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「じゃあ、クドリ。委員会があるから先に帰っておいてくれ」


「はい、兄さん」


「みやげに神田のベーカリーハウスでいろんなもの買ってくるぞ」


「あ、あの風見鶏が回っているところですね」


「そうだ。もちろん、ドーナツも買ってくる」


「はい、楽しみにしています」


 そんな会話を交わし、俺はクドリと別れた。


 今は七夕をやった翌日の放課後で、委員会の集まりのため、学校に残っている。

 仕事の最中、なにげなしに一年の名簿を見て、神田が言う。


「あのさ、うちらの代って一風変わった名字多くない? ほら、この人とか。この人も。逆に有名な名字がいない気がするんだけど」


「たしかに。ここはそういう土地柄でもないんだけどな。謎だ」


 と、その時だった。

 たしか、前にも感じた違和感がやってきた。


 デジャブだ。

 なんだろうか。


「小林くん、どうしたの?」


「いや、なんでもない」


「いきなり固まったりしたんだから、びっくりしたんだけど。後、今日はうちのベーカリーハウス来るんだよね」


「ん? ああ、行くぜ。ドーナツを買わなきゃいけないし、妹の好きなラスクも補充を切らしているし。何よりもパンを買わなくていけないからな。神田、何かおススメがあったら教えてくれ。あ、もしかして都市伝説と称されるパンは、今売っているのか?」


「ううん、今は売ってない」


「そっか、まあ仕方ないな」


 そして俺達はまた、作業に移っていく。話題はどうでもいいようなことに終始しながらも、神田はこんなことを切り出してきた。


「小林くんさ、なんか品行方正になったよね」


「そうか?」


「そうだよ」


「そんなこと言ったら、神田はおしとやかになった気がするけど」


 それを言うと、ぎゅーと押し付けたようなこぶしが飛んできた。ちょうど痛くないくらいの加減で胸をぐりぐりされる。


「そんなことないけど」


「そうか?」


「で、小林くんはどうして変わったの?」


 露骨に話をそらす神田。


「いや、神田。そう言いたいのわかるんだが、じつのところ、根本的には変わっていないんだよな」


「それは『後ろ指差され隊』の三人組で活動しなくなっただけとのことなの?」


「オマエもそれ使うんだな。まあ、でも今の状況見ればわかるように、そういうことさ。そもそも俺達は壮大なことをしようと思ったんだ。そしてその期間は短ければ短い方がいい。実際に俺達はこんな計画を立てていたんだぜ」


 俺は神田の様子を窺い、さらに続ける。


「『入学してからの一カ月でどれだけのバカ騒ぎを起こせるか』と。そんなくだらないことを始めたんだ。だから今、俺達は自然と離れている。もしかしたらそれぞれに事情があるのかもしれないな」


「工藤くん。それと山崎くん」


「そう、工藤は山籠り。山崎は女の子とよろしく遊んでいる」


「あ、そういえば、私も見た。山崎くんが同じ制服の子を着た女の子と歩いているところ」


「だろ。佐藤レイっていうらしい」


「佐藤さん」


「ん?」


「なんか不思議な子だったな」


 神田がしみじみとつぶやいた。




   ◇◇◇




 委員会が終わって帰り道。


「あのさ」


「なに?」


「んと」


「なんだよ、神田。どうした?」


 俺が若干きつめに言ってしまったのも、神田の調子が学校を出てからずっとこうだからだ。どうも神田の様子がおかしい。


「えっとね」


「ほんとにどうしたんだ?」


 見れば、頬がほんの少しだけ上気しているようだった。あからさまに熱っぽいかんじでもある。風邪でも引いたのだろうか。


 妹にするように、俺はおもわず、神田の額へ手を置いていた。


「こ、小林くんっ」


「す、すまん」


「いきなり、何をするの」


 足でもぐりぐりされるかと思ったが、案外、何もしてこなかった。


「いや、さっきからおかしいから熱でもあるかと思ってさ。条件反射で。妹がよくにしていたせいかな、ははは」


「……」


「……」


 俺が必死になって弁解するも、やはり神田は押し黙っていた。

 だが、ややあって。


「べつにおかしくはないから、私」


「そうか」


「それにもしおらしかったとしたら、きっと小林くんのせい。しかも、私の髪のかきあげ方がこなれていて、なんかヤダった」


「なんだよ、それは知らん。って、なんで俺のせいなの?」


「私も知らない」


 つんと澄ました調子で言われた。


「だから、嫌がらせをした罰として、私と電話番号すること」


「へ?」


「ん、赤外線」


 そう言って、携帯を差しだしてきた。


「これ、勢いだから」


「なにそれ。しかし、俺が得するだけという」


「そんなことない。さっきの仕返しとして、いたずら電話してやる」


 無理した調子でそんなことを言うので、少しからかいたくなってきた。


「ほんとにするのか」


「するよ」


「ほんとのほんとに」


「する」


「無理しなくていいんだぞ」


「するってば」


「あー楽しみだ」


「じゃあしないけど」


「かわいすぎる」


「からかわないで」


 こうして本格的に機嫌を損ねた神田がずんずんと歩を進めるのを、俺は、ある意味いつも通りといった感じで眺めていた。


 やっぱ、細っこく長い脚が素晴らしいと感嘆するのだった。

 



   ◇◇◇




 そして、神田んちのベーカリハウスに到着する。


 ここは景観を損なわない程度に明るいオレンジ色の屋根と、土産物のパッケージような風見鶏――この二つが良い目印になる場所だ。


「せっかくだから、コーヒでも飲んでく?」


「おう」


「じゃあ、ちょっと待ってて」


「ん」


 久しぶりに会う神田の両親に挨拶をした後、ちょっとした喫茶店風味になっている場所で神田を待つ。


 そして待っているあいだ、俺はさっきのことを考えている。


 結局、あの軽い騒動の後、俺達は電話番号を交換したのだが、むしろ、なぜ今まで知らなかったのが不思議なくらいということ。常々、委員会で集まりがあり、連絡を取らなければならない場面も多かったはずだ。


「なあ、神田」


「うん?」


 制服にオレンジのエプロンを合わせてやってきた神田が、首を傾げた。


 ここでは気分を一新したいのか、短かな髪をむりやり結んだ髪型に変えている。また、それが新鮮でかわいらしい。毛先を見つめていたら睨まれたというパターンは、またかと言われようがやってしまう。


「委員会が一緒なんだから、もっと早くケー番交換すればよかったな」


「そう? わかんないよ」


「どうして」


「だって最初の方は、何を言っても小林くんサボっていたし」


「あちゃー」 


 しかし、これを言われると頭が痛い。


 四月は、『後ろ指差され隊』の命を懸けた活動。五月は、妹と一緒にクドリ顕現のための穴掘り。それで六月になって、やっと委員会の活動をし始めた。


「あ」


「どうしたの」


「いや、切らしてるな、と思って」


「ほんとだ。めずらしい」


 お互いに見合った後、神田がその容器に手を伸ばす。


「砂糖がないなんて」


「!」


「どうしたの?」


「いや、なんでもない」




 しかし、まさしくその瞬間は天啓だった。

 天啓のように閃いたのだ。




 今まで喉の奥に小骨が引っかかっているというか、そんな微妙な違和感があったのだが、それが一気に解消していく。


「ちょっと面白い符号を見つけたんだ」




 ――佐藤、ない。




 これまで委員会のたびに見てきた二年の名簿の中に、佐藤という名前がないという事実。確かになかったのだ。さらに加えて、今まで山崎といる以外で佐藤レイを見たことがない。


 これが、彼女に対する違和感の正体だった。

 つまるところ、佐藤レイという少女は名簿上存在していない。


 まだ確信は持てないが、きっとそうだろう。


「神田」


「なに? 小林くん」


「あのさ、山崎と一緒にいる女の子いるじゃん」


「ああ、佐藤さんか」


「あの子、山崎と一緒にいるとこ以外で見たことある」


「え?」


 神田は質問の意味がわからなかったのか、少しだけ逡巡したが、結局こう答えた。


「そういえば、見てない気がする」


「そうか」


「でも、それがどうしたの?」


「いや、俺もそんな気がして、やっぱりそうだったって話だ」


「え、どういうことなの?」




   ◇◇◇




 神田のベーカリーハウスからたくさんのパンとかを買って帰宅して、俺は早速、クドリに今日の出来事を相談してみた。


「兄さん。それは一大事ですよ」


「やっぱりそうか」


 心配性のクドリであるため、その反応は予想通りだったが、次の発言に俺は度肝を抜かされてしまった。


「なぜなら、私は彼女に会ったことがありません」


「…………」


「本当です」


「マジなのか」


「はい」


「マジかよ」


 頭を抱えた。

 これこそが、本当の違和感。


 クドリに分析してもらおうと考えていたのだが、ますます混迷を極めそうだった。


「兄さん、今までその佐藤レイという少女に何回ぐらい会いましたか」


「何回?」


「はい」


 俺はその機会を指折り数えたが、少なくとも五回以上は彼女を見た。朝、放課後然り、休日然り。


 そしてその時こそ。

 確かにクドリはいなかった。


 ある時は不可視状態になっていたり、ある時は俺と行動を共にしていなかったり。またある時は、突然この場を離れたがったりと。その手段は多種多様ではあったが、たしかにクドリはいなかった。


 佐藤レイとクドリは会っていない。

 これは確実だ。


「兄さんは、こんなにも佐藤レイという少女と会っています。なのに私は会っていません」


「……」


「私と兄さんは、《共感覚》を繋げるために出来るだけ一緒にいます。しかし兄さんの話によると、私は直前になってその場を離れようとしています。まるで張られている結界を避けるかのような動きですね」


「そうだな」


「そしてここから推測ですが、佐藤レイは、いーちゃんのエネルギーを狙う地球外生命体なんだと思います」


「そうなのか?」


「はい」


 ずいぶん突拍子もなく聞こえるが。


「だから、これは一大事です」


 だが、一大事に見えない落ち着いた表情のクドリ。


「一大事か」


「はい」


「でもさ、クドリちゃん」


 ここでひょっこりと顔を出してきた妹。


「話聞いていたのか、妹」


「うん。だって兄ちゃん達、大声で話してるんだもん。それに当事者なしで深刻な話なんて、どういうことかな」


「それは……」


 俺は押し黙る。


「でも、後で話そうと思ったぜ。全てまとまった時にな」


「だめじゃん」


「そうか?」


「うん。だってそれじゃ建設的な意見にならないでしょ」


「いや、妹から建設的な意見なんて聞いたことがないと思うが」


「わー、そうだけど。でも、三人寄ればなんとかの知恵って言うのに」


 ポカポカとタコ殴りにしてくる妹は、こんなときでもまったくのいつも通りだった。でも、そろそろやっかいになってきたので、後ろから抱きすくめるようにして止めてみる。


「ひゃー、兄ちゃん。妹の止め方がえげつないよっ」


「そりゃそうだぞ、妹。止めさせるためにやっているのだからな」


 しかし、身をよじる妹。


「あ、いやっ、兄ちゃん。ちょっとハードタッチしてるって。そこ、胸、胸だよっ」


「マジかい」


 俺は愕然とした。


「マジかい、ってどういうこと?!」


「いや、見た目通りというか」


「えっ、それって」


「あまりにも貧乳で」


 というか、この妹を中傷するようなセリフは長々とあったのだが、最後まで言えなかった。


「兄ちゃんの、ばかっ!」


 この口癖で。

 



   ◇◇◇




 妹のせいですっかり一大事的なムードが消え去ったのだが、妹にとっては一大事とも言える、自ら尊厳を取りもどすための高尚なやり取りが始まった。


「いじわるっ」


「まあ、すまん」


「いじわるいじわるっ」


「いい加減、機嫌を直しなさい」


「せめて触るだけなら良かったのに」


「兄ちゃん、それはどうかと思うぞ」


 へそを曲げた妹が、やいのやいのと文句を言ってくる。

 俺はその膨らんだ頬を突きたかったが、それをやるとさすがに本格的な怒りに発展しそうなので止めておいた。


「いや、やっぱやるか」


「ひゃー、なんでここで妹の頬を突っつくの」


「いや、なんとなく」


「なんとなくでしないでよ。どうしてここで、そういうことをするわけ?」


「反省していないからかな」


「反省してないの?」


「いや、そんなことない」 


「じゃあ、妹の胸はエコキュートって言って」


「は?」


「だから、言ってよ」


 これは言うしかないようだ。


「はい、妹の胸はエコキュートなお手前で。……てかなんだよ、エコキュートって。このへんな空気に流された」


「もう一回」


「はいっ、妹の胸はエコキュート! これでいいか?」


 すると妹は、腕を組みながら言う。


「独自にアレンジして、かっこ良く言い直して」


 その件に関してはもう即答だった。


「俺は大きさがどうこうではなく、女の子の胸が存在することに幸せを見出すべきと思っているんだ(キリッ)」


「今、(キリッ)って言ったぁ!」


 しかし、こんな倫理観ぎりぎりの兄妹コントをやっていても平然としているクドリは、なかなか強心臓で心強いのだが、はたして平静を保っていられるのだろうか。


「いーちゃん。そろそろいいですか」


 どうやら、そんなことはないようだった。


「あ、うん。話戻さないとね」


 妹の深呼吸につられ、みんなで同じようにする。

 そして、クドリが口を開いた。


「それで一大事とはいえども、こちらは受け身なのですから待っているほかありません」


「そう、それだよ」


「ん? どうした?」


「兄ちゃん。私が言いたかったのはね、事が起こるまで気長に待てばいいってこと。だって、結局は、兄ちゃんが助けてくれるんでしょ? 兄ちゃんてば、ふざけてるけどいざという時は頼りになるもん」


「……」


 そんなことを言う妹。

 

 俺はその妹の信頼が嬉しかったし、何よりもそういう事態になったら必ず応えようと思っている。

 それは当然の帰結だった。


「それに、私は不思議な力だって持っている」


「そうだな」


「そうですね」


 俺とクドリは、頷いた。 


「そういえばさ、私が佐藤さんとあった時、なんかおかしいと思ったんだ。今、思い出したよ」


「何があったんですか?」


 と、クドリが訊く。


「その佐藤さん、まるで私のことを知っているかのように話してきた。妹だとも断言してきたし」


 そういえばそうだと俺も思い返していた。




   ◇◇◇




 結局、昨晩はより注意深く様子を見守っていくという結論が出た。


 それは佐藤レイという少女に対し、こちらから自発的に顔合わせすることはできないからだ。なにせ俺達は、どの場面でも彼女を偶然見かけただけだった。


「これ、おいしいですね」


 とは言いつつも、寝て起きたらいつものスタイルは変わらない。


「ドーナツな」


「ドーナッツ」


「ドーナッツでもいいのか? あ、でも、CMとか見るとそうだったような」


 俺が煩悶と悩んでいると、「ドーナッツは穴があいているのが素敵です」とか言い出した。


「ポイントがわからんな」


「そうですか? なんか宇宙の神秘を感じさせてくれますよね」


「そして、意味もわからん」


「ほんとにおいしくて幸せです」


 クドリは、また一つドーナツに手を伸ばした。


「あー、そういえばクドリ」


「なんですか?」


「幸せで思い出したけどさ、幸せでなさそうな人を幸せにする活動は順調か」


「それは……」


「ん、どうした?」


「まだわかりません」


「そうか」


 とは言うが、つい先日も、クラス全員の気分をハッピーにさせる踊りを踊っていた。


 そして俺は気がついたのだが、クドリと一緒に踊って幸せな気分になる人の数が、二、四、八、十六、三十二と倍数で増えていることだった。このまま増え続ければ、誰もが幸せになるんじゃないかと思った。


「兄さん。残念ながら、上限はあります」


「そうなのか」


「はい、そういうのは感覚でわかるときがあるんです。たとえば、佐藤レイのことだって、いーちゃんの妨げとなる存在になりそうなのも感覚でわかりますし、その佐藤レイと顔合わせるのは、おそらく今週末の六都科学館だとなんとなくわかってしまうのです」




   ◇◇◇




 しかし、この時のクドリの発言は、その八時間後に奇しくも外れることなる。


「小林くん、久しぶり」


「オマエ、俺になんかしたのか」


「ううん。たいしたことはしてないけどね」


 佐藤はこんなことを言うが、逢う魔が時の放課後、俺は教室でたった一人残されていた。


 とりあえず、俺は一日を思い返してみる。


 この日はまず、委員長の権限を使って、各クラスに佐藤レイという少女がいるかを調べることから始まった。最初は委員会で使っていた名簿で確認して、この学校には在籍していないことを確信した。次に休み時間を使って、一クラスずつ覗いていった。見たかぎりでは、佐藤レイはいなかった。


 そして、そのことをクドリに報告して、そこからおかしくなっていった。


 急に時間の感覚が消え、かなしばりのような状態が訪れた。クドリには「さきに帰っていいよ」といった主旨のようなことを言って、ここから離れさせた。クラスメイトもどんどんといなくなっていった。気がつけば、この場に俺一人残された状態で今に至るわけだったのだ。




 ―――。―――。

 ―――。―――。




「クドリちゃんと《共感覚》を繋げてもムダだよ」


 幼い小悪魔みたいな表情で言う佐藤。


「俺の思っていることわかるのな」


「まあね。なんとなく感覚でわかるんだ」


 この発言は、朝聞いたクドリのそれと同じだった。そしてその事実こそが、佐藤レイを普通とは違う何物かであることの証だといえた。


「ちなみにね、君が名づけている《指先のフィーリング》もムダだよ」


「そうか」


 もうすでに、金縛りにあっている自分の身体にやってみたが、何の効果も出ないことが実証されている。

 なので、何の感慨も抱かなかったと言いたいところだが、そういうわけでもなかった。


「…………」


 さて、どうすればいい。

 どうにもできない。


 黙ってこのまま、何らかの処置をされてしまうのか。


「小林くん。心配しなくても大丈夫」


 佐藤が徽章のある胸元のポケットから、己のトレードマークともいえるチュッパチャップスを取り出しながら言う。


「だって、私はそこまで強くないよ。だから、標的とする小林くんの情報を手に入れようと山崎くんと親しくなってみたり、少しでもこの街の滞在期間を長くして慣れてみたりとかしたしね。それに佐藤レイって、甘さゼロっぽいの仮名をあてたのは、その弱さを克服するための表れだよ。まあ、それがヒントになってアダになっちゃったけど。……後、小林くんに対抗するためのエネルギーもたくわえなくてはいけなかったしね」


 そして包み紙を取り、チュッパチャップスを舐めはじめる。


「それは甘いものかよ」


「あたり。で、もうばれちゃったんだし、こうなったら意表をついて予行演習を兼ねたジャブでも打とうか思ったんだ」


「そうかい」


 嘆息するとともに、投げやりな気持ちで聞いてみる。


「ここに特製のドーナツがあるんだけど、それで今回は、そのジャブとやらをなしにしてくれないか?」


「うんそれムリ。って、かっこ良くいいたかったんだけど、ドーナツかぁ」


「え、いいのか?」


「うわーどうしよう」


 なんか一気に緊張感のない会話になった。

 佐藤は悩みに悩んだあげく、結局、断念した。 


「あーあ、残念」


「俺もだ」


「私も。あ、そういえば目的については言ってなかったっけ?」


「ああ、聞いていないな」


「やっぱりそっか。言い忘れるところだったよ。で、その目的なんだけどさ、もちろん世界や宇宙の征服なんて大それたことは考えてないよ。ただ、ほんの少し自分の思い通りにしたいことをするだけなんだ」


「へぇ」


「うん」


「しかし、それにしてもよくしゃべるんだな」


「はっ、そうだった。でも、なんだか楽しくなってきちゃったんだよね」


「で、今の全部ホントか」


「うん。ホントだよ」


 そして、それは拍子抜けするほどのあっけらかんとした返事だった。


「標的は俺だけか?」


「そう。だって時間軸を変更させたり、物理法則を捻じ曲げたりはするくらいだもん。それをこの場所でするために、あなたが妹から放散されているぐらいのエネルギーが必要なのね」




 そして、その瞬間だった。




 振り上げられた彼女の指先が、俺の輪郭を宙でなぞるように形作っていく。そして彼女がその流れに亀裂を入れると、意思を持って作られたソレが、エネルギーの放散と他者への譲渡を強制的に行わせる。




 ――に、、、い、、、さ、、、ん、、兄、、さ、、ん………………………………。


 ――クドリか。


 ――だ、、いじょ、、うぶで………………………………。




 スパーク。

 身体を巡る。


 滞留していたエネルギーが根こそぎ抜き去られるような感覚。

 やはり動けない俺は、どうしようもできないことを悟っていた。


「なんか、なあなあになっちゃたけどさ」


「……」


「やっぱやることはやらないとね」




   ◇◇◇




 いつぐらいそうしていたのだろうか。

 数分、あるいは数十分。


 最後の最後でかろうじて《共感覚》で繋がれたのだから、クドリがそろそろやってきてもよさそうだ。などと考えたのだが、まさかコイツがこのタイミングで来るとは思わなかった。


「小林」


「保健委員」


 我がクラスの教室の地べたに這いつくばっている俺を見て、何やら思案深げな表情を浮かべる保健委員。


「ここは……ここは、俺の屍を越えてゆけ」


「いつもとセリフが逆だぞ」


「だな。ま、ほんのジョークだぜ。でもこのセリフ、今の俺にぴったしだろ」


「そうだな」


「……」


「……」


 しばし沈黙が訪れる。


 保健委員は俺からやや離れ、こつこつと教室を歩き回る。これは心の平静を取り戻す行為なのかもしれない。

やがて周りの状況を確認をした後で、保健委員はこう言った。


「理由は聞かない。だが、俺は小林の行く手を阻むだけではない。手だって貸してあげたい。さあ、手を取れ。然るべき場所に連れて行く」


「オマエ……」


「俺を誰だと思っている」


「保健委員か……」


「そうだ、さあ」


 そして、差し出された手を握ろうとするが、


「あぶねぇ!」


 とっさに手を引っ込める。


「ちっ」


「おい! なんでセロハンでくくりつけた画鋲がオマエの掌で待ち構えているんだよ。しかもかなり狡猾なかんじに。そうか、これが死者に鞭打つってやつか」


「なにを言う、これは粋なジョーク返しというヤツじゃないか」


 文句を言うが、保健委員はうろたえることなく、どこまでも悠然としていた。


「あくまでも、針を使った先端突起物治療法で、中国では靭帯の損傷にもこの治療法が使われていたりするぞ」


「って、ボケすぎだぁー」

 



   ◇◇◇




 結局、奴に肩を貸してもらって保健室で待機することになった。


「兄さん! 大丈夫ですか!」


「おお」


 程なくしてクドリが到着し、保健委員は帰っていった。


 もちろん、俺は事のあらましをすべて説明した。そして、体力的に問題がないことも言っておいた。


 そう、どういうわけか、体調はすっかり回復していた。あれだけエネルギーの放散を強制的にやらされたというのに。


「兄さん。それは私が、相手にエネルギーを確保したと錯覚させるような処置を施しておいたからです。同じ相手には一度しか通用しないので、お兄さんにもずっと内緒にしていました。ごめんなさい」


 クドリは、ぺこりと頭を下げた。


「そうか。だから問題ないのか。助けてくれてありがとな、クドリ」


 そして俺は、そのクドリの髪をなでる。


「あ、あの、兄さん?」


「なんだ?」


「あのっ」


 珍しく、慌てた調子になるクドリ。


「だからさ、サンキューな。おかげで、俺はなんともなかったんだ」


「い、いいえ」


「どうした? クドリ」


「それよりもごめんなさい、兄さん」


「おいおい、謝ることはないんだぜ」


「いいえ、私の予想はすっかり外れてしまいました。この範囲の感覚はまず外れないと自負していたんですが」


「まあ、しょうがないさ。相手も同じ感覚を持っていたんだからな。しかし、やっぱり佐藤レイだったか」


「はい、そうでした。とにかく、佐藤レイがどれくらいの規模の世界征服を企んでいるかはわかりませんが、エネルギーを確保できなかったとなると、また打って出ると見て間違いないでしょう」


「うんと、クドリ」


「はい?」


「佐藤はね――アイツはしゃべりまくりだったんだけどさ、時間軸の変更をしたいとか言ってたぞ。世界征服はないんじゃないか?」


「そうですか。いや、それでも一大事なんですよ」


 クドリが力こぶしを握るという珍しい動作をしている時、ドアが開いた。


「兄ちゃん! 兄ちゃんっ!」


 妹だった。


「大丈夫だったの?」


「ああ、問題ない」


「でも、私のせいだよね」


「そんなことないぞ」


「むしろ、いーちゃんに顕現されたのにしっかりと兄さんを見ていられなかった私の責任です」


「いや、クドリもそれは違う」


「いいえ、違いありません。それにいーちゃんは何も悪くはありません」


「ありがと。クドリちゃん」


 しかし、妹はしゅんとした表情でへこんでいた。


「ほら、元気だせ」


「うん」


 言われて、にへらと笑う。


「兄ちゃん。ほんとはさ、私が兄ちゃんを守らなくていけないんだよね。だって不思議な力の源は私だし、クドリちゃんが顕現されたのも、クドリちゃんが私に対する《監視調査機関》だから。クドリちゃんが来ても日々の生活が楽しくて、すっかり忘れちゃってたな。肝心なことなのにうっかりしているよ、私は。兄ちゃんはいざという時頼りになるけどさ、それとは別の話だよね」


 そう言って妹は、ポロリと涙をこぼした。

 いつもの太陽みたいに明るい笑顔が消えている。


「……」


「兄ちゃん、ごめんね」


 俺は情緒不安定な妹を慰める。


「だから、妹、大丈夫だって。そんなに深刻な事態ではないんだ」


「でも、私のせいで」


「そうかい。ならそれでいいぞ」


「……」


 実は、妹に守ってもらわなくてならない。

 それが俺の現状だ。


 そして、その事実を一番痛感させられたのは今回の件だった。

 狙われたのは俺。俺は自分を守れない。


 で、妹に太刀打ちできる存在はなし。

 だとしたら相手が、妹の溢れ出るエネルギーを受け取っている俺の方を狙うのは当たり前の道理だった。

 

 でも――。


「だけどさ、やっぱり、俺が妹を守るんだよ。妹に心配かけないことのもひっくるめて、心の支えとして俺が守るんだ。クドリと一緒に協力するにしても、なんにしても。だって、オマエの不思議な力はさ、いざとなったら使えるっていってもそれを使っていけないんだろ」


「兄ちゃんっ」


 ややもすれば、世界すら覆すエネルギーを持ち合せているのが妹だ。


「だから、そんなことはもう思わせないからな」


「うん、わかったよ」


「わかってくれたか」


「うん」


 涙声の妹を見て、俺はもう一度その想いを募らせるのだった。






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