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嘘と恋のデジタル数値  作者: 白崎 涼蚊
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第三章 動揺シンキング(3)

 大士戸高校との試合を二日後に控えた日、彼は渡り廊下をわたって部室棟を目指していた。細く長い雨が窓ガラスを叩いている。じめじめとしてきて、嫌な季節だ。

(また雨か……瑠子の奴、いちいち外から回ってくるの大変だな)

 彼はそんな風に思いながら部室棟に入った。

「……ん」

 部室の扉が立ち並ぶ廊下に立って、彼は人影に気づいた。

(……久しぶりだな)

 横須賀文だった。文も彼に気づいて足を止める。いつもよりも顔が堅い気がする。敢えて彼はいつもと同じような調子で声をかけた。

「よう。久しぶりだな」

「……おう」

 低い声で文は応えた。

「今日はギター背負ってないんだな」

「……いつも持ってきてるわけじゃない。今日は雨だしな」

「ふぅん。じゃあ、今日は何しに来たんだ」

 彼が訊くと、文はどこか一点を見つめて黙った。それから、彼の方に向き直って言った。

「……大宮来楽奈に話があって来た」

「は? 何でお前が大宮と──」

「初めて会った時に、お前が教えてくれたんだろうが。覚えてないのか?」

「──い、いや、覚えてる……」

 彼はできるだけ動揺を悟られないように言った。

(コイツが言ってるのは、最初に言った『大宮は実際にお前に気があったんだ』って嘘のことか……、クソ、俺はすっかり忘れてたが、こいつ、マジで信じこんでたのか……)

「その答えを、今言いに来たっていうのか?」

「そういうことになる」

「何で今なんだよ。もっと前にも言うチャンスがあっただろ」

「……迷っていたんだ」

 文は歯切れ悪く言った。

「言うべきか、言わないべきかをな……だが、今は決心がついた。──心を告げる決心がな」

(…………心、だと?)

 彼はただならない思いで文の言葉を聞いた。文はいつになく真剣な表情をしている。これから、大きなことを成し遂げようとしている覚悟が見え隠れする表情だ。

(……コイツ、まさか……)

 来楽奈は『嘘の』告白を文にして、文も『嘘部員だから当然』嘘だろうと思ったから断った。だが、『あれが本当は本気だった』という彼の嘘で、すべてが引っくり返った。文も男だ、異性が自分に好意を持っていると聞いたら、どう思うか──

(今から大宮に告白しに行こうとしてるんじゃないのか?)

「嘘部の部室は一番奥の開き戸の部屋でいいんだな?」

「あ、ああ、そうだ」

 嘘を吐けるような質問でもなかったので、彼は素直に肯定する。

「……分かった、上がらせてもらうぞ」

 文はそう言って歩き出した。呼び止めるわけにもいかないので、彼は大人しくその背中に従う。内心ではどうするか考えあぐねていた。

 なんとか思いついた可能性を彼は喚くように文へぶつける。

「まだ大宮が来てるかはわからないぞ」

「なら、来るまで待たせてもらう。時間は取らせない」

「後にしてくれって言ったらどうするんだ」

「なら後で言えば良い。待つ時間が惜しいわけではないからな」

「……万が一の話だが、心変わりしてたら、どうするんだよ」

 彼がそんな質問をすると、文はふと立ち止まった。疑惑に満ちた視線を彼へと向ける。

「……何故、そんなに俺を止めようとする?」

「──」

 彼は言葉に詰まった。

(何故、ってそれは……何故だ。大宮は実際にこいつへの好意は全く無いはずだ。横須賀と大宮が面を合わせてる光景なんて見たことがないから、それは間違いない……って言えるのか? あいつだって異性から本気で好意を持たれてるって分かったら、どう転ぶか分からない。このまま横取りされてしまうような気がする……夏目漱石の『こころ』じゃないが、あっさりとこいつに大宮を連れて行かれそうな気が──)

 彼が部活外で吐いた最初で最後の嘘は、肥大化し思わぬ形で彼に牙を剥いてきた。何故、こんなに嫌な気分になるのだろう。必死で文の足を止めたくなったのだろう。何故と言われて言葉が出なくなってしまうのだろう。

 それは──、彼が来楽奈のことを好きだからだ。最初から最後まで、彼のうちには強固にこの思いが根付いていた。すべての行動の原理はここから発していた。『下心を否応なしに抱かせるようなアブセッション』──彼が自分で叩きだした恋の定義に、ぴったりと当てはまっていたのだ。

(…………ここまできたら、素直になるしかないか)

 彼は腹を決めた。文の気持ちを打ち砕く罪悪感はある。しかし、自分で撒いた種だ、その『責任』は取らなければならない。

「……横須賀、俺はお前に言わなくちゃいけないことがあるんだ」

 嘘部流の『責任』の取り方。それは、幼稚園児にでもできることだ。

 『素直に謝る』

 彼は膝を曲げて両手を床につけて頭を地面にぶち当てるほど思い切り下げて、言い放った。

「ごめんなさい! 嘘を吐いた! 本当は大宮がお前に好意を持ってるなんて、真っ赤なウソだったんだ!」

「……なに?」

 彼は頭を上げて、驚愕している文の顔を見上げて言う。

「だ、だからさ、今から行ってもしょうがないんだ! みゃ、脈無しなんだよ。非常に遺憾なことではあるが、これが事実なんだっ!」

(わ、我ながらヒドイことを言ってる……、これは頭を踏んづけられても文句を言えない……)

 しかし、いくら待っても足蹴は来なかった。文は気まずそうに辺りを見渡して、やがて彼を見下ろして言った。

「お前、何か勘違いしてるぞ」

「…………え?」

「俺が告白でもしに行くとでも思ったのか? おめでたい奴だ」

「もしかして、ち、違うのか」

「当たり前だ。……むしろ逆だ、そのお前が言った、大宮の存在しない好意を砕きに来た」

「…………はぁ」

 拍子抜けな展開に、彼は間の抜けた声を漏らした。何だか、このままダッシュしてどこかへ姿をくらませたくなった。だが、そんな彼の背中に釘を打ち込むように文が言う。

「……試合が近いんだろ」

「……明後日だ」

「俺はその情報を聞いて、今日決行しようと決めたんだ。──大宮を改めてフる、とな」

「な、なるほど、俺の嘘を完全に信用してたんだな」

「……あぁ。悔しいことだな……、完全にお前に振り回されていた。信用していたのにな」

「その割に、残念そうじゃないな」

「……まぁな、俺にだって良心の呵責はある。女子の気持ちを弄ぶような真似だったからな。却って嘘と知れて良かったかも知れん。……いい加減その姿勢をなんとかしろ。話しにくい」

「……おう」

 文に促されて、彼はゆっくりと立ち上がる。ズボンの膝までが汚れてしまったが、彼は無視して文に向き直った。

「で、どうして今日に設定したんだよ」

「……嘘部を潰すためだ」

 文は横を向いて言った。その口ぶりからは一切、嘘部への憎しみは感じられないので、妙な気分だった。

「そんな複雑なことじゃない。試合の寸前にフって動揺させて、試合で実力を発揮させないようにしたかっただけだ。そうして、負けてしまえば嘘部はなくなる」

(新島が言ってた、文が嘘部の試合の日程を訊き回っていたのは、そのためだったのか)

「でも……何でだよ」

「お前らをあの嫌悪されてる部活から解放したかったんだよ。お前なんて、特にそうだ、嘘すら吐けなさそうなお人好しに見えたからな」

 何だかいかにも文らしい動機に、彼は小さく失笑した。

「……余計なお世話だ」

「そうだったみだいだな」

 文も頬を緩めた。

「そんな浅はかな計画で潰れるような部活じゃなかったってわけ、か。ふん、それに面白い情報も手に入れることが出来た」

「……」

「お前、大宮のことを好きなのか。そうでなければ、今のタイミングで土下座などできまい」

 文の言葉はまるで、もう一人の自分から言われたようなほどリアルだった。すんなりと自分の感情の核まで染み入るような、新鮮な問いかけだった。

「…………そうだよ。俺らしくもなく、一目惚れしちまったんだよ、あいつに。それで後をつけて言ったら、お前に偽の告白をしてる場面に出くわしちまったんだ」

「成程……そこで尾行するあたりが、お前らしい」

「う、うるさいな」

 彼は照れを隠すように言った。

「それで、いつそれを伝えるんだ?」

「……そんなの未定だ」

「早くしないと、また俺みたいな輩が出てくるかもしれないぞ」

「そ、それは肝に銘じておこう」

 彼はそれで精一杯といった返答をした。心臓が暴れているのが分かる。こんな内情的な話を誰かとしたのは初めてなので、ひどく緊張していた。

「後は、お前、このことを誰かに話そうとするなよ」

 文は口調を改めて言った。

「何でだ?」

「……お前の事情を知った引換に教えておこう。俺にはもう、──居る」

「……な、なにィ!」

 彼はさっきまでの緊張をすべて吹っ飛ばす勢いで驚いた。

「だ、誰だよ!」

「お前も知ってる人物だ。……お前が嘘部に入ったことに怒っていたな。いつか下品な詰問をしたようだが、代わりに俺がその時のことを謝っておく」

「おい……おい、まさか」

「そういうことだ。……ふん、俺はそろそろ退散したほうが良さそうだな。それじゃあ……、頑張れよ」

 文はそれだけ言うと、手を少し上げて踵を返した。彼は唖然と立ち尽くして、その背中を見送る。

(……それって、横坂のことか……)

 夕子も何故か彼が嘘部に入ったことを知っていて、詰め寄ってきたはずだ。あの時はその情報源をはぐらかされたが──恋人である文から聞いたのだ。それに、文と初めて会った時、彼が名乗ると文は彼の名前を知っているような反応をした。あれは、夕子から彼のことを聞いていたから、だったのだ──。

「マジか……」

 意外な事実に彼は呆然とし、そのまま部室へ行こうとして──気がついた。部室の向かいの部屋の扉が僅かに開いている。その隙間に影がちらついていた。彼の背筋に冷たいものが這っていった。文が別れを切り出したのも、アレの存在に気づいたからなのだろうか。

 彼は大股でその扉に近づいていき、一息でその扉を開けた。

「ふわあっ!」

 彼の突然の到来に驚いて頓狂な声を出したのは、瑠子だった。彼は一気に緊張がほどけて大きな安堵のため息を漏らした。

「お前かよ! もしかして……、今の会話ずっと聞いてたのか?」

「ず、ずっとじゃないよ……。えっと、とーたが土下座し始めたくらいから……」

「ずっとじゃねえか。……って、ことは」

「んっと……、とーたは大宮先輩のこと好きなんだよね」

 彼はため息を吐いた。今度は諦念のため息だった。

「……で、でもそうじゃないのかなって思ってたよ。とーたが恋するなんて、し、信じられないけど、とーたが部活にここまでいれこむのなんて、そうじゃなきゃよっぽど無いことだし……」

「そうか……って割とまた微妙に棘のある発言だな……」

「ご、ごめん」

「いや、まあ、実際事実だからな。そんなことよりも」

 彼は部室の扉を見やった。

「……もう、あいつが来てるってことは、無いよな?」

「わ、わかんない……」

 もしも来楽奈が部室に居たのなら、さっきまでのやり取りは全部聞かれていることになる。その可能性に気づいて、彼は再び嫌な汗を背中にかき始めた。

 恐る恐るドアノブに手を伸ばして、微妙な力加減で立て付けの悪い戸を開く。

 ──室内には誰も居なかった。二人は顔を見合わせて、子供のように安心の笑みを浮かべあった。

 来楽奈が部室にやってきたのはそれから十分程度経った後だった。どうやら、顧問の黒凪と話しをしてきたらしい。

「明日、大士戸高校嘘部の代表がうちに来るみたい」

 今日のゲーム、七並べをするためにトランプを切りながら来楽奈は言った。

「ルールの確認のため、ってことでね」

「ふぅん。わざわざご苦労なことだな」

「えっと……私、明日は合唱部があるから、そっち行かないといけないんですけど……」

 瑠子がおずおずと言うと、来楽奈は少し考えるような顔をした後、トランプを置いて手招きをした。

「ちょっと耳貸して」

「え……?」

 瑠子は不思議そうな顔をしながら来楽奈の方へ寄っていく。来楽奈は顔を近づけて、瑠子に耳打ちをした。すると、瑠子の顔は驚愕に染まった。

「えっ、そ、そうなんですかっ」

「……本当は明日明かそうと思ってたんだけどね。当日に驚かれるとそれはそれで困るから」

「な、何の話だよ」

 疎外感を感じて彼は口を挟んだ。

「あんたも自ずと分かるわよ。明日になれば、色々とね」

「……相変わらず焦らすな」

「あ、あとは、大士戸高校からルール変更の打診があったみたい。明後日の親善試合当日にやるトランプのゲームが発表になるんだけど……、そのゲームの勝敗も得点に加えるらしいわ」

「へ、へぇ……。じゃあ、その、ゲームの実力も勝敗に関係するんですか……」

 瑠子は気弱そうに言った。嘘の駆け引きの方では平均以上のスコアを出すが、トランプの方はあまり得意では無いらしい。

「でも、そんなに大きな点数を動かすとは思えないわ。いつも通りやれば大丈夫よ」

 彼は女子二人の会話を聞きながら、考えていた。

(……これ、一週間くらい前に保月先輩が持ち込んだ情報じゃないか。何で、今更になって伝えたんだ……?)

「なあ、そもそも今やってるゲームって、大士戸の方から持ちかけられたルールなんだよな」

 彼の言葉に、来楽奈は首を傾げた。

「そうだけど、それがどうしたの?」

「だから、大士戸の方からルール変更の打診があっても、何も言えないのか」

「……うん。それは、仕方ないわね」

「……まぁいいや。さ、さっさと始めようぜ」

 彼は思考を放棄して、言った。来楽奈はその言葉で顔を明るくして卓に視線を落とす。あの日以来、彼女はまた活き活きとゲームに打ち込むようになった。彼はそれをとても嬉しく思っている。この調子でいけば、大士戸高校との試合もどうにでもなるような気がした。



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