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 それから佐藤レイに会うこともないまま、週末はあっという間にやってきた。


 元祖立ち直りの早い俺は、翌日にはいつも通りに登校し、これまでと同じように学校生活を満喫した。緊張感がなかったと言えば嘘になるが、クドリが前にも増して近くにいることを除いては普段と変わりはなかった。


 妹もクドリも、とっくに元気を取り戻した。

 悲しみは外に追いやり、佐藤レイとの対策を打ち出していた。


 クドリはさらに意識を内に持っていき、佐藤レイが作り出しているであろう結界めいたものを突破しようと考えていた。これを突破出来ないかぎりは、必然的に俺が餌食にされるだけだからだ。


「きっと、今日ですね」


「だな。六都科学館か。後、神田と保健委員も一緒だ」


「武井くんもだよ、兄ちゃん」


「忘れてた」


「なにそれ、忘れるなんてひどいよ。私の幼馴染なのに」


「オマエが言えたセリフじゃねぇ」


 このやり取りに、クドリがくすっと笑った。


「クドリ」


「なんですか? 兄さん」


「予感のほうはどうなんだ。前に感じたことと一緒か」


「はい、変わりありません。おそらく佐藤レイと顔合わせるのは今日です」


「そうか。つまり今日が最終決戦なんだな」


「はい」


「よし、じゃあ、俺達も普段通りで行こうか」


「じゃあ、私も武井くんと楽しまなきゃ」


「佐藤レイのこととは関係ないですからね」


 その通りだ。

 それに、仮に鉢合わせとなってもまったく問題はない。


 たとえ、俺たち以外の誰かが佐藤レイを認識したとしても、地球の物理法則を超える何かが起こっていた場合は、すべからく意識の範疇外に置かれてしまう。


 つまりその時、佐藤レイと会ったという記憶さえも無くなる。


「ねぇ、兄ちゃん」


「ん?」


「今日ってデートだよね」


「どうだろうな。保健委員にとってはデートだけど、神田にとってはその一歩手前らしい。で、武井くんの場合は妹の付き添い気分だぞ、きっと」


「たしかに。私と武井くんでは幼馴染気分だしなー。たぶん、兄ちゃんたちを見守るデバガメ気分になるかも」


「そうか。ところで妹よ。兄ちゃんはこんな装備で大丈夫か」


「大丈夫だ、兄ちゃん。イケメンでない以外は問題ないよっ」


 互いに敬礼し合いながら言う。

 なんかムダに息があっているのが兄妹っぽいなと嘆息する。


「あ、兄ちゃん。着信」


「ほんとだ」


 俺は慌てて電話に出る。相手は神田だった。


「もしもし」


『おはよう、小林くん』


「おはよう、神田」


『えっと、あのさ。今日少し遅れそうなんだけど。その、用意に時間がかかっちゃって』


「おう、そうか。心配せずにゆっくりしてくればいいじゃないか」


『そう、ありがとう』


「礼を言われることじゃねぇって」


『でも……、うん、そうだね』


「うん?」


 神田の声は小さくくぐもっていて、聞きとりにくかった。


『その、私、小林くんのために一人前のパンを作ってきたから』


「なに?」


『あ、ううん、なんでもない。それじゃあね』


「あ、おう」




 ◇◇◇




 六都科学館は、この前遊びに来た街からバスで約十分。郊外とまではいかないけれど、市街地よりは住宅地側に存在している。

 名前の由来は、近郊の六市が共同で開館したこと。


 俺達はこの前と同じように、街の駅のモニュメントで待ち合わせをしたが、そこからバスに乗らず、歩いて六都科学館へ向かった。


 道すがら、日常の取りとめのないことを話したりして、会話を楽しんだ。


 やはり、妹が学校でも救いようのないぐらいアホの子だったり、武井くんが実は天体少年だったり、また、クドリの学校生活の慣れや、神田の髪型がよく変わる理由など、ざっくばらんな内容の話をした。しまいには、俺と保健委員の安いヒーローショーごときの因縁まで根掘り葉掘り話してしまった。


 程なくして、六都科学館に到着し、俺達はそれを仰ぎ見た。

 長い改装期間を経た六都科学館は、ずいぶんと高い建物になっていた。


「小林くん」


「なんだ」


「ここってこんなすごい建物だっけ」


 神田が目を丸くして言う。


「たしかにな」


 保健委員も感嘆の声。


「俺達、知らなかったよな、こんなの」


「うん」


「なにせ、ここに来たのは小学校の社会科見学以来だ」


 保健委員がそう言うと、中学生コンビの二人以外は頷いた。


「とても楽しみですね」


 クドリはクドリでマイペースだ。


「さて、行くか」


 俺は、いよいよ六都科学館に足を踏み入れるが、まず、正面の入口が回転式になっていて、なんだかそのホテルみたいな高級感に後ずさりしてしまった。


「お兄さん、どうしたんですか。入りましょうよ」


「お、おう」


 気のいい武井くんの呼びかけに、俺は生返事。

 そしてこの中で、この場所に詳しい彼が、物おじもせず張り切って説明する。


「入ってすぐのエントランスホールにフロアマップがあります。だから、わからなくても大丈夫ですよ」


 言われてようやく入った。


 六都科学館の中に入ってまず思ったのは、天井が物凄く広いことだった。すべての階が付きぬけのアーチ形になっていて、冗談ではなくどっかのホテルみたいな構造だ。


 プラネタリウムが始まるまでは、まだ少し時間があったので、武井くんの説明をところどころ交えながら、見て回った。


 六都科学館で面白いのは、科学を地球・地域・生命・生活・宇宙の五種類で分けているところであり、それぞれが特色あってとても良い。


 おおざっぱにそれらを見て回った後は、当初決めていた予定通り、三組に分かれて行動することとなった。


「小林くん」


「気にするな、神田」


 そして、三組で分かれたのはいいのだが、俺達は妹と武井くんのグループに付け回されていた。


 それもこっそりと、といった感じで。

 いや、ばればれなのだが。


 しかも、デバガメ根性あふれる妹の主導の行動を武井が必死になって押さえているという悲しい構図だった。


 あいかわらず、いつもと変わらない二人。

 これでこそ幼馴染と言うべきか。


「何も起こらないのにな」


「え?」


「だから、俺と神田」


「あ、うん?」


 こくりと首を傾げる神田。 


「どういうこと?」


 そして意外にも、神田は要領を得ないみたいな表情でいた。


 しかし最近、神田のこういう表情は多い。委員長のプロトタイプって感じだった神田には、意外とへんな隙があって、それがなんだかかわいらしい。 


「だから、あの様子だとな、妹は、俺と神田が展望台辺りにでも行ってキスするんじゃないか、と思ってそうだってことさ」


「え」


 にわかに頬が赤くなっていく神田。

 つられてこっちまで面映ゆくなり、気まずくなる。


「ちょっと」


 と言いつつ、神田が俺をつつく。


「やっぱり」


「うん」


「やっぱり、この空気、俺が悪いのか」


「そうよ。そ、それに、そういうことははっきり言ってくれないとわからないじゃない」


 しかし、曖昧でぼかした言葉の機微を察しやすいのは、女の子の方じゃなかったか。

 胸中で俺は思うが、その疑問が解消されることはないだろう。なにせ、神田がこの調子なのだから。


「ま、あれだ。気を取り直して展望台行こうぜ」


「あ、そこ……」


 また顔が赤くなる神田。

 めったにない神田のしぐさに、こっちも困惑する。


「蒸し返さないでくれ。ほら、妹たちが見てる。だから見栄張って悠然と構えて」 




   ◇◇◇




 展望台に向かう途中、保健委員とクドリの組にあった。あっちの組はマイペース同士上手くやっていて、なかなかにいい感じだ。


「あの二人、相性いいのかな」


「お互いマイペースだからな。それと、ある意味ルールに乗っ取ったかのような一定としたしゃべり方とかが合うんじゃないか」


「そうかもね。ていうか小林家全員、かなりのマイペースだと思うんだけど」


 ジト目でにらんでくる神田。


「あ、それは否定できないかもな」


 付けてきている妹たちをちらりと見ながら、俺は視線を市街の景色に逃がした。


「それにしても、すごい眺めだ」


 やはり、傾斜型ドームである六都科学館の展望台は高く作られていて、景色がかなり素晴らしい。その情景の良さから、六都科学館随一の人気のスポットでもある。


「ほんとね」


 神田も俺と同じように景色を見るが、その横顔はいつになく愁いを帯びている。

 神田は手すりにほんの少しだけもたれかかって、片手を頬に当てていた。


「やば」


 俺は小声でつぶやく。


 何がやばいんだかわからないが、さっきから神田がやけにかわいく見えていた。気のせいか気のせいでないのか、そんなことはどうでもいい。

 

 ただ、事実として、神田がかわいく見えるのだ。


「ねぇ、小林くん」


「お、おう」


 急に神田が振り向いたので、俺は驚いてしまった。


「どうしたの?」


「いや、なんでもない」


「そう」


 へんな沈黙が訪れるが、その沈黙を打ち破るべき言葉を神田が発してきた。


「私と、キスしたい?」


「な、何を言って、」


 神田は真剣な表情で――いや、口の端が上がり笑みの表情をかたどっていく。


「……」


 やられたか。いつも似たようなからかいをやっている俺への報復だ。


「最近、煮え湯を飲まされている分だから」


「まったくだな」


「でも、ほんとはしてみてもいいんだけど」


 また、呆けてしまう俺。

 なぜか、今日の神田には迫力がある。


「う、うそだから」


「……神田でも冗談言うんだな」


 俺の精いっぱいの返しがこれだった。


「うん。まあね」


 曖昧に頷いた神田は、トートーバックから何かを取り出した。で、その何かと言えば、なんと都市伝説のパンが入った袋だ。


「これ、あげる」


 俺が驚きで無言のうちに、ぐいと両手で押し出されるようにパンを渡された。

 真面目とも照れとも判別のつかない表情で、神田がこっちを見ている。


「これ、私が作った一人前のパンだから」


「そうか」


「これでさ」


「うん」


「幸せになれたら……」


「神田、聞こえないって」


 段々と頬を赤く染めてもじもじしている神田は、照れているのが確かだった。

 やはり、こっちまで照れくさくなってくる。


 今度は、からかいが一切なしだった。


「聞こえなかったら、もっと私の近くまできてよ」


「え、」


「はやく」


 そして俺は、神田のパーソナルスペースの領域を遥かに浸食した位置に立つ。なんだかとてもいい雰囲気が出来上がっている。


 どうしたんだ、これ。


「で、私のことさ……」


「ああ」


「麦って呼んでくれると――」




 しかし、その時であった。


「兄ちゃんの、ばかっ!」 





「はっ?!」


 俺達は驚いて背後を振り向く。


 しまった。妹たちがいるのをすっかり忘れていた。俺も、神田も然り。


 結果、妹の咆哮を引き起こし、神田の最後のセリフが耳に入らなかっただけでなく、周りの注目を一斉に注目を集めてしまった。


「兄ちゃん、何してるの。今、しちゃいけないことしてたよね。神田さんの耳に息吹きかけようとしたでしょ」


「そんなことしようとしていたの?」


「そんなことしようとしてねぇ」


「だめだよ、兄ちゃんっ」


 ゆらゆらとゆすってくる妹に、俺は対処すべき手を考える。


「とにかく妹、落ち着け」


「兄ちゃんてば」


 くそ、これが親しみ系妹のデメリットか。いや、メリットなのか。


「結局、こうなのかよ」


 なおも妹が騒ぐ中、俺は大げさに頭を抱えるしかなかった。




   ◇◇◇



 

 昔、幸せについて本気出して考えてみた、という歌詞があったが、それが一番当てはまるのはクドリの今の姿だと思う。


 そう思ったのは、開かれたプラネタリウムが、若干のトラブルにより停止してしまったからだ。


 その時、俺が《指先のフィーリング》でなんとかしようとするが、クドリはそれを手で制し、あの幸せな気持ちになる不思議な踊りを踊った。


 一緒に踊る人数が倍数で増えていき、それによって上限が近づいてきていたため、最近、踊る頻度が減ってきていたクドリだったが、いざ踊るとなると、それはもう見事な奇妙具合だった。


 だけど、トラブルによって幸せ度数の低い空気をいっきに拡散させ、約百二十人の人達を幸せな気持ちにさせたのである。


 そして、そのときでもあった。




 ――兄さん、佐藤レイの気配がします。


 ――マジか。互いに気を抜かないようにしようぜ。



 

 俺とクドリの共感覚だった。




 ――妹には知らせてあるか?


 ――はい、もちろんいーちゃんとも共感覚で繋がっています。


 ――そうか、了解。




 いまだに皆がいる中、あの日以来となる佐藤レイの存在を強く察知していた。

 そして程なくして、佐藤レイがプラネタリウムの会場に現れた。


「久しぶり。でもないか、小林くん」


「そうだな」


 プラネタリウムが上映されている中、妹とクドリを除いて、誰も佐藤には気付かない。つまり、誰の意識下にも置かれない状態ができあがっていた。そして、俺と妹とクドリは、別次元に取り込まれたかように浮いていた。


 佐藤は、この前と同じくアメカジ系の服装で、彼女の特徴ともいえるチュッパチャップスも同じように胸元のポケットに差していた。


「小林くん」


「なんだ」


「この前の私のジャブは、土壇場で空振りだったんだね。残念だったなぁ」


「それは御愁傷様でしたと」


 俺はちゃかした調子で言った。


「そして、今日はいーちゃんとクドリちゃんもいるのね。いままで結界みたいなの張っていたけど、今回無駄だったみたい。まずいなぁ」


「私は、いーちゃんの《監視調査機関》ですから、いーちゃんの不思議な能力に悪影響を及ぼす場合は対処しなくてはいけないのです。今までが不覚でした」


「私だって、兄ちゃんを守る」


「だから、そんなに気張らなくてもいいのに。私だけじゃ、二人には対抗できないからさ」


 佐藤は手を上に挙げて、恭順の姿勢を示してみせる。


「でもあなたは、世界征服を企んでいるのではないですか?」


「ううん、そんなわけないじゃん。ただ、私はそちらのエネルギーがほんの少しほしいだけ。そしてそれを研究材料として、いろいろなことをしてみたいの」


「それは、たとえばなんですか?」


「そうね、時間軸の変更をしてみたり、物理法則を捻じ曲げてみたり」


「そうですか」


 クドリはそう呟いた後、押し黙った。


 佐藤も含めて、俺達はその様子を必死に窺う。クドリがどんな返しをしてくるかを、待っているのだ。


 やがてクドリが、口を開いた。


「では、こうしましょう。佐藤さん、あなたもいーちゃんのエネルギーを処理する一端を担ってください」


「やったぁー」


「「えっ?!」」


 思っても見なかった展開に、俺と妹は口をあんぐり。

 

 ありのままに今起こったことを話せば、敵だと思っていた人物がいつのまにか味方になっていた。そんな状態なのだ。


「佐藤さん、あなたに許可を与えます」


「戦う直前だった気配が消えているし」


「って、クドリちゃん。ほんとにいいの?」


 妹が堪りかねたように訊いてくる。


「大丈夫です、いーちゃん」


「でも、俺、攻撃されたんだぜ。クドリ、この前の厳かな誓いみたいなのはどうなったんだ? あれはなかったことになるのか? あれで俺、いたく感動してしまったんだけどさ、なぁ、どうなるわけ」


「兄さん」


「なんだ」


「目をつぶってください」


「結局、やられ損?!」


 しかし、その内斜視気味で魅力的な視線で言われると、仕方がないかに思えてしまう。


「では、佐藤さん」


「ん?」


「それでいいですか」


 クドリが下手に出て問いかける。

 すると調子に乗ったのか、佐藤はこんなことを言ってきた。


「じゃあ、こっちも条件が一つ。私にエネルギーの源となる甘いものをよこして。そうしたら、クドリちゃんのいうこと聞くから」


「くっ、甘いものですか。そうしないと世界が! どうすれば」


「クドリちゃん。世界滅びないからっ」


「ってか、クドリ。そこで困惑する要素一つもねぇ」


 なんというグダグダ感。

 そして俺は、もう一つの事実にも気がついた。


「しかも佐藤、さっき諸手を挙げて喜んでいただろ。下手に出ているのをいいことに何ちょっと欲張ってみようかなって思ってんの」


「そ、そんなことないもんね。それよりも、さっきから小林くんのバックの中にすごいおいしそうなもの入ってる気がするんだけど」


「なんだとっ」


 しかし思いついたのは、俺のバックの中に神田から貰った都市伝説のパンが入っていることだった。


「そうだよね」


「あ、まあな」


 俺はやむを得ず言葉を濁した。


「小林くん、なんかとてつもなく素晴らしい食べ物の予感がするの」


 なぜか、俺がとてつもないモノを持っているかのような口ぶりだ。


「それは幸せになる食べ物」


「……」


「ねぇ、小林くん、持っているでしょ」


「ちくしょう、これだけは」


「小林くん、お願い」


 しぐさの幼い佐藤は、必死の上目づかいで嘆願してくる。

 挙げる義理もないが、どうすればいいのか。


「兄さん、ここは世界のためです」


「どうしてそうなるんだよ、クドリ!」


 クドリは土壇場に弱いタイプか。いや、この場面に土壇場も何もないが。


「なんか状況がねじれているよ。頼むからなんとかして、兄ちゃん」


 三すくみで俺に視線が注がれる。


「くそ、これじゃあ埒があかねぇ」


 仕方なく、俺は神田が作ってくれたパンを渡した。


「ありがとね、小林くん」


「おう」


 佐藤はお礼を述べ、にこっと笑う。不本意ながら、とてもよい笑顔だった。


「兄さん、さすがです」


「じゃあ、クドリちゃんの言うこと聞くからね」


「わかりました。では、一つお聞きします」


「ん? なに?」


「佐藤レイは、自分を不可視状態にすることが可能ですか」


「可能だけどさ、クドリちゃん。でも、佐藤レイなんて他人行儀な言い方やめよ」


 語尾を上げて言う佐藤。


「レイでいいよ」


「そうですか。ではレイさん」


「うん、それでいい」


「ではこのまま、不可視の状態で私達と一緒にいてください」




   ◇◇◇




 別空間にいたかのような感覚がなくなり、俺達の目の前ではプラネタリウムの続きがやっている。

 どうやら、亜空間から戻ってきたようだ。


 近くにいた神田、保健委員、武井の面々に影響も出ていない。良かった。


「……」


 結局、佐藤レイの件は、あまりにもあっけない幕切れで解決した。あっけなすぎて涙がちょちょぎれるぐらいだ。


 でも、それでいいのかもしれない。


 で、これから佐藤も妹の過剰のエネルギー放散の供給先として、俺やクドリと同じようなことをするはずだ。そして佐藤は時間軸の変更という研究を、クドリの許可を得ながらするのだろうか。


 ちなみに佐藤も、クドリとは似て異なる地球外生命体だった。

 

 もはや驚きはない。

 予想は着いていた。


 そして佐藤は、クドリのような精神の思念体ではなく、もとから《器》を所持しているという。本人が言うには、姿、形を自由自在に変更できるらしい。


 だから、普通の女子高生なのにしぐさが幼く見えたのか。




 ――クドリ、これで本当に正解なのか。




 二つ離れた席に座るクドリに小声で話しかけても良かったが、俺はあえて共感覚を使ってみた。思えばこれも、だいぶ親しみやすくなっている。


 当初の、クドリにすべてを委ねた形とは違い、一本の芯が通ったようにスムーズだ。




 ――どうなんだ?


 ――はい、これで正解だと思います。


 ――本当か。危険ではないのか。


 ――はい、大丈夫でしょう。彼女の目的がこの星における世界征服でないかぎり、問題はありません。この真理は先ほど気がつきました。


 ――そうなのか。




 もはやBGMと化したプラネタリウムの説明を聞きながら、俺はぼんやりと考える。もう一つだけ言いたいことがあった。




 ――それで、佐藤レイについてはこれからどうなるんだ。


 ――それは私に任せてください。兄さんにも協力を依頼します。




   ◇◇◇




 プラネタリウムが終わって帰り道、珍しいことが起こった。

 

 俺達六人がスクランブル交差点を横断している時、ぽっかりと中心に入りこんで出れなくなってしまったのだ。時間にすれば、ほんの二、三秒かそこらのことだった。


 しかし、俺達は立ち止った。


 なぜならクドリが、


「このタイミングです」


 などと、奇妙に呟いたからだ。


 そして急に、正規の時間軸よりはるかに遅い時間が流れた気がした。ほんの一瞬だけだったから、気のせいかもしれない。でも、今までにない感覚があった。



 

 ――いーちゃん、兄さん。


 ――クドリ?


 ――どうしたの、クドリちゃん。てか兄ちゃん! クドリちゃんを通して、兄ちゃんとも共感覚が繋げるぐらいになったんだ! 凄いっ!



 

 妹の考えなので、それがどれだけ凄いかはわからなかったが、確かに共感覚を完全にマスターした感じはあった。




 ――今、私に幸せの奔流というべき流れが来ています。


 ――えっ?! えっ?! なに? クドリちゃん。


 ――だから、ここで私に踊らせてください。ゲージでいうところの満タン状態なのです。


 ――どういうこと?




 二人してクドリに疑問を投げかけるが、返答はなかった。


 理由は簡単。

 クドリが踊りを始めていたからだ。


 今日は一日二回の大サービス。

 

 クドリがこれまで踊ってきた回数は八だから、倍数でどんどん増えていく計算で、一、二、四、八、十六、三十二、六十四、百二十八――なので、二百五十六人がつられて踊ることとなった。


 そしてそれは今までにないぐらい圧巻の光景であり、またいつも違うのは、クドリの共感覚を通して不思議なエネルギーの奔流が入り込んでくることだった。


 たとえば、友達とけんかして気分が落ち込んでいた人が、仲直りをしようと思える奔流だったり。テストで悪い点を取ってしまった人が、もっと勉強しようとすぐさま立ち直る奔流だったり。会社でミスをした人が、今度は取り返そうと思いなおしたりする奔流だったり、と。


 そういうプラスの奔流だった。

 

 そんな人達がだんだんと幸せに包まれていく感情の機微が、手に取るようにわかった。

 

 今までになかった感覚。

 これぞ集大成。


 それがクドリの踊りだった。




 ――幸せにするための正解って、私はやっぱりなんだかわからないままでした。でも、こういう一過性の方がいいのかもしれません。理由はわからないんですけど。


 ――そうだろうな。俺もわからないけどさ。


 ――私も、私も。




   ◇◇◇




 どこで話を聞いたのか、俺に挙げた都市伝説のパンを他人の女の子に渡したという最悪の事実が本人に知れてしまった。べつに隠し通すつもりなかったものの、いざ知れてしまうととてもバツが悪い。


「で、小林くん。どういうことなの」


「いや、そのな」


「さっき佐藤さんがね、私が小林くんにあげたパンを持って歩いていたんだけど」


「……」


「しかも佐藤さん、小林くんに貰ったとか、これから小林くんの家にお世話になるとか、もっと小林くんと仲良くなりたいとか触れまわっているんだけど。これ、ぜんぶ説明してくれない?」


 かなりドスの利いた声で、神田がしゃべっている。


 安易に攻撃を加えないあたり、本気の本気で怒っているらしい。いつもだったら軽く足を踏むか、パンチを入れてきたりする。


「どうして?」


「いや、神田」


「麦って呼ぶ」


「へ?」


「それぐらい覚悟を決めて作ったんだから」


「じゃあ、麦」


「それで終わりじゃないでしょ。どうなの?」


 ごまかしの利かない瞳で俺を見つめてくる。


「それはですね」


「それは?」


「それは、この世界を救うために仕方なく――あいてててっ! いてっ! いてっ! いてててって! せめて最後まで言わせろよ。てか、オマエ、どっかの隠しキャラ並につえーぞ!」




   ◇◇◇




 とりあえず、佐藤レイに関する問題を解決した翌日の放課後。


 見事に俺は、こんな目にあっていたのだが……事実、昨日から佐藤レイは、クドリの判断によって我が家に住んでいる。


 昨日、家に帰った後、不可視状態のままつき従っていた佐藤にクドリは言った。


「レイさん、あなたはここに住んでください」


「えっ?」


 いきなりの発言に驚く佐藤。

 俺達も一緒だ。


「クドリちゃん?」


「クドリ、ちゃんと説明してくれないと」


「はい、兄さん。それといーちゃんも聞いてください」


 俺と妹は頷く。


「ここからは、私の感覚に起因するのですが、じつはレイさん、彼女には世界に影響をあたえる害意は持ち合わせてないみたいなんです。なぜなら行動基準は、一貫してエネルギーを手に入れること、自分の思い通りに使うこと。そしてその範囲は小さいです。なので、レイさんはこちらで管理した方が扱いやすいと思うんですが、どうでしょうか」


「そうだな、ここまで扱いやすそうな奴はあまりいない気がする」


「お菓子あげたらつられそうだしね」


「いや、妹。それはオマエもだぞ」


「えー。そんなことないよ、兄ちゃん」


「いや、兄ちゃんは、妹がお菓子につられた事例を数多く知っている」


「うぅ~、そうだけど、少しは成長したもん」


「いーちゃん、兄さん。今はそれ置いときましょう」


「おっと、迂闊にも」


「そうだったね、兄ちゃん」


「なのでお二方、ここは了承してください」


「わかった」


「うん、いいよ」


 そして、クドリはもう一度佐藤に尋ねてみる。


「レイさん、あなたはここに住んでください。そうすれば、《監視調査機関》の私としても好都合です」


「そっかぁ、そうなんだ」


 言って、考えるそぶりを見せる佐藤。

 やがて肯定の答えを導き出したのか、表情が明るくなっていく。


「わかった、クドリちゃん。いいよ。てか、ラッキー。じつは拠点とするべき場所困っていたんだよね。よしっ! これから小林家と仲良くなって、小林家と行動を共にするのも悪くないじゃん。しかもエネルギーが使えるときたら最高だよね」


 結局、佐藤はそんなふうに喝采を上げていた。




   ◇◇◇




「おい、小林、また風紀を乱したな」


「小林。どういうことだ」


 後ろのドアが音を立てて開き、まためんどくさい奴がやってきたと俺は思った。

 来たのは保健委員。それと久しく会ってなかった山崎だ。


「小林、親戚以外の同学年の女子と一緒に住むとはどういうことだ。また、問題を起こそうというのか。その理由を教えろ」 


「てか、どうやって佐藤ちゃんを籠絡させたんだよ~。甘いものか。都市伝説のパンか。か、神田様、私にもどうか一つめぐんでくださいぃー」


 神田は、黙って首を振った。


 そしてとばっちりのように俺を睨みつける。事情があって離れ座敷に住まわせることになったのは説明したんだけど。

 とにかく、またにわかに周囲が騒がしくなってきた。


 クドリャフカは悠々とした調子で、我関せずを決め込んでいる。くそ、いつのまにか処世術を学んでいたのか。


 俺はクドリを巻き込むようにして手を取り、席を立ちあがった。


「おい、クドリ」


「に、兄さんっ」


「ちょっと早いけど帰るぞ」


「あ、ちょっと。小林君」


「待て、小林」 


「小林、逃げるのか」


 三者三様の声がしたが、俺はそれを無視して教室を出ていく。だが、追いかけてくる気配がした。


「ほら、ちょっと用事があるんだよっ!」


 聞いているかどうかもわからない声を上げて、急ぎ足で逃げていく俺とクドリ。俺はそういえばと考え、問題が解決した後での約束を思い出した。


「なあ、クドリ」


「なんですか、兄さん」


「俺、ホントに用事を思い出したんだ」


「え? なんでしょう?」


 クドリは不思議そうに首を傾げる。


「用事はさ」


「はい」


「穴掘りにしようぜ」


「穴掘り?」


「そう、穴掘りだ。また穴を使って好きな重力をいっぱい楽しめばいい。そうだろ? それが日常なんだから」


「はい、兄さんっ!」


 俺と妹とクドリ、それに新しく佐藤を交えた共同生活。

 こんな関係がもう少しだけ続いていく。


「私、楽しみです」


 クドリが笑っている。


「そうか」


「はい」


「良かったな」


「はいっ!」


 忙しく走りながらも嬉しそうに返事をしたクドリは、初夏の日差しみたいな優しい笑顔を浮かべてくれた。


 しかし俺はそれを見て、ひそかに思う。

 もっといつもみたいに悠々としてくれてもいいのにな、と。






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