13/02/13(3) 自宅:ほら皆実、イチゴ大福食べないか
残業ですっかり遅くなった。途中で買物してたから余計にだ。あいつ喜ぶかな。
〈間もなく、あざみ野、あざみ野、終点です。お出口は……〉
電車が最寄り駅に到着、ドアが開くと同時にホームへ飛び出す。
──俺の年齢よりも遙かに築の古いマンション。
階段を駆け上がり、二階に並んだドアの一つで立ち止まる。深呼吸を繰り返して息を整え、ハンカチで額の汗を拭う。ドアのノブを握る。
「皆実、ただいま」
「兄ぃ、おかえり~」
ドアを開けると同時に、皆実が出迎えてくれた。
玄関に上がりダイニングキッチンの中央へ歩み出る。皆実に向き直り、胸を張りながら両腕を広げる。
「どうだ。今日はちゃんと片付いてるだろう」
「そうねぇ」
皆実は靴箱の上をついっとなぞり、指の腹にふっと息を吹き掛けた。
「こういうのは掃除と言わない。この埃はなあに」
「お前はどこの小姑だ」
皆実がぺろっと舌を出す。
「一回やってみたかったんだ。ちゃんと片付いてますね~。えらいえらいですね~」
「頭を撫でるな。バカにしてるのか」
「だって予想外に片付いてたから。うちとしては、それはそれでつまんないもん」
「いいことじゃないか、お前が大学に合格すれば一緒に住むんだから」
「すれば」とは言うものの、まず受かるだろう。皆実の志望校は俺と同じ私大、成績的には余裕だから。本来は東大も合格圏だが「兄ぃと同じがいい」んだと。その台詞が電話の向こう側から聞こえた時、俺が顔を緩ませてしまったのは絶対に秘密だ。
「兄ぃに掃除や炊事なんか最初から期待してないよ。あーあ、春からは可愛らしくも労しいメイド生活が待っているんだろうなあ」
口とは裏腹にどこか嬉しそうな顔をしているのは気のせいだろうか。
──皆実が茶封筒を差し出してきた。
「そうそう、はいこれ。【皆実ファイル(ねぎまぐろ編)】」
皆実にマツコンの一件を話したところ、「同じ信じるにしても裏付けがあった方がいいでしょ」と調べてくれたのだ。
受け取ると、皆実が説明を始めた。
「結論だけ簡単に言うと、ねぎさんは無実。あの週はたまたまチーターがマツコンに参加してなかったからねぎさんは優勝できた、以上。裏付けはファイルを読んで」
ファイルをぱらぱらっとめくる……ん? ツール開発者のコメントがある。こんな人にまで聞き込みしたのか。すごいな、読んでみよう。
【あの程度の記録でチート扱いするのやめてほしいんだけど。俺のツールはもっと性能いいから。ねぎまぐろとやらの必死乙w 晒すしかできない雑魚もっと乙w】
「煽ってるなあ……」
「こうした物言いはネトゲのお約束だから」
「そうなんだけどさ」
ネットだと、こんな物言いはスルーしてなんぼ。むしろそれが前提とすら言える。
「でもいい人だったよ。ツールは限られた人にしか配ってないからって、一人一人に当日の行動や再配布の確認までしてくれたんだ」
なるほど。ねぎじゃないけど、開発者本人は一味違うらしい。チートを容認する層からは「神」として崇められるプレイヤーゆえ、強者としての余裕もあるだろう。でもそこまでしてくれた辺り、根は本当にいい人かもしれない。
かように物言いと行動が一致しないのもネトゲならでは。えんびさんみたいに外面はよくても冷たい人だっているし。
「でもこの煽りの通りならさ、数字を見ればガチってわかるんじゃないの?」
あの時は俺も熱くなってて、そこまで気が回らなかったけど。
「下の数字だってツールで出せるんだから証拠にはならないでしょ」
「ああ、そうか……」
結局、ツールを使ってないことを示すのは悪魔の証明になる。
「大体、何も知らない人から見れば似たような数字だよ。実際に開発者さんも『この辺りが人間の限界だろうけど、よく頑張ったね』って言ってた」
「じゃあそれも書けよ!」
「『俺のキャラじゃないから内緒にしてくれ』って頼まれたもの。『俺が表立って擁護すると逆に油を注ぎかねないし』とも言ってた」
……どれだけシャイなチーターだ。本当にいい人じゃないか。
「ただ隙はあるわけだから、他の人だって擁護する余地くらいはありそうだけどな。どうしてあそこまで叩き一辺倒になったんだろ」
「本当にやっているかどうかなんて、どうでもいいんだよ。そういう人達は他人を叩いて憂さを晴らしたいだけなんだから、その口実にさえなればいい。それに──」
「それに?」
「──自分が絶対無理だと言ってる事を他人が成功させちゃったら、自らの無能を認めないといけない。そんなの嫌だからなかった事にしたくなるのが人ってものだよ」
皆実はやれやれとばかりに悟った顔。お前は本当に一八歳か。
ファイルを封筒に戻して机に放る。
「何はともあれ、ねぎはチーターを打ち負かせなかったわけか。報われないといえば報われないなあ……」
もちろん、ファイルの内容をねぎには教えられない。つい溜息をつきかける。すると皆実が左目を軽く瞬かせた。
「マッシュ内では終わった話になってるし、もうそれでいいじゃない」
「そうだな。そういうことにしておこう」
今となってはそれで不都合もないしな。
話が一段落したところでコンロの鍋に目が行く。さっきからずっと生姜の匂いが漂ってくる。中身は魚の煮物かな。お腹が空いてたまらなくなってきた。
「兄ぃ、それじゃ夕飯にしようか。まだ食べてないよね」
「うん。突然の残業入ったからさ。受験直前の身なのに待たせてゴメン」
「仕事だもん、仕方ないって。うちは寝床さえ用意してもらえれば十分だからさ」
「それと明日は始発で仕事に行くからさ。もし起こしちゃったらごめん」
そう、俺は久々に外回りの仕事をする事になった。福山首席からまさかの許可が下りたのだ。栄転が確定したから俺の監視もお役御免といったところだろう。四月に新しい首席が来たら再び庁内ニートだろうが、束の間の自由は得た。
とは言え、外でさぼるためには口実を作らなくてはいけない。そのため明日は真面目に働く必要があり、残業して準備をしていた。
もし隣の班の白島統括が残業してなければ、戸締まり等でもっと遅くなるところだった。統括は世に言う課長補佐。シノも途中まで一緒だったけど帰っちゃったし。
「ううん。試験も明後日からだし、そんなに気を使わなくても大丈夫」
「ありがと。そういうわけで今晩は早く寝ないとだからさ。ねぎにも今晩マイタケダンジョンを一緒に回る約束しちゃってたし、早くINして断らないと」
「今、マイタケダンジョンって言った?」
皆実がいきなり不機嫌になった。大きく息を吸い込んでから一気に捲し立ててくる。
「うちが来る晩にダンジョン行く約束するなんて一体何考えてるの。それも廃人の廃人による廃人のためにあるマイタケダンジョンだなんて信じられない」
俺もようやくそのレベルまで到達した。えんびさんすら行くのを尻込みしていたマイタケダンジョン。振り返れば厳しい特訓と修練の日々、感慨深いなあ。
「皆実は和室なんだから問題ないだろ」
パソコンがあるのはダイニングキッチンだから勉強の邪魔にはならないはずだ。
「ああそうですか。うちよりマッシュですか。仕事で放置ならともかく信じられない」
「なぜそこでそんな言い方になる。放置も何も、お前は勉強だろ」
「うちはもっと受験生を気遣えと言ってるの」
「何が言いたいのか全くわからん」
「うるさい、もう頭来た。兄ぃ、そこどいて!」
皆実は机の側にいた俺を押しのけ、椅子の背を掴むや、どっかと座った。
「何をする。マッシュにINできないだろうが!」
「明日の朝まで絶対動かない!」
キーボードとマウスまで抱きかかえやがった。どうしよう。
──そうだ。ポケットにある、渡しそびれていた土産を思い出す。
「ほら皆実、イチゴ大福食べないか」
皆実は飛び出す様に立ち上がり、俺の手からイチゴ大福を奪い取ってかぶりつく。その隙に椅子を奪い返してマッシュにIN。急いでねぎに呼びかける。
〈みつき:おはおは〉
〈ねぎまぐろ:おはおは、今日は遅かったですね〉
〈みつき:説明時間ない。明日仕事。朝一出勤。早く寝る。今日だめ。ごめん〉
〈ねぎまぐろ:そうなんですか。残念ですけど、仕方ないですね〉
〈みつき:また埋め合わせはする。おやすみ〉
肩をつつかれ振り向くと、大福咥えた皆実が和室に向けて顎をしゃくった。
和室のコタツに入り、縮こまりながら配膳を待つ。運ばれてきたのは、記憶力を高めるDHAたっぷりなキンメダイの煮付……なるほど。お前も人の子だったか。
「ごめん、明日は早く帰るから」
「うん」
皆実がはにかみながら頷く。
俺はぷるぷるしている目玉を箸にとり、口に入れた。




