第四章 真実ライイング(3)
カードが配り終わって、最終戦が始まった。先ほど、一番最初に上がった郡山から順番が始まる。彼は郡山にカードを渡し、橘から一枚受け取る位置に居るのだが、そんなことはもうこの際どうでも良かった。
(問題は、どうやって瑠子にこれからすることを伝えるか……あいつが予め心の準備をしてくれないと、あの数字の差が縮まらないんだよな──、あ、そうだ、あれを使えば……)
彼は橘からカードを一枚取った瞬間に閃いた。彼にカードを渡した橘は、そのまま瑠子の方に向いて手札を差し出す。瑠子は一枚取って──、彼からの視線に気づいたらしく、彼の方を見た。彼はすかさず手札を持っていない方の右手を顔の前に持ってきた。中指だけを上に向けて、他の指を下方に向ける。
(……アテンション、プリーズ)
今ではもう十年ほど前に、幼馴染仲間で創りだしたハンドサイン──、彼は記憶を必死で探ってそれを復元した。この空間で瑠子だけに通じるコミュニケーション。秘密話には持って来いだ。
瑠子はすぐにそれに応じてくれた。控えめに掌を彼に向ける。
(あれは、ラジャー……だったかな)
彼は微かな記憶を頼りに、ハンドサインを瑠子に飛ばす。五十音を指の形に当てただけ、ひとつの形で一つの文字しか伝えられないから、時間がかかる。
(こ……れ……か……ら……)
途中で自分の番が回ってきて中断された。適当なカードを引いて、ハンドサインを再開させる。
(──……す……る……、よし)
それからディスプレイの方を指さし、中指と人差し指を思い切り開いた後、ぴたりとくっつけた。──それで差を埋めるぞ、という宣言。瑠子はさっきよりも不安そうな顔つきで、だがぴんとはった掌を彼に見せた。
(ラジャー……か。よし、やる……ぞ)
と思った矢先に、自分のターンが回ってきて、郡山が無愛想に手札を突き出す。彼はほとんど何も考えずに一枚取った。ジョーカーだった。だが、どうでも良かった。これからやろうとしてることに比べたら、こんな状況なんとも無い。
彼は無表情で手札を橘に差し出す。橘はいくらか吟味した後、彼のカードを一枚取る。選んだものはジョーカーではなかった。そのまま橘は手札を捨てて、両手を高く挙げた。
「上がり!」
(……いや、この試合が終わるまで装置はつけっぱなしのはずだ。大丈夫、うまくいく……)
彼は来楽奈の番が終わるのを見計らって、声をかけた。
「なあ……、来楽奈」
「えっ……」
来楽奈は驚いたような顔で彼を見た。それはそうだ、彼女のことを下の名前で呼んだのは今が初めてた。だが、彼は今そう呼ばざるを得なかった。何せ、大宮が二人居るのだから。
「あの日した約束のことを覚えてるか? 俺がどうしてここまで嘘部に尽くすのか、その答えをいつか教えるってやつだ」
「な、何で今そんなことを……」
「覚えてる、だろ」
「う、うん、今でも、気になってるわ……」
「その約束、今果たす」
「えっ──」
その場に居る全員が、……いや瑠子を除く全員が彼の方に注目した。彼は必死で息を整えて、平常心を保とうとした。大前提として、彼が平静で居なければならない。平静に、何気なく、さらっと遂行しなくてはならない。
彼は真っ直ぐに来楽奈を見つめて言った。
「お前が思ってるよりもずっとずっと単純なことだ。……俺は……、お前のことが好きなんだよ!」
「え……、えっ……?」
「たったそれだけだ。好きだから、お前と居たいと思ったから嘘部に入ったんだし、お前が楽しそうな姿を見られて、この部活に入って良かったって思えた……、お前が好きだ、っていうから俺は嘘部を殴られてでも守ろうとした。泣いてほしくないから、阿呆みたいにクサいセリフも言ったりした! これは嘘偽りのない、俺の誠心誠意……全部、お前が好きだからなんだ」
「……っ」
来楽奈は持っていた手札を落とした。二枚しか無かったが、慌ててそれを回収して、俯いた。
「お、おいおい、この場で、言うか……?」
「…………」
橘は口元を引きつらせて小声でぼやき、郡山は意識があるのか分からない瞳で彼のことを凝視していた。伸太朗は、──ただ無表情で彼を見ていたが、やがてゆっくりと息を吐きながら視線を落とした。
「……これが、答えだ。あの日から変わってないから、安心してくれ」
彼がそう言うと、来楽奈は顔を上げキッと彼のことを睨んだ。
「ば、バカじゃないの、そ、そんなこと今言って、ど、どうやって収拾付けるつもりなのよ……」
彼女は流石に返事をその場でしなかった。それもそうだ、何を期待していたのだろう。彼は恥ずかしさを誤魔化すように彼は自分の手首に巻きつけた『アンチライヤー』を見た。
「──コイツだけが、知ってるさ」
そして──ディスプレイの方に目を向ける。そこに書かれている数値が、彼の行動の成果を語っている。
彼は過剰に緊張しないように気をつけながら、表示されている文字を読んでいった。
(うちは650……、相手が630……、20点差だ)
「……ババ抜きで勝てば、勝ち、じゃねえか……!」
このまま差が変わらないままで、ババ抜きに勝利した30ポイントが大士戸側に加算されれば、勝てる。彼が興奮気味に呟くのと同時に、伸太朗がいつもよりも厳しい口調で言った。
「おい、柏座。もしかして、点数稼ぎのためにでまかせで言ったんじゃないだろうな?」
そう思われても仕方がない、と彼は思った。でも、ここは小汚いごまかしが効く場面でもないだろう。彼は、素直に言った。
「いいや、俺は死んでもそんなことはしない……今のは全くの真実だ」
「そうか……、だろうな……。真実だから、ここまで俺が……、動揺しちまったんだよな……」
伸太朗はゆっくりと、まるで全てが終わったかのような調子で言葉を吐き出す。そんな彼に強く言ったのは来楽奈だった。
「……まだ、終わってないわよ、バカ兄貴……」
「そ、そうっすよ、まだ……ババ抜きのゲームが残ってますよ、先輩……」
橘も励ますように言う。
「……そう、だったな……」
伸太朗はそれらの言葉に応えるように、背筋を伸ばして言った。
「ゲーム、再開だ」
宣言された途端に、郡山がすっと手札を彼に差し出す。さっきよりも無愛想さが増しているような気がした。彼は半ば怯えながら、そのうちの一枚を取った。
橘が上がったので、次は彼が瑠子に渡す番だった。残る三枚のうち一枚ジョーカーが紛れている。そこで彼は、手札を持っていない方の手の人指し指を丸めてみせた。
(これは左の、合図だったはずだ)
彼から見て、という意味だったが、瑠子はきちんと察してくれたらしくジョーカーを引いてくれた。後は瑠子を信じて、大士戸の方に回るのを祈るのみだ。
「上がり」
来楽奈が最後に二枚を卓に叩きつけた。それと同時にぐいっと郡山が手札を突き出す。どこからか溢れる負のオーラを感じながら、一枚引く。
(……ダメか)
一枚、瑠子に引いてもらう。すると、瑠子は嬉しそうな顔をして手札を卓に捨てた。
「上がった!」
(後は……俺だけか!)
伸太朗は瑠子から引けなくなったので、郡山へと手札を差し出す。郡山が彼に手札を突きつけ、引く──、誰も当たりのカードを引けず、しばらくそのやり取りが続いた。一度ジョーカーを引いてしまったが、なんとか動揺せずに伸太朗へ回すことができた。
──最終局面へと動き出したのは何巡目のことだったか。
「……上がり」
郡山が、上がった。これによって、残されたのは彼と伸太朗だけになる。
彼の手札は減らないままで二枚。伸太朗の手札は三枚あり、郡山が上がり彼が引くことができなくなったので、伸太朗が彼の手札を一枚抜いた。当然、ペアが出来上がって伸太朗の手札が一枚減る。
彼が一枚、伸太朗が二枚でどちらかがジョーカー。
当たりを引いたほうが勝ち。当たりを引かれれば負け。
「…………」
「…………」
無言で二人は睨み合う。彼は二枚のカードにそれらしく指を近づけてみるものの、何の反応も見せない。まるで地蔵と対峙しているようだ。
(……どうせ、二分の一だ)
彼はそう思い、思い切って引いてみた。
カードを裏返すと、いびつな笑顔を浮かべるジョーカーと目があった。彼はできるだけ動揺しないように努めながら、二枚のカードを背中に回してシャッフルする。
再び対峙。二枚並べたカードを伸太朗は見比べる。指先をわざとらしく動かし、焦らすようにカードを撫でる。彼はひたすら無心にその指先を眺めていた。
ひどく長い時間が過ぎたように感じた。伸太朗は覚悟を決めたように、彼から一枚カードを奪う。
(……それは、ババだ)
彼はこれまでの人生に無いくらい、安堵した。カードの表を見た伸太朗の顔が僅かに歪む。
これでそれぞれ一度ずつババを引いた。そこで彼は、一つの提案ごとをしようと口を開く。
「なあ……これじゃあ、ただの運勝負じゃないか」
「それは、俺も思ったところだ」
伸太朗は彼に見えないところで二枚をシャッフルしながら答えた。相手も同じ事を思っているのなら話は早い。彼は言った。
「だから、嘘の駆け引きにしたい。これから俺はどちらかを指さして『これが、ジョーカーか?』って訊く。……あんたはそれに、自由に答えてくれ」
「……承知した」
伸太朗は大仰に頷いて、二枚を彼の目の前に差し出した。どちらも同じに見える、何の変哲もないカードだが、そのどちらかがアタリでどちらかがハズレで、今後の運命を左右してしまう──そんなものを、ノーヒントで引き続けるのは精神的に無理があった。
彼はゆっくりとその内の一枚に指先を近づけて、訊ねた。
「これが、ジョーカー、か?」
「ああ、その通りだ」
伸太朗は自身に満ちた声で言った。
その声はあまりに自信に満ち溢れすぎていた。過剰すぎるほどその声は漲っていて、驚くほどに信憑性があった。
(……だが……、違和感の方が、ずっと強い)
彼はそのカードから指を離し、スッともう片方のカードを取った。流石に限界だった。緊張が彼の理性のバリケードを破壊して一挙に押し寄せる。目の前が眩みそうになりながら、彼は震える手でカードを裏返した。
キングだった。
彼の手にあるカードもキングだった。
「上がり、だ」
彼は、二枚のカードを机に投げながら言った。




