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13/04/05    横浜喫煙室:ないなら作ればいいじゃないか

13/04/05 金 10: 30


 人事異動も一段落、いよいよ本日から仕事モードに復帰。

 現在は喫煙室で今年度の方針について会議を始めたばかり。土橋統括が、客の割当を記したプリントを配布する。

「じゃあ天満川さん、後はよろしくねぇ」

 昇進しても仕事嫌いは相変わらず。

「はい、土橋統括」

 観音がにこやかに返事する。しかし土橋統括はその顔を見ることもなく、既にドアを開けていた。

バタンとドアが閉まるや、観音が舌打ちする。

「ちっ、厨二統括が」

「厨二統括って……」

 ひどすぎる、だけど土橋統括は言われても仕方あるまい。シノも俺と同じ思いらしくフォローを入れる。

「観音さんの気持もわかります」

 しかし観音は更に悪態をつく。

「わかってたまるか。この割当表を見てみろ」

「うわ……」

 俺とシノが口を揃える。割当表には客が番号名で記されている。その横の担当者欄には観音の名前がずらっと並んでいた。

「あの男、自分の客のほとんどを私に押しつけやがった」

 客は調査官の命綱、だから普通は押しつけるどころか取り合いになる。つまりこの割当表の有様は、土橋統括がそれくらいに仕事する気ない事の顕れである。

 観音がぼやくのは押しつけられた事そのものより、そんな人を上司に仰いでしまった我が身の不幸だろう。これから先も色々押しつけられるのは目に見えてるし。

 シノが割当表を見ながら呆れる。

「でも役所関係やマスコミとか〝運営〟が楽な客だけはちゃっかり確保してますね」

 運営とは客を活用すること、平たく言えば会って話を聞くこと。

 役所関係やマスコミは、特にみんなが欲しがる客の代表格である。何と言っても一般人。しかも確実に情報をもらえるから、楽な事この上ない。

 観音が苦々しげに煙草をくわえる。

「まあ、どうせ横浜にはろくな客がいないからな。県本に商工会関係に……必要なところに客がいないんだから、厨二がどうしようと同じだ」

 シノが観音に頭を下げる。

「申し訳ありません、私なりに頑張っているつもりなんですけど……」

「簡単に作れれば誰も苦労しないよ、そこは気にしなくていい」

「はい」

「シノの担当は昨年度と同じ、弥生は何も無し。これで私からの説明は終わりだ」

 観音が灰皿に煙草を押しつけ、立ち上がろうとする。

 そのタイミングでシノが慌てた様に呼び止めた。

「観音さん、少しお時間いいですか?」

「なんだ?」

「観音さんって以前に登録してるんですよね。よかったらそのコツを教えてもらいたいんですけど」

 勉強熱心なことだ、いかにも真面目なシノらしい。

 観音が座り直す。目線を上方にやりつつ腕を組み、いかにも思案する仕草を見せる。

「コツねえ……『マルコウの基本』を忠実に守ることかなあ」

「マルコウの基本、ですか?」

 シノが怪訝そうに問い返す。

「うむ。一つ、私から聞こうか」

「何でしょう」

「マルコウ、具体的にマルセツは何のために行って何のために繰り返すんだ?」

「マルタイと関係を深めるため、仲良くなるためだと思いますが」

 シノは不満げな顔をして答える。その胸中は「何を今更」とか「バカにしてる」といったところか。

 しかし観音はすましながら、シノの答えをさっくりと否定する。

「違うな」

「えっ?」

 シノが意外そうな顔をする。

 観音はまるで予定していたかの様に、間を置かずシノへ問う。

「じゃあ質問を変えようか。マルコウは最終的に何を目指して行うんだ?」

「登録です」

「登録は何のために行うんだ?」

「客として運営するためです」

 観音は矢継ぎ早に質問を続ける。シノは模範生らしく即座に解答していく。

「じゃあ何のために運営、具体的には連絡するんだ?」

「情報を入手するため──あ!」

「気づいた様だな。マルセツの目的は情報の入手だ。マルセツも連絡も行為自体は同じ。ただ、呼び名が登録の前後で違うだけでさ」

「はい」

「マルタイと関係を構築するのは、あくまでも情報を入手するための手段。その点を絶対に履き違えてはいけない」

 シノは頷きながらも唇を噛んでいる。自分の常識が覆されて口惜しいのだろう。気持ちはわからなくもない。でも、お前から教えを請うたんじゃないか。内心では観音に張り合ってみたいというのがシノの本音だったのかもしれない。

 観音は煙草に火を点け、煙をくゆらせながら質問を続ける。

「次の質問だ。予対を探すのに重要な要素はなんだ?」

「条件と接点です」

 シノは苛立ちを隠さない。現場では恐らく一〇人いれば一〇人がそう答える質問だし、一研でもそう教える。

 しかし観音は興味なさげに目を細めた。

「ふーん」

「だって常識じゃないですか」

 観音の挑発的な態度は、どう見てもわざと。ここまでの流れからしても常識じゃないのは察しがつくはずなのに。それだけシノは熱くなってしまっているのだろう。

 観音が淡々とした口調でシノに問う。

「じゃあ例えば仲介者工作はその点において理想だよな。説明してみろ」

「まず仲介者にマルタイを紹介してもらう事で会えますから接点があります。そして公安庁の人間と知って会ってもらえる時点で何かしらの条件も見込めます」

「その通りだ。だったら仲介者がいればマルコウを進めてもいいのか?」

「いいと思います。実際、誰もが仲介者に飛びついているじゃないですか」

 観音が灰皿に煙草の灰を落とす。

「さっきの話を思い出せ。マルコウするのは情報を入手するためだ。いくら接点と条件があっても情報が取れなければ意味がないだろう」

「じゃあ、具体的にはどうすればいいんですか?」

「まず本庁から現場に送られる〝調査課題〟を読む。それが本庁のニーズなのだから現場はそれに応えないといけない。そこはわかるよな」

 調査課題とは本庁が必要としている情報のテーマが列挙された表。

「はい」

「ならば次に考えるべきは『どんなマルタイならその情報が取れるか』。つまり『情報の入手可能性』こそが重要な要素であって、接点だの条件だのはその後の話だ」

 これが本庁の言い分。俺も本庁にいたからわかる。

「でも接点も条件もなければマルコウできないじゃないですか」

 シノが噛みつく。その気持ちもわかる。

 現場職員の目には、机上で好き勝手言っている様にしか映らないから。

「ないなら作ればいいじゃないか。私は作ったぞ」

 観音がしれっと答える。

 シノは気を取り直したか、穏やかに問う。

「具体的にお聞かせ願えますか」

「マルタイの運転する車めがけて飛び込んだ」

 シノが口をあんぐり開けて固まった。代わりにツッコむ。

「あなたは当たり屋ですか!」

「そうだよ? あの時のおろおろしたマルタイ思い出すと、今でも笑っちゃうなあ」

 そうだよ、じゃねえよ。その台詞、人でなし以外の何物でもない。

「国家公務員でしょうが! それもキャリアでしょうが!」

「現場で国家公務員もキャリアもない。スパイ稼業で手段を選んでられるか」

 「捕まらなければ犯罪ではない、ばれなければ何をしても構わない」。これが職員達の口癖であり、スパイ業界の常識であるのは確かだが……まあいい、続けよう。

「それでも普通は保険屋とかが入るでしょう」

「酒飲んだ帰りを狙ったに決まってるだろ」

「どうせそれも『飲んだ』んじゃなく『飲ませた』んでしょ」

「さあな。さすがにそれ以上は口憚られるので内緒」

 俺達もそれ以上は聞きたくない。

 ようやく硬直から解けたシノが恐る恐る口にする。

「その犯罪まがいの真似を私達にもやれ……と?」

「そういう意味ではないよ。本来予対は自ずから定まるはずだから接点も条件もその中で探せという話だ。『基調が重要』という言葉の真の意味はそこにある」

「はあ……」

 生返事するシノに観音が続ける。

「もし接点や条件を優先にマルコウを進めると〝報告書評価〟が取れずにマルコウが進まなくなる。一体そういう調査官が全国に何人いることか」

 報告書評価はAからCでなされC+以上が優良報告として扱われる。この優良報告を何本取れるかが地方支局や調査官の評価となり、同時にマルコウの指標となる。しかし一年通じて一本も優良報告を取れないのは当たり前。評価はそれくらい厳しい。

 ついにシノは反論できなくなったか、スーツの袖口を引っ張っている。

「まさに私もその一人です。評価が取れずにマルコウが行き詰まっています」

 観音がここまで続けていたすまし顔を崩し、シノに微笑みかける。

「気に病むな。別に叱っているわけじゃない」

「はい」

「あとは勉強も大事。新聞等の公然情報や本庁資料には可能な限り目を通す。その上で考えた質問を相手にぶつけて初めて高度な非公然情報が取れる。あと、マルタイになめられないためにもさ。担当官の質問は値踏み材料の一つになるから」

 観音が煙草を灰皿に捻り、俺達を順に見やる。

「二人とも頑張れ。いや頑張ろうと言うべきか。私もまだ『若い』しな」

「はい!」


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