第四章 真実ライイング(1)
次の日の朝、登校した彼が下駄箱で靴の交換を行なって、廊下に出たところで肩を叩かれた。
「……おう、横坂か」
「おはよう」
夕子はにこりとして言った。カバンなどを持っていないので、偶然ばったり出会った、というわけでは無さそうだ。
「どうしたんだ。俺を待ってたのか?」
「うん。その、謝っておかなくちゃって思って……、ごめんね、前はヒドイこと言っちゃって」
「嘘部のことか? まぁ、あの頃はお前が言ったのと同じようなことを言われまくってたからな。別に気にしてないぞ」
「そう……、ありがとうね」
「……なあ、聞いたんだろ。あいつに、俺の『アレ』のこと」
彼が言うと、夕子は目を丸くした。
「うう、うん、別にわたしから訊いたわけじゃないよっ。彼が勝手に教えてくれた、から……、その、謝っておこうかなって思って……」
「別に謝るほどでも無いだろ」
「ううん、柏座君にそんな純粋な気持ちがあるってこと、知らなかったからさ……」
「そうだろうなぁ。俺も最近確認したばかりだ」
「そうなの……? ふふ、でもそうだよね、柏座君って火がつくまでは遅いけど、一度ついたら凄い一途に突っ走っていけそうな人だよね」
「……あぁ」
「えっと……、明日、なんだよね。嘘部の、試合、ガンバってね」
「……おう、サンキュー。頑張ってくる」
嘘部の存続を願ってなのか、彼自身のことを思ってなのか分からないが、夕子の励ましは何故だか心に染みた。彼はやけに新鮮な思いで一日に臨む。
「えっと……、迎えに行かなくても良いのか?」
「約束の時間になれば先方が来てくれるわ」
二人は部室で大士戸高校からの来訪者を待っていた。約束の時間まで残り五分。彼は自然と緊張してきた。どんな人物が来るのだろうか、とあれこれ想像を巡らせる。
だが、その残り時間が消化される前に扉がノックされた。彼と来楽奈は顔を見合わせると、彼女の方が立ち上がって扉を開いた。
そして、扉の向こうの人物に馴れ馴れしく話しかけた。
「相変わらずの五分前行動、お疲れ様」
「近くで暇を潰すのも面倒だからな」
「だと思ってたわ。さ、入って」
来楽奈はそう言って入り口の脇によった。そうすることで空いた場所に現れた人物を見て、彼は思わず叫び声を上げた。
「あ、あんたは……!」
「久しぶりだな」
細いメガネの奥からの鋭利な視線が彼を見据えた。その容貌は間違いなく、不良たちに襲われた時、彼を救出してくれた男だった。
「大士戸高校三年嘘部部長の大宮伸太朗だ。よろしく」
「大宮……ってええええ?」
彼は再び驚きの声を上げる。それを聞いた来楽奈は面倒くさそうに言った。
「私の兄よ」
「ってことは、俺をあの不良どもから助けてくれたのは、大宮の兄貴だったっていう……えええええええ!」
確かにそれなら来楽奈が教えてもいないのに、彼が不良たちの襲撃されたことを知っていたことの説明がつく。家で、兄から聞いたのだ。それにショックを受けて、一日家に閉じこもっていた。辻褄が合う。
「そこに立たれると扉が閉められないわ。さっさと座ってくれる?」
「言われなくてもすぐどくつもりだった」
伸太朗は言うと、靴を脱いで腰を下ろす。来楽奈も扉を閉めると、空いている場所に座った。
「ルール確認などというのは建前に過ぎない。単純に挨拶しにきただけだ」
伸太朗は卓に肘をつき、手を組んで言った。
「あ、挨拶?」
「そうだ。たとえ、兄妹同士の試合だとしても、手加減無しにかかるという宣言をしにな」
「……それはこっちだって同じよ」
来楽奈が言った。伸太朗は首を振ってそれを否定する。
「同じじゃない。そちらは部活の存続がかかっているらしいが、こちらはそうではない。大士戸に廃部という二文字は存在しないのだ。だが人間、相手が危機的状況にあるのを目撃すると、つい感傷的になって手加減してしまう可能性もある。今のそちらの状況は、危うく滝壺に落ちそうになっているようなものだ。だが、我々としては一切手を抜く気など無いということを言っておきたくて来たのだ」
「な、なるほど……」
(……そんなことのためにわざわざご苦労様、と思うほかないな。それにしても、兄妹揃って嘘部に入ってるだなんて……偶然なのか? いや、偶然なわけないよな、普通……。──そんでもって、この違和感、か。嘘部の活動以外で感じるのは久しぶりだな)
伸太朗は組んでいた手を解くと、片手で頬杖をついて言う。
「それに、おそらく君が気になっているであろう情報も持ってきた」
「お、俺が?」
「そうだ。あの不良たちが、どこで嘘部の試合の情報を仕入れたのか、ということだ。俺が例の件の経緯を話した時、来楽奈が真っ先に突っ込んできた疑問だ」
彼は来楽奈の方を見た。面白くなさそうな顔で、つんとして誰とも目を合わせようともしていない。話を聞いてやってくれ、と言わんばかりの態度だ。彼は生唾を呑み込みながら、口を開く。
「俺も、気になってる」
「そうだろう。俺はあの事件の日に、ここ奈岸南を訪れていた。黒凪先生に会うためにな。職員室で会話していたのだが、その時に気になる来客があってな。──例の不良どものリーダー格の生徒だったな」
(……まさか、こいつが漏らしたのか?)
彼はそんな憶測を立てながらじっと集中して伸太朗の話を聞く。
「奴は近くの体育教師を呼び出して、どこで噂を聞いたのか知らないが、嘘部がまだ潰れていないことにクレームをつけていたようだ。すると興奮するそいつに、体育教師は言ったんだ。……例の、試合のことをな」
「……そうか、学校側は知っているのか、校長が嘘部に下した条件のことを……」
「そういうことだろう。それで、気になった俺は黒凪先生と別れたあとに、そいつの後をつけてみたら……、お前が現れたというわけだ」
「そ、それで、助けてくれたのか……」
「理由はあの件の後に言ったとおりだ。リンチに遭いかけてる奴を放っていくほど俺は冷血ではない」
「……」
(嘘だ。これは間違いない……)
彼が思ったところで、伸太朗は背筋を伸ばして言った。
「これで謎は解けただろう。……後は、明日ゆっくりと語るとしよう」
「え……それだけを言いに来たのか?」
彼は想像以上のあっけなさに思わず訊ねた。伸太朗は口の端に笑みを浮かべる。
「何、ちょっとした気まぐれだ。コミュニケーションを取ろうと思ってな」
「……本当にそれだけだから困るのよ」
来楽奈が誰にいうともなくぼやいた。聞こえたのかどうか分からないが、伸太朗は一度鼻で笑うと立ち上がった。
「ではお暇させてもらうとする。それじゃあ、また明日」
「……私はまた後で会うことになるけどね」
「仕方ないな、そればかりは」
無愛想な兄妹の会話で、対談は終幕となった。伸太朗が廊下に出ると、来楽奈はすぐに扉を閉める。やけに大きな音がした気がした。
「仲、良さそうだな」
「どこをどう見たらそういう風に見えるのよ」
彼の言葉に来楽奈は心底嫌そうな顔をした。なんとなくそれがおかしくて笑ってしまう。彼は彼女に聞かれないような小さな声で呟いた。
「いや、律儀にあの人がここまで来たってことを考えればさ……」
翌日、奈岸南高校嘘部の三人は会場となっている公民館を訪れた。顧問の黒凪はどうしても外せない出張があるらしく、今日は残念ながら不在だ。彼の手にぶら下がったエコバックには、三つのファインダーやノートパソコンが詰め込まれている。どうせノートパソコンは委員会が用意したものを使うらしいので要らないだろうが、一応持ってきた。
「よーっす、久しぶり」
真っ先に彼らを迎えたのは、嘘部OBの保月だった。保月を見た来楽奈は嬉しそうに頬を緩めた。
「保月先輩……」
「ほっつーって呼べって言ってるじゃん。まぁ、別にそれはそれでもいいけどねっ。あーっと、もうセッティング済んでるからさ、入って作戦会議だのなんだのしてて。みんなお楽しみの、ゲームの題目発表もあるよ」
「わかりました。じゃあ、行きましょう」
白塗りの下駄箱に靴を入れて靴下で上がると、よくある公民館の空間が現れた。小奇麗な壁と畳が敷かれ、蛍光灯が白く室内を照らす。部屋の中央に、部室にあるのと同じような円卓があって、その近くに大きなディスプレイが置いてある。恐らくそれを使って、ファインダーの数値を表示するのだろう。六人分なので、あのくらいの大きさでちょうどいいのだろう。
そのディスプレイには今、今日の試合で用いられるトランプのルールが表示されていた。
『ババ抜き』
「……シンプルね」
来楽奈は言った。彼も同感だった。瑠子も、まだ勝てる見込みがあるゲームでホッとしているようだ。
これら会場のセッティングを執り行ってくれた『委員会』というのは、両高校嘘部OB・OG有志が結成したものらしい。保月のほかにいそいそと歩き回っているスタッフが数名居るが、彼らがそうなのだろう。
数分後に、大士戸高校の嘘部も到着した。代表の大宮伸太朗を筆頭に、単発で寡黙そうな女子と新島にもう少しやる気を持たせたような男子の三人。伸太朗以外のメンバーは初めて見るので少し緊張したが、それは相手も同じだ。試合前の独特な雰囲気が部屋の中に充満する。
「あれ……、大士戸高校の方も顧問の先生がいないみたいですね……」
瑠子がきょろきょろしながら言う。その疑問には来楽奈が答えた。
「大士戸高校で部活を作成するのには顧問が要らないのよ。もちろん、居るのが普通だけどね」
「そ、そうなんですか」
(……でも、これだと、両方高校の教師が不在ってことになる。良いのか、それで……?)
彼はそう思ったが、口にはしなかった。
試合開始数分前に部屋の隅で、奈岸南高校嘘部の三人は集まって、ミーティングをした。
「……ルールが何であれ、いつも通りやれば大丈夫。これはチーム戦だけど、味方の嘘でも動揺する恐れがあるわ。でも、いつも通りの感覚があれば、いつものこと、って割り切れるから……、仲間を信じて、頑張りましょう」
「応!」「は、はい!」
奈岸南高校嘘部三人と、大士戸高校嘘部三人が円卓についた。まずは自己紹介から入る。
「大士戸高校一年、郡山美智です」
寡黙そうな女子生徒は、低い声で言った。しかし、どこか自信に満ちた響きを彼は感じた。。
「同じく二年橘涼護です、よろしく」
もう一人の男子生徒ははきはきとした口調で言った。どうも内心が読みにくい調子だな、と彼は思った。もしかしたら、彼の直感が使えないかも知れない──。
「三年、大宮伸太朗だ」
「奈岸南高校二年、大宮来楽奈です」
「同じく二年、柏座瞳太」
「えと……一年の、平田瑠子ですっ」
全員分の簡単過ぎる自己紹介のあと、各々でファインダーのセッティングを始める。ケーブルがあるとジャマなので、今日渡されたのはワイヤレス端子だった。ケーブルが無くても、無線で逐次ディスプレイの裏に置かれたパソコンに送れるようになる。普段から、ケーブルを鬱陶しく思っていたので、今後のためにも欲しいな、と彼は思った。そのためには、今日ここで勝ち残らなければならないわけだが。
「じゃあ、今日ディーラーもどきをやらせていただきます、保月です。よろしくおねがいします」
カードを配る役は保月らしい。いつも通りの調子でそんな自己紹介をして、ゲームのルール説明を始めた。
「ええっと、ゲーム自体は三セット行い、その間皆さんに装着してもらっている『アンチライヤー』の数値三人分、それが少ない方のチームが勝ち、ということになりますね。基本的に、ゲームが破綻しない限りの駆け引きは可能なので、存分に嘘を吐きまくってください。ええと、あとは、それぞれのゲームの勝敗も『アンチライヤー』の数値に加算されますのでそれも忘れないようにお願いします。とはいえ、メインは嘘を吐くことですんで、控えめに30ポイントを負けた方に加算することになりました。えーっとなんか質問ある方? 無いですね、じゃあカード配ります」
いよいよ始まった。保月は手際よくカードの山を六等分していく。その光景を見ているだけで緊張してしまいそうなので、彼はできるだけ別のところへ意識を向けようとした。並び順は、基本同じチームで並ぶように指示されていて、彼の右隣に瑠子、左隣に来楽奈という風になっている。向かい側は、彼から見て右から郡山、橘、伸太朗という並び順で、大宮兄妹が隣り合わせになっている。
不思議な空間だった。誰も緊張していないのにリラックスもしていないので、なんともいえない混沌とした空気が漂っている。その中で、一人だけ違った。瑠子は早くも緊張を帯び始めたらしく、彼女の数値だけ上昇を始める。橘が横目でそれをちらりと確認した。来楽奈と彼は反応しない。これは、いつものことなのだから、動揺もなにもない。
やがて、カードが六人に配られる。ババは一枚なので、初期の手札は一人につき九枚、一人だけ八枚になる。それぞれ、手札を確認してあるペアを捨てていった。
彼の手札は九枚で一つもペアは無かったが、ジョーカーも無かった。
(……上等)
「えーっと、順番とかはそちらに任せますんで、後は自分たちで進めてください」
カードを配り終えて手ぶらになった保月はそう言って卓から離れた。残された一同は、互いの顔色を窺う。──誰がどう提案してくるか。最初の駆け引きだった。
──しかしそんなある意味初々しい空気は、何の前触れも前座も告知もなく、一瞬で切り裂かれることになる。ゲームが始まる前の、まだ手探り状態で臨んでいる未熟な彼らに、その声はたたきつけられた。
「その必要はない」
唐突にそう言い放って自分の手札を卓に叩きつけたのは伸太朗だった。裏返ったカードが無造作に散らばる。
「どういうつもり?」
来楽奈は眉をひそめて訊ねた。そんな彼女を横目で見やって、伸太朗は言う。
「お前もいい加減、気づいてるんだろう。──この試合が、狂言だってことを」




