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13/02/13(1) 横浜喫煙室:マンガ読んでネット見て上司が買ってきてくれたプラモを作る。それが俺の仕事だ

13/02/13 水 11:15


 スパイという仕事をしていると自分で自分に語りかけることが多くなる。こうした独り会話や独り遊びは俺達の職業病だ。

 これは情報機関において〝区分の原則〟が存在するため。具体的には「スパイは同僚の仕事を知ってはならないし、自分の仕事を同僚に教えてはならない」という原則をいう。帰結として、スパイ仕事は単独行動が基本となる。

 つまり、スパイを今風に言うと──「ぼっち」だ。

 ぼっちとは「独りぼっち」の略称であり蔑称のこと。まったくもって嫌な言葉が流行ったものだと思いつつ、実際に独り会話をしてしまっている以上、否定できないのが口惜しい。

 ここは横浜公安調査事務所の「喫煙室」。喫煙室は応接室の一つを転用したもので、八畳程度の空間に長テーブルを挟んで長ソファーが二つ置かれている。

 この喫煙室は俺の城。福山首席と顔を合わせたくないので一日中喫煙室に引き籠もっている。言わば「喫煙室警備」が俺の職務だ。

 現在はソファーで仰向けになってマンガを読んでいる。テーブルにはネット巡回用のスマホ。まさにニート同然の生活を満喫している。

 これでマッシュもできれば完璧なのだが、ログインがばれればさすがにクビだ。ああ、早く帰って、ねぎとダンジョンに行きたい。

 ──カチャリ、とドアの開く音が聞こえる。

 石鹸と似た清楚な香りに乗って、優しげで柔らかな女性の声が聞こえてくる。

「弥生」

「ん?」

「弥生っ!」

「あーっ、シノやめろ!」

 無理矢理マンガを奪われて視界が広がる。そこには大きな瞳が際だつ派手な顔立ちの美女がいた。

 比治山東雲、通称「シノ」。

 同期であり同じマルセ班で隣に座る女せ──いひゃい!

 この女、顔面にマンガを落としやがった!

「何しやがる!」

「さっさと起き上がらないから」

 シノは意地悪く舌を出しながらマンガを拾う。

 起き上がると眼前に丁度シノの胸。いわゆる巨乳、いや魔乳と呼ぶべきか。

 シノは一六五㎝の中背で細身ゆえ更に大きく見える。スーツの上着が今にもはち切れそうなほどに。このくらい間近だと、もはや押し潰されそうな錯覚に囚われる。こんな無駄な脂肪さえなければ、シノは神の創り給うた至高の芸術品なのに。

「弥生、何見てるの?」

「胸。見てるというか、前が見えない」

「最低!」

「ぱしぱし叩くな! ……はあはあ、何の用だよ」

「ちょっと頼まれ事してほしいんだけどな、どうせ暇してるでしょ」

 シノが笑みを浮かべる。

 彼女の気さくな人柄と高い社交力を物語る朗らかな笑顔。

 万人受けの容姿と性格の揃うシノは「桜花のシノ」という二つ名を与えられ、公安庁で一、二の人気を誇る。

 しかも新人研修の〝一研〟では首位を獲得。二物どころか三物まで与えられている。

「俺も忙しいんだぞ。マンガを読んだらまとめサイトの巡回作業が待ってるし、おやつタイムには土橋上席がZのMGとPGとRGを買ってきてくれるから作らないと」

「暗号を並べないで私にもわかる様に話して」 

「マンガ読んでネット見て上司が買ってきてくれたプラモを作る。それが俺の仕事だ」

 シノが窓に手を伸ばす──うわ、寒っ。真冬に何しやがる。

「いい加減にしないと、ここからマンガを投げ捨てるよ」

「わかったから窓を閉めろ。車の運転だろ、どこにいつまでさ」

「何カ所か。時間は適当」

「俺にもわかる様に話せ」

「昨日、マルセが核実験したでしょ。民団にそのコメントを取りに回るから」

 民団は在日韓国人団体。マルセとは敵対する関係にある。

「ああ、速報用か。面倒くさいなあ」

 ……と言いつつも、実は嬉しい申出。

 俺が外出できるのはランチタイムかシノの運転手としてだけ。喫煙室での引き籠もり生活は息が詰まる。たまには外で羽を伸ばしたい。

「私はペーパードライバーだし仕方ないじゃない」

「まあなあ」

 一方の俺は前の現場で重宝されたくらいに運転慣れしている。そこでシノが俺を運転手に使いたいと申し出たところ、福山首席は渋い顔でこれに応じた。庁内のアイドルに事故を起こされるより、俺を外に出す方がマシとでも考えたのだろう。

「その代わりに明日の夜、埋め合わせに食事奢るからさ。みなとみらいで自然食のバイキングレストラン見つけたんだ」

「お前って本当にバイキングが好きだよな。太るぞ」

 シノからのお誘いは常にバイキング、一人じゃ行きづらいらしい。ただ、ランチはしょっちゅう一緒に行くけど夕食の誘いは珍しい……いや初めてかも。俺以外の職員は出先から直帰が通常だから当然じゃあるけど。

「もう太った人に言われたくないよーだ。どうせバレンタインを一緒に過ごす人はいないんでしょ。こんなに美しい私様が夕食に付き合ってあげるんだから感謝しなさい」

 シノは両手を腰に置きわざとらしくふんぞり返る。その態度から、上から目線風の物言いも自嘲めかした冗談なのはすぐわかる。

 でも、ここで捻くれたくなるのが俺の性。

「シノさんみたいなバレンタインの誘いも引く手あまたな美人に、俺みたいなぶくぶく太った醜いピザデブと無理してお付き合いいただかなくても結構ですよーだ」

 シノが真っ青になった。

「じ、冗談だってば。ぽっちゃりした弥生って可愛いって。それに私のバレン──」

 自虐を真に受けてしまった。まずい、シノの言葉を遮って真面目に答え直す。

「明日は本当にパス。妹が大学受験で今晩から上京だから」

「そっか。じゃあ仕方ないな。妹さん合格できるといいね」

 頷いてから、テーブルのスマホを手に取り時間を確認する。

「一一時半か、早く回るに越した事はないしすぐ出よう。首席に外勤届出してくる」

「もう出してあるよ。首席の顔は見たくないでしょ」

 何てありがたい。そしてまったくもってぬかりない。


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