目を細め、笑止とばかりに嘲り出した。

「はっ、なんだシノ。さっきからずっと弥生を庇い続けている様に見えるんだが。私の気のせいじゃないよなあ」

 シノの声が、さらに低くなる。

「だったら、どうかいたしましたか?」

 観音が、ひゅうと口笛を鳴らす。

「では問おう。まさかとは思うが……弥生の事が好きなのか? このデブで豚の肉塊が好きなのか?」

 ──バンッ、と部屋中に激しい音が響き渡った。

 両手で机を叩いたシノは、すっくと立ち上がり、俺の背後に回る。

「デブだの豚だの肉塊だの言わないで下さい。言われた人がどれだけ傷つくと思うんですか。『恰幅がある』っていうんです。頼もしいじゃないですか」

 振り返ると、シノはシノらしくない鋭い目で観音と旭を睨み付けていた。

 睨まれた側の二人が戸惑いを見せる。

「え、えーっと」

「シノさんが何だか変です~」

 シノに頭を掴まれ、顔の向きを強引に前方へと戻される。続いて、後ろからほっぺたを引っ張られた。

「この柔らかいほっぺた。気持ちよく伸びると思いませんか。世の中の痩せた男性のどこの誰がこんな素晴らしいほっぺたを持ってるというんですか」

「あにょ~」

 戸惑いを伝えようにも言葉にならない。

 シノは手を離すと、今度は顎をさすってきた。

「このぷよぷよした顎。たぷたぷと聞こえてくる様で、ああ、何て素晴らしい」

 後ろが見えないのだが、前にいる二人が実況してくれる。

「うっとりと恍惚の表情を浮かべている」

「至福とはきっとこのことです~」

 シノが抱きついてきた。背中に当たる柔らかい感触に吐き気を覚える。一方で鼻腔を擽る石鹸に似た香りと頬に当たる優しげな吐息は、シノが女性であることを否応なく意識させる──ちょっ! 頬ずりしてきた? 両手でおなかを撫でてきた!?

「このたゆんたゆんとそれでいて張りのあるお腹。触っているだけで心が癒される……ふっくらでもちもちしてて……ずっと我慢してた……ずっと撫でたかった……」

「まさかシノって……」

「デブ……専~?」

「そこは訂正して下さい。私は『恰幅がある人』が好きなんです」

「どっちでも……」

「いいですけど~……」

「今の弥生は私の理想なんです。それを観音さんは無理に痩せさせようとして……弥生にだって食べる権利もあれば太る権利もあるんです! 人権侵害です!」

 え……と……呆然としかける、ここでシノに体を向かい合わせられた。

「弥生! ずっとあなたが好きだった! 私とつきあって!」

「………………………………………………………………………………ごめんなさい」

「おかあさああああああああああああああああああああああんんんんんんんんんん」

 シノは泣きながら外に飛び出していった。

 この展開は何ですか? むしろ俺が泣きたいんですけど。

 旭が観音の膝から立ち上がり、ふらふらと自らの席に戻っていく。椅子に座ると背もたれに体を預ける様に天井を見上げ、何やら呟き始めた。

「シノさんがデブ専……シノさんがデブ専……あは、あはは、あははははは~」

 まさに壊れたCDがごとく、うわごとを繰り返している。むしろ旭そのものが壊れてしまったと言うべきか。

 観音も視線を宙に彷徨わせる。そのどこか焦点が合わないままの目で問うてきた。

「シノが帰ってきたら、また抱きついてすりすりした方がいいかなあ」

 こちらも台詞が空を滑っている様。茫然自失とは、まさにこのこと。

「何もしなくていいと思いますよ」


 どのくらいの時間が経ったろうか。ようやくシノが部屋に戻ってきた。

「観音さん。午後休取って帰ってもいいですか」

 シノの顔は涙で化粧が崩れ、パンダみたいになっている。

「あ、ああ。何だったら明日も明後日も休んでいいよ。ゆっくり休め」

 シノは頭をうな垂れ、足を引き摺る様に歩きながら帰って行った。

「観音さん……私……頑張ってダイエットします……元に戻ります……」

「そうか……」

 その後は定時まで二人とも無言。旭はずっと壊れたままだった。


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