2
クドリがここに来てから二週間。
クドリが来た翌日からは、ある意味予想通りともいえる大雨が降り、穴は全て壊れた。クドリはいたくがっかりしていた。
二週間もいれば、クドリの意外にへんな性格や嗜好なども読めてきて、やはり妹に似たプロトタイプだと確信させられる。クドリの方も学習能力が早いのか、日常生活ではさして問題のある状況にはならないでいた。
「兄さん」
どうやらすっかり懐いてくれたらしい仮の妹は、神田のベーカリーハウスで購入したラスクをほおばりがら言う。
「私、今日から学校に行きますね」
「学校?」
「はい」
そしてクドリは、テレビのお天気コーナの傘マークを恨めしそうに見ながら返事をした。慣れた動作でリモコンを使い、すみやかにチャンネルを変えている。
「で、どうするんだ?」
とにかく俺は訊いてみたのだが、クドリは不思議そうな顔をするだけ。
「どうするとはなんでしょうか」
「つまり、転校生とかそういう処置をとるのかってことだ」
「あ、そうでした」
ここで俺は、クドリが妹の学校に行って起こる不都合を考えてみた。だがクドリなら、それをすべて乗り越えてしまいそうな気がしていた。
「えと、兄さんが心配している件についてですが」
「ん?」
「それは、書類関係ですか?」
「いや、それもあるけどさ、その他の方だよ」
「そうですか」
俺がそう言うと、クドリは思案気につぶやいた。
「では、私がその場に存在していても違和感がなく、小林クドリはずっと前からここに実在していたという形をとろうかと思います。クラスのみなさんには申し訳ないですけど」
「そうか」
「どうでしょう?」
「まあ、それならいいと思うぞ」
「ありがとうございます」
頭を下げるクドリ。
「それでは、今朝は私と一緒に登校してくれますか」
「いや、妹といけばいいだろ」
「いいえ、私は兄さんのクラスでお世話になるのです」
「はっ?!」
これはなんとも驚きの発言だった。
予想外すぎて、手元からラスクを取りこぼしそうになっていた。
「兄さん、そんなに驚かないでください」
「いや、驚くだろ」
「そうですか?」
「そうですかじゃないつーの。普通に妹の学校じゃないのか」
「いいえ、違います」
「はー、そうかい」
どうにもこうにも、俺はお手上げだった。
「ただ、これにはしっかりとした理由があるんですよ」
「ほんとにマジでか」
「はいです」
と、キュートでクールな不思議視線を向けてくる。
ラスクを食べ終わったクドリは、流しで手を洗い、ソファーへ向かう。そしてソファーの背の上に体育座りをして――なぜかここに座る習性を持っている。他にもやけに隙間に入ることにこだわるのだが――俺を説得しようとしてきた。
「それはですね、兄さん。まずは、いーちゃんの血縁者である兄さんとの《共感覚》を作らなくてはいけないからです。そう、もう少しなんですよ。もう少しで、情報や意思を共有でき、さらにいーちゃんの手助けが容易になります。それと知っての通り、私といーちゃんは《共感覚》で繋がっているので、少し程度ならば離れていても大丈夫なのです。……どうでしょうか?」
「一回聞いただけではわからんな」
するとクドリは、噛み砕いて説明してくれた。
おかげで少しだけ理解できたのだが、要するに、俺とクドリが協力することで、より妹の手助けが可能になると言うことだろう。
「あ、ああ。わかった」
「ほんとにわかりましたか? 兄さん」
「ああ、大丈夫だ。大事なところはわかっている」
「そうですか。ならいいです」
と、クドリは安心したように言った。
「ただ、まったく予想していなかったぞ? たとえ学校に行くとしても俺と同じクラスで机を並べるようになるとはな」
「そうなんですか?」
「ああ」
「でも、いーちゃんとの校舎とも近いですし、かえって少し離れた方が好都合だと思いますが」
たしかに、中高一貫で妹と俺の学校の敷地は一緒なのだが。
しかし、中二の妹のプロトタイプなのだから、クドリといっても外見は幼すぎるかもしれない。
「いや、見方によっては、幼くないか」
「なんでしょう」
「なんでもないよ」
俺がそう言うと、クドリはきょとんとした表情のまま固まる。妖艶というか蠱惑的な魅力を備えているといっても、やはり年相応だ。
「あ、兄さん」
「ん?」
「一番大事なことを忘れてました」
「大事なこと?」
「はい。それは、いーちゃんの放散するエネルギーを取り込もうとする輩の存在です。あれは世界を破滅しかねないエネルギーですから、利用されたらたいへんなのです。そしてその存在が、なんとなく兄さんの近くにいそうな気配がします」
クドリは真剣そうな表情でこう告げた。
俺も言葉を返す。
「あのさ、その話は本当にありえるのか?」
「え?」
「だいたい今まで、妹が物心ついた時点から所持していたエネルギーじゃないか。だろ?」
「そうですね」
「だから、そんな急にポッとでてくる存在ではない気がするのだが。いや、これは都合のいい見立てというわけじゃないけどな」
「はい。兄さんがそう思うのもわかります」
「そうだよな」
「ですけど、これは本当のお話です。そのために私が顕現したとも考えられるんですから。ただ、可能性としてありえなくもないというぐらいなので」
「じゃあ、それほど危機的状況ではないわけだ」
「はい。まず、私がいれば大丈夫ですから」
とにかくクドリは、そう言い切った。
「でも、注意しないといけませんね」
そしてこう付け加えた。
◇◇◇
一足先に妹が、武井くんや他の友達とともに中学校へと向かっていった。
今朝の妹はマンガに出てくる女の子のように、「ちこく、ちこく」と騒ぎながら、どたばたと急いで着替えをすませ、ラスクを口にくわえて出ていった。どうせなら食パンにすれば良かったとひそかに思う。そっちのほうが格好がつくからだ。
ちなみに寝坊した原因は、俺とクドリが話し込んでいたせい。おかげで、妹を起こすルーチンワークをすっかり忘れていた。
ごめんな、妹。
ともあれ、俺とクドリも、ゆっくりと高校に向かっている。
「よし、クドリの設定を教えてくれ」
「はい、兄さん」
クドリは横断歩道の白線を避けて渡りながら言う。
「私、小林クドリは、兄さん、いーちゃんの遠い親戚で、高校からは編入してきました。好きな食べ物は、白いオトウフ。好きなことは、重力を感じること、微妙な空間に入ること、自作の変わったダンス。特技は、薄目を開けて寝ること。体質は、くすぐりに強いこと。そしてトラウマはありません」
で、今はこの調子である。
「クドリ。すべて言い終えたところで改めて言うけど、今のボツだからな」
つっこみどころが多すぎる。
「えっ、どうしてですか?」
「だめだめ。全然だぜ」
「そんな、どこがですか」
「好きなことからてんでおかしいだろ」
「そうですか」
と、首を傾げるクドリ。
「おかしいとは思いませんが」
「それはない。それ以上にいらない情報が多すぎるだろ。好きなことは重力を感じることって、どこの世界にそんな人がいるんだよ」
「むー」
こりゃ、前途多難だ。
だいたい好きな食べ物から先は、すべておかしい気がする。いや、よく考えてみれば、白いオトウフの時点でおかしかった。
「しかし、この情報をクラスのみんなにインプットさせるのはまずいぞ。もっと、そうだな普通で普通の、そんなのにしてくれ」
「わかりました」
クドリにしては珍しく、納得がいかないような面持ちを浮かべていた。だが、それも一瞬だけだった。
「それでは兄さん、もう一度最初からいきますよ」
「おう」
「私、小林クドリは小林家の遠い親戚で――」
と、こうして何回もクドリの設定にトライしてるあいだで、学校へ着いてしまったのだが、一応、自己紹介文はいくぶんかマシになっていたのだから成果はあったのだろう。
俺とクドリは、互いにやり遂げた感を持って、校門をくぐる。
「お、小林じゃん」
「おう、山崎か」
そんな中、最初に会った知り合いは山崎だった。
山崎とは別クラスで久しぶりなのだが、すごく縁がある奴だ。
俺と山崎は入学直前の桜散る頃、真正のかっこつけバカである強引な工藤の誘いによって、『入学してからの一カ月でどれだけのバカ騒ぎを起こせるか』というバカの祭りに命を賭して活動した。活動内容はいろいろと言えないのだが、『後ろ指差され隊』という名称がついたことからも、それがどれだけの規模と真剣度だったのが窺えるだろう。
おかげで恩恵も多く、身体能力がチート的に上昇したり、我がクラスの保健委員との死闘でへんな友情が芽生えたり、危うく上級生にしめられそうにもなって、社会の厳しさを知りかけたりもした。
まあその件は、工藤の機転と、山崎の行動力、そして反則技に近い俺の不思議な力で事なきを得たのだが。
というわけで、山崎だ。
「そういえば、最近見なかったな、小林」
「お互い様だぜ」
「ああ、そうだな」
にか、って笑う山崎。チャウチャウみたいで愛矯のある顔だ。
「ところで小林よ」
「なんだ?」
「ほら、ちょっと紹介したい子がいるんだよ」
と、山崎は言う。
さっきから彼の隣には一人の女の子がいる。
「ああ、そうみたいだな」
「だろー」
「しかしこっちと一緒で、山崎まで女の子を連れてるとは思わなかったぜ。だが、とりあえず俺からな。紹介するよ。おーい、クドリってあれ? クドリ?」
俺はクドリを呼ぼうとしたが、なぜか彼女は消えていた。
「おーい」
周りを見渡してみても、クドリらしき人物は確実にいない。あんなにも目立つ美貌を持っているのだから、いたらすぐに気がつくはずだ。
どうした? 何があった?
キツネにつままれたような心境にさせられる。
「で、小林なに言ってんの」
しかも、うはは、と山崎に笑われた。
俺は笑っている場合じゃないのにと思い、必死にクドリの姿を探す。
そしてそのときだった。
――あの、兄さん。
と、クドリの声だけが聞こえてきた。
――クドリ? クドリか?!
――はい、そうです。
――ん? なんだこの感覚は。
――兄さん。これが《共感覚》です。私主導ですが。
――そうか、これがか……。
――それと私、しばらく前から他人が認識不明になる不可視状態になっています。
――おい、マジでか?
――なんとか理解してください。
――わかっている。だが頭が痛い。
――大丈夫ですか?
――ああ、大丈夫。
――良かったです。
――なんかすごい超常現象が連続でやってきたんで必要以上にびっくりしただけさ。
ただ、驚いている場合じゃない。
山崎もしゃべりはじめている。
「――にしても、あいかわらずだなおまえも。こっちにいるのは同じ一年の女の子。別クラスだけど、放課後の縁で知り合いになったんだぜ」
俺は平然を装って、その女の子に会釈をする。
相手も同じようにしてくれた。
――ところでどうして消えたりしたんだよ、クドリ。
――ひ、人みしりのような、良くないかんじがしましたので。
――はっ?
――ひ、人みしりです。
――って、おい! 脱力させんな。
――なので、私のことはほうっておいて結構ですよ。
――わかった。後で戻ってこいよ。
――はい、兄さん。
さらに山崎は女の子を紹介しはじめた。
「で、こちらが甘く見てはいけない佐藤さんね」
「なんだよ、そのキャッチフレーズ」
俺がすかさず言うと、佐藤がこちらに微笑みかけてくれた。
「佐藤レイだよ。よろしく」
佐藤は、小さくて幼い女の子だった。
ただ、見た目ではなく、しぐさが幼い感じだ。
徽章付近の胸ポケットからは、五種類以上のチュッパチャップスをのぞかせている。それが一番の変わった特徴だった。
「ん。俺は小林。よろしく」
「あはは、小林くんのことはよーく知ってる。三人で活動している《後ろ指差され隊》とか、他にもいろんなことをね」
指を差しながら言う佐藤。
「それじゃ、私教室に行くから、バイバイ」
「おう、じゃあね。佐藤ちゃん」と山崎。
俺も一応手を振った。
それからいくぶんか落ち着いたようで、俺と山崎は普通に世間話をする。
「ところでな、山崎くんよ」
「ん? なんだ?」
「工藤のボスはどうしたんだ? 最近オマエよりも合わないんだけど」
「へっ? 工藤?」
「ああ、そうだ」
山崎はにたにた笑いながら、こちらの顔色を窺ってくる。
「なんだよ」
「そうか。てか、知らないのか。そうだよな。俺が1―Eで、アイツは1―F。そんでオマエが1―Aだからな。知らなくても無理ないか」
「おい、もったいぶらずに教えろって」
「おう。先言っとくけどな、ぶっちゃけマンガみたいな話だぞ。工藤は、自らが求める最強の格闘技を追い求めて、山籠りに断行したという噂があるんだ」
「なんだそれは……」
俺は、工藤の斜め上の行動に口をあんぐり開けていた。
◇◇◇
「私、どうしたんですかね。へんな汗みたいのをかいてたみたいですし」
山崎と別れ、不可視状態を解いたクドリはこんなことを言っていたが、放課後にはすっかり慣れていた。
自己紹介も無事にこなし、通例行事でもある転校生の過剰質問もなんなく乗り切ったクドリは、さすがに学習能力が高いだけある。
「神田」
「なに?」
「委員会行こうぜ」
「あ、うん」
「で、今日の委員会には、うちのクドリも手伝ってくれるらしいから。そのつもりでな」
「ほんと? ありがとう、クドリちゃん」
神田は親しみを込めてクドリに接する。
女子は女子で仲良くなっているのと、後、俺と同じ名字で小林だから、クドリはすでにファーストネームで呼ばれていた。
「まあ、学校見学も兼ねてだけどな」
「それだけじゃないよ」
「ん?」
俺は疑問に思ったので、訊いてみる。
「ほかに何かあんのか?」
「ほら、親戚のクドリちゃんは、小林君の見張りになってくれるじゃない」
「……」
「でしょ?」
「もうサボったりしないぞ。たぶん」
「そうかな」
「そうだ」
俺が閉口した調子で言うと、神田は表情を緩めてくれた。
「たしかにね。小林くんも、あの日以来、すっかり協力してくれるようになったし」
そして、髪をいじりながら言う神田。
今日の神田の髪型は、ショートなのに無理したかんじのポニーテール。手作りっぽいシュシュに吸い込まれていくその毛先を見つめていたら、おもいっきり睨まれた。
ドンマイ、俺。学習能力ないな。
でも、その髪型はわりと(以下略)。
ともあれ、今回の委員会の作業ではやることがだいぶ具体的になってきていて、学校生活の留意点が書かれてあるプリントの作成や、中高一貫校である我が高のすべての名簿確認などであった。
俺は神田やクドリとともに作業をこなしていく。
しかし、熱心にやっていたわけではないのに、何か納得がいかないようなことがあると名簿を見て感じてしまった。
「なあ、神田。このクラス名簿さあ……」
「うん?」
神田は怪訝そうな表情でこっちを見る。
「これ、なんかおかしくないか?」
「え?」
「なんだかわからないけど、何かがおかしい気がするんだ」
名簿を何度も確かめて見てみるが、何がおかしいのかはさっぱりわからない。でも何かが間違っているような、まるで間違い探しの問題を出されているような気分になる。
「やっぱりおかしい気がする」
「そうかな」
神田は首を傾げた。
「そうだよ。ちょっともう一回調べてみてほしいんだけど」
「ん。わかった」
俺に言われて、神田も一枚、一枚軽く確かめてみる。
「どうだった? 神田」
「えっと、そんなことないと思うんだけど」
「そっか」
「うん」
「クドリはどうだ?」
「私も特に感じませんでした」
ということは、俺だけが感じている何かということだ。なんなんだろうか。
「でも、二人が言うなら、まあ問題ないなのかなぁ」
「えっと、そんなこと言われても責任は持てないけど?」
たしかにその通りだ。
ただ、ここまで考えてもわからないということはあれだろう。
「きっとたいしたことないと暗示しているわけだ」
「そうですね」
クドリも賛同する。
「ほら、気のせいじゃない? 小林くん」
気を使ったように神田もそう言うが、なぜか違和感が拭えないでいた。
◇◇◇
「じゃあな、神田」
「さよならです。神田さん」
「あ、じゃ、じゃあね、小林くん。クドリちゃんも」
やはり神田は細っこくて綺麗な脚。そして、今日限定の小さなポニーテールもゆらして去っていく。きれいな放課後の夕焼けとともに、神田の後ろ姿は素晴らしい情景だった。
こうして無事委員会が終わり、神田と別れて数分後。
とりとめのない話をしながら家路に向かっていた最中で、クドリは急に立ち止まった。
「あの、兄さん」
「ん? どうした? クドリ」
「アレ……アレはなんですか」
クドリが不思議そうに指をさし向けたのは、見かけること自体がとてもレアな爆弾焼きという屋台だった。
爆弾焼きとは、お好み焼きの具材を使ってでっかいタコ焼きを作り上げたような一品。外はカリカリ、中はトロトロ。今までにない新しいタイプの商品だ。
「アレはな」
と、俺はもったいぶったような優越感を持って説明する。
「この世に存在しえないぐらい上手いもんだぞ」
「うわぁ~。そうなんですか」
うっとりとするクドリ。
「道理でいいにおいなわけです」
足は、もはや自然にそっちへ向かっていた。
「ならさ、妹には悪いけどちょっと寄ってこうぜ。おみやげ買っていけばいいしな」
「うぅ、いーちゃんには悪いですけど、やっぱりいいにおいで」
「ほら行くぞ」
「はい」
◇◇◇
「ほふ、ほふ。おいしいです」
「やっぱり、うまいな。味オンチの俺でも問題ねぇ」
もちろん妹の分も忘れずに、買ったのは三個入りパック。
「あ、クドリ、頬にソースがべったりついてるぞ」
「へ?」
「待て、ウエイト。ちょっと待て。今、俺が拭いてやるから。手でぬぐったりするなよ。絶対だぞ」
俺はポケットティッシュを取り出し、クドリの頬をいささか乱暴に拭いてやる。
「あ、ありがとうございます」
クドリは嬉しそうにお礼を言い、
「あの、こういう面白くておいしい食べ物もあるんですね」
と、つけ加えた。
「そりゃそうだぜ。ここだけでなく世界中、ここから近くの街にだって――」
ここで俺は、この二週間、それなりに好奇心旺盛なクドリの期待にこたえてないと思ってしまった。
「そうだな」
「ん、どうしました?」
「クドリ、週末三人で街に行っていろんなものを食べようか。それと遊んだりしようじゃないか」
「街、ですか」
「おう」
「ありがとうございます」
クドリは頭を下げてお礼を言った。
「それと私、今日思ったことで確かめたいことがあります。人の多い街に出て、それを確認したいです」
「確認?」
「はい、なぜいーちゃんや兄さんと違って幸せでなさそうな人がいるのか。それを追求します。そして、私は折角顕現されてきたのですから、幸せでなさそうな人を幸せにしたいのです」
「そうか。そんなことを考えていたのか」
「はい」
クドリの考えでいの一番に思い浮かんだのは、あの不思議な踊りだった。人を愉快にさせ、見た人を巻き込んでしまうような踊り。あれをみんなで踊れば、戦争なんておきないのかもしれない。
「でも一番は、いーちゃんを見守ることですよ」
◇◇◇
「えー、ずるいよ兄ちゃん。ばか」
家に帰ってきて、開口一番に言われたのはこんなセリフだった。
そして妹にとってのその意味とは、俺がクドリと同じクラスにいる設定にしたことや、二人で爆弾焼きなんかを食べてイチャイチャしていたことらしい。いや、イチャイチャってさ。
「私だって、兄ちゃんと同じクラスがいいのに」
「いや、それはムリだ」
指先のフィーリングを使い、カバンを放り投げてハンガーに掛ける。リモコンを専用のカバーに投げ入れる。ゴミをゴミ箱に放り込む。
「でも、うらやましいんだもん」
「だー、だってな。それがクドリの意向なんだから」
「はい。少し距離を置いて見守った方が、結果的には良くなるとの見立てがありましたので」
「うー、うなー」
しかし、週末街に繰り出す計画を述べると、一気に機嫌を直したようで、「映画、買い物、ボーリング、本屋、公園、デート♪」と変な節で歌いながら計画を練り始めていた。
「ところで妹、最近なんか問題はないか」
「え、どうしたの? 兄ちゃん」
いきなりの質問に、うろんげな視線で見つめてくる妹。
「だから、身体の異変とか」
「問題ないよー、兄ちゃん。てかクドリちゃんみたいだなぁ、まったく。兄ちゃんもそこまでの心配性になっちゃったの?」
「いや、そんなことないけどな」
「ほんとに?」
「ああ」
「兄ちゃんのうそつき」
言われて、降参とばかりに両手を挙げた。
「やっぱりばれたか」
「でもそんなに心配だったんなら、私の体内をめぐっているエネルギーをつねに放散できる環境にしたらいいのにさ」
「そうだな、それもありだよな」
「つまり、いつでも兄ちゃんは、私と寝ることが大事なんだよ」
結局、妹は軽い調子でそんなことを言っていた。
◇◇◇
週末がやってきた。
初夏の心地よい気候で、天気は快晴。
せっかくだからということで、俺一人と、妹、クドリの二人で時間をずらして出てきた。駅前のモニュメントで、待ち合わせというわけだ。
そして今、俺はここで待っていた。
この街は、他の都市外観とは全く趣が異なる場所で、新旧、清濁併せ持ち、今にも馥郁たる芸術の香りが漂ってきそうな若者の街という触れ込みらしい。おおげさにいえば、サブカルチャー文化を担っている街とも表現できる。
それでいて、個性あふれる雑貨系のショップ、ライブハウス、ミニシアターなんかも数多く点在している。そういう雰囲気のおかげからか、ストリートパフォーマーとしての文化がかなり熟成されていて、ここはそういう人たちのメッカとしても有名だった。
そうこうしているうちに、二人がやってきた。
「兄ちゃん!」
手を振っているのは妹だ。
クドリは、妹の様子を微笑ましそうに見ながら控え目に手を振っている。
二人とも、今日はおしゃれしている。おしゃれといっても、ドレスコードなどではなく、小さなアクセントを付けるようなかんじだ。でも、それが似合っている。
「遅かったな」
「わざと、遅れたんだよっ」
「おい」
デコピンをする俺。
しかし、へへっーと笑う妹。反省の色はない。
「オマエ、今回の趣旨分かっているのか。今日はクドリのためだぞ」
「わかっているよ、もう」
「ほんとにわかっているのか?」
「うん」
満面の笑みで返事をする妹は、信用ができない。
「って、兄ちゃん。何その信じてないみたいな顔」
妹が怒る。
「もちろん、ちゃんとクドリちゃんのために街を紹介して、おいしいものめぐりをしたり、遊んだりするつもりだって。この前のさ、爆弾焼きのことなんか根にもってないんだからね」
「根にもっているんじゃねぇか」
「そ、そんなことないってば、兄ちゃん」
目が泳いでいたけど、追求するのは止めておいた。
こちらが藪蛇になるからだ。
「でもさ、私だって楽しみにしていたんだから。ねー、クドリちゃん」
「はい。いーちゃんも楽しみにしていましたよ。なので、私だけでなくいーちゃんにも気を配ってください」
「ほらっ」
妹が誇らしそうに胸を反らす。
俺はそんな妹を無視して、クドリの頭をなでた。
「優しいなクドリは」
「そんなことないです、兄さん」
こうやって、俺とクドリが仲睦まじくやっていると、妹が服のすそをひっぱってくる。
「兄ちゃん」
「なんだ?」
「ん、ん」
しかも、妹はずいっと頭を差し向けてくる。これは殴ってくれとのことだろうか。
「よし、じゃあ、そろそろ行くか?」
「はい」
「えーえー」
ずるっとすべる妹。
「ちょっと、待ってってば」
「ほら、早くしろー」
「兄ちゃんのばかー」
◇◇◇
それで何はともあれ。
まず最初は、駅前近くのカフェて今日の予定を決めることだった。
妹曰く、駅前近くのカフェで、大まかに決めていた候補を選別するのが通らしい。まあ、俺にはよくわからないが。
クドリはクドリで道行く人々の幸せメーターみたいなのを観察していたり、テーブルの下に潜りたがったり、いきなり心をハートで表す理由を訊いてきたりと、いつにもましてへんな調子だった。
きっと興奮しているんだろう。
山崎と会った時みたいに、いきなり消えたりしないだけマシだといえる。
ちなみにハートの形は心で感じてくれ、などと適当なことを言っておいた。
カフェから出た後の午前中は、ウィンドー時々お買い上げのショッピングや買い食いに時間を費やした。
街を知らないクドリに、妹は持ち前の太陽のような明るさでいろんなことを熱心に説明していた。そこだけ切りとれば、年の近い姉と妹みたいだった。
俺はというと、両手に花というよりは、蝶よ花よの保護者的感覚でいた。
午前中の最後、書店巡り、ショッピングをメインに回った俺達は、妹がとっておきのお店があると豪語していた場所に向かった。
そこは広大な敷地面積を誇る都立公園の一角のアイスクリーム屋であり、店員はこの街特有のストリートパフォーマーと連動していて、ピエロみたく顔を薄緑に塗りつぶしているのが目印でもあった。
決め言葉も有名で、『アイスはすぐ溶けてしまうのがいいんだ』である。
しかし、その場所に行ったはいいが、今日は休みだった。
「えーっ、臨時休業ってなにそれっ! しかも理由が、新作開発のため山籠りって!」
で、しまいにはこの張り紙だ。
「山籠りって……新しい格闘技を求めに山籠りやってる工藤かよ」
「いくらなんでも山籠りはないよー」
「しかも一週間でできんのか」
「そうだよねー」
そんなふうに俺と妹は口々に言い合っていたが、ふとクドリが口を開いた。
「いーちゃんが食べたいって騒ぐのはわかるんですが」
「どうしたの? クドリちゃん」
「私、アイスはいいです。アイスは嫌いな食べ物になってしまいそうで」
それは、クドリにしては珍しい拒絶だった。
「えーどうして? 食べたらいいのに」
「でも」
「今度来た時でいいからさ、おいしいよー」
「いいです。だって、フレーズがなんかさびしくて」
「フレーズ?」
フレーズとは『アイスはすぐ溶けてしまうのがいいんだ』って書いているやつだろうか。
「はい、そうです。なんだかうすら寒いかんじがしましたので」
「そうなの?」
「ごめんなさい、いーちゃん」
と、クドリは謝る。
「って、なにも謝ることないってば」
妹が焦った調子で言い返した。
「いいえ、私は謝らなければいけないと、あ」
そして、クドリは得心がいったようににこりと笑った。
「なんでもないのに、幸せでないと錯覚に陥ってしまうのはこういうことなんですね」
「「ん?」」
「どうした、クドリ?」
「いえ、なんでもないです」
クドリのいきなりの方向転換に、俺達は理解ができないでいた。
「どうしたのかなぁー」
「たしかにな」
「ホントになんでもないですよ。ごめんなさい」
もう一度、クドリはその言葉を繰り返した。
空気の読めない俺と妹はしばらく顔を見合わせていたが、クドリはもういつもの調子に戻っていたので、ほっと一安心した。
で、とりあえず、都立公園を散策しようということになって、おしゃべりをしながら歩いていると、クドリが池の方に興味を抱いていた。
もう、クドリに心配する必要はなさそうだ。
「ところで、あれはボートですか?」
「おう、そうだ」
「乗っている人達は幸せ指数が高いですね」
「まだ、幸せ指数を調べていたんだな」
「あー」
ここでいきなり、すっとんきょうな声をあげる妹がいた。
「ねぇ、兄ちゃん。私今すごいこと思いついた」
「なんだよ」
「アレ乗ればさ、もっとおしゃべりが楽しくなるってこと」
「……おい、妹。本当に凄いことを思いついてしまったみたいなほくほく顔で言うな。そんなこと誰でも思いつくから。てか、オマエの立てた計画の面目、丸つぶれじゃないか」
「うっ、り、臨機応変だからね」
そう言いつつ俺をジト目で一瞥して、今度はクドリの方へ。
「ねぇ、クドリちゃんもアレ乗ってみたいよね。あ、ほらっ、あのボートの足元がでこぼこだから、あそこの足もとの微妙な空間にもぐりこめれば!」
「どんな誘いだよ」
しかし、クドリは目を輝かせている。
「でも、いーちゃん。私、こんな話をきいたことがありますよ。親しい人同士が同じボートに乗ると別れが訪れるとか」
「はっ」
そこで妹は、愕然とした顔になった。
「ばかだなぁ、妹。それは恋人だろ」
「そうなんですか?」
「そうだよ」
「なら、大丈夫ですね」
「そんなことないよ、クドリちゃん。兄ちゃんはダメ」
「オマエは何を言っている」
「ダメじゃないけど、私の心情的になんとなくダメなのー」
「ますますわけわからん」
文句を言われながらも、微笑ましくなった妹の髪をくしゃくしゃとなでていた。
◇◇◇
妹とクドリは、今、ボートに乗っている。
それを俺は、ベンチに座ってのほほんと見ている。
時々、クドリが視界から消えるのは、ボートにある微妙な空間を堪能しているからだろう。粋なことをするな。嘘だけど。
しかし、そんな風情の中、コイツに会うとは思わなかった。
奴は、悠然とした面持ちでこちらに歩いてくる。
「保健委員」
「小林か」
速攻で戦闘態勢に入った。
「保健委員。まさかこんなところで顔合わせとはなッッッ!」
「だが小林。それはまさしく、こっちのセリフだッッッ!」
睨みあう両者。
しかし、均衡はあっけなくくずれた。
いや、俺がくずしたのだ。
「保健委員よッッッ!」
「なんだ、小林ッッッ!」
「いいのかッッッ!」
「なにがだッッッ!」
ふっ、と俺は嘆息する。
そして、このセリフを吐く。
「俺は貴様の秘密を知っているッッッ!」
「なんだとッッッ!」
「貴様は俺の親戚のクドリのことが――」
――好きなんだろう?
クドリが学校に来てから、三日。
この保健委員は、どうもクドリに好意を抱いているようだった。なにせこの三日間で、彼はそう言われても仕方がない根拠のある活動を何度もしている。
「ふっ、小林」
奴が意味深につぶやいた。
「なんだよ?」
「オマエは認めたくないものなんだな、若さゆえのかわいさを」
「やはりかっ!」
もちろんそれは暗に、クドリが同年代の中で若く見えるから好きだということになる。
しかし、そういう若いだけの女の子を好きになる的な発言は止めてほしい。
ダメ、絶対。
これでは妹も危険だ。
たとえクドリが不思議な妖艶さを備えているとしても、妹と精神の波長が合うプロトタイプ。実質妹と同程度の成長具合である。
高一としては若すぎるほど若いのだ。
「だが、小林。俺だって、今ここで宿敵からクドリさんを紹介してもらえるとは考えていない」
「そりゃあそうだろうな」
俺は当然とばかりに頷いた。
「だから、それなりに代償が必要だと思っている」
「代償?」
「まあ、待て。最後まで聞け」
「……」
俺は保健委員の言葉を待つ。
「正直、ここ数日で爆発的に膨れ上がってきた想いを考えると、どうしてオマエと仲良くしておかなかったんだとの後悔はある。だが、それは致し方ない。想いはいつも突発的だ」
「オマエ……キモいぐらい無駄にかっけえじゃないか」
「そうか。サンキューな小林」
保健委員は、気まぐれのように、ふっ、とため息をついた。
そして顔をあげ、俺を睨みつける。
「だからこそ俺は、代償を提示して戦いたい。オマエに、この熱さを認めてもらいたいんだ」
「おう」
正直、クドリのことはおいてきぼりだが、コイツに熱くたぎるなにかを感じてしまった。なので、おもわず相槌を打っていた。
「そしてこれが代償だ。今日、俺はものすごく運が良いことが二つあった。一つは今。そしてもう一つは、休日にクドリさんを見かけるよりはるかにすごいこと」
そう言って、保健委員はバックからごそごそとあるものを取り出した。
「なっ、なんだと!」
「そうだ」
「まさかっ!」
「そのまさかだ、小林。これが都市伝説さ」
取り出したのは袋に入ったパンだった。
この界隈の人間ならば、誰もが知っている幻の一品。食した人間に幸せが訪れるという神田のベーカリハウスのパン――看板娘のオーバーワークオーソリティ。
「くーっ! 俺には二人の妹がいて今でも幸せだ。たが、このパンはしかしっ!」
「そうだろ、小林」
「ちくしょう!」
「これこそが、俺の代償さ。だからといって、俺はこのパンをただでやるつもりはさらさらない。このパンとクドリさんの紹介をかけて、俺と戦えよ」
「そうか、そういうことなんだな」
その言葉を聞いて、俺も覚悟を決める。
「どちらがより、さ」
「熱意と誠意を持って相手を認めさせるかってことだろ」
保健委員が言い、俺が言葉を繋ぐ。
アホすぎるさ。
だから、俺はバカなんだ。
いつまでも。
しかし、これは本当の戦いだ。
「「その通りッッッ!」」
その裂帛の気合が合図だった。
ほんのゼロコンマ一秒、保健委員の方が先手を取る。だが、日頃から相対しているとおり、俺の方が機動力は優れている。踏み込みを利用して、滑るように上体を倒していく。身体も折りたたんでいく。
「「はぁああああああ!」」
「「はっ!」」
時が、止まった。
そして沈黙。静寂。
―――。―――。
―――。―――。
しかし。
如実に差が表れ始めていた。
(コイツ、どうしたらこんなにレベルの高い技が)
土下座の天才と呼ばれていた俺でさえ、こんなにまで熾烈な土下座は見たことがなかった。仮に戦闘となれば、相手の警戒を確実に解かせるための服従の体。コイツが国家だとしたら、全方位土下座外交と言われてもおかしくない。
もちろん、俺の土下座より数倍レベルが高い。
どうすればいい。指先のフィーリングは使えない。意思のない物体や多少の人体は自由に操れても、強靭な意志を宿した人体には何もできない。
「保健委員様、どうかそのパンを譲ってください」
俺は言葉で先手を打つが、どうにも響かない。
「こ、小林様、どうかわたくしめに、クドリ様との紹介の機会を設けてください」
対して、奴の言葉はここまで響く。
まるで肺腑をえぐるようだ。
「……っ!」
くそ、これまでか。
紳士協定が脳裏をよぎる。
が、ここで起死回生の技を思いついた。
「おらぁ!」
「な、なにっ! それは誠心誠意な焼き土下座の構えっ!」
「ふっ、誠意のない哀願は、まったく意味をなさないっ!」
この期に及んで俺は調子に乗ったが、相手もまた追いすがってきた。
「なんだとっ! 机の上から転がりこんでくる感じを表したス、スパイラル土下座っ!」
しかし、俺も負けられない。
「さ、三回転スパイラル土下座だとっ?!」
到底人間業ではない。
「くっ! 保健委員のやつ! それはスパイラル土下座より上段をイメージしたフライングジャンピング土下座かっ!」
「うっ、それは、まるで後光が差しているように見え、ハゲていないのにハゲているかのようなシャイニング土下座っ!」
「全てを合わせ、プラスして土下寝っ!」
「嘘だろ、それは最終奥義の――」
「兄ちゃんなにやってんのっ!」
で、そのときだった。
その技が繰り出された直後、妹の荒げた声が聞こえた。
妹とクドリが戻ってきていたのだ。
そして、妹の声に、俺はおもわず身体を起こそうとしてしまう。
「ねぇ、兄ちゃんそんなことしないでよっ! どうしたの、兄ちゃん!」
保健委員からは、無言のプレッシャーを感じる。奴もクドリの前で恥ずかしいことをしているのだから、心理的プレッシャーは同じなはず。
そう、ここが戦いなんだ。
「ねぇ、兄ちゃん」
しかし、この妹の声。
「兄ちゃんてばぁ」
いつも聞く、その声に。
「に、兄ちゃんの、ばかっ!」
結局は、抗えなかった。
「すまん、少々遊び過ぎたみたいだ、妹」
俺は立ちあがる。
昔を思い出したのか、妹はほんの少しだけ取り乱していたが、すぐ太陽のような明るい表情に戻っていた。いい笑顔である。
ともあれ、今ので負けだ。
だが、これは敗北という名の勝利。
実質的勝利なんだ、と思う。
「保健委員。オマエの勝ちだ」
そう言った後、俺はクドリを近くに呼びよせた。
「あのさ、クドリ」
きょとんするクドリ。
「保健委員の彼とクドリと話をしたいそうだ。クドリともっと知り合いになりたいらしい。そして俺は、仇敵の友として彼を紹介したい。どうだ?」
「はい。わかりました兄さん」
クドリがこくんと頷く。
「いいのか?」
「はい。だって私は、保健委員の彼のことを知っているから光栄です。彼もまた、いーちゃんや兄さんと同じようにいつ見ても幸せそうですから。しかも不思議なことに、彼は私と会うと幸せ指数が増えているみたいなんです。なんだか、私の願いがかなっているみたいで嬉しいんです」
「クドリさんっ」
保健委員を見ると、彼は感動でうち震えているようだった。
「じゃあ、ちょっと保健委員に付き合ってもらってよいか。同じクラスなんだから、彼と気軽に話でもしてほしい。まあ、奴には心配もするけど、そういえば彼はジェントルマンだった。だから、クドリのマイナスになることは絶対にしない奴。どうだ、大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。兄さん。それに今、私はこの場から必ず離れなければいけない気がしますので」
そう言って、クドリと保健委員はここから離れた。
◇◇◇
クドリと保健委員が交友を深めるための散歩でここを去ってから、俺と妹は池近くのベンチに座っていた。
すわりの悪さを解消するためにも、俺は冗談を言ってみる。
「よし、肩車でもするか?」
「にゃ?! い、いいよ、兄ちゃんっ」
思った以上に狼狽する妹。
「や、遠慮することはないぞ」
「そ、それセクハラだってば」
「じゃあ、いいのか。せっかく、妹をかわいがってあげたいと思ったんだけどな」
「あ、うー」
「どうするんだ?」
「うなー」
おそらく葛藤で悩まされている妹に、俺はある一つの案を授けてあげた。
「おい、妹よ。三分ルールならなかったことにできるぞ」
「えっ?!」
「だから三分ルール」
「えっと、それ、ほんとに? ほんとに三分ルールありなの?」
妹が真面目に訊いてくる。
「って、マジで熱意ありすぎだな。兄ちゃん軽く引いちゃうぜ」
「う、えっ、うえーひどいよ、兄ちゃん」
ずーんと落ち込む妹。
そしてその妹を俺はひょいと抱きかかえた。
妹が何か喚いているが、批難であって拒絶じゃないので気にしない。
妹はまだ軽くて華奢。体重はあってないようなものだった。
「お、重い?」
「なわけないだろ」
「う、うん」
「……」
「……」
「なんかしゃべろうな」
「うん……、あ、あのさ。そうだ、あのね。あっ!」
ようやく声が朗らかになってきたなと思っていたら、ふいに妹が大声をあげていた。
「あそこにキャップが引っかかってる」
「ほんとだ」
初夏の斜光を浴びて、ゆるゆると揺れている葉桜の枝の先に、キャップが引っかかっていた。木立の影に隠れていて、今まで気がつかなかったみたいだ。
俺は指先のフィーリングを使い、そのキャップを手元に呼びよせた。
――ひゅん、と。
そのキャップが空を飛ぶようにしてやってくる。そしてそのまま、肩車している妹にかぶせてみた。
「あー兄ちゃんてばぁ」
「おー似あうぞ」
妹の姿を見もしないで言ってみた。
「んもー、せっかく髪型整えて、ふわっふわにしてきたのにー」
妹が文句を言って、俺の背中から飛び降りた。妹は被せられたキャップを手に取り、矯めつ眇めつする。
「ねぇ、兄ちゃん。このキャップ。佐藤レイってローマ字で名前が書いてあるよ」
「へぇ~。って、佐藤レイ?」
「うん」
「その名前の女の子、確かウチの学年にいたはずじゃ」
「そうそ」
と、そこで声が聞こえてきた。
いつのまにか、俺と妹の目の前には件の女の子が立っている。
その女の子は、見た目が年相応。
なのだが、しぐさが幼く見える女の子。
そして今のファッションは、このキャップに合うアメカジ風だった。目立つ特徴は、やはり胸ポケットに忍ばせている五種類以上のチュッパチャップス。
「そのとーり、小林くん。そしてそのキャップ、私の」
「あ、どうぞ」
「ありがと」
妹からキャップを受け取り、それを斜めにかぶる。
「私ね、あの有名なアイス食べにきたんだけど、食べられなかったんだ。しかも、その休みの理由が新作開発のための山籠りとかないよね」
「あー、私もそれ思ったー」
いち早く賛同する我が妹。
「妹ちゃんも? そりゃたいへんだー。私だってあることをしたかったんけど、まったくもってやる気をそがれちゃったしね。とにかくキャップ見つけてくれてありがと。けっこー大事なんだ、これ」
「そうか、良かったな」
「うん。ところで妹ちゃん、何か聞きたいことあるみたいだけど?」
「え? なんでわかったの?」
それはおまえが顔に出やすいからだ。
「そんなのはどうでもいいじゃない。言ってよ」
「あ、あの……兄ちゃんとは仲がいいんですか?」
「あ、小林くんのこと? 小林くんのことは私がよーく知ってるだけ。深い関係のちょっと手前ぐらいになりたいと思っているけどね」
「え」
その言葉を聞いて、固まってしまった妹。
俺も右に同じだ。
「そんじゃあ、ね。バイバイ」
そして佐藤は、俺達が止める間もなく去っていた。
◇◇◇
「ねぇ、兄ちゃん。あの佐藤レイって女の人、なんか気になんない?」
「何が」
「いろんなことがなんとなく」
「それじゃ、わかんないぜ」
「うーん。だけど私もわかんないの。でも、あの人を見てから、六時間以上もたったのにどうして気になるんだろう」
あの後、クドリと保健委員の二人は当初の予定通り三十分で帰ってきた。それからは午後の部として、映画、ボーリングと続けて回って遊びつくした。
映画では、妹が感情的に楽しんでいるのに対し、クドリは好奇心に任せて質問を重ねていた。それはボーリングでも同じような反応で、まあ、それぞれの楽しみ方もあるな、と思いながらも予想通りの反応だった。
で、もちろん食べ歩きもいっぱい楽しんだ。メインストリートにある軽食店はほとんどのぞいてみた。数ある食べ歩きの中で、クドリの一番のお気に入りはクレープだった。
そして、今日のクドリのテーマでもある幸せについての追求もおこなった。それは、ボーリングをした時の行動に散見された。
俺達がちょうどボーリング場に行ったとき、近くの五人組が揉めていて、クドリは自作のダンスを踊って、彼らを笑顔にした。多幸感でいっぱいになるあの踊りだった。
帰り道で、俺はそのことを訊いてみた。
「クドリ、それで幸せについて確信とやらはどうなったんだ?」
「それはなんだかよくわかりません」
「そっか」
「やっぱり、人の心がわからないのは大変ですね」
「そりゃそうだ。でもそれがいいんじゃないのか?」
綺麗ごとを言うつもりじゃなく。純粋にそう思った。
「そうですか?」
「ああ、そうだろう、きっと」
「そうなんですか」
クドリは少し納得がいかない調子だ。
「でもやっぱり、はやく兄さんとも《共感覚》が繋がるようになってわかりあいたいと思います。ならば、魂を近づけあって寝なければなりませんね」
「おまえ、あんなに恥ずかしがっていた面影はもうないんだな」
「私は最初から恥ずかしがっていないと思います」
ちゃかしてみたが、クドリには効果がなかった。
「それに、私は、もう兄さんの妹みたいなものですから、恥ずかしがる理由なんてありませんよ」