表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/72

13/02/14(4) 横浜オフィス:本当も何もパンスト代を弁償してくれと言っている

 会議という名のさぼりが終わったので連れだって部屋に戻る。

 席に着くと、右隣に座るシノがキーボードを叩く手を止めた。

「弥生お疲れ。これ義理チョコ」

 シノはポッキーを俺の机に置くと、すぐに手を戻してワープロを再開した。忙しいのは見ればわかる。でもせめて、こちらを向いて渡してほしい。

 シノの机の上のメモには民団とか核実験の文字。昨日のか……って昨日?

「シノ──」

 開き掛けた口を慌てて噤む。俺が言うべき事じゃない。

「何?」

「ごめん、何でもない」

 シノはふーんと流してから、土橋上席に視線を向ける。

「上席、報告書の決裁お願いします」

「了解ぃ。シノちゃん、朝から飛ばしてるねぇ。もっとのんびりやりなよぉ」

 俺も工作記録作らないと。ポッキーを咥えつつキーを叩く。

 工作記録はまず作業の内容等の客観的事実を端的に記す。次に作業にあたった印象、感触、感想等の主観を記す。

 工作記録は工作会議──マルコウについて話し合う会議の軸となるから、本来は可能な限り詳細に記すことが求められる。しかし今回はかなり適当に作成している。

 なぜなら、今朝の作業は失敗したし改めて手を着けるつもりもない。かような失敗した工作記録はキャビネットに納められる。誰でも閲覧は可能だが、時間の無駄なので誰も見る事はない。つまり決裁後は闇に葬られるも同然の代物だから。

 ──工作記録を土橋上席に提出。終わった終わった。

 背もたれに体重を預けながら呆けていると、シノが机にカップを差し出してきた。はて? 顔を見るとにっこりと笑っている。

「これは弥生だけへのバレンタイン特別サービス。暖まるよ」

 シノはそう言って着席した。

 カップの中身はココア……うーん、本来なら喜んで受け取るんだけどな。

 実は先日、糖尿病が発覚したばかり。今朝は既にチョコとお汁粉とポッキーを食べてるし、これ以上の糖分はさすがに抵抗を感じる。

 もちろん病気の件は家族に内緒。心配掛けるし、好きな物を食べられなくなるし。職場については、聞かれもしないのに自分から口にする話でもない。

「ありがと、美味しくいただくよ」

 そんな優しげに見つめられて飲まないわけにもいくまい。意識して口角を上げる。俺の顔、引きつってないよな。カップに手を伸ばす──も横から奪い取られた。

 振り向くと、そこにいたのは小柄なツインテール女。腰に手を当てながらカップを煽り、ごくごく一気に飲み干している。そんなことして熱くないのか。

「弥生さんのくせにシノさんの特別ココアを飲むとは生意気です~」

「生意気なのはお前だろうが。旭のくせに何を言っている」

 この語尾を伸ばしながらゆったりとした口調で話す女は、江田島旭。昨年四月に入庁したルーキー。高卒での入庁なので庁内最年少職員でもある。

 旭は髪型、童顔、一見幼児体型のくせして半端に無駄な脂肪だけはある、とその形作る要素全てが俺のタイプと正反対の存在。その上に生意気とくるので、常日頃からしょっちゅうこんな風にやり合っている。

 ただし今回だけは、俺の代わりに飲んでくれた事を感謝してやろう。

「シ~ノ~さぁん、ココア美味しかったです~」

 旭は座るシノに背中から抱きつき、シノの顔に頬をより寄せる。ふにゃっと目を細め、いかにも御満悦の様子。

「どういたしまして。でも他人の飲み物を勝手に飲んじゃだめでしょ」

「だって、シノさんの特製ときたら私が飲まないわけには~」

 シノは苦笑いを浮かべているが旭からは見えていないだろう。

 旭はえへへと照れ笑いしながら体を起こすと、シノの両肩を掴んで椅子を半回転させた。向かい合ったところで旭は再びシノに抱きつき、魔乳に顔を埋める。

「うーん、今日もシノさんのおっぱいはふくよかです~。元気です~。癒されます~」

「もう恥ずかしいってば……」

 シノは両腕を垂らしつつ天を仰ぎ、口を半開きにして呆ける。

 この旭の奇行は入庁時から本日まで一日欠かさず続けられている。まるでINしたねぎが俺にチャットを打ち込むかの様に。きっと旭にとっての鉄則なのだろう。

 旭には「百合の旭」という二つ名が付けられている。その由来はまさに見たまま。旭はシノのみならず美人を見つける度に抱きつきまくるのだ。旭としては美しい人が好きなだけでそっちの気はないらしい。

 これでよくトラブルにならないものだと思う。そこは旭曰く「抱きつくとまずい人は本能が教えてくれる」とか。どれだけ都合のいい本能だよ。

 シノはようやく気力を蓄えたのか、力づくで無理矢理に旭を引きはがす。

「弥生、旭ちゃんが全部飲んじゃったからおかわり入れてくるね」

 顔を背けて照れたふりをする。

 今度こそ俺の顔は引きつっていると思うから。


 ランチタイム。昨日誘いを断った埋め合わせにシノを誘い、ついでに旭も。

 現在は既に食べ終わってコーヒーブレイク中。

「弥生良かったね、ようやく外に出してもらえてさ」

 今朝の一件を思い出し、内心ビクリとする。素知らぬ顔で通さないと。

「まあな。四月にはまた元通りだろうけどさ」

「弥生さんが羨ましいです~。私も外に出たいです~。内勤はもう嫌です~」

「事務仕事が新人の役目だ。シノだって同じ道を通ってきたんだから」

「でも旭ちゃんもそろそろ外に出ていい頃なんだけどね」

「上司が忙しくて仕事教えてもらえないので、外に行く用事が全然思いつきません~」

 これは公安庁の制度的欠点。新人を指導するシステムが一研以外にない上、その一研すら単なる新人同士の交流会なのが実情である。

 OJT、つまり実務を通じて覚えると言えば聞こえはいいが、現実には何一つ制度化されていない。だから全ては本人のセンスと直属の上司次第になる。

「仕方ないよね。旭ちゃんの外事班は人がいないし」

 外事班は二‐四の中国・ロシア、二‐五の国際テロと担当範囲が広い一方、班員は白島統括と旭の二名しかいない。つまり白島統括一人で働いているに等しく、当然ながらパンク状態。連日連夜の残業が続くなか、旭を教える時間なんてあるはずもない。

「私だって仕事したいです~。仕事が覚えたいです~。早く一人前になりたいです~」

「お前が外に出たいのは、ずっと福山首席と部屋で二人きりだからだろうが」

「それも否定しません~、でも誰のせいだと思ってるんですか~。弥生さんが喫煙室に引き籠もってるからじゃないですか~。残される私の身にもなってください~」

 噛みつく旭を尻目に腕時計をちらり。針が一三時を示した。

「じゃあ出ようか。俺は用事があるから先に役所に戻ってて」


                 ※※※


 山下公園内に入り、海岸沿いに歩く。

 人気の無い場所は、と。この辺でいいか。

 怖いな……いっそ見なかった事にしたい。でも連絡を取らないと先に進めない。

 ええい、ままよ。指定された番号を入力して発信。

 一コールでつながる。

「もしもし。今朝はどうも」

「流川か、弥生と呼んだ方がいいかな」

 落ち着いた女性の声、随分とぶっきらぼうな話し方だ。台詞からは、俺が職場で下の名前で呼ばれているのを知る事が窺われる。

「どちらでも構いませんよ。早速ですが用件を聞きましょうか」

 気が逸る、早く本題に入りたい。

「そうか。実は朝の件でパンストが伝線してしまってな。弁償してもらえないかと」

 はあ? 「蹴り飛ばしたお詫びにお茶を」どころじゃなかった。あまりに右斜め上すぎて、おちょくられているとしか思えない。

「本当の用件は何ですか」

「本当も何もパンスト代を弁償してくれと言っている。今晩時間は空いているか」

「空いてます」

 本当の用件は会ってからか。完全に相手のペースだが受ける他あるまい。

「それでは一九時に横浜グランドインターコンチネンタル二階のラウンジでどうだ」

 無難な選択だな。同業者同士で会う時はホテルのカフェやラウンジが通り相場だし。

「構いません」

「OK、少なくとも私は君の敵ではない。そこは安心してくれていい」

「本当にそうであることを期待したいですね」

「分かっているだろうが内密にな。防衛にも細心の注意を払う様に」

 わかりました、と答えると女性は電話を切った。

 ふう、どうやらクビになる事態は免れたみたいだ。胸を撫で下ろす。

 彼女は確かに敵ではない。なぜなら、防衛に注意を払うのはスパイの常識。他の機関の人間なら、同業者相手にわざわざ念を押すことなんてない。

 恐らく同じ公安庁の人間だろう……でも、一体何のために?


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ