13/02/14(1) 横浜市某所:もう一本選べます、三〇秒以内に選んでね
13/02/14 木 07: 15
ここは横浜市某区某所のバス停近くの路地角。
大通りを挟んだ向かいには一〇階建てマンション。最上階に並ぶドアの一つが開くのをひたすらに見つめ続けている。オペラグラスなんて使えないから肉眼のまま。
立ち始めてから既に一時間以上が経過した。目が痛い。吐く息が白い。手がかじかむ。立ちっぱなしだから足もだるい。早く出てこないかなあ。
現在の俺は監視・尾行の任に就いている。
公安庁ではこうした監視や尾行などの業務を総称して〝作業〟という。そして作業のターゲットを〝マルタイ〟と呼ぶ。
今回のマルタイはマルセ神奈川県本部組織部長P。俺はこれからPを尾行して、彼の通勤経路とその所要時間を割り出すのだ。
現場仕事はおよそ二年ぶり。まさかこうして作業する日が再び来るとは。キャリアは新人時代の二年間、現場で見習いをする。キャリアが作業をするのはその時だけ。次に現場へ来るときは管理職としてなので、自らが動くことはない。
……などと自分で自分に語ってしまう、相変わらずのぼっちスキル全開状態。
でも仕方ない。ゲームもネット巡回もできない。付近に注意を払う必要があるので音楽すら聴けない。退屈極まりないから独り会話でもして紛らわすほかない。
コートのポケットに入れた缶コーヒーを握ると冷たい。カイロ代わりなのに、これでは用をなさない。取り出してプルトップを引っ張り、一気に飲み干す。
ドアから目を切らさない様に近くの自動販売機へ。小銭を入れてボタンを押す。
〔ぴるるるるる……ぴろぴろぴろー♪ もう一本選べます、三〇秒以内に選んでね〕
尾行の前にこれは縁起がいい。おまけが当たった時はついつい普段押さないボタンを押したくなる。暖さえとれればいいんだし、ここはお汁粉を押してみよう。
元の位置に戻る。もう片方のポケットから一口サイズにラッピングされたチョコレートを取り出す。贈り主は皆実。【お仕事頑張ってね】と書かれたカードを添えて枕元に置かれていた。口に入れる、苦みの中にほんのりとした甘みが感じられる。
そろそろ自分語りも飽きてきた。いい加減に出てこ──開いた!
マルタイがエレベーターホールに向かう。降りた後は目の前のバス停に向かうはず。マルタイが路地角を通過するまでの予想所要時間は三分くらいか。その際におけるマルタイの視野を想定。死角を計算して一〇m程、路地の奥へ後ずさる。
路地角のブロック塀の端に視点を移動。マルタイの姿が現れるのをじっと待つ。そろそろかな──マルタイ通過を現認。尾行スタート。
路地を出る。バス停に目を遣る。マルタイを確認。バス停に近づきながら全体を見渡す。バス待ちは六人か。これなら俺の存在が目立つ事もない。
バスが到着。車内前方の入口から乗り込みスマホをかざす。
バス内は若干の混雑。マルタイは車内後方に向かう。俺は車内前方中程で立ち止まり、吊り輪を握る。マルタイが座席に座った。席を覚えて目を切る。終点まで乗り続けるのはわかっているのだから出口で捕捉し直せばいい。周囲の乗客に紛れながら車窓に流れる風景を眺め続ける。
……そろそろ終点に到着か。再びマルタイの座席を視界に入れる。もう席にはいなかった。車内中央の出口付近を見る。マルタイ確認、随分とせっかちさんの様だ。
終点に到着。マルタイが降りていく。俺はゆっくり出口に移動、他の乗客を挟んでから降りる。マルタイは早足。歩幅を広げて歩く速さを調節する。離れない様に、近づきすぎない様に。
地下鉄入口に入る。改札を通過する。マルタイは真っ直ぐホームへ向かう。
ホームに着くと人はまばら。既に次発の電車が待機している。
マルタイが電車に乗り込む。早めたくなる足を踏みしめる様にして抑え付ける。ここまでマルタイが警戒している様子はない。もし警戒しているなら、後ろを向いたりトイレや売店に寄るはずだ。
よし、乗車口まであと数歩。もう少し。乗ってしまえば後は立っ──えっ!?
マルタイが電車からホームに降りた。しかも俺をじっと見つめている!
うああああああああああああ!
尾行がばれてたあああああああああああああああ!
でも、なぜ? やばい、どうする? どうしよう? ど◇す※ば?
どうするも何もこのまま乗り込むしかない──のに足が固まった。
まずい、このままだと捕まる。そうなればしらばっくれるのは無理だ。
動け、動け、動いてくれ!
しかし願い虚しく、足は床にべったり貼りついたまま。
ああ、もうだめ。天を仰ぎかける。
──背後からカッカッカッと早いテンポのヒール音が近づいてきた。
それとともに「待って~」と女性の声。何事? 反射的に振り返る。
視界に入ったのは、走ってくる黒スーツの女。
女は手前で止まると膝をかがめ、その反動で飛び上が──うげ!?
激痛が走る。腹部には女の膝が食い込んでいた。
意識が薄れゆく。ホームに倒れ込む。その中で俺は、見知らぬ女から飛び膝蹴りを食らった事を認識した……。




